■ 手裏剣術 ■
(しゅりけんじゅつ)
●手裏剣の有効実証論
刃物を持たせると、やたら強くなる人がいる。この人は、刃物を持っただけで、突然これまでの性格や人格が変わり、やたらに強くなるタイプの人である。
こうした人は、普段の道場稽古でのルールに則(のっと)った試合形式の判定では、あまりいい成績を残せない人であるが、一旦実戦で、日本刀やナイフなどを握り、命の遣(や)り取りの段になると、突然に強くなる人である。
このタイプの人は、剣道の道場でも見かけることがあるし、柔道の道場にも居(お)り、ルールに則った試合や乱取は、そんなに芳(かんば)しくなく、いい成績も残せず、過去に、これといった自慢する功績や、表彰状などは貰っていない。ところが、このタイプの人の中で、一度(ひとたび)刃物を握ると、これまでの性格や人格が変わり、突然強くなる人がいる。
例えば、熊本藩の伯耆流(ほうきりゅう)居合術の達人・川上彦斎(かわかみ‐げんさい)もそういう人ではなかったかと思う。川上は道場内での、防具を着け、竹刀を持っての竹刀剣術ではそんなに強い方ではなかった。小手・面・胴のポイントを取る竹刀剣術では、そんなに真の実力を発揮できなかった人である。
ところがである。一旦野外での、日本刀を握っての刃物での命の遣り取りにおいては、実に人間離れした神技の領域に近い、凄まじい剣技を見せている。川上のような人は、日本刀を握って、刃物で戦うということにのみ、一種の「凄まじい才能」を見せた人と思われるのである。あるいは刃物を握ると、やたらに強くなる性格粗暴者だったかも知れない。
このタイプの人は、剣道の道場でも見かけ、あるいは柔道の道場でも見かけ、普段の乱取稽古ではあまりポイントを稼げないが、柔道と殆ど無関係な、刃物を握っての実戦となると、やたらに強くなる人がいる。
また、空手やその他の格闘技の道場にも、こうした人がいる。試合形式のポイントを稼ぐルールでは、そんなに好成績の記録は持っていないが、ストリート・ファイターとして、ナイフなどの刃物を握って暴れまわる段になると、やたらに強くなる人がいる。
このタイプの人は普段の道場稽古での組手は、そんなに強くない。素手での闘いが、からっきし駄目なくせに、刃物を握っての実戦となると、突然に強くなるのだ。格闘知能指数が突然上がるのである。
これは剣術や剣道の竹刀と、ナイフなどの刃物の構造が違い、その構造の違いから来る適合性にあると思われる。この適合性に合った人は、刃物を握っただけで性格や人格が変わったように突然強くなる。また、「性格粗暴者」にも多いようだ。彼等が刃物を握った場合、極めて危険極まりないのである。
このタイプの人は、何も武術や武道の愛好者だけとは限らない。一般素人の中にも存在している。ナイフなどを遣(つか)う場合、その適合性は、「刃物の使用が、適合性に合って向いている」か、否かに懸(か)かるようだ。性格粗暴者ほど、刃物に魅了されやすいようだ。テロリストなども、このタイプの性格者といえよう。
そして、絶対に忘れてはならないことは、武道経験のない「素人は手が早い」ということだ。
「素人は手が早い」ということは、武道関係者や経験者たちからは、甘く見られる傾向にあり、「素人だから、そんなに大したことはない」と思われがちである。
ところが、どうしてどうして。ルールを知らず、礼節を知らず、謙譲を知らず、スポーツマン・シップなど到底なく、試合でポイントを稼ぐことを知らない素人は、暴れまわる上で一切の制約がないから、その行動は予測不可能であり、実に奇想天外(きそうてんがい)な方法で襲い掛かってくる場合もある。
また、一見して強く見えないばかりでなく、「こんなヤワな奴に何が出来るか?」と疑いを抱いた時点で、自覚症状のないまま刺される場合もある。「まさか」の人である。この「まさかの人」が、刃物を持たせると予測不可能なことをしでかすのである。
「まさかの人」は、誰からも特別に技術的に指導を受けたことがなく、また地道な訓練を積んだ訳でもなく、その使い方は独学で体験したことであり、しかし、この「独学技術」が中々どうして、玄人肌並みの扱いに慣れた人もいる。刃物を使う者については、これを甘く見るべきでない。彼等には、「独学経験」というものがあるのである。
