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誇りの裏付けとなる数々の技法

西郷派大東流の掲げるサバイバル思想の概論
(さいごうはだとうりゅうのかかげるさばいばるしそうのがいねん)

●植物性摂取の体躯の特長は「中庸」である

 格闘技で弱肉強食の論理の根拠になっているのは、「体力主義」である。あるいは体力主義は、肉体主義とも解され、肉体こそ、信奉する対象となり、これは総て体力主義に回帰するようである。
 そして、これはあたかも、古代ローマのコロセウムで格闘を繰り広げる剣闘士の如し。

 したがって、体力主義を信仰する愛好者は、その食事法が動物性蛋白質中心の食事を摂るようである。つまり体力をつける為に、食肉、牛乳やチーズなどの乳製品、ハムやソーセージなどの肉加工食品、マグロ・ハマチ・鯛・ヒラメ・ブリなどの高級魚、鳥のから揚げや魚のフライの天麩羅(てんぷら)類などの、動蛋白中心の高たんぱく高カロリーであり、現代栄養学が推奨する「一日30品目以上、何でも食べよう主義」で体力をつけるようである

 躰(からだ)を、よく動かせば、高たんぱく高カロリーが必要であるという食への考え方は、極めて古代的発想であり、それはあたかも、ライオンの肉を食らえば、ライオンの闘志を貰って、百獣の王のように強くなると盲信した、古代の肉体主義を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 そして今日、現代人の食事法の食体系に基づいて、食事の三本柱になっているのは、「白米」「食肉」「白砂糖」ではあるまいか。

 しかしこれらは、医学的に見ると、生理機能を根底から混乱させるものばかりである。食養道では、「白」のつく、「白米」「食肉」「白砂糖」を「三白ガン」という。
  それなるが故に、こうした食事を長年続ければ、ガンを発生させ、短命に終わるからだ。
 例え、ガンにならなくとも、早晩において、躰
(からだ)の至る処に故障が顕(あら)われ、半健康や慢性病に見舞われ、長生き出来る健康体は掴めないこと、必定である。
 昨今は食生活と健康に関した、様々な情報が飛び交っている。しかし健康に基本、長寿の基本は、白米・食肉・白砂糖の食問題を正しく処理して行かない限り、決して真の健康体は造れない。

 つまり、健康な体躯(たいく)と言うのは、体力が優れている事ではなく、体質が優れている事を言うのである。体力を養い、筋トレなどで、それを強靱(きょうじん)に鍛えても、病気に罹(かか)ればそれ迄である。しかし体質を養っておけば、病気に罹(かか)っても、直ぐに治ると言う治癒力(ちゆりょく)が働くのである。

 吾々(われわれ)は長い間、アメリカから持ち込まれた現代栄養学を好むと好まざるとに関わらず、権威の象徴として、この学問を信仰させられて来た。戦後の民主主義教育の中で、自由・平等・博愛を学ぶのと同じくらいに、現代栄養学が学校で教え込まれた。特に、男女の区別を問わず、小学校高学年から、中等教育の「技術・家庭科」という学問の中である。

 その代表格が食肉による食体系であり、牛乳による骨太神話であった。肉には良質なアミノ酸が存在し、牛乳の持つカルシウムは骨格を丈夫にするなどである。そして現代栄養学の御墨付きに従い、これを墨守し、基礎体力は動蛋白によって造られるということを、半ば妄信的に信仰をさせられたのである。

 今日でも、この信仰は根強い。
 一般大衆の頭の中には、肉と野菜をバランスよく摂れば、肉は酸性食品であっても、それを野菜で相殺するから大丈夫であると言う考えがある。また、酸性食品である肉は良くないが、「肉こそ、スタミナのモト」と言う思考がある。食肉は酸性食品としての多少のマイナス面はあるが、スタミナをつける事、あるいは体力をつける事が先決問題なので、こちらの方を優先するべきだという、優先順が頭の中に出来上がっている。

 その一方で、肉や卵はコレステロールを増やすので良くないが、動蛋白としては最高のアミノ酸が含まれているので、「体力をつけるのには持って来いの食品」であるなどの、考え方が頭の中に滲(し)み込んでいる。

