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●小太刀術の概念大太刀に対して、小刀類を「小太刀(こたち)」といいます。その意味からすれば、武士が絶えず腰に指している脇差も小太刀に入り、また、鎧(よろい)通しなどの、短刀を脇差拵(わきざしこしらえ)にして、腰に指している場合も、やはり小太刀となり、小太刀は、常に大太刀の対峙(たいじ)した武器、あるいは万一の場合、太刀攻撃に対して、対抗しうる最小限度の武器といえましょう。 時代劇では、武門の子女が胸帯に懐剣(かいけん)を指し、自分の身に危険が及んだとき、これを抜いて、敵の咄嗟(とっさ)の攻撃に抗(あらが)います。しかし、見ていて不思議に思うのは、懐剣と言う刀身の長さが僅か30cm以下の短刀や匕首(あいくち)で闘う事です。どう考えても、長さ的に不利に思えてしまうのです。短い種類の武器に属し、よく、あんな短い武器で、敵の斬りかかる太刀を防げるものだと思ったりしてしまいます。 時代劇の、武門の子女に対して、これを襲い、子女は子女で、懐剣を抜いてこれに抗(あらが)い、敵を寄せ付けない身の捌きというものは、単に、立ち回りの、演技指導のみによる芝居なのでしょうか。 それ故、小太刀術や短刀術は接近戦や密接地帯において、最小限度の制空圏で戦える有利な武器といえましょう。同時に、最初から人を殺すことが目的でない、携帯用警棒を遣っての警棒術は、「護身」と言う想定に基づけば、非常に護身術としての意味合いは高いものになってきます。
さて、短い武器で、長物を持つ敵と対峙(たいじ)し、これに抗(あらが)う術(すべ)とは、いったいどのようなものなのでしょうか。 一般に知られる小太刀の形は、次の通りです。 小太刀之術・基本型・第一本目
小太刀之術・基本型・第二本目
小太刀之術・基本型・第三本目
小太刀之術・基本型の三本目までを体得するには、「切り返し」を出来るだけ正確に、また確実にこなすことが大事です。この「切り返し」は、単に速いだけのスピードばかりに重きを置きますと、不十分な切り込みになるばかりでなく、業(わざ)そのものが小さくなり、確実さが欠落してしまいます。 まず、「正確に」、次に「確実に」ということを心掛けねばなりません。また、「速さ」というものは、修練を積むに従い、自ずから加わってくるもので、意識して速さを加えるようなことをしてはいけません。 「切り返し」の利点を挙げると、次の通りです。
以上、ざっと挙げてみましたが、他にもまだあると思います。「切り返し」は、小太刀の業(わざ)が自在に出なくなったときや、心に迷いがあって、何物かに引っかかっているときなどに、「切り返し」を行うと、その後の進展が見られ、また打開策が生まれます。
●小太刀術の構え方 小太刀術における構え方は大別して、「形の構え」と「心の構え」があります。 一方、心の構えは文字通り、「心の構え」であり、身体上の形に顕(あらわ)れない心の防備を言うのです。つまり、これが臨機応変に対処できる「虚実の現われ」となります。心に「備えを持つ」ことをいいます。 形の構えには、上段、中段、下段、陰、陽の五つの構えがあり、この五つの構えの「五法」といいます。また、これを総称して、「五行の構え」ともいいます。五法とは、人間の形での備えの、剣で顕(あらわ)せる最小限度の形で表したものです。 上段の構えは、「左右の上段」がありますが、左上段は小太刀を頭上に振り被りながら、左足を踏み出して構えるもので、右上段は右足を前に踏み出して構え、左右何(いず)れも拳の下より、敵の頭上を見下ろす心持で目付けを行います。 中段の構えは、わが小太刀の尖先(きっさき)を以て、その尖先が敵の咽喉(のど)部に向かうようにします。また小太刀の縁頭(ふちがしら)の頭(かしら)に当たる部分は、臍から拳で一握り先において小太刀を持ちます。左右の両足は約半歩程度開き、半身になって構えます。基本は右構えですから、右足を前に進めた形で半身になります。