また、この「独学経験」の中には、「ナイフを投げる」ことを独習で覚えた性格粗暴者もいるので、これには極めて要注意である。彼等は、それだけで一種の才能なのである。この一種の才能に、犠牲になる人も、また決して少なくはない。
かつてプロレスの王者としてプロレス界に君臨した力道山(りきどうざん)は、あるナイトクラブの前で、名もないチンピラに刺されて、その後、腹膜炎で死亡した。
近年には、格闘技選手が、中学生のナイフを持った、ひ弱に見える少年に刺されて重傷を負っている。更には、柔剣道の猛者であり、徹底した警察逮捕術を体験している警察官が、犯人を取り押さえる際に組み付いて、やはり刺されて殉職している。刃物を持った相手に対し、接近人に及んだり、組み付くのは危険なのである。追いかけて、振り向きざまに切られることもある。
こうした事も、やはり防具を着け、竹刀で叩き合う、あるいは袋竹刀や袋杖で叩き合う試合形式のポイントを稼ぐ競技システムの逮捕術と、ナイフなどの刃物の構造が違う為である。そして素人は、競技武道の約束である、試合ルールには束縛されない自由な行動と、刃物での闘いの発想が豊かである為、防禦(ぼうぎょ)に出た相手を簡単に刺し殺せるのである。彼等には、規則やルールに縛られる手順がないからだ。
つまり、これこそが「素人が手が早い」という、偽わらざる姿である。これを決して甘く見てはならないのだ。
「刃物を持たせると、やたら強くなる」という人間現象は、何も日本刀やナイフなどばかりではない。投擲武器も同じであり、手裏剣や飛礫(つぶて)を打たせると、その適合性が功を奏して、やたらに命中率が高くなる人がいる。かなり離れた距離からでも、コントロールが良く、狙撃媒体者を簡単に止めが刺せるのである。
特に、手裏剣の場合はナイフなどの刃物と同じで、実戦で手裏剣を打たせると、命中率が上がり、手裏剣での殺傷率の腕を挙げる人がいる。このタイプには、「ひ弱な力」しか持ち合わせない、婦女子にも多い。
手裏剣は、もともと腕力の弱い人でも、殺傷能力が高い為に、先の大戦末期の、本土決戦計画では、十代後半の女学生達が戦闘員として計画され、彼女達は手裏剣の稽古が課せられていた。その為に、太平洋戦争末期の、日本の敗戦が見え始めた頃、各高等女学校や女子高等師範などでは、手裏剣の稽古をすることが義務付けられていた。
また、これに合わせて、女学生達も手裏剣の稽古をしていた。そして、当時女学生だった人から聞いた話であるが、「自分たちが本土決戦に備えて、手裏剣の稽古をしていた」という証言も幾つか得ている。
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▲太平洋戦争末期、本土決戦に備えて、当時の女学生達が手裏剣術の稽古をしていたと思える、医療器具の特別な部分を改造したと思われる小型の「へら型六角手裏剣」の造り。全長13.0cm、重さ70.3g。剣尾孔1個。
大戦末期の鉄不足の折、この手の武器はメスやその他の医療器具が当てられたと言われる。重量が70g程度と軽いのも、本土決戦に備えて女性向に考案・改造されたものであろう。 |
つまり、手裏剣は「ひ力」でも、「遣(つか)える武器」なのである。
手裏剣を稽古するには、それぞれの流派で基本的なパターンがあるが、基本的には棒手裏剣を用い、大別すると「直打法」と「回転打法」である。また、握り方(指の挟み方)においても、中指に沿って手裏剣を人差し指と薬指で挟み、距離に応じて近距離の場合は「直打法」を用い、中距離から遠距離に関しては「回転打法」を用いるようである。
手裏剣を中指で挟む場合、手裏剣を挟む人差し指と中指の挟み、指の圧力を上げるには、それなりの基本稽古が必要である。
手裏剣を挟む、人差し指・中指・薬指は銃器に例えるならば、銃身の「筒の部分」に当たる。手裏剣の稽古は、まず「筒にあたる部分」の稽古から始まるのである。
●手裏剣術の実戦
手裏剣術の基本は、手裏剣を確実に指で挟む力を養成しなければならない。三稜六角手裏剣であっても、四稜四角手裏剣であっても、手裏剣を手の裡(うち)に控えるときは、中指を軸に人差し指と薬指で、手裏剣を挟む力を養わなければならない。