 しかし、これは大きな矛盾である。
 何故ならば、人間の躰
(からだ)は、一つの秩序立った働きをしているからである。酸性食品は血液を酸毒化する。血液を酸毒化しておいて、コレステロール値を増大しておき、あるいは動脈硬化を引き起こす一方で、躰にスタミナをつけ、体力をつけるという矛盾した作業は行わないからだ。
 スタミナが付く条件下は、血液がサラサラで、弱アルカリ性
(正しくは生理的中性であり)の時に限り、はじめてスタミナアップが図られるからだ。

 肉体信奉者の本人は、肉をスタミナ食と思って食べていても、躰(からだ)は悲鳴を挙げているのである。現代人が、極めて怒りっぽく、感情的で、短気で、せっかちで、切れ易いのは、食肉などの動蛋白が原因である。そして現代日本人の実情が、実はこの症状下にあり、イライラして怒りっぽく、感情に激し易く、暴力で決着を付けるという、好戦的であるという事は、こうした酸性食品によってつくり出されているのである。

 ゴルフ灼けでもないのに、顔色がドス黒く、顔が脂ぎっている。酒を飲み、煙草を吸う。テクノ・ストレスなどで分裂症気味。階段を駆け登ると息切れがして、心筋梗塞の疑いがある。食べ過ぎで脂肪肝の疑いがある。あるいは痴呆症の疑いがあるなどの症状に悩まされている人は、誰一人の例外もなく、食肉を始めとする動蛋白摂取過剰の仕業(しわざ)である。
 それに加えて、現在のガン疾患の多くは、血液のガンなどからでも分かるように、肉食性のガンを誰もが患
(わずら)っている事になる。

 では何故、肉がこうまでに弊害(へいがい)を生むのか。
 それは腸内で、肉が腐るからだ。長い間停滞して、腐敗物質に変質するからだ。もともと人間は、穀菜食での食体系を厳守すべき、草食性の腸をして生まれて来た。
 したがって、草食性の腸に肉などの動蛋白が入り込むと、スムーズに消化し、処理できない状態が起こる。動蛋白食品が腸内に停滞し、ここで肉が腐るのである。

 また、牛乳や卵などの動蛋白食品も同じであり、これらは腸に停滞して腐敗する。腐敗の結果、二級アミン、アンモニア、硫化水素、フェノール、インドール、馬尿酸と云った腐敗物質が異常醗酵によって生成され、これが体組織に異常刺激を与え、二十代後半から成人病を始めとするその他の難病・奇病を発生させるのである。

 現在の厚生労働省の食指針は、現代栄養学に基づいて、健康づくりの為に、「何でも食べよう」式の図式を捻り出し、「一日30品目以上の食品を、バランスよく摂る必要がある」という総花主義的な指針を打ち出している。
 そして、その具体的な数字を持ち出す事によって、現代栄養学の学術理論に加担し、その誤った考え方を、栄養学とは縁のない国民にアピールして、それを固定化させ、国民の頭を現代栄養学で汚染しているのである。
 これは実に由々しき問題である。

 吾々(われわれ)は、「ヒト」と言う、ただ一種のホモ・サピエンスの現存種のヒト科の動物は、いったい何を食べたら健全に生きられるか、長寿が全う出来るか等の本質的な事柄について、人間の食べるべき、食べ物の食性を見極めておく必要がある。
 その見極めの究極として、答はヒトの「歯型」に示されている。ヒトの歯型こそ、食性の証明に他ならない。

 ヒトの場合、臼歯(きゅうし)が一番多い。臼歯は穀歯といい、これは穀物を擂(す)り潰(つぶ)す為に造られた歯である。次に門歯であり、これは菜歯と言われる。

 日本人は伝統的の古来より、穀物菜食を行って来た民族である。したがって、必然的にその躰付きは、菜食に適応する体躯(たいく)となっている。
 しかし、日本人だけがこうした体躯構造をしていると考えるのは、実に短見である。人間は、民族や人種に関係なく、穀物菜食に適するように造られているのである。その一例を示すのが「歯型」である。

ヒトの歯型(クリックで拡大)

 人間の歯は、成人で通常32本であるが、その中でも20本が臼歯である。臼歯は「うす」のような形をした歯であり、これは穀物を噛み砕き、擂(す)り潰すのに便利なように出来ている。また、門歯と呼ばれる歯は、8本あり、前歯の部分は、根菜や葉菜を包丁のように切る為に造られた歯である。

