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誇りの裏付けとなる数々の技法
内縛の秘法その1.
 人差し指を立て、吐気を行いつつ、裡側(うちがわ)に組み込む。息を鼻から更に吐き続ける。
内縛の秘法その2.
 組み込んだ後、両拇指を折り込み、腕を伸ばす。この時に、静かに鼻から吸気を行う。

西郷派大東流の呼吸法概論
(さいごうはだいとうりゅうのこきゅうほうがいろん)

●呼吸法と浄血法で、汚れた血を浄血する

 幾ら呼吸法ばかりを重視して、汚れた体内環境で修行しても、肝心の血が汚れていてはどうしようもない。その為に「浄血」をする必要がある。動蛋白で酸毒化し、汚れてしまったドロドロの血を、サラサラの血に変えなければならないのである。その為には、中庸(ちゅうよう)を維持する「正食」を実践する必要があろう。

 よく、「肉はスタミナの元」という馬鹿な発想をする人が居るが、肉は決してスタミナの元にはならない。何故ならば、人体の生理機能は「整然とした秩序」の上に成り立っているからである。
 一般に、食肉と聞くと「酸性食品である肉はよくない」とか、「肉食をするとコレステロールを殖(ふ)やす」などと盛んに言われている反面、「肉はスタミナの元」という考え方があって、腸内に入れば間違いなく酸毒化し、腐れる物質でありながら、やはり「肉はスタミナの元」という思考があって、日本人の食肉摂取量は全く減っていないようだ。

 日本中いたるところで、食肉文化は花盛りであり、あらゆる産地の高級和牛を食べさせるレストランや食事処が大いに流行(はや)っている。それは戦後の現代栄養学が吹聴(ふいちょう)した、食肉の組成構造に持つ良質のアミノ酸に目をつけて、食肉の中には、このアミノ酸が豊富に含まれていると宣伝したことによる。

 その為、食餌法(しょくじほう)に無知な大衆層は、この食肉に一斉に眼を向け、「肉はスタミナの元」という宣伝文句にほだされて、心の中では薄々疑問を持ちながらも、「肉は酸性食品であるのだから、多少のマイナス面はあるにしろ、スタミナをつけるのが先決ではないか」という安易な気持ちで、肉に飛びつく現状があるのである。

 しかし、この考え方は大いに矛盾している。何故ならば、人体というのは整然たる秩序によって、総(すべ)ての生理機能が行われているからである。躰(かだら)は、秩序の塊(かたまり)であり、これは整然とした宇宙法則から成り立っている。人間の躰が、天体の大宇宙に対して、「小宇宙」と称されるのは、人体が整然とした秩序で運営されているからであり、大宇宙と対照しているからである。

 肉常食者が言うように、肉は決してスタミナの元ではないし、また、スタミナの元になりえない確固たる理由がある。それは、肉が酸毒化の元凶を引き起こしながら、コレステロールを増大させ、動脈硬化を惹(ひ)き起こす一方で、躰にスタミナをつけるなどは有り得ないからである。これは生理機能作用の相矛盾する作業であり、こうした働きは、人体機能には存在しないのである。

 人体機能において、スタミナアップが図られる条件は、まず血液が弱アルカリ性(生理的中性)の条件下のみである。更に、もう一つの条件として、動脈がしなやかで、血管自体の組織が優秀であるということと、血液がサラサラ状態にあるということである。

 血液をドロドロに汚染する肉食をして、どうしてスタミナアップなど図られようか。肉常食者は、自分では肉をスタミナ食と思って、精白米とともに口の中に放り込んでいっても、躰の方は悲鳴を上げているのである。この躰の悲鳴が、やがてガン発症を誘発するのである。食肉をする現代日本人の多くは、この躰の悲鳴により、成人病や現代病を患って今日の社会構造の中で、経済効果とご都合主義のより、食実験的な日常生活を余儀なくされているのである。

 その為に、コレステロールにより動脈硬化症を誘発し、血圧を上げ、頭が重い、イライラする、怒りっぽい、顔色がドス黒い【註】喫煙者で高血圧症の人は日焼けでもないのに黒ずむ)、脂ぎっている、脱毛症【註】抜け毛などの円形脱毛症、白髪病、ハゲ頭病は、腸マヒから起る。腸マヒとは、動蛋白により腸内で腐敗ガスが発生し、このガスが腸壁の絨毛(じゅうもう)に再吸収され、血液を汚染して脱毛症を起こす。最近は肉食をする女性にもハゲ頭病が増えている。更に、鬘を被った場合、更に抜け毛が酷くなる)が多くなったなどの症状が起るのである

