インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 技法体系 >> 西郷派大東流杖術(一) >>
 
槍術を含み独特の体捌きを錬成する
袋槍杖(五尺杖)の型、鐺(こじり)上段下之構。
 構えの原則は、形の隙を心で補うと言うことだ。型の形にばかりに捉われていては、心が疎
(おろそ)かになり、小手先の軽妙な業(わざ)ばかりに頼ってしまうものである。軽妙な技術ばかりに頼るようになると、心と形の緊密不離が起るもので、技術的な要害が如何に堅固(けんご)なものであっても、やがて虚実変化に対応できず、崩壊していくものである。
 人間の肉の躰
(からだ)は、技術を納める器(うつわ)であるが、霊肉はともにある状態が正常に機能するのであって、技術の先走りは、自らに老化を齎(もたら)し、肉の崩壊を早める元凶となる
 
杖術・柳生構え。これは柳生構えの「鐺上段下之構」である。杖構えで下段の構えるのは、敵の上段から斬り込んで来る攻撃に対し、下段から跳ね上げ、敵の顎を打つ術である。(杖演武:尚道館・佐々木浩 弐級)
 
杖組討/杖小手捻り
 
西郷派の杖術で遣う五尺杖。五尺杖の長さは、ほぼ「両手を一杯に広げた長さ」である。この杖の直径は2.5cmで、重量は550gである。
 これはわが流独特のものであり、一般に使われている神道夢想流をはじめとする、四尺杖とは長さも直径も異なっている。

杖術
(じょうじゅつ)

●西郷派の杖術について

 西郷派の杖術は、長さ五尺【註】1mが33分の10と定義されることから、5尺では約151.5cmとなる)を用いて、巧妙に間合いを計りながら敵に対応する技術である。そもそも杖術は、大東流柔術の「教外別伝」として、特異な杖術を儀法(ぎほう)としたことから始まっている。
 また、この特異性が、「合気杖」となった。

 合気杖の起りは、「柳生杖(やぎゅうじょう)」と共通性を持つ。そもそも大東流の杖術は、その源流を「宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅう‐そうじゅつ)に見ることが出来、杖を自分の躰(からだ)に巻き付けるような動きをする独特の「漆膠(しっこう)」は、西郷派大東流の特徴ある杖捌きといっても過言ではない。

 「漆膠」とは、敵と絡み合い、密着させ粘りついて、勝つ「術」である。
 これは敵を混乱させ、撹乱(かくらん)させて、判断力を失わしめ、どさくさに紛(まぎ)れて勝利を収める戦術である。一見兵法としては見苦しい技術に思えるが、戦術的には合理的である。撹乱戦術と称するべきもので、その他の武技でこれを説明するならば、剣術における鍔迫り合い、ボクシングの接近戦、柔道の寝技に匹敵する「絡み合い」であろう。

 人間は瀕死(ひんし)の状態に追い込まれると、むしろ敵と離れるよりは、敵に近付き、苦し紛れに敵の髪の毛、衣服やボタンのある箇所、袖や裾を掴もうとする。こうした状態に追い込まれて、それから離れようとするより、逆に敵と接近し、どこでも握ろうとするのである。つまり、最後の最後は、離れることより、組み付いて絡み合うというのが、人間の持つ意心の心理であるようだ。
 こうした心理を、逆手に取ったのが、西郷派の合気杖である。

合気杖の妙儀。杖“合気”。これは、人間が最後には絡みつくという心理を逆手にとって「術」である。

 その捌きを用いて、敵の武器を払い、巻き落とし絡め取りながら、動きを封じるのである。絡みつくことにより、「勝ちを修める術」なのである。
 単純に攻撃を受け止めるだけではなく、右旋、左旋を繰り返しながら敵の攻撃を払いのけていくところに、杖術の特異性と課題がある。
 一般に、杖術というと、杖のみの操作法と解すようであるが、西郷派の杖術は、これに投げ業(わざ)が加わり、固め業が加わり、抑え業が加わると、これは単なる杖術ではないと理解される筈(はず)である。

 攻防一体の払いの技術は、そのまま躰捌(たいさば)きに連動されて「足捌き」となり、紙一重で敵の攻撃を躱(かわ)「受け流し」の技術となる。
 西郷派大東流の高級技法を行使する際、この受け流しの技術が要求されることは多く、杖術の稽古を通じ、しっかりと躰(からだ)に覚え込ませておかなければならない。