この中段の構えは、一般に「正眼」という文字が使われ、他にも「晴眼」や「星眼」などの文字が充てられているようです。そして正眼の構えは、攻防が最も自由であり、ここから如何様にも変化できることを特徴にしています。 下段の構えは、尖先(きっさき)をやや敵の膝下1〜2寸のところに置き、構えるもので、大体の構え方は中段の構えと同じです。下段の構えは元々、防禦(ぼうぎょ)を主体とした構えであり、守備に徹した構えといえます。敵の挙動において変化し、自由自在に応戦することを旨とします。 次に、陰の構えとは「陰(かげ)」のことで、躰をやや半身以上に崩して構え、敵の眼から見て、わが小太刀の長さを推測させないことが第一に目的であり、次に若干、剣を「横に寝せ」ますので、この寝せることにより敵の動きを監視します。剣が少しでも横に寝れば、それだけで敵の心の動きが顕れ、驕(おご)る者は横柄になり、小心者はその機を窺(うかが)おうとします。 更に陽の構えとは、刀を右脇にとり、尖先を後方に送って斜め下に沈めます。この時、右足は後ろに引き、左足を前に構えるもので、一般には「脇構え」と称されるものです。 構えは、剣の世界では「有構(うこう)」とか「無構(むこう)」とか称して、その虚実の中で、形の構えや、実は有って無いが如きのものであるなどと称します。しかし、「この構えなら絶対に負けないという構え」などは存在せず、また、「この構えだったら、どんな強敵をも破る」というものもありません。それぞれの構えは、それぞれの性能をよく理解して、臨機応変に立ち回ることが肝心であり、自在に変化してこそ、構えは役に立つものなのです。 究極には「形の構え」を離れ、「心の構え」に重きを置くことが大事であり、小太刀術の鍛錬はここにその総(すべ)てがあるといえましょう。つまり、心を以て、敵に攻め込まれない「心の防備」をすることなのです。
●打つという小太刀術の稽古小太刀術には「打ち方」というものがあり、その打ち込む箇所は、正面、左右の横面、右小手、左小手、右胴、左胴、更には咽喉(のど)部の「突き」です。そして打ち込むタイミングは、対峙(たいじ)した相手が構えなどを変化させたり、攻撃の気勢を掛けてきた場合です。そこに、微(かす)かながらの、「崩れる隙(すき)」が生じるのです。 例えば、相手が正眼から上段に変化しようとした場合、まだ上段に構えきってしまう途中や、打ち出そうとした刹那(せつな)に隙が生じ、これに乗じて鋭く「小手」などを打って出ます。 実戦の真剣勝負では、何処を打ち、何処を斬り、何処を突いても自由なのですが、便宜上これでは稽古になりませんので、あらかじめ打ち箇所を定めて、斬撃箇所を狙って稽古をします。
そもそも斬撃の目的は、敵を斃(たお)すという目的を持っています。したがって、斃す為には、何処を、どう打たなければならないという決まりはありませんが、斬撃の目的が、充分に斬りきること、あるいは打ち切ることで、その後の打った後の術者の姿勢が崩れないと言うことが大事になります。崩れないと言うことは、「備える」ということも加味し、残心にまで心配りが及ばねばなりません。 古人は、小太刀の稽古を通じて、それを実戦に応用してきたのですが、その際に「打つも、斬るも、力にてこれ無く候(そうろう)、太鼓を打つにも、功と積まねばならぬのと同じように、剣もこれに同じに候。太鼓がよく響き、冴(さ)えある音を発するのは、総て力ではなく、“功”の結果より出(いで)し響きと相成り候」といっています。 また、古人のこの言に回帰すれば、剣や小太刀の刃物と雖(いえ)も、力ばかりでは斬れないということを言っています。力を入れ過ぎれば、打ち損時が生じ、また、打ち損時が生じれば、体勢を崩してしまいます。