 残りの4本は、「犬歯」という歯であり、尖(とが)った形をした歯である。肉食常食者の中には、犬歯こそ、人間が肉食をする為に生まれて来たのだと主張する人もいるが、これは大きな誤りである。犬歯は肉食をする為の、肉を切り裂く歯ではなく、木の実などの固い物を砕く時に使われる歯なのである。
 この事から、人間の歯は、32本が総
(すべ)て、穀物菜食をする為に、神【註】人間という生物を作り出した宇宙神あるいは創造主)から与えられた歯であると言う事が分かる。

 現代人の肉食主義による誤りは、犬歯の解釈であり、犬歯は、人間が肉食をする為に造られた歯ではないと言う事だ。
 ちなみに、人間が食肉などの動物食を摂り過ぎると、犬歯は徐々に尖(とが)って来て、肉食動物のように多くが鋭くなり、これが成長すると門歯より長くなると言う。一方、犬に植物性のエサを与え続けると、犬の犬歯は総て抜け落ちて、その相貌
(そうぼう)は、非常に穏やかになると言う興味深い報告がなされている。

 人間も体力主義で押しまくる人間程、食肉を好み、その性格も好戦的で、いつも人と争っていないと気が済まない相貌(そうぼう)となる。そしてこれは、人相に反映され、ただ怕(こわ)いだけの、強(こわ)持ての人間に成り下がる。若いうちは、強持てでも良いであろうが、これ以外に能がないとしたら、晩年は実に哀れなものである。

 やはり、人間は年齢と共に腰を低くし、刺(とげ)が抜け落ちるが如く、円熟して、円(まる)くなりたいものである。本来、日本人の優しさや、慈しみ深さは、植物性の食べ物と深く関わり合いを持っていた。花の穏やかさを知り、その穏やかさで、慈悲を学んだのである。この穏やかさの象徴こそ、日本では春の桜であり、秋の菊であったのではないか。
 こうした植物が、先の大戦に結びついたとするのは、進歩的文化人の偏見であり、偏ったこじつけである。

 また、「稲」の稲穂は、瑞穂(みずほ)の民の象徴であり、日本人は米を育む稲の中に、総ての精神性を回帰するのではないか。
 円熟する稲の姿を見て、稲穂から人のあるべき姿を学んだのではなかったか。

 そして円熟した、円い気質を作り上げて行く為には、穀物を主食として、それに適量の野菜類や海藻類や近海で捕れる、小魚類を副食とした食事を摂る事によって、生理機能が健全に営まれるという、そんな存在が、日本人を育み、日本人の精神構造を造り上げたのである。
 これはまさしく、生物学的な宿命であるから、好みや考え方で変えられると言うものではない。

 では、穀物菜食にすると、どんな意味があると言うのであろうか。
 人間は植物性の食品を多く摂取する事で、人体が自動的に、栄養のバランスをつくってくれるという事である。
 特に穀物の王様である、未精白穀物の「玄米」は、あらゆる食品の中でも、最も栄養バランスが整った、多彩な有用成分をもつ食品であるからだ。
 これを一定量、正しく摂取しておれば、他の条件に左右される事なく、躰を「中庸」に保てるのである。この点が非常に大事なことなのである。

 かつて日本人は先の大戦において、白米を食するということで、大きな過ちを犯した。米という穀物は、精白することにより、弱くなる。栄養価も抜け落ちる。
 しかし、こうした事実を無視して、先の大戦では陸軍や海軍陸戦隊が、精白米を主食にした。精白した米を、わざわざ先遣部隊へ食糧として送り、飯盒(はんごう)で飯を炊くという愚かなことをやらかしたのである。飯盒炊飯すれば、当然の如く、煙が出る。煙を、敵に発見される懼(おそ)れもある。

 第一、戦場から戦場へ持ち歩く為に携帯するにも不便であり、運搬にも不都合である。嵩張(かさば)る上に、一旦水に濡れると、腐って食べられなくなる。また、当時の世界の軍隊の中で、戦場に米を持ち運んだのは、日本軍だけである。
 だが、何が何でも白米でなければならないという、軍首脳部の固定観念的な思考が、こうも、日本兵を愚かな方向に導いたのである。日本の敗因は、物量という前に、こうした軍隊内の食糧計画にも、敗因する要因が絡んでいたのである。