 また、こうした症状が無くても、肝臓病、腎臓病、腎臓病、膵臓炎、不眠症、不妊症、精神的な分裂症、ノイローゼなどの神経症、高血圧などは、まず例外なく肉食から来る弊害(へいがい)である。それに暴飲暴食とアルコールが絡み、その上にタバコの喫煙で、この症状を解(ほぐ)し難いほど、雁字搦(がんじ‐がら)めにしているのである。

 また、ガンの多くは「肉食性のガン」である。
 では、食肉が何故こうした病変的な弊害を生むのか。それは食した肉が腸内で腐るからだ。

 もともと人間の腸は、その歯形から謂(い)って、草食性であり穀物菜食性である。この為に、共食いをすれば、食した肉が腸内でスムーズに消化・処理できないのである。こうした点においては、四ツ足の食肉だけでなく、牛乳や鶏卵、乳製品のチーズ【註】この食品はヨーロッパのカリ塩の多い内陸部に住んでいる西洋人には向いているが、日本などの海洋に面したナトロン塩の多い国に住んでいる人は不向き)、ソーセージやハムなどの肉加工食品や、四ツ足の肉の燻製(くんせい)、焼き肉類の缶詰、鮭などの魚肉の燻製、魚介類の各種缶詰などの動蛋白性食品も全く同じなのである。

 四ツ足の肉や鶏の肉、高級魚の寿司のネタ【註】特にマグロのトロは凶。寿司文化は江戸末期に起ったが、最初江戸っ子はマグロのトロは脂臭くて食べなかった。これこそが日本人の正確な味覚の感性である)、牛製品などは腸内で腐敗するという性質を持ち、その元凶は二級アミン、アンモニア、硫化水素などの腐敗物質が血中に持ち込まれ、これが全身に巡って体細胞組織に異常刺激を与え、成人病などの難病の類(たぐい)を発生させるのである。その筆頭が、細胞に炎症を発生させるガン発症であり、これは腸内で食肉が腐ることがこうした病因の元凶であり、腸内で食した食物が腐ることが「万病の元」なのである。
 そして病気を招くのは体力が無いからでなく、病気を招く体質が悪いからである。

 その上、国民の大部分は過食を重ねている上に、都会では人口過密の為に、昔とは比較にならないほど、対人関係が悪化している。対人関係が煩(わずら)わしい一方で、過食による疲労に加えて、精神的ストレスの過剰が、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の増加を齎(もたら)しているのである。また、こうした背景には科学万能主義や、金銭や物財に魅了される側面があり、現代人は心身ともに、蝕まれる実情があるようだ。それはまた、一切の煩わしさから、排他思考が働くからであろう。

 現代社会での現代人の思考や、「科学的」と称する論理の中には、自分だけはあくまでも正しく、他は総(すべ)て間違っているという考え方が、金力などの力を通して、罷(まか)り通っている。金銭的に多額の宣伝費を掛けた流行の仕掛や、思想を仕掛ける場合は、その背後に金銭による力関係によって決定される。

 この金銭による資本力の経済力学は、一つの思想を封じ込める為に、一方的に悪者(わるもの)にする為に使われることが多く、またこの事が大いに宣伝され、一方を悪とする考え方が、現代社会の風潮である。こうした経済力学や資本力の裏には、仕掛人の思惑が絡んでいる。
 そして、病気に対する考え方も、大方は金銭力や資本力による経済力学の綱引きとなることが多い。日本には製薬産業や医療産業を巻き込んだ権威筋に、日本医師会なるものがある。この組織は強大な権力を持ち、日本の医療機関の最高権威であり、厚生労働省すらも、この組織には頭が上がらない。

 この組織下で、病気の原因追及は、総(すべ)て病原体にする論理が罷(まか)り通っている。現代医学の論理に随(したが)い、伝染病の大方は細菌のせいにし、慢性病においてはウイルス探しに懸命になっている。しかし、これはお門違いもいいところである。
 確かに、微生物であるウイルスはとりわけ強力な伝染力を持ち、これが発病の切っ掛けになることはある。しかし、発病の真因を作ったのはウイルスそのものでなく、ウイルスに感染した躰(からだ)自体が問題であり、それは取りも直さず、「体質の悪さ」である。

 どんな病気であれ、同じようなウイルスに感染されても、発病する人と発病しない人が居る。また、感染しても直ぐに治る人と、立派な体格と体力を持ちながら、いつまでも完治せず、ついには死んでしまう人が居る。この両者の違いは、体力や体格にあるのではなく、「体質の良し悪し」にあるのである。
 ということは、現代医学が病気の論拠としている、微生物であるウイルスそのものは、発病させる絶対性を何ら持っていないことになる。つまり、ウイルスが真の病因ではないということになる。

