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戦闘の本質を問う詭道の兵法

■ 合気手裏剣術■
(あいきしゅりけんじゅつ)

●手裏剣術について

 古来より日本武芸は、その用いる武器とともに発展し、発達して来た。そして武器と武芸は密接な関係があった。
 武芸は、武器の種類をもって《武芸十八般》といい、武芸と武器は両輪の軸として、切ても切れない関係にあった。昨今は無手による徒手空拳武道が大衆庶民層の巷(ちまた)で流行しているが、無手の戦闘思想は、そもそも武器の使用から始まり、その修練を極めた結果、無手でも戦えるとしたのが「本来の無手」の考え方であり、日本武術に於いては、最初から一切の武器を使わず、無手格闘と言うのは存在しなかった。

 剣を極め尽くした後に学ぶ無刀之位は、その最初が剣なき後の「格闘組打」に始まる。格闘組打は、矢尽き、剣折れた後の、どうしても素手で戦わねばならない白兵戦における最後の手段であり、ここに素手で戦う「格闘組打」が展開されるのである。
 格闘組打が先で、その後に剣技や弓技が起るのではない。戦いの手順として、敵味方分かれた矢の応酬や、鉄砲の弾丸が、双方の陣から開戦とともに飛び交い、それが出尽くしたところで、次は長槍隊の出撃となる。最初は間合の遠いものから始まり、戦いの展開が近付いて行くに従い、双方の間合は縮められ、騎馬武者同士の騎馬戦、徒武者(かちむしゃ)同士の白兵戦、そして最後は、矢が尽き、刀が折れ、ここで始めて無手の格闘組打が始まる。最初に、武器ありて、次に無手の格闘組だ。この逆はないのである。

 しかし、昨今流行している格闘術の多くは、武器の研究やその操法は二の次であり、最初から無手によって格闘を展開する。したがって武器を知らない者は、武器の脅威に怯(おび)え、そして敗北する。この、敗北とは、自らの命を失う事である。風雪に鍛えた鉄拳でも、自動小銃を持った敵には、手も足もでないと言う実情がこれを如実に物語っている。

 実戦は、リングや畳や板張りの上とは全く異なるという事である。命の遣(や)り取りは、試合に臨み、試合展開の駆け引きをして、試合に勝機を追い求めると云った、西洋流の思想とは全く異なるのである。試合に勝つ事と、命を遣り取りして、最後まで生き残ると云うことは、最初からその目指す次元が異なっているのである。
 命の遣り取りは、まず、「己の死」を覚悟しなければならない。死を覚悟するとは、「命を捨てる」ことである。命を捨てることで、死生観を超えた「悟り」に行き着き、ここに生や死とは関係のない悟りの境地がある。生を逐(お)う者はやがて死に、死を覚悟する者は、生き残る事を意味する、死生観を乗り越えた哲学が背景にあるのである。
 人は死を逃れようとすれば、最後は死に追い詰められる。しかし最初から死を覚悟していれば、鬼神(きしん)は遠ざかり、死は遠ざかるものなのである。人間の死生観には、こうした不思議な働きがある。

 では、この死生観は何処から派生するか。
 それは人間が武器を手にし、武器によって戦いの気勢を起こすと共に、この武器から防禦(ぼうぎょ)の技術を企てる時点から、人間の死生観は始まるのである。死を逃れようと考えて防禦した場合、最終的には、必ず防禦に敗れて死を招く。
 しかし、死生観を超越し、武器をよく研究すれば、死は決して最後のものではない。生きるか死ぬか、それは偏(ひとえ)に死生観を超越することにかかっている。死を超越するには、武器の研究が必要であろう。武器の研究を怠って、肉体を苛め、無手の研究のみで、武技を展開することは非常に危険なことである。

 仏の世界でも、平和な仏達や神々だけでは成り立たない事を示している。
 仏の慈悲の裏には、必ず、悪を戒める武神がいて、一等上の如来達を守護している。それは不動明王(ふどうみょうおう)を見れば明白となり、毘沙門天(びしゃもんてん)や摩利支天(まりしてん)を見れば明白となる。彼等は仏でありながら、あるいは武神でありながら、武器を手にしている。仏の世界でも、素手だけではどうにもならない事を、これ等の鎧(よろい)をまとった仏達は顕わしているのだ。