 敵の攻撃を躱して攻撃に転じる場合、「突き」もしくは「打ち据え」で、急所を狙い打つのが基本となるが、敵の躰に杖を絡めて取り押さえたり、投げ放つといった柔術的な技法も存在している。これこそが、西郷派の得意とする「合気杖」である。

 杖術は、「間合取り」を重視した高度な戦闘技術であると同時に、西郷派大東流の上達を促す鍛錬法という側面を持っている。また、杖術は、杖術の一番最初に来る基本の、「腕節棍(わんせつこん)」を発達させたものであり、腕節棍の手頸(てくび)の廻(まわ)しや、足捌き、躰動法(たいどうほう)といった特異な動きは、腕節棍を基盤にした杖術の動きとなっている。

 剣の素振りと同様、「杖捌き」の一人稽古によって基礎的な体の使い方を練ることが、柔術を始めとする各技法の威力を高めることに繋(つな)がる。
 杖術は、見た目以上に、様々な意味を内包する、奥深い技法なのである。そして、杖術は腕節棍の躰動法を用いて、螺旋状(らせんじょう)に動き、この螺旋の動きの中から、槍術の躰動法を探求する術なのである。

鐺上段下構え。この構えの特徴は、正中線から杖を外し、敵の動きを観察することを主眼とする。
上段横面打ち。正中線から、杖を外していることに口伝あり。正中線を外す打法は、八相の構えと同じである。

 

●杖と杖術の違い

 「杖」という字には、「二つの意味」が持たされている。一般に「杖(つえ)」といえば、人間の身体的な補助具を指す。
 この中には、老人の歩行補助具としての杖や、医療用の松葉杖、旅をする人が用いる杖、登山の時に用いるトレッキング・ポール・ストックとしての登山促進力を増すステッキ、また、スキーのストックも、それぞれが歩行あるいは滑走の推進力を増す為の「つえ」といえるだろう。

 一方、「杖(じょう)」といえば、護身の為の「じょう」であり、これは明らかに武器とした「杖」である。
 杖の起源を紐解けば、古くはこれが『古事記』に記され、「伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)が投じた杖に神が生まれた」という記述があり、また、『続日本紀』にも、「功績のあった者には杖を授けた」とある。杖は、古くから権威の象徴として使われていたのである。

 そして、武器としての杖の代表格には「弓杖」があり、これは武士が歩行の補助に用いたものであると同時に、護身の武器であった。材質は、「折れた弓」であり、あるいは使い古された弓を適当な長さに切って杖にしたものである。
 弓杖は、晩年の宮本武蔵が愛用した杖としても知られ、武蔵は細川家の庇護(ひご)により肥後熊本に棲(す)んだ頃、これを用いていた。また、武蔵像を描いた画には大小の刀を帯にさした外に、弓杖を持つ武蔵が描かれている。

 更に杖の武器として、忘れてならないのが「仕込杖」である。仕込杖が流行したのは、幕末から明治中期にかけての頃であり、主には護身用であった。
 仕込杖の構造は、杖の中に反りの少ない、細身の直刀造りの刀を仕込んだり、槍を仕込むというのが仕込杖の構造である。

仕込槍。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

 細身の直刀造りの仕込杖は、全長約120cmくらいの杖の中に、直刀の刀身(刃渡り60〜70cm)を仕込んだものである。杖の材質は、桜の木や、白鞘の材質の朴(ほお)の木に桜の皮を巻いたこのであった。柄(つか)の部分と鞘の部分は、杖で統一され、一見、杖の中に日本刀が仕込まれているとは分からないようになっている。あくまでも杖であり、万一の場合に、日本刀として通用するように造られていた。居掛や居合を遣う者が護身用として、この手の杖を持ち歩いた。
 そして、居合術の達人の域までに達した福沢諭吉は、仕込杖で吾(わ)が身を護ったことは有名である。居合いの達人にとって、仕込杖ほど頼りになる護身の道具はなかった。