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▲四稜四角の構造を持つ稽古用手裏剣。上より200gの大手裏剣、中は120gの中手裏剣、下は100gの近距離打ちの小手裏剣で、それぞれ距離に応じて重量が異なっている。 |
稽古用手裏剣を用いる場合は、それぞれ同じ方法で、手裏剣をまず床に臥(ふ)し、その上から中指を被せ、両脇から人差し指と薬指を添えて挟み、人差し指と薬指で挟む力の圧力を強め、これを持ち上げて投擲体勢に入る。
次の写真は、基本技の「直打法」における手裏剣の挟み方の稽古である。
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▲中指を手裏剣の上に載せ、人差し指と薬指で手裏剣を挟む。そして挟み込んだままの状態にして、これを持ち上げ、手頸を横に返す。 |
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▲手裏剣を挟んだまま、これを持ち上げ、90度手頸を回転させて、手裏剣を手の掌(たなごころ)に剣尾を合わせる。この場合、人差し指と薬指は、しっかりと手裏剣を挟んでおかなければならない。 |
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▲拇指で手裏剣を固定し、次に投擲体勢を作る。 |
近距離を打つ小型の手裏剣ほど、重量は軽く、長距離を打つ大型の手裏剣ほど、重量が重くなる。また、これを挟む指の力も、大型手裏剣ほど重くなる為、手裏剣を挟む力は強い者は要求される。それだけに、大型手裏剣で長距離を打ち飛ばすことは、かなり難しくなる。
しかし、手裏剣を極めるのは「万打自得」以外にはありえないので、日夜地道に打法の修練を重ねることである。
●必死三昧
武術とは「必死三昧(ひっしざんまい)」の世界を言う。そこには「必死に生きる」ことへの信念が貫かれて居なければならない。「必死」とは、必ず死のことであり、それにより死生が超越できると教えているのが、「必死三昧」の教えである。
「必死三昧」の教えに従えば、「万打自得(まんだじとく)」の目的は、あくまで命中率を上げて、百発百中を狙うものであるが、その根底にはやはり、心の拠(よ)り所として、「生き残りに賭(か)ける」という信念が必要であろう。これに欠けると、打ち方も疎(おろそ)かになり、本来の目的を見失ってしまうものである。
「火事は絶対に出してはならないが、万一、火事が起った場合はこれについて、常に対策や準備をやっておなかなればならない」 のである。
この言葉は、随分と使い古された言葉である。しかし、やはり対策や準備の不備の為、火事は絶対に皆無(かいむ)とはならない。やはり、起るべきして起っているのである。犯罪も、これに例えれば分かりやすく、戦争についての有事にしても、これと同じ考え方が用いられることがある。
人は誰でも、自分が犯罪には無関係でありたいと考えている。好んで犯罪の中に飛び込んでいく人はいないだろう。しかし、金品や色情絡みで誘惑されたとき、人はこの中に、何の違和感も持たず飛び込み、染まっていくのである。現に犯罪組織が存在するのは、この為である。
また、現実に面子(めんつ)にこだわり、犯罪に染まる人がいる以上、あるいは誘惑される人がいる以上、人類から犯罪が無縁になることはありえないだろう。
何事に対しても、将来の見通しを立てる対策は、万事が「転ばぬ先の杖」で考えておく必要がある。不穏(ふおん)を呈する現代社会にあっては、しかるべき対策を立てておいて、一度、自分の身の回りの安全について、安全確認のシュミレーションしておく必要があるのではないだろうか。
したがって有事は、自分と無関係などと、安易に考えない事だ。
また、「護身術」と「武術」の違いも心得ておくべきだろう。
これを説明するには、次なる逸話がある。