走り幅跳びの人見絹枝。人見は日本女性初の国際競技陸上選手だった。(写真は大正15年8月28日の第二回万国女子オリンピック大会の走り幅跳びで、5m50cmを出し、女子の世界新記録を出したときのもよう。昭和史5、「昭和の開幕」毎日新聞社篇より)
 岡山県生まれの人見は、陸上競技種目において、体格並びに体力に恵まれ、如何なくその天性の肉体的才能を発揮した女性である。彼女は素晴らしい体格、強靭的な体力、人並み優れた運動神経を持っていた。

 人見の輝かしい陸上競技の歴史は、大正12(1923)年、17歳で第二回中等学校陸上競技大会の走り幅跳びにおいて走り幅跳びにおいて4m64cm(非公認日本記録)で優勝した。その後、二階堂体操女塾(現在の日本女子体育大学)に入学し、卒業後、大阪毎日新聞運動部記者を務めた。
 大正15(1926)年第二回万国女子オリンピック大会に単独参加し、個人優勝をした。
 昭和3(1928)年、第八回オリンピック・アムステルダム大会で、紅一点として参加し、期待された100mでは予選落ちになるも、800m走で二位に入賞し日本初の女性メダリストとなった。
 昭和5年の第三回万国女子オリンピック(プラハ)には後輩5名を率いて、団体四位、個人二位に入賞した。
 人見の存在は大きく、かつ偉大であり、黎明期の日本女子スポーツの草分けとして、日本の女子スポーツ界を世界に羽ばたかせる切っ掛けを作った。

 
笑顔の人見絹枝。人見は人格穏やかで、常に笑顔を絶やさず、精力的に、女子スポーツ貢献の為に日本各地で講演を行い、執筆活動や、募金活動を通じて、女子スポーツ関心を呼びかけた人である。

 ところが、素晴らしい体格と強靭な体力に恵まれ、天才的な力量を要した人見であったが、肺結核の為に僅か24歳で早世している。
 人見の早世は、体格や体力と、体質は無関係であることを如実に物語っている。
 つまり、発病するかしないかは、体格や体力が決定するのではなく、体質の良し悪しが決定することを、人見の体躯が証明している。
 (写真は昭和2年の頃で、講演に行った高田高等女学校の運動部員達と。昭和史5、「昭和の開幕」毎日新聞社篇より)

 この事は、「発病するか発病しないかの決定権」は、実はウイルス側にあるのではなく、それぞれの個人の体質の良し悪しに関わっているということである。要約すれば、「体質の良し悪し」が発病するかしないかの真因を決定しているのである。

 つまり、ここでいう体質とは、「体細胞の質」のことを言うのである。この「質」が問題なのであり、体細胞の質をよい方向に高めていく為には、まず食事内容が、血の良し悪しである「サラサラ」か、「ドロドロ」かを決定し、サラサラの血液は良き体細胞を造り、悪きドロドロの血液が悪しき体細胞を造るということである。この流れの構造の中にこそ、病気が潜んでいるのであり、人間の躰(からだ)の基本構造は、これに由来し、食物こそ、人体の化身なのである。この構造を凝視すれば、食物によって血が汚れるか、汚れないかに懸(か)かり、その食物が腸内で腐敗するかしないかに懸かるのである。

 したがって、食肉や乳製品や鶏卵などは、腸内で腐り、酸毒化し、それが腸壁の絨毛(じゅうもう)から吸収されて、血液に乗り、全身を巡ってそこで体細胞になるのである。この構造から考えると、腸内で腐る動蛋白食品は、人間向きではないことが分かる。肉は腸内で腐り、酸毒化するからである。
 また、酸毒化されて血液が汚れ、その汚れた血が体内を巡り、体細胞の弱い箇所に停滞し、そこで炎症を起こすのである。この炎症こそ、体細胞は変質して正常細胞がガン化して異常細胞になるのである。このカラクリの中には、病変したものが炎症であり、腫瘍(しゅよう)である。
 そして、腸内腐敗を起こす元凶は、食物である事が分かろう。

 

●呼吸法をする為には、動蛋白食品や精白食品は有害である

 現代人の多くは、自分で腸内で腐敗するような食物を取り込んでおいて、病的な微生物を発生させ、これを繁殖させ、自分で病気になっていくという生活習慣の間違いに気付かないまま、「食肉スタミナ信仰」「牛乳カルシウム神話」を有り難く拝んでいるのである。また、成人病や現代病といった病気は、現代ならではという、発病の真相が時代の背景に隠されている。