 また、槍を仕込んだ杖は、鞘の部分が下になり、柄の部分が長く取られ、石突の尖端(せんたん)の鞘を払えば、それが手槍か、籠槍(かご)程度の槍になった。

 直刀造りの日本刀を仕込んだものも、槍を仕込んだものも、何れも隠武器(かくしぶき)であり、刀や槍のの他に、折り畳みの鎌を仕込んだり、鎖玉を仕込んだものもあった。しかし、こうした隠武器でありながら、その外形の形体は、あくまでも歩行補助を助ける「杖」であり、一方、同じ隠し武器の形体をとりながらも、仕込杖とは区別し難いものもあった。

 例えば、堤宝山流(つつみほうざんりゅう)の「振杖(ふりじょう)」や、高木流(たかぎりゅう)ならびに気楽流(きらくりゅう)の「乳切木(ちぎりき)」や「鎖棒(くさりぼう)」である。これらの杖の術は、正しく言えば、杖の長さを満たしていない。
 堤宝山流の杖は、四尺前後であるが、三尺ほどは鎖玉を内蔵する仕掛になっている。したがって、鎖玉を内蔵する以上、口径の太さからいえば、明らかに「棒」の太さを持っている。また、高木流も、気楽流も、武器としての鎖棒が表出している為に、隠武器(かくしぶき)というより、捕物具のような構造をしている。

振杖。振杖の先には、鉄球が鎖で繋がれていて、杖の遠心力を利用しながら、敵の頭上めがけて叩き込む。また、杖と鎖を繋ぐ部分には、刺針が付けられていて、接近戦の場合に、敵の衣服をこれで辛め捕る役割もあった。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

 「振杖」は、杖術の杖ではなく、棒術の「棒」である。棒術に大変近いものがある。それは、充分に間合を取った、遠くの敵を打ちのめすことが出来る戦術を備えているからである。確かに振杖は、遠くの敵を叩くのには非常に適している武器といえるし、個人的闘技では、確かにこの戦術は正解といえよう。
 ところが、打ち損じた場合はどうなるのか。一撃で、その分銅で、敵を叩き伏せればよいが、もし、打ち損じた場合が、どうなるのか。実に素朴な疑問である。
 鎖が付いているから、「引き寄せればよいではないか」 という御仁(ごじん)が居るかも知れないが、「打ち込み、その後、打ち損じが発覚したまでの時間」は如何程だろうか。ここにも、疑問が出てくるではないか。

 敵が振杖の術者を半径にして、振杖が打ち出される円周上を左右に動いたならば、まだ知らず、「覚悟」を決めて、吾が身を捨て、内懐(うちふところ)に一目散に飛び込んできた場合は、どうなるのだろうか。
 一間以内に間合(まあい)を縮められ、更に接近して両手の拳の当身が届く距離まで近付いたら、どうなるのだろうか。両腕内の狭い範囲にまで近付いたらどうなるのだろうか。振杖の分銅は、「漆膠」を利用して、敵に纏(まと)わり付くことが出来るのだろうか。

 昨今は、日本では武器の携帯が煩(うるさ)くなっている為に、日頃から木刀や杖や棒などの長物を携帯するストリートファイターは殆ど居ない。また、こうした状況下、「振杖」などという時代遅れの武器を携帯して、ストリートファイターを気取っている者も少なかろう。あるいはこうした手合いの喧嘩師は皆無かも知れない。

 しかしである。ナイフの日常所持者は急増した。今までにないほど、激増したという答えが正しいだろう。
 事実、警察庁の青少年に対する犯罪の低年齢化の「犯罪白書」も、刃物携帯者の増加を挙げている。そして、こうした衣服の表面からは窺(うかが)えない隠武器を携帯した青少年は、増加したというより、激増したという方が正しいだろう。

 間合を取りながら、腰低く身構え、右手か左手の何れかに、ナイフを持った青少年の猛り狂う殺意は、意外に侮れないものである。第一に素早いし、機敏であるし、無分別であるし、ルールに則らないし、礼儀知らずであるし、その動きは迅速にして、素早く、これを表現するならば、大東流の如何なる技も対応できないであろう。
 況して、「大東流柔術第百十八か条」などという、極めて古臭く、時代遅れの骨董品が、これに対処できる技は皆無であろう。ナイフを使える者を、侮ってはならない。

