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誇りの裏付けとなる数々の技法

高齢者の護身術《実践篇》
こうれいしゃのごしんじゅつ《じっせんへん》

●食の陰陽を知る

 食べ物には、必ず陰陽がある。
 また、人体が食の化身である以上、食べ物の陰陽の支配を受ける。つまり、陰陽を無視して、自分勝手に食を乱し、食への慎みを忘れた時に、人は病気になるのである。
 食は、乱さず、慎(つつし)みを忘れず、命を捧げてくれた者に対して、感謝する必要もあるが、同時に食には陰陽があるので、この陰陽も間違ってはならない。命を捧げてくれた生きとし生けるもの(食物)に対し、彼等の命を貰って生きる以上、当然の義務といえよう。

 食思想の根本を追求すると、人間の先祖は「八百万神(やおよろずのかみ)」 という事になる。ダーウィン進化論が云うように、人間の先祖は、断じて猿などではない。
 『九鬼(くかみ)文書』 や『竹内(たけのうち)文書』などによると、出雲・素盞鳴尊(すさのうのみこと)系王朝正統論とともに、人間と人間以外のその他の生き物は「群生」として「同等である」と記されている。あるいは「同格である」という記載が見られる。

 この事から、八百万神と群生は「同等・同格」であり、これを「畜生」と一蹴(いっしゅう)していないところに、縄文人の生命観や自然哲学の奥深さが感じ取れるのである。またこの思想は、人間と群生が一体であることを顕(あらわ)し、生命の重さは同等・同格であるとしている点である。
 つまりこの事は、分子レベルにおいては同一と考えることができ、この意味では、現代の生命科学が教えるところと共通するところがる。

 ここに人間が、群生から命を頂くことに「感謝の念」を現すと同時に、その陰陽すらも知ることが大事なのである。これは生命重視の考えに繋(つな)がり、命の大切さを知る切っ掛けにもなる。またこの根底には、ダーウィン進化論の差別的進化論の帰結が記されている。
 つまり、ダーウィン進化論は、人間の生きる現象人間界の社会原則を意図的に隠蔽(いんぺい)しようとした痕跡が窺(うかが)われるからだ。

生物と食べ物の陰陽(クリックで拡大)

 日本における食養思想は、太古の時代より始まると云われる。連綿と続いて来た日本人の食体系は、江戸中期に居たり「食養道」として体系付けられ、貝原益軒(かいばらえっけん)らは食養家としてよく知られた人物である。
 また、幕末には水野南北(みずのなんぼく)らの食養家によって、更に、これが運勢的にも研究されて、明治初年になると、石塚左玄(いしづかさげん)のような食養研究家によって「食物養生法」を説く、具体的な食指針が示された。

 そしてこうした貴重な食養体系は、先の大戦の敗戦当時まで、日本では続くのであるが、戦後の食指針はアメリカ一辺倒となり、ここに動蛋白摂取と云う、欧米の現代栄養学的な食思想が持ち込まれた。しかし、動蛋白摂取思想は、慢性病に人体を作り替える温床だったのである。この事は、蔓延(まんえん)する成人病を見れば、元凶が何処にあるか想像がつこう。

 近代食養家の祖として知られる石塚左玄は、次のように指摘する。
 「日本のように海国に住んでいれば、環境にも体にも、ナトロン塩が多いのに、ヨーロッパ大陸のような、カリ塩の多い国の人間の真似をして、限度なしに肉を多く、野菜を少なく食べるという心得で栄養を摂っていると、次第にナトロン塩の摂取過剰になって、ナトロン塩の性質である、組織が縮まり固くなる作用が強くなり、その作用を制御するカリ塩の、組織を軟らかくし拡げる作用に負けてしまい、発育上、保健上、食養のバランスが不良となり、国民の体つきは小さく丸くなり、人の性質についても、才気の方は発達するが、判断力は、かえって減退し、こうして肉体も精神も次第に変わってしまう」と指摘している。

 こうした実情と、現代社会で展開されている間違いを比較すると、現代人は間違った食生活の上にまんまと載せられ、誘導されている現実が見えてくる。
 そもそも人間には人種によって、それぞれに色を持っている。

 『竹内(たけのうち)文書』 によれば、人間は「五色人(いいろひと)」に分けられるという。
 「五色人」とは、「黄人(きびと)」「赤人(あかびと)」「青人(あおびと)」「黒人(くろびと)」「白人(くろびと)」をいう。この色は、云うまでもなく肌の色であるが、この肌の色は住居地区の風土や気候条件によって生じたものである。それだけに、肌の色による人種差別的なものもないわけだ。『竹内文書』 では、これが「四海同胞主義論」の根拠になっている。