 平和な時代、武器を持って戦う事は「野蛮」のように映る。
 しかし野蛮であり、血みどろの泥臭いところに、平和と武器は表裏意一体の関係を為(な)している事が分かる。
 平和とは、一方的に「待っているだけ」では、決して訪れる事はない。こちらから「平和の門」を叩き、血を流しながら、一つ一つ、こじ開けて行かなければならない宿命が、人間にはあるのである。無手をもって平和とするのは、実は本当の平和を知らない者が考える早計な思考であり、真の平和に到達する為には、血を流し、苦労を重ね、武器の奥儀を研究する事である。武器の研究にこそ、武術の真髄(しんずい)は隠されているのである。

 日本では古来より《武芸十八般》と云われたものに、「弓術、馬術、槍術、剣術、抜刀術、短刀術、手裏剣術、薙刀術、砲術、柔術、捕手術、棒術、袖搦(そでがらみの意味を持ち、「もじり」を顕わす)術、十手術、含針術、鎖鎌術、水泳術、隠形(「しのび」といい、隠形の、呪術によって、身を隠す事を指し、これを隠行法と言うが、真言の行者が、自己の姿を隠して身を守るとされる呪法で、この場合、摩利支天(まりしてん)の印を結ぶ)術」があり、これを武芸十八般と称した。総べて、各々は武器と密接な関係を持っている。

 また中国における《武芸十八般》は、日本のものとは異なる。
 ちなみに中国における《武芸十八般》は、第一が棒術、第二が槍術、第三が刀法(青龍刀などの打ち物の反りのある片手で用いる柄の短い刀を指す)、第四が剣法(両刃の直剣)、第五が斧(おの)、第六が鉞(まさかり)、第七が矛(ほこ)、第八が楯(たて)、第九が熊手(くまて)、第十が刺叉(さすまた)、第十一が鏈(くさりがま)(鎖鎌の意)、第十二が投げ鉾(銛あるいは、日本で言う「手裏剣」をさす)、第十三が鞭(てつむち)、第十四が簡(じんのおたて)、第十五が鎚(なげつち)、第十六が銃(つつ)、第十七が弓、第十八が弩(いしゆみ)であり、これらを総称して、中国では《武芸十八般》という。日本のものと異なるので、武術研究にはこれらの分類をすることが大事である。

 さて、ここでは《武芸十八般》のうちの一つである伝統武術の「手裏剣術」について紹介しよう。
 手裏剣は、一般には「秘武器」として知られている。人の眼に触れず、外表皮からでは、その存在を特定することが出来ないからだ。
 また、手裏剣の種類には様々なものがあり、「打ち方」(撃ち方)と「間合」(敵のいる距離)の関係が手裏剣打法の奥儀とされている。更に、「打ち方」と「間合」の関係が、異なる打法を編み出した。
 手裏剣打法に用いる手裏剣の種類は、「棒手裏剣」と云われるもので、この手裏剣の直打法には二種類の「打ち方」がある。

 第一の打ち方は直打法であり、敵との間合が一間(いっけん)(約2〜3m)くらいの至近距離の場合に適し、第二の打ち方は一回転打法であり、三間(さんげん)から四間(約5〜7m)の中距離に適する打法である。
 第一の直打法と、第二の一回転打法との大きな違いは、まず握り方に於いてであり、一回転打法の場合は、手裏剣の尖先(きっさき)を逆にして、手の裡(うち)に納めて握るという事である。
  構えや打ち方は、直打法と同じであり、一回転打法の場合でも、右利きの場合は右側頭部上から「本打ち」で打ち、左利きの場合は左側頭部上より「本打ち」で打つ。打ち方と、その飛び方は図に示す通りである。

▲一回転打法の図(クリックで拡大)

 一回転打法は、手離れの瞬間に、手裏剣の尖先が下を向いた儘(まま)、斜に立って飛行するが、その後、回転しながら立ち上がり、標的目標の寸前で一回転して、尖先は標的媒体に突き刺さる。この打法で手裏剣を打ち込むと、標的媒体までの回転は一回転半(540度)であり、手離れの瞬間から標的媒体に突き刺さる迄の間に、手裏剣の尖先は一回転以上して打ち込まれる事が分かる。