 世の中は金銭至上主義であり、また科学万能主義であるが、これらは未(いま)だに眼に見え、手に触れられる物体化したものだけを相手にする三次元どまりの、科学的論拠を主体に置いたことが推し進められている。したがって、現代医学にしても、発病の真相を病原体に求め、その退治に躍起になっている。しかし、本来病原体というものは存在しないのである。

 時として、病変組織に病的なバクテリアやウイルスが発見されることもあるが、それは腸内から吸収されて侵入したか、自然発生したかの何れかである。病変組織が崩壊する時に、体細胞がバクテリアやウイルスに姿を変えることがあるのである。この場合、腸内で腐敗を起こすのは、その代表格が動蛋白食品と精白食品である。

動蛋白食品
四ツ足の食肉や鶏に肉、牛乳、チーズやバターなどの乳製品、燻製(くんせい)などの肉加工食品、鶏卵、大型高級魚の肉、ソーセージなどの魚肉加工食品、肉や魚の缶詰。それを味付け調理する為の食品添加物。
精白食品
白米、白パンや菓子パン、白砂糖やケーキなどの和洋菓子、精製精白塩、漂白小麦粉、化学調味料、その他、うどんやそーめんなどの「白」がつく食品。

 以上の食品と食生活で縁が深いほど、慢性病の病根は深くなる。現在慢性病で苦しんでいる人は、食生活の中で、以上の有害食品を多く食べ、多食し、食傷に冒(おか)された人である。更に、現在は健康体を自負している人でも、以上のような食品を好んで食べていると、必ず近い将来に有害食品の弊害(へいがい)が顕れてくる。遅かれ早かれ、時間の問題であろう。

 既に述べた中で、食肉は人体にとってスタミナの元になり得ないばかりか、腸内で腐敗する有害食品であることは既に述べた。何故、腐敗するかは、もともと人間が穀菜食をする生き物【註】人間の歯型が、穀菜食の水冷式哺乳動物である裏付けをしている)であり、肉食獣などの動物と違って、動蛋白を摂取した場合、これを還元する酵素を持たないからである。
 したがって、この酵素が存在しなければ、腸内で異常発酵を起こし、摂取した肉が完全に排泄されず、停滞して腐り酸毒化し、これが血液に運ばれて躰中の体細胞に届き、そこで炎症を起こすか、腫瘍化するのである。その最たるものが「ガン」である。

 現代人の食事回数は、常識的に「日に三度」であるが、もし日に三度の食事をするのであれば、排便も日に三度起らなければならない。ところが、肉や白米などの雑食をする現代人の多くは、便秘に悩まされ、排便が毎日一度はきちんとある人でも、一日3食の食事をしながら、この三食分が完全に排泄されている人は殆ど居ないのである。つまり、一日3食という食事回数は、明らかに過食であり、過食状態が便秘を惹(ひ)き起こす元凶になっている。つまり、「食べ過ぎ」が便秘を惹き起こしているのである。

 ということは、日一度しか排便できず、便意を催さない人は、残りの2食分を腸内に少しずつ蓄積し、停滞し、それが腐敗して酸毒化していると考えられる。これが過食と便秘の因果関係を持っている。一日3食では食べ過ぎであるからだ。

 ちなみに筆者は、平成20年4月20日(日)夕刻 〜同年5月3日(土)夕刻まで、13日間の断食をしたが、断食をはじめて7日目頃から、真っ黒い宿便が出始めたが、13日間の断食を終了し、捕食期間に入ったその後も、まるで雑巾を絞るように、一日3回以上の排便があった。
 今回の断食は、平成8年以来の12年ぶりのことであったが、もう、12年でこれだけ大量の宿便が、腸内に停滞していたのである。12に年でこれだけの宿便が出るのであるから、これまで断食経験のない人は、相当量の宿便が溜まっていると考えなければならない。

 特に、宿便の中でも、動蛋白(四ツ足動物が食べる家畜用飼料には水銀入の物が多い)より摂取した、農薬に含まれる水銀などの重金属は一旦体内に入ると、殆どは排泄されないのである。 四ツ足を食べているということは、農薬成分までも食べていることになり、白米なども農薬が含まれている。それに半信半疑の疑いを持ちながらも、これらの食品を食べるしかない、食生活を現代人は余儀なくされているのである。

 したがって、これまで生まれてこのかた、一度も断食経験のない人は、仮に今が20歳としたら20年分の、30歳としたら30年分の、更には60歳としたら60年分の宿便を体内に溜め込んでいることになる。
 東洋医学の宿便停滞論では、小腸などの絨毛(じゅうもう)に薄く停滞した宿便の表面積は、大方、テニスコート2面分の広さであるとしている。この表面積から、宿便を寄せ集めれば大変なものだろう。自称「健康な人」でも、バケツの一杯分(5リットル程度で、重さにすれば5キログラム)はあるという。