江戸末期、仙台藩に狭川派(さがわは)新陰流(【註】この流派は、新陰流の流祖・上泉伊勢守信綱に始まり、一方は柳生但馬守宗厳に伝わって柳生新陰流となり、もう一方は狭川甲斐守助貞に伝って狭川姓で仙台藩の御留流として伝わる)の達人・狭川弥内(さがわ‐やない)という剣豪がいた。この狭川弥内の道場に、仙台では手広く商売をしている商人(あきんど)が道場に入門を請(こ)うて出た。弥内はその商人の入門を許し、次の日から早速稽古を始めた。この商人も道衣を着、木刀を手に稽古を始めたところ、弥内はこの商人が打ちかかってきても、ただ躱(かわ)わすだけで、更に道場内を追い廻し、少しも稽古をつけようともせず、また技の一手も教えようとはしなかった。来る日も来るにも、ただ商人を追い廻し、また、商人はただ逃げるばかりであった。
剣術の何たるかも指導せず、ただ追い廻してばかりで、それで一ヵ月が経ってしまった。商人は謝儀(しゃぎ)を納めながら、大いに不満であった。
それで商人は、弥内に「どうか私に剣術の技を教えて下さい」と頼み込んだ。
弥内はおもむろに答え、「商人は剣術を習っても、何も利益にならぬ。算盤(そろばん)の稽古でもしていた方が得になる。もし、危険がわが身に迫ったならば、まず逃げることだ。私はそなたに逃げることを教えたのだ。そなたは商人であるから、武士でもない者が、剣術の稽古をしても何の役にも立たない」と答えた。
それでも商人は、まだ不満であった。
「何故で御座います?」と訊(き)き返した。
これに応えて、弥内は言葉を繋(つな)ぐ。
「武士というものは、どんな局面に遭遇しても、決して逃げることが出来ない。それ故に、いつでも死を覚悟して事にあたらなければならない。ところが商人は違う。死を覚悟する事は商人の致すことではなく、死を覚悟するのは武士だけであり、死を覚悟した戦いにおいて、死ぬのは武士に限られる事である。この覚悟がなければ、また武芸は上達しない。一方、商人は武芸の上達など、一切無用であり、また無縁である。ここが武士と商人の違いである。だから私はそなたに、護身の極意である逃げることを教えたのだ」といった。
これを聞いた商人は、大変に感服して、「なるほど」という顔で、礼を熱くして帰っていったという。
狭川弥内は、剣術を習いに来た商人に、武術と護身術の違いを教えたのである。護身術と武術の違いは、護身術は戦うことが第一義ではなく、「逃げること」が第一義なのだ。この相違点を誤ると、危険な場所に踏み入れて、いつしか護身術でありながら、武術紛(まが)いの死闘を演じなければならなくなる。
つまり、ここに自分の身だけを護ることを旨とした護身術と、最後まで徹底的に戦い抜く武術との違いがあるのである。
「三十六計逃げる如(し)かず」とは、中国の故事であるが、逃げられる場合は、逃げるに越したことはないが、最近は出入口が一つしかないマンション住まいやアパート住まいの人も少なくなく、上階に住んでいる人は、暴漢が押し入ったとき、窓を開けて外に飛び降りるというわけにもいかないだろう。
そこで「万物は味方になる」という、古伝の『一刀流剣術目録』に従う防禦法(ぼうぎょほう)があることを一言申し添えておこう。
『一刀流剣術目録』 によれば、「万物を味方にする方法」が述べられていて、その中に「万物味方之事」と題して、次のように論じられている。
「凡(おおよ)そ、先を取り、勝ちを取らんとするに、何ぞ刀剣のみならんや。急なる時機(とき)は其座に有合う火入(ひいれ)、茶碗、燗鍋(かんなべ)を取り、打つ付けなば敵の気を挫(くじ)き、その間に応ずる手当て有るべし。打ち付くるに口伝あり。例えば、熱湯の入りし鉄瓶または火鉢などの場合はこれを敵の天井に打ちつけ、熱湯または灰や火を散乱せしむるにあり。また敵にそのまま打ち付ける事もあるべし。茶の湯座敷ならば、水差し、釜の蓋(ふた)など、すべて其(その)座は有り合う物に心掛け覚悟すれば、皆味方となる。これらの事に心をつけねば、勝ちを取ること能(あた)わざるのみならず、燭台(しょくだい)に行き当たり、火鉢に躓(つまづ)きなどして皆敵となるものなり、よくよく注意油断するべからず」と。
『一刀流剣術目録』 には、兇器を所持して侵入してきた押し込み強盗や、押し込み殺人を行う兇悪犯に対し、その場は「臨機応変に立ち回り、手当たり次第に物を投げつけ、隙(すき)を見て逃げ出せ」とある。不法に押し込んできた賊に対し、躊躇(ちゅうちょ)は無用なのである。手当たり次第、物を投げつけて、賊の隙を見て脱出すべきなのである。