 手裏剣の回転が始まるのは、全距離の三分の一くらいに達してからであり、手離れから手裏剣が斜に立つまでの飛行距離は、約二間程度である。
 この打ち方をもってすれば、敵との間合が六間から七間であっても可能であり、一間は普通六尺であり、メートル法に直すと約1.818mであるから、六間と云えば約10.908mであり、七間と云えば12.726mとなる。
 但し、六間から七間の飛行距離を打ち込む場合、小型の手裏剣(小型手裏剣は寸法が短く、重量が軽い為、風に流されたりして標的から反れ、あるいは標的に届く前に落下してしまう)はこれに適さず、大型の手裏剣でなければ正確に的を打ち抜く事は出来ない。そこで西郷派大東流手裏剣術では、大型の三稜(さんりょう)手裏剣(尖先部が三つの稜(かど)をもつ手裏剣のことで、尖先部断面が三角)か、四稜(よんりょう)手裏剣(尖先部が四つの稜をもつ手裏剣で、尖先断面部が四角)を用いる。

 また手裏剣は、標的媒体に刺さるだけでは本来の目的を果たす事は出来ず、尖先部が鋭利な刃物のように「切れる」というのが肝心であり、肉を断ち、骨を割(さ)くという物でなければならない。
 一般に手裏剣術で用いられる手裏剣は、刃物のように研ぎの入ったものは非常に少なく、多くは断面が円錐形の筒状の物が多いが、わが西郷派大東流では三稜もしくは四稜の物を用い、標的媒体に突き刺さった瞬間に表皮を切り裂いて、さらに標的の心臓部へと侵入するという威力を伴うものを使用する。これが武術の武器を持って戦う、戦闘思想である。

 手裏剣は、標的の表皮や、肉の部分に突き刺さると言うものでは、本来の目的を達成する事は出来ない。中心部深くに食い込み、肉を裂き、骨を打ち砕き、心臓部に達して、完全な致命傷あるいは殺すことのできる、「一打必殺」のものでなければならない。実戦では、人体の表皮に刺さると言うものでは役には立たないのである。その為に、飛距離の長い「大手裏剣」なるものが必要になって来る。

▲大型四稜手裏剣の全貌(クリックで拡大)

 三稜手裏剣ならびに四稜手裏剣の尖先部断面は、三角もしくは四角であり、その稜(かど)は鋭利な刃物のように標的媒体に突き刺さった瞬間、鋭く切り裂くようになっている。手裏剣の鍛練は、手裏剣鍛冶が鍛練したものを用い、その稜は焼き入れがしてあり、切り裂く鋼(はがね)となっている。この鋼の「焼刃」が、肉を裂き、骨を砕くのである。

 次に命中率であるが、命中率を高め、飛行距離を延ばすものとしての工夫は、大きく分けて二つある。
 その一つは、棒手裏剣の重量を増やし、若干大型にする事である。また、後の二つは手裏剣の剣尾(けんび)に、飛行機の方向舵(ほうこうだ)のような細工をして、標的媒体に正確な方向性をもって命中させる事である。こうした手裏剣に工夫を凝らした流派に、柳生流などの流派があるが、十字手裏剣などは柳生流の代表的な手裏剣である。

 手裏剣の重量を増やし、やや大型にすると言うのは携帯には不便であるが、一打必殺の威力を秘める大型手裏剣は、咄嗟(とっさ)の有事の場合の、自分を護る大きな力となる。手裏剣は稽古を積んで「練る」ことであり、その真髄は「一打必殺」にある。数少ない手裏剣をもって、一打必殺の気魄(きはく)が必要である。標的を必ず打ち抜くという、自信である。この自信は、日夜修練を重ねた賜物としての派生である。

 手裏剣術の特徴として、《武芸十八般》の一つに数えられている事から、僅かな力で、強敵を倒す事が出来る。したがって、「小能(よ)く大を倒す」ことが手裏剣の最大の特徴である。
 これは無手で戦う格闘技や、徒手空拳に比ではない。また、相撲やレスリング、更には柔道の比ではない。同時に健康法としての役割も大きい。
 今日に伝わる日本の伝統武術は、もはや人間殺傷の次元を超越し、日本の精神文化や健康法としての役割が大きくなっている。高性能銃や原水爆が開発されている今日、手裏剣を人間殺傷の武器と考える武術家や武道家は、存在することはないであろう。むしろ、健康法として、健康プラス護身術でこれを考える人が多いであろう。