 何故ならば、絨毛の一本を形成しているのは、約5000個の六角形である。栄養を吸収する細胞は、全部で1兆5000億個にものぼるからだ。この絨毛を表面積として引き伸ばせば、テニスコート2面分までに拡がるというのである。

小腸の内壁に敷き詰められた絨毛(画像クリックで拡大)
イラスト/曽川 彩

 毎日必ず、一度は排便があるという自称・健康体な人でも、一日3食主義を実行し、「朝食はしっかりと摂る」という現代栄養学式の食事法を実践している人でも、一日のうちで3食、食事を摂っているのだから、その都度の24時間後のそれぞれの朝・昼・晩の食事量相当分が排便されねばならない。それとも、3食分の排便量は、一纏まりになって、朝か昼に固まって排便されているとでも言うのであろうか。
 これでは、まさに「くそ袋」と生活しているようなものではないか。

 もし、一塊(ひとかたまり)になってこれが排便されるという論理を持ち出せば、現代医学の言う、人間が食事をしてそれが消化され、吸収されて残りカスは24時間かかって排泄されるという「24時間排泄論」が訝(おか)しなことになってくる。
 だから、一日1回とする排泄回数では少ないのである。3食摂れば、3食分の排泄が、一日のうちに3回起らなければならない。それが「1回しかない」ということになれば、残りの2回分の排泄は、停滞したまま腸内に溜め込んでいるということになる。確実に2食分は腸内で停滞し、それが腐敗し、酸毒化して、徐々に蝕んでいるということになりはしないか。ガン発症は、此処から始まっているともいえる。

 程度の差こそあれ、現代人は現代医学や現代栄養学を過信する余り、確実の宿便を体内に持ち、それがいつ病変するとも知れない、危険に曝(さら)されているのである。

 かつて筆者も、厄年の42歳まで、「肉大好き人間」だった。現代栄養学の熱烈な信者だった。肉を好んで食べ、肉に併せて白米主義者だった。肉をよく食べ、アルコールをそれに併せて、よく飲んでいた。一日3食では空腹を満たすことが出来ず、一日4食をやった上に、夜食まで食べていた。それが祟(たた)って、その十数年後、それが酸毒化し、ガンが発症した。食傷であった。しかし、食傷に気付いたその時は、手遅れ状態の末期ガンで、余命6ヵ月と告知を受けた。「過ぎたるは及ばざるが如し」だった。

 末期ガン患者の筆者の持論だが、人間が、若い時には性力もつけなければならないし、異性も惹(ひ)き付けねばならないので、どんなに肉を食べても、それを辛うじて消化される内臓力は持っていると思う。
 しかし、40の声を聞き、「初老」という年齢になれば、こうした動蛋白は、一層慎まなければならないと思うのである。また、アルコールの摂取量や、タバコの禁煙なども考え、こうした物は、50の「五十路(いそじ)の声を聞く頃までには解決していかなければならないと思うのである。

 何故ならば、人間の肉体には、年齢に応じて免疫力というものがあり、医学的に検(み)て、20歳をピークに徐々に低下するという。20歳で免疫力が100%とすれば、80歳代で0%になるという。つまり、免疫力低下では、30歳代では70%になり、初老の40歳代で約50%、50歳代で約35%、60歳代で約20%、70歳代で約10%、そして、80歳代で遂に0%となるという。

細胞分裂回数と免疫力(画像クリックで拡大)

 つまり、40歳の初老の声を聞くと、もう免疫力が半分になるのである。だからこの歳になれば、アルコールの摂取量を減らし、喫煙者は禁煙をし、動蛋白摂取量を極力減らし、折り返し点に向かう覚悟を明確にしなければならないのである。
 昔の人は、40歳の年齢を迎えた人を、「初老」と呼んだが、これは実によく言い当てた言葉であると思う。つまり、肉体信奉主義から解脱して、精神修養に入る時機(とき)を「初老」と呼んだのである。

 ところが、50の折り返し点を過ぎ、60の「還暦」になっても、若者と同じ、焼く肉や牛丼や、脂肪分たっぷりのトンカツ定食を食べたり、焼き鳥で一升酒を喰(く)らったり、ヘビースモーカー並みに、タバコを一日20〜40本以上も喫煙する馬鹿者が居る。そしてこうした馬鹿者に限って、現在、高血圧症で悩まされたり、ガン発症で「虫の息」という哀れな末路を辿ろうとしている。早く気付いて欲しい限りである。