 『竹内文書』に記載されている五色人を現代風に言い表せば、黄人は日本・中国・蒙古・満州・朝鮮などの各民族である。赤人は、アメリカインディアン・ユダヤ人(スファラディ・ユダヤ人)などに比較的多く残っている。青人は肌が青白い民族を指すのであるが、現在はその純粋種はいないといわれている。しかし、この民族は50歳以上になると眼の下に青い隈が出来ることから青人系だと分かるという。白人は肌が白く、髪の毛もプラチナ・ブロンドである。黒人はインドの原住民系やアフリカ人などに見られる。

 こうして人間の肌の色を追うと、それぞれに黄人・赤人・青人・白人・黒人が存在し、肌の色は違っているが、内部を造営する根源の血は、総ての人種において「赤色」である。この赤は、人間そのものが、「陽」に入る生き物であることが分かる。
 次に寒温を見れば、人種を問わず一様に37度前後の体温を持っている。したがって、この体温から分かることは、一般生物を陰陽に分ければ、人間は明らかに陽性の哺乳動物であるということが分かる。また血汐や分泌物を調べると、塩気を持っており、ここでも陽性を示す。

 更に人間は感覚的には、ガス体でも液体でもなく、むしろ軟体と固体の中間にあるので、上記の図からすると、中央より左半分に入るので、これまた陽性を現す。
 また、人体の75%以上は水であるといわれているが、物理化学で言う純度100%の水ではなく、数十種類の元素を溶解している水なので、この水はHOに比べると、大変な陽性であることが分かる。

 更に、人体は低温で37度前後の温度を持ち、一気圧の低圧であらゆる原子の核を最短距離に圧縮している。ここに生命の透圧性を見ることが出来、これを例えば、白人や黒人とその他の有色人種と比較するとき、色においては白人は、他の人種よりも「陰」であり、しかし、それ故に白人より黒人が陰であると断言は出来ない。

 また、人種は四海同胞論により、住居地区の風土や気候条件によって色分けされたが、同時にその地域の人は、当然、環境や天地の差において陰陽差が生じている。つまり、地域の気候風土ばかりでなく、食べ物によっても陰陽が生じていると見るべきであろう。そこには当然、衣食住から来る陰陽差も現れるのである。

 それは食物において、住居環境の地域から、明確な差が生じていることである。陰陽法を用いて云うならば、白人の住むヨーロッパの天地は、易(えき)で云う「冷帯」に入る。また、黒人の住むアフリカは「熱帯」であり、黄人の住む地域は「温帯」である。こうした自然環境が肌の色に違いを生じさせたのであるが、「熱・温・冷・寒」の四地帯の陰陽差は重要な意味を持っている。

 例えば、白人を挙げるならば、白人は冷帯人であるから、温帯や熱帯の人と異なり、生存・繁栄の為には、陽を多く摂取する必要がる。それに反して、その他の有色人種は、反対に白人より陰を多く摂取しなければならない。こうした摂取環境の違いで、対立する食生活が生まれる。これは食のみではなく、衣・住においても例外ではないであろう。
 したがって、白人は衣食住においても、「陽」を多く用いなければ、生存・繁栄は望めず、一方、その他の有色人種はそれとは対立する「陰」の衣食住となろう。

 こうした衣食住の環境を考えると、有色人種が西洋一辺倒の生活をしているが、ここにも少なからず無理が生じていることは明白であろう。それが「陽」を摂り過ぎての病気である。つまり「陽」とは、動蛋白のことである。日本人は、西洋人のように、蛋白質摂取の理由から、動蛋白ばかりを摂り続けてはいけないのである。
 むしろ日本人に理想なのは、大豆や小豆に見る、植物性の蛋白質の方が、非常に適合しているのである。

 

●日本武術に大きな影響を与えた九鬼神道

 現代スポーツ競技と言うのは、唯物的な思考の上に、トレーニング法が形成されている。その為に、極めて物理的であり、肉体的である。
 肉体の各部位を鍛え、その鍛練具合、トレーニング具合が、数値で顕わされる。そして、この数値こそ、「科学するスポーツ」の強力な下地となっている。才能も素質も、この中に包含され、競技選手は、その数字と睨(にら)み合いながら、自分の肉体を鍛練していく。数字の伸びや変化を追いながら、物理的に、肉体的にそれぞれの部位を強化していく。