しかし現代では、出入り口が一つしかないマンション住まいやアパート住まいの人も少なくなく、一戸建てであっても、勝手口から先がブロック塀などの袋小路(ふくろこうじ)になっている家も少なくなかろう。
こうした逃げ道が袋小路になっているところは、やはり生き残りを賭(かけ)けて、「必死三昧(ひっし‐ざんまい)」を試みる以外ないであろう。つまり、生死を賭(と)して、賊との戦う覚悟である。身分が賊より未熟な戦闘法しか知らぬ場合、殺されて、金品などを奪われる以外ないであろうし、修練を積み、常に防禦法のシュミレーションを繰り返している場合は、生き残ることが出来るであろう。
「必死三昧」を試みるに当たり、武術と護身術の違いは明確にしておくべきである。武術においては、その努力の姿は「日々精進」である。一日一日の鍛錬の成果が物を言うのである。これを怠った人間は無慙(むざん)に殺される以外ない。
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▲手裏剣を「小刀(こがたな)・短刀」として、あるいは投擲武器としても使えるように考え出された、西郷派大東流の手裏剣術の戦闘思想から生まれた、尖先六角・長距離打手裏剣。
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一方護身術は、咄嗟(とっさ)の場合の一手か二手の有効な技術に止めるだけで、これは武術や武道の技術のうち、危険から逃れる方法として、修得するまでに歳月を要しないで修得できるものを言う。あくまでも暴漢から襲われたときの応急処置的なものであり、一時の護りを目的としたものである。警察などの、支援部隊が助けに来るまでの一時的な技術であるということを忘れてはならない。
したがって、護身術と称して普及しているものが数多くあるが、実際には長年の歳月を要し、一般に若い女性を対象として警察署などで教えている護身術は、殺意をもって襲ってくる暴漢を防ぐのは甚(はなは)だ困難と思われる。女のひ弱な腕力では、兇悪犯には対応できないからだ。
やはり今日多発する兇悪犯罪においては、こうした事件に巻き込まれないことも大事だが、万一こうした事件に遭遇した場合、これに「抗(あらが)う術」は会得しておく方が賢明だろう。
もしこうした事件に遭遇した場合は、毅然(きぜん)と立ち向かい、弱気にならず、最後まで諦めずに抗えば、あるいは「九死に一生を得る」ことができるかも知れない。生き残れる確率は大きくなるであろう。
つまり、「必死三昧」の心法を明確に顕(あらわ)し、外に向かって「抵抗」を示していくことである。自分の存在に賭けて、自分を葬(ほうむ)り去ろうとする暴力に抗うことである。手裏剣術の「万打自得」も、実はここに帰着するのである。手裏剣術は、ひ弱な女の力でも抗(あらが)うことの出来る唯一の「術」であるからだ。
手裏剣術に限らず、武術というものは「武の道」を明らかにし、敵を殺傷する技術から入って、次に「必死三昧」に修行を重ね、「死の道」を明らかにし、「独立自在の境地」に至ることを言う。更には、敵をして施すところをなからしめることを「必勝の気」と称し、生々発展する「正大の気」をもって、健康で生きられるように心身を律し、養生(ようじょう)を旨として、天地自然従順の理(ことわり)を会得して、遂(つい)にその生活の中に、「神人合一の境地」を見つけ出す事を言う。つまり、「神人合一」とは、この世での「悟り」を言うのである。
ここに至って、殺すこともなく、また、殺されることもない境地に至ることになる。
真の武術や、武の道を志すならば、わざわざ寺院に詣(もう)でて坐禅を組み、仏に縋(すが)ったり、神に縋ったりすることは無用である。何故ならば、「武の道」そのものが、実は「宗教の行(ぎょう)」と同じものであるからだ。
そして、この「行」の中にこそ、「必死三昧」の世界が在(あ)るのである。
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