 しかし、こうした輩(いちげき)を一撃にする方法はある。この時機(とき)こそ、「振杖」は大いに役に立つ。これを簡単に撃退することは出来る。あえて増長するならば、振杖ではなく、「振棒」であれば、間合を遠く離した、敵でも容易に討ち捕れるであろう。ただし、分銅が敵の頭上を直撃した場合である。
 もし、振杖が左右の円周上には強く、前後には弱いという欠点を見抜かれた場合、襲い懸(か)かる者は、直進して内懐(うちふところ)にナイフもろとも突っ込んでくるであろう。この時、振杖の術者はオダブツである。不成仏(ふじょうぶつ)間違いないといったところであろう。オダブツとは、「御陀仏(おだぶつ)」であり、「横死(おうし)」を意味し、「惨殺死」を意味するものだ。惨たらしく、この世と「おさらば」しなければならないのである。

 本来、御陀仏は、阿弥陀仏(あみだぶつ)を唱えて往生することだが、惨殺死されるにあたり、何ゆえ、阿弥陀仏を唱えることなど出来よう。刺されて無慙(むざん)に死ぬだけではないか。要するに「刺し殺される」のだ。これは突進して来る、ナイフを持った刺客に対し、これに対処する振杖の術者とて、この危機は無縁ではあるまい。

 分銅に、鎖という、長物はこれだけで「漆膠(しっこう)動作」は、不向きであるということが分かるであろう。せいぜい、「絡め捕り」の動作として、分銅と杖の間にある「鎖」を利用しての、敵に鎖を絡め、絡めた鎖で頚動脈(けいどうみゃく)を絞めるといった、「絞め技」を遣(つか)わぬ限り、接近戦には役に立たない。長物もオールマイティではなく、一長一短はあるのである。

杖術/鐺上段下之構え
杖術/襷(たすき)背抜き

 この一長一短のある、杖の遣い方を出来るだけ合理的に整理して、その短所を小さくし、長所を増幅させたのが、「西郷派の杖術」である。
 杖術の奥儀は、「角に触れないように敵の動きを封じる」とともに、敵の角には積極的に触れていって、「突出した角」を叩き、「急所」を叩いて、敵を弱らせ、制するのである。
 こうした使い用途から考えて、わが流が説く杖術の杖には、大きく分けて「五つの役目」があることが分かる。つまり、杖術の役割は、大別すると次の五つに分類されるのである。これを主目的にするのである。

その第一
敵の人体の飛び出した箇所を打つ役目。これをわが流では「角(かど)を触る」という。飛び出した箇所を打つことにより、角に触れば、傷を負い弱り始めるからである。
その第二
次に、角に触りつつ、一大急所を狙うのである。つまり頭部への杖の打ち込みである。頭蓋を叩き割り、粉砕する気魄(きはく)であたる。
その第三

頭部を打ち損じたとき、返す杖をもって、肩を打ち込み、自分の身を護りながら、鎖骨を打ち砕くか、それに近い傷を負わせながら、手の野弱るのを待って、再び頭部を狙う。

その第四
あるいは頭部を狙うと見せかけ、「長打ち」で、左右の胴を打ち、左右の脚を狙う。撹乱されることが肝心であり、撹乱に乗じて混乱を招き、追い落とす。
その第五
あるいは頭部を狙うと見せかけて、膝頭の半月盤を突き、その返す突きにより、咽喉笛を狙い、目の玉を狙う。そして再び、頭部を狙い、これを制する。

 武技の「術」は、指先であろうと、脚の爪先であろうと、あるいは鼻や耳であろうと、決して打たれないように防ぐのが「兵法の道」であろうと考える。
 敵の動きをどう捉えるか、どう抑えるか、どう躱(かわ)すか、これこそが兵法における「防御の術」である。

 ある達人は、立ち上がると同時に、相手の左腰を力いっぱい殴りつけ、怯む相手に右の裏胴(うらどう)を打ち込み、叩き置いて一本捕るのが得意であったという人がいた。
 ちまみに、「裏胴」とは、胴の裏を払う必殺技である。これは主に剣術に使われる用語だが、杖術にも、「左右の胴打ち」があり、裏胴を捕ることは、わが流では常識となっている。


戻る << 杖術(一) >> 次へ
 Technique
   
    
トップ リンク お問い合わせ