 もし、この時、玄米を持ち歩いていたら、どうなったであろうか。
 玄米は生きた米である。生きているから、畑に蒔けば発芽する。何も、水田耕作しなくても、玄米は発芽するのだ。
 しかし、白米は発芽しない。死んだ米であるからだ。

 発芽食品である玄米は、少量でも栄養価が高い。発芽食品の特徴は、水に浸すというだけで発芽を始めるのである。
 もし、太平洋戦争において、南方方面や北方域の守備隊が、白米ではなく、玄米を軍用食糧として携帯し、それを水に浸して発芽させ、その発芽した米を、」僅かスプーン一杯か、二杯、食していたら一食分のエネルギーは十分に養うことが出来、身軽な痩身体躯で、軽快に戦闘が出来たのではなかったか。当時の日本は、「遊撃戦」をよく理解していなかったのである。
 そして、飯盒炊飯して、わざわざ煙を出し、敵に発見されるという愚行を行わなくてもよかったのではないか。

 ここに精白米しか知らない、当時の日本人の哀れさがあり、この無知が、日本に敗戦を齎したともいえる。また、ゲリラという、サバイバルには極めて有効な戦術を知らなかった為、日本は本土決戦の戦闘計画において、朝鮮戦争やベトナム戦争のように、山岳戦を展開することが出来なかった。ここにも、生き残りを賭けた、「サバイバルの何たるか」の戦闘思想が抜け落ちていたのである。
 戦争を研究せず、戦争を甘く見た結果といえよう。

 

●軽快な体躯と中庸

 では、「中庸」を保つとは、一体どういう意味が生まれるのだろうか。
 これを知る為には、人体の基本構造を知らなければならない。人体の基本構造は、食→血→体という順に流れて、人体を造り上げて行く。
 この流れが理解出来れば、赤血球は腸で造られ、その赤血球が、やがて体細胞へと分化していくのである。これは基本的な一つの流れとなり、血液は骨髓
【註】骨髓では脂肪が多過ぎて、正確に血球を見る事が出来ないし、まだそれを見た医学者が居ない。骨髓造血説は現代医学の一つの仮説に過ぎない)ではなく腸で造られるという「腸造血説」の有力な根拠になっている。

 したがって、人間が病気になると言うカラクリは、唯(ただ)一つであり、食の狂いから病気が派生すると言える。慢性病になると言う病因は、食に誤りがあるからである。慢性病は病理的な状態が病因を為(な)すが、この現象も、現象人間界ならではの現象であり、実は、「生体」という土俵の上で種々の病因が派生するのである。

 そのカラクリのメカニズムは、「食の腐敗」→「血の汚れ」→「躰の各部位での炎症」という流れの中に顕われる。つまり消化管内(特に腸内)で、食した食べ物が腐敗して、血液を汚染させる酸毒化が始まるからだ。
 腸内で異常発生した有害物質は、血液中に吸収され、血液を著しく酸毒化するのである。次に、血液中の酸毒物質が、組織細胞を絶えず刺戟
(しげき)して、「炎症」や「腫瘍(しゅよう)」を発生させるのである。
 したがって、体質を改善させなければならないのである。

 病気にならないように体力を養い、害あるものを排除して、それに近寄らず、予防医学で押し通すより、病気に罹(かか)っても、直ぐに治癒する体質が問題になるのである。
 喩
(たと)えば、伝染病地域に居ても、伝染病に感染し、この場合、二種類の人の運命の明暗を分ける結末に至る。
 一方は感染しても、伝染病を克服して治癒に向かう人と、もう一方は体力があっても、血液が酸毒化している為に、これから中々治癒する事が出来ず、伝染病で死んで行く人である。つまり、これは体力ではなく、体質が決定することであって、自然治癒力が有るか無いかと言う事になる。

 したがって自然治癒力を増強すると言う事は、言い変えれば、スタミナをつける事にある。そしてスタミナをつける条件下に置かれるのは、体力が有るか、無しかの問題ではなく、自然治癒力があると言う事に尽きる。したがって、体質の良し悪しが治癒力の有無を決定するのである。
 その意味で、人間が食して最高のスタミナがつくのは、食肉常食ではなく、玄米食を主食として食する事なのである。菜食の腸を持った人間は、菜食によってのみ、体質が改善されるのである。

玄米の構造(クリックで拡大)