 この事は、長年柔道や空手を愛好し、師範の域までに達した人が、歳を取ったのを境にして、これらの肉体派武道からきっぱりと足を洗い、晩年の健康法と、悠々自適の人生を求めて、手裏剣術に転向する人が多い事から見ても、手裏剣は非力であっても、一打必殺の気魄があれば、まだ戦闘武術理論として、その勝機が存在する事が窺(うかが)える。
  則(すなわ)ち、年齢に関係なく誰でも修練出来、またハードトレーニングをして健康を害したり、上肢や下肢に障害を引き起こすこともなく、無双の境地を導き出すものとして、その精神性の高いものとして捉える事が出来るのである。それは、まさに弓道の如しである。

 日本の手裏剣術は、西洋のナイフ投げとは多少異なっている。それはナイフが、西洋式小刀であり、物を割き切り刻むという目的で造られ、「切る」という目的に終始しているのにも関わらず、これを敵に投げるという術が「ナイフ投げ」である。
 しかし手裏剣は、「切る」という目的よりは、「打つ」というイメージのもので、「投げる」とは異なるのである。更に、標的に「一打必殺」と云う気迫を込めて打ち込み、こうした事を目的にしているので、その形も大いに異なる。投げる事には共通性を見るも、「一打必殺」と云う、「打つ」次元は大いに異なるものである。また、「打つ」と「投げる」では言語的な解釈も異なる。

 また、手裏剣に似たものに「小柄」(こづか)があるが、これは一種の小刀(こがたな)であり、手裏剣と、その用途は異なっている。
 小柄は、もともと刀の鞘(さや)の鯉口(こいぐち)の部分に指し添える小刀(こがたな)の柄の事であり、鞘に収まっている時は、柄の部分しか見えない。しかしこれを引き抜くと、その柄の穂先きに小刀が仕組まれている。しかし この小刀は手裏剣のように投げる為のものではない。
 小柄は、御家中(ごかちゅう)と称される武士が、城に登城した際の待合室で待たされる時に、その暇潰しとして楊子(ようじ)などを削ったものとされ、また鞘の表の部分にあたる小柄口と、反対側にある笄(こうがい)は笄口に仕込まれ、これは一種の耳掻きであった。時間潰しの為の小道具として、小柄があり、笄があったのである。
  こうして考えると、小柄は「手裏剣」の代用品となる事はあったであろうが、「小柄」イコール「手裏剣」ではないのだ。

 今日の多くの日本人は、武術の世界とは無縁に暮らしている。
 こうした、無縁の人たちは、映画・テレビ・小説などから、大衆的に江戸時代の生活を垣間見て、正しい武術観を認識していない。時代劇の映画製作者や、武術に無知な時代小説家の意図のままに、誘導のままに、間違った、偏った武術観を構築し、そうした感覚でその時代を感得していることが少なくないようだ。
 誤った時代的錯誤と、その認識度合いは甚だしく、例えば、投擲武器(とうてきぶき)である「手裏剣」に対し、これを「小柄」として認識している無知である。

 映画製作者の無知、テレビ時代劇の演出者の無知、時代小説作家の武術に対する認識の無知によって、小柄と手裏剣を混同し、「小柄」イコール「手裏剣」と認識」していることである。
 小柄は非常に軽いもので、刀の鞘の内側に指すものであり、これは明らかに手裏剣とは異なる。こうした軽い物を、敵に向かって投げた場合、至近距離ならばともかく、2m、3mと離れた距離から投げつけて、果たして敵に届くものであるか、あるいは投擲武器として敵を倒せるものであるか、甚だ疑問であり、おそらくその用をなさないであろう。

 したがって「小柄」イコール「手裏剣」ではないのだ。
 小柄とは、今日で言う「ペーパー・ナイフ」のようなもので、江戸時代の楊枝(ようじ)削りであり、あるいは封筒の封を切る小型のナイフのようなものだ。
 また小柄自体、長距離に投擲する為の「投げ銛」の用途を満たしていないので、小柄は、まさしく手裏剣とは異なった、江戸時代の武士の生活日用品であったという事がわかる。

 しかし、用途の使い道に同じくするものに貫級刀(かんきゅうとう)があり、貫級刀は代用手裏剣になると同時に、戦記を伝える書物には、かつては敵将の馘(くび)を打ち取った時、貫級刀の剣尾の孔(あな)に紐(ひも)を通し、貫級刀の尖先(きっさき)を、打ち取った敵将の片方の耳の孔から更に突き入れて、他方の耳に抜き、耳孔に紐を通して、この馘を腰に設(しつら)えたとある。貫級刀は十六世紀の戦国期の名残りをと止めたものなのである。