 たいてい、脳溢血や脳血栓で斃(たお)れ、夜中、救急車で運ばれる人間は、大方このような、間違いだらけの食生活をしてきた人間である。アルコール摂取量は殆どないのに「血圧が高い」という人は、まずタバコの喫煙を疑い、動蛋白摂取過剰を疑うべきであろう。不必要なものを喰(く)らって、何も、死に急ぐ必要はないだろう。

 筆者が思うには、50の五十路(いそじ)の折り返し点に達した人は、もう既に、「死生観を考える歳」ではないかと思うのである。「生」に縋(すが)りつくのではなく、「生」から離れ、「死」のことについて考える、精神世界に入っていかなければならないのである。やがて、生命の火は、肉体から離れるときがやってくる。このことを、念頭に置くべきであろう。

 この時期を安易に見過ごし、その準備行動に怠りがあれば、その後の人生は病魔に襲われる哀れな余生が待っているのだ。死の覚悟を迫られて、慌(あわ)てる以外ないのである。筆者も、この哀れな余生を選択しなければならなかった一人だった。そして、自分がガンを発症して、余命6ヵ月と告知されたとき、自分の非に漸(ようや)く気付いたのである。

 だから、タバコは禁煙生活に移るべきだし、アルコールも健康を損なわない、「ほどほど」がよいのである。免疫力が失われ、体質が日々に悪くなっている「初老を迎えた中年層」が、何故、タバコだ、酒だと、眼の色を変えなければならないのだろうか。あるいは、女だ、不倫だと……。性的エネルギーを無駄に浪費する元凶こそ、ガン発症であり、あるいは血管障害、心臓障害ではなかったか。この辺を、現代人は見直すべきであろう。

免疫力の年齢比較(画像クリックで拡大)

 結局、筆者はガン発症に気付く前は、現代栄養学の「肉と野菜をバランスよく、一日30品目以上」を摂るという、近年の厚生労働省の食指針と、現代栄養学の食理論に騙(だま)された一人だった。また、食品を多く摂ることは、そのレシピに大量の白砂糖が、隠し味として遣われていることだ。
 人間は詰め込めば詰め込むほど、「体質を悪くする」のである。この辺を理解している現代栄養学者や、管理栄養士が、果たして何人居るだろうか。また、彼等は「ウソの食指針」を国民に示しているのではないか。この「ウソの食指針」に、斃(たお)れて、命を失った人も決して少なくはないだろう。

 実際に長生きした人は、その食生活に秘訣があった。玄米菜食を中心にし、主食のご飯は、玄米を中心にした、雑穀としての玄麦、粟(あわ)、稗(ひえ)、黍(きび)などであった。また、副食としてイモ類や、野菜や山菜などであった。それに少量の小魚介が動蛋白として加わるだけである。
 逆に、肉、牛乳、乳製品などは殆ど食していない。

 これは一見「粗食」に見えるが、例えば、女性でもこうした食事だけで、母乳が出ないという人は殆ど居なかった。それ何に最近では、白米一辺倒主義で、肉、鶏卵、乳製品、肉や魚の加工食品などの動蛋白中心の雑食をして、それでいて母乳が出ないという女性が多い。また、食事は動蛋白中心にしてきた人に限り、成人病になる人が多く、死亡者も増加しているというのが実情だ。

 これまでを振り返ると、現代栄養学を過信していたことが、今は大いに悔(く)やまれるのである。そして、躰は酸毒に蝕まれ、衰弱して行ったのである。後戻りできないところにまで来てしまったのである。
 ガン患者の多くは、大半がこのコースを辿って、ガンになるようだ。そして発症後、酸毒物質の悪影響に大いに悩まされ、七転八倒して苦しまなければならないのである。

 また、この酸毒物質が、「宿便」【註】眼に見えるものだけを相手にする三次元現代医学では、死体解剖により、宿便は存在しないと考えるのが定説になっている。しかし、生体と死体とでは、異なることは明確であろう)といわれるもので、断食療法などで謂(い)う、黒便、砂便、結石、脂肪塊(しぼうかい)、寄生虫、各種細菌、仮性糞石、粘液毒素、農薬に含まれる水銀などの重金属類などの、何年も、何十年も体内に停滞した病原群なのである。病原群の多くは、動蛋白食品と精白食品によって齎(もたら)される。