体勢が崩れれば、次の変化に即応できず、変化に対応できない障害が生じます。更に、打つことばかりに心が捉われていると、今度は自分の躰(からだ)の防禦が疎(おろそ)かになります。 小太刀術の持つ自由自在性と、即応性を失わない為には、固定観念による発想から解放されて、ただ右手ばかりで打つのではなく、左手でも打つ。また、手で打つことばかりに捉われるのではなく、腰で打ち、足でも打つと言うような発想の転換が必要で、換言すれば、「躰全体で打つ」という境地を会得し、更に進んで、「心でも打つ」という境地に至り、遂には「魂で打つ」次元にまで達する必要があるのです。 また、打ち方には一回限りの一段打ちばかりでなく、「二段打ち」というものがあります。打ち損時をなくす為にも、特に、面と胴は強烈な一撃を投じる必要があります。ところが、一方で小手は軽い打ち込みでもある程度の効果を得ることができます。 打ち方には「大小」ならびに「強弱」があり、「重い」また「軽い」があり、「速い」や「遅い」があります。大きい打ち、強い打ち、重い打ち、速い打ちなどを修行者は心掛けて稽古するのですが、段々技術的な進歩が見られる中で、速く、軽妙に、敏捷な打ちに変わり、ややともすれば基本である、大きい打ちや、強い打ち、重い打ちを忘れてしまい、スピードに流される傾向があります。
●「先」を取る武術には、独特の「先を取る」という考え方があります。これは対処が後手にならないように警戒する戦略思想です。この思想の根本には、「先んずれは人を制す」という故事からの諌言(かくげん)があります。また、こうした諌言により、勝負の場では、「先を取る」か、「先を取られる」かの、攻防が起ります。そして、これが勝負の分かれ目ともいえます。 小太刀術では、長剣の太刀よりも短い得物を使い、これにより「術」の応酬が始まりますから、やはり「先を取る」ということが大きなウエイトを占めることになります。 さて、「先」には、大きく分けて三つあります。これを小太刀術では「三つの先」といいます。 つまり、「先」とは、先の次第である先手を打って勝ちを得ることですから、これを「先」というのです。また先を取ることにおいての大事は、まず、先に敵の心や仕掛けの意図を読み、あるいはこれまでの経験に応じた智慧(ちえ)の集積を読み、時を読んだり、場を読んだりします。 また、「三つの先」は、時に随(したが)い、場に随い、理に随い、「先」、「先の先」、「先々の先」などともいいます。これは主に、業(わざ)を仕掛ける時の「既発(きはつ)」の先のことをいいます。そして、最も重要なことは、気を以て、「未発を制する」ことが、「心の先」であり、かつての剣術の故事には、「枕を押さえることの大事」などの言葉で、「心の先」を説いています。 更に「先」を要約すれば、「出たら打つ」とか「退いたら打つ」ということに加えて、打つとか、突くとかの心の動きを読み、こうした心の動きに加えて、一瞬たりとも隙が生じれば、これに乗じ、一気に殲滅(せんめつ)に向かわしむ気魄(きはく)を言うのです。また、「気後(きおく)れしない」ということをいいます。 常に「気後れしない気持ち」が働いていれば、例えば、敵が面に打ちに出たところを、先に読み胴で抜け出るとか、左右いずれかの横に転身して、摺(す)り上げて面を打つとか、あるいは返して胴を斬るなどの「後の先」というものも生きてきます。 「先」とは、何も先に手を加えることばかりを考えるのではなく、敵の変化にも対応しなければなりません。つまり、自分の方が上手として攻めながらも、後手に廻ってしまった場合、これで諦めるのではなく、起死回生はこれからであり、先手に変化するということも忘れてはならないのです。
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