 更に、「手裏剣」について説明を加えておかなければならない事は、小柄を手裏剣と誤解しているほかに、手裏剣を忍者が使う「十字手裏剣」と誤解していることだ。
 テレビ時代劇の、マンガや時代劇製作者の武術に対する認識不足が、こうした視聴者への誤解を招き、更には日本武術や武芸を信奉する外国人に誤解を招いているということだ。
 十字手裏剣、八方手裏剣、車手裏剣などの「忍者もの」は、時代劇作家の勝手な想像によって生まれたものである。そして、このらの手裏剣の使途と、架空の存在を、あたかも時代的に実際に存在したかのような、錯覚を作り出し、これらが日本武芸ファンの外国人に間違った認識で持て囃(はや)されていることだ。ここにマスコミの横暴がある。

 手裏剣の原形はあくまでも「棒手裏剣」(他にも「針手裏剣」というものがある。基本的には「棒手裏剣」はずっしりと重い)であり、本来はそれ以外の手裏剣は存在しない。
 また、それ以外の手裏剣の形態があったとしても、それは《武芸十八般》でいう、「手裏剣術」の手裏剣ではない。
  しかし、残念なことは、手裏剣術で言う「本当の手裏剣」が、時代劇映画やテレビに時代劇で、一度も登場したことがないということである。総て手裏剣は、映画やテレビに製作者によって勝手に創作され、勝手に演じられたという事実である。

 昨今は「韓流ブーム」によって、韓国時代劇ですら、現代韓国人の劇作家が作った韓国時代劇が、さも実際に存在し、その流脈が今日にも流れているかのような錯覚を与えて、無知な日本人を魅了しているが、こうしたことは事実無根であり、まず、人間は空中を飛び交ったり、あるいは「剣を刀のように使う」という技術は、もともと韓国にはなかったことだ。
 剣は、本来ならば「剣法」(日本では、剣法は「剣術」の意味ではない。剣術は、日本に中世以降斬るための刀法と同じものである。それは「反り」のある日本刀を用いるからだ)といい、刀ならば「刀法」という。
 多くに日本人は、こうしたものに誤魔化され、それが間違った歴史観・武術観にもかかわらず、安易に、無知に信じていることだ。

 また、間違った歴史認識や、武術的認識で韓国時代劇映画を、日本で放映しているNHKの外国映画の放映責任者あるいは担当者の罪も決して軽いものではない。
  今日、日本で放映されている韓国時代劇の多くは、正しい歴史観を誤解させ、あるいは武術的認識を歪曲している。
 例えば韓国では、豊臣秀吉が朝鮮征伐(日本での呼称は「文禄・慶長の役」、朝鮮では「人辰倭乱」という。朝鮮半島は十六世紀のこの時代、激しい戦乱もなく比較的平和だった)をした頃を、時代認識と武術認識の薄い製作者によって創作した時代劇を、歴史的事実の如く放映し、両国民の大衆の歴史観や武術観を狂わせ、更には捏造(ねつぞう)するという歴史歪曲と、武術認識度を偽っていることにもかかわらず、「創作」という事実を隠して、これを放映し、歴史を捏造することに手を貸していることだ。

 「創作時代劇」は、あくまで「創作」として、その範囲でとどめ、これに歴史的根拠があるが如くに放映するのは、ジャーナリズムとして如何なものか。
 あるいは日本大衆を、創作時代劇を通じて、四百年も以上の前の歴史に遡(さかのぼ)りさせ、自虐的(じぎゃくてき)に誘導する意図が隠されているのか。
  そして、歴史と武術的認識に疎い多くの日本国民は、自己主張の機会が与えられず、これを歴史的事実と認識し、懺悔(ざんげ)と自虐の双方に苛(さいな)まされる。
 世界の近代史はおおよそ、こうしたマスメディアの横暴によって捏造されるものなのかもしれない。

 さて、手裏剣術における手裏剣は、あくまで手裏剣であり、最初から間合いの遠い敵に向かって「打つ」ことを目的として研究された、《武芸十八般》に含まれる日本武芸の一つであったのである。そして、その真髄は必ず打ち抜く、「一打必殺」であった。
 したがって「一打必殺」が存在するからこそ、手裏剣は《武芸十八般》に数えられるだけの価値があったものだと推測され、その殺傷能力は絶対であったと推測される。


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