 更に、肉および動蛋白食品の常食者は、その多くが短命である。その原因は、動蛋白食品を主体的に摂取する為、生活習慣から慢性化する病根を引き出す為である。心筋梗塞、動脈硬化、狭心症、肝炎、腎炎、前立腺肥大症、子宮筋腫、ガン発症などは、総て動蛋白が齎(もたら)す疾病である。
 また、動蛋白食品は腐敗する食品であり、還元力が殆どなく、酸化力が非常に強い食品である。その為、こうした食品を摂取すると、内臓機能の老朽化が早くなり、肉の分解によって生じた強酸類は、血液までもを酸毒化して汚染するのである。

 下記の食品の顕す、「還元力と酸化力の食品分布表」をみれば、動蛋白のみならず、果物や野菜においても、酸化力ばかりが旺盛で、還元力がない食品が多くあることが分かるであろう。
 よく、「果物や野菜は、食肉などの動蛋白と違って、ヘルシーで、健康にはいい」と信じられている果物や野菜でも、下記の表から、還元力を持たない野菜や果物がることに注目して頂きたい。悪者(わるもの)は、何も四ツ足の食肉や鶏卵などの動蛋白ばかりではないのである。その中には、外国産の果物や野菜も含まれるのである。

 此処にきて、日本人はあらためて「身土不二」という言葉を振り返る必要がある。日本人には日本人の食餌法(しょくじほう)がるのである。自分の生まれた土地と、肉体は同根であるということだ。そこで育った無農薬野菜や穀物を食し、「正食」を心掛けるべきであろう。また、動蛋白にしても、養殖などで汚染されていない、近海ものの、骨ごとと食べられる、掌サイズの小型の魚介類を少量、食するべきであろう。
 そして、「浄血」こそ急務となる。

酸化力と還元力を示す食品分布表。(画像クリックで拡大)

 現代人の多くは、自分の血が汚れていることに、余り気付いていない。しかし、血液の酸毒化により、代謝機能は根底から狂わされることになる。その結果、肉常食者に多く見られる、体臭が肉食をしている欧米人並に臭い。更には、性的な病的興奮を早い時期に経験し、深刻な排泄障害を起すなどの異常性欲に煽(あお)られている若者が少なくない。
 青少年や中年層を含めて、動蛋白などの常食者は、穀物菜食などをしている正食をしている人に比べて、早熟であり、性への目覚めも早く、その興味の示し方は異常者に近いほどである。あくなき異常性欲は、動蛋白摂取過剰から起るものである。昨今の不倫現象は、中高年の間で大いに流行の一途を見せているが、これも肉常食から来ている、形を変えた「食傷」であろう。

 動物の中でも、人間だけが、一年365日、発情をしているのである。毎日が発情期といっても過言ではない。それは昨今の性情報に群がる老若男女の「発情」を検(み)れば一目瞭然であろう。

 これは肉などの動蛋白を過食することで、動蛋白が所有する興奮性物質のプリン塩基が吸収されて、更には肉などの蛋白質が分解されて毒素が生じた為である。そしてこの毒素は、血液中に過剰な酸類を生成させて、性腺(せいせん)を刺激し、この刺激が以上興奮を起こし、この年齢が少年少女の十代中半から後半である場合、早期に異性関係を持ってしまうというものである。
 小学校高学年で、既に性体験がある少年少女は、日本ではそんなに珍しいことではなくなったようだ。そして、ロリコン愛好者や人身売買業者【註】多くは芸能プロダクションや音楽スタジオを語り、売買の対象者をオーディションで募集する)の毒牙(どくが)に懸かり、奴隷に落とされる少年少女も少なくない。

 また、こうした少年少女を子供に持つ親は、子供の夜遊びや不順異性行為を注意したり、忠告することもなく、自らも不倫に趨(はし)ることに余念がなく、亭主も女房も、夫や妻以外の異性を探して虎視眈々(こし‐たんたん)とし、風俗産業に首を突っ込んだり、夜の巷(ちまた)を徘徊(はいかい)している。親も、子供の前で襟(えり)を正す時期が来ているのではないか。

 また、こうした少年少女に及ぼす社会現象は、大人の性の世界が、子供の早熟により、子供の世界まで及び、蝕んでいることである。つまりこの元凶は、肉などの動蛋白摂取過剰や、白米などの栄養価の低い澱粉質が、動蛋白と複雑に絡み合い、早熟や早老を招いているということである。

 その為に現代人は老若男女を問わず、深刻な排泄障害を起し、排泄機能を司る腎臓は、アルカリ性の条件下で活発に働くのであるが、食肉により血液が酸性化して、著しい機能失墜を起こすのである。その最たるものが、腎臓病を患い、それが遂に完癒せず、人工透析などを受けねばならない中高年層の疾患の現実である。