 では、スタミナ増強のメカニズムは、どんなカラクリで発現するのだろうか。
 この場合、中心になるものは、腸壁の体蛋白合成力の強化現象である。体蛋白の合成力が強化されれば、「質」のしっかりとした体細胞が造られる。これが「体質」の所以(ゆえん)である。
 質のしっかりとした体細胞が、躰の組織臟噐を構成すれば、組織活動は活発になり、また内臓が強化され、必然的に体質は良くなって行く。則
(すなわ)ち、これによりスタミナアップが図られる分けである。

 体蛋白合成力を強化する最も重要な栄養素は、炭水化物である。
 特に玄米の場合、ミネラル、ビタミン、酵素などの各種の有効成分と結合している食品は、多くの食品の中で玄米だけであり、バランスのとれた優れた食品であると言う事が分かる。
 このような有効成分をもつ食品であれば、腸壁細胞は直ちに、体蛋白合成作業に取りかかれるのである。玄米は有効成分を豊富に持ち、腸壁からも有効成分を奪う事はない。したがって腸壁は、腐敗物質を停滞させる事なく、スムーズに蠕動
(ぜんどう)運動を行う事が出来る分けである。

 人間は、こういう正しい腸の蠕動運動を続けて行くこと自体が、消化機能に磨きをかける事であり、これにより人間は、原始的な野生の中での逞しい適応力と、判断力を養う事が出来るのである。その結果、自然と順応する生理機能が蘇(よみがえ)って来るのである。そして、こうした力を発揮するのは、玄米と言う炭水化物の栄養成分からであり、玄米こそ、人間に最も相応しい「スタミナ食」という事がいえるであろう。

 一般に、肉がスタミナ食と思われているが、これは大きな間違いである。
 肉の蛋白質は、一旦炭水化物に還元された上で、改めて正規の体蛋白生合成の道筋に載せられるが、穀物菜食民族である日本人の場合は、古来より肉食をする習慣がある西欧人に比べて、その腸内に、遺伝的にも、生まれつき還元酵素を殆ど持たない。日本人とは、こうした民族なのである。

 こうした穀物菜食の遺伝子を引き継いで生まれて来た日本民族は、もし、肉食を常食とすれば、いたずらに腸に負担をかけ、機能失墜を起こすばかりである。そして腸機能失墜こそ、実はスタミナ減退の元凶だったのである。したがって中庸が保てなくなり、肥り始め、体質が悪くなって、内臓機能が疲弊(ひへい)していくのである

 特に、日本人の場合、消化力や解毒力の優秀でない民族は、牛乳や卵などの動蛋白を摂取すれば、腸機能は益々減退するばかりであり、喩(たと)えば病人が、こうした物を食べた場合、それは自殺行為となる。また、辛うじて死を免れたとしても、血液循環障害を起こす為、老人や中高年層は痴呆(ちほう)になる恐れが充分にある。

 痴呆は、脳の腫瘍・炎症、中毒・血液循環障害などに由来する病気である。この病気に罹(かか)ると、これまで個人が獲得した知的精神的能力が失われて、元に戻らない状態となり、その恢復(かいふく)は絶望的と言われている。
 一般的な症状としては、感情面や意欲面の低下をも伴い、生きていても廃人の人生が待っている。そして今日では、痴呆症で斃
(たお)れる著名な武道家も少なくない。

 さて、玄米について言えば、玄米は性的なスタミナを高める上でも非常に有効な食品であることは言うまでもない。玄米には、生殖機能を正常に戻し、然(しか)も、生涯に亘ってそれを維持し続ける働きがあり、この有効な働きに準じるのがビタミンEである。ビタミンEこそ、性的不能や精力減退を正しく修正し、性機能障害の解決に役立つ食品なのである。

 だが、単にビタミンEだけを摂取しても大きな効果をあげる事は出来ない。
 ビタミンEを始めとして、玄米に含まれる有効性分が総合的に働き、バランスのとれた栄養素が発現されてこそ、性的スタミナが強化され、歳老いても、若さが保てるのである。そして性的なスタミナは、植物性の食品が齎すのである。

 性的なスタミナがあるということは、何もセックスに強いというばかりでなく、生命の火が見え盛り、まだ燃え尽きてないということを意味するのである。
 それは人間が、精液の「水」から生まれ、その水は生まれて出て、呼吸することで「火」となり、生命の火がいつまでも燃えている状態が、「生きている」ということであり、この火が燃え尽きれば、死んだ状態となるのである。


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