 肉食などの動蛋白が、実はその正体が、心身ともにバテ易くなる有害食品であることは、これでお分かりいただいたことであろう。また、この有害食品は、単に肉体ばかりを酸毒化してガンを発症させるばかりでなく、肉常食者自身の思考までも、「酸毒思考」に陥れる怕(こわ)さをもっている。

 むしろ危険なのは、肉体が酸毒化されて血液が汚染され、その汚染が炎症や腫瘍を作るといったことよりも、酸毒化された思考に陥って、考え方が単純になり、複雑な読みや、その背後にある正体が見抜けなるという、皮相的なものの考え方しか出来なくなることである。

 つまり、皮相的な物事の見聞しか出来なくなると、権威筋の遣(や)ることを悉(ことごと)く正しいと信じてしまい、それに反論の意見を加えることができなくなることだ。

 例えば、自分が医者から「ガンだ」と告知され、それを100%、間に受け、「もう助からないのでは……?」と、まず最初に思い悩むことである。そして、頭の中には「ガン」イコール「死」という架空の単純方程式が出来上がっているから、何とか、死だけは回避する考えが先行する。死なずに済むのなら、それに越したことがないと思う。遂に、死からの逃亡劇が始まるのである。

 更に依頼心ばかりが強くなり、病院任せ、医者任せ、投薬任せで、医師が半ば強引に助言した摘出切除手術が最もよいなどと云われると、安易にその手術を受け容れたり、あるいは抗ガン剤投与で叩くことが一番よい方法だと聞くと、それに信頼を寄せ、依頼心が強くなり、医者任せの「縋(すが)りの眼」を向けることである。しかし、医師の助言が何も功を奏するとは限らない。

 末期患者は、自身の抱える病気が、もはや現代医学の治療法で癒(なお)らない事を知る。あるいは手後れであった事を知る。
 そこに漂う心境は、感情の喪失であり、泰然自若(たいぜん‐じじゃく)であり、あるいは憤怒(ふんぬ)に似た憤(いきどお)りかも知れない。「どうして自分だけが、まだ死ぬには、こんなに若いのに」と思う。そしてこうした事は、程無く、喪失感に替わっていく。

 末期患者の特長は、最初、自分が「ガンである」ということ否認する。それはガンが完治しない「死病」と思い込んでいるからだ。自分がガンであると云う事は、「もう直(じき)死んで行く人間」ということを認めなければならないからだ。

 しかし、数週間が経ち、落ち着いた頃、遂に否定できなくなり、主治医のすすめで、二度三度と手術を行い、あるいは入院加療を受けて、「生への延命」を試みる。しかし、その後の容態は以前にも増して芳(かんば)しくないことを知る。手術を受けても、あるいは延命効果のあると言われる、ガン疾患に有効な種々の療法を受けても、その後の華々しい決定的な治療の効果の痕跡(こんせき)は殆ど顕われないからだ。

 そればかりか、無理な治療が加わった為に、幾つかの合併症が顕われ、体力は衰弱し、延命に賭(か)けた期待は、一層大きく裏切られる。その時のショックは、計り知れないものであろう。それは多額な治療費を注ぎ込んだ上での「延命効果」を期待しての、裏切りであるからだ。

 しかし、多くはこうした形の治療を受け、ついには集中治療と入院には、莫大(ばくだい)な数字に上り、多くの患者はその人が老後の生活プランとして蓄えた、唯一の持ち物すら手放さなければならなくなる。老後の為に建てた家屋も、もはや維持できなくなるだろう。
 現在、末期治療に懸かる医療費は最低でも450万円から1500万円ともいわれている。働き続けて手に入れたマイホームも維持することは難しく、それを手放さねばならないことは、この医療費から見て必然だろう。

 こうした失意のうちに、更に襲って来るのは、集中治療と長引く入院によって、相当額の経済的な負担の重圧が、次々にのしかかって来ることだ。
 医者は、こうした患者にも、安気な気休めで「希望は失うべきでない」とか、「医学は日進月歩で進んでいるのだから」と、無責任な言葉を掛けて、最初はささやかな希望に縋(すが)った安堵(あんど)が訪れるが、次には必要物(金銭の額に応じた物質的な治療材料や投薬などの物品)が事務的に与えられるだけで、殆ど好転する兆(きざ)しはない。そして、死への恐怖と拍車は和らぐどころか、逆に加速度がつき、死への対面が、いよいよ現実的なものになる。

 その結果、皮相な思考から抜け出すことが出来ず、依頼心の命ずるままに安易な、単直な解決方法を選ぶことである。こうして最終的には、多くの末期ガン患者が、「酸毒思考」に汚染されてまま死につくことである。


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