 但し、この考え方が通用するのは、少なくとも40代の初老に差し掛かるまでの事である。40の初老を超え、肉の鍛錬が、新陳代謝の回数の減少に繋がると、最早こうした筋トレは逆に筋肉を痛め、血管を脆くして逆効果現象を辿り始める。

 例えば、食べ過ぎた状態で、合気揚げ会得と称して、「合気揚げ鍛練の為の木刀素振」を1000回以上やると、どうなるか。苦痛に耐えて、力んでやるとどうなるか。
 また、食べ過ぎた状態で、行法である「滝行」をやると、どうなるか。肉常食者がやるとどうなるか。
 こうした行法と食と肉体の使い方は、必ずしも正比例していないのである。また精神的にも、歳をとれば守りの体制に入り、思考も消極的になる。気力も萎えて来よう。そして食べ過ぎでの運動量過剰は、筋肉を痛め、骨を狂わせて、左右の均衡が失われるのである。

 大事なのは、齢をとっても気力が萎(な)えない事だ。気力が萎えれば、毅然(きぜん)とした態度も取れなくなろう。士気も低下しよう。
 そこで必要になるのが、古人が秘伝として伝えた、食と行法の関係である。
 古人が伝えるわが流の秘伝の中には、単に秘伝を技術的なテクニックと扱っている古伝と、西郷派の戦闘思想は異なる。多くの流派の古伝は、技術的な解説に終始している。

 ところが西郷派に残されいる秘伝は、技術解説だけに止まらない。食と行法の関係を明かし、秘伝を会得する為の最短距離が示されている。
 腹いっぱい食事をして、その後にトレーニングに励むと、筋肉や血管を傷めることは既に述べた。特にこうした筋トレが、中年以上の人には不向きであることも既に述べた。
 したがって修行者に必要なのは、肉体造りでなく、「体質造り」であるということが分かろう。

 体力をつけることではなく、よき体質を持つことなのだ。
 それは合気揚げなどの術の中に現れる。合気揚げを、腕にリフト力と考えている人は、いつまでの肉体力から抜け出すことが出来ない。合気揚げは、肉体を解脱した域に存在しているのである。したがって、肩球かただま/肩霊)の養成が必要であり、秘伝ではここに上肢を動かすことで、「力霊が宿る」とされている。肩を自在の前後左右上下に、「球のように動かす」ことにより、会得するものなのである。

 一般に武芸を《武芸十八般》という。それぞれに秘伝を持つ流派は、十種類以上の武技を使う総合武術的な形態を成している。こうした秘伝の中には、武術の技術的なテクニックばかりでなく、人間を形成する精神面や、教養を形成する文化面までもが含まれていた。
 こうしたものを『九鬼(くかみ)文書』などから見てみると、そこには武技を顕すものばかりでなく、その支柱となるべき、秘呪、太古秘想、神医法などが加味され、その文化的裏付けとして、茶道、華道、香道などが含まれ、文化的教養体系までが存在していた。

 勿論『九鬼文書』 は、古神道に関しての神道に関する体系が述べられているが、神道や修験道から派生した軍学や兵法についても述べられ、平安末期ならのお家芸であった、武術に関することも述べられている。この文化的秘術が「九鬼神流兵法」であろう。

 この発祥は、舒明天皇13年に藤原鎌足の父である小徳冠者が記した「天真兵法心剣活機論」を一部とし、九鬼神流兵法は起ったとされている。九鬼家の先祖達は天孫降臨に従った後、文武両道とする文化を起源し、以後、創意工夫を加えて秘伝を集積し、これが近世初期の九鬼神流独特の《武芸十六般》となったと考えられる。そしてその本質は、「天津蹈鞴(あまつたたら)秘文九鬼柔体術」であるとされ、これが近代的発展となって“合気”となったといわれる。

 また、その後、「九鬼神伝八法秘剣術」として、これが近代に伝えられたとある。
 この「九鬼神伝八法秘剣術」を見ると、次ようになる。
 1.槍術 2.棒術・双術・半棒術 3.薙刀術 4.騎射術 5.手裏剣術 6.鎖鎌術 7.鉄砲火術(十六世紀の火縄術に適用され、改良されたものであろう) 8.泳法 9.舟術 10.天門地門(八門遁甲と思われる)・築城・陣営・兵法ならびに軍法 11.十手術 12.小太刀術などがあり、特に『九鬼文書』は「秘想剣」なるものを記しており、これが日本剣術のルーツであったと思われる。また、この秘想剣から、古流各派の体術が編み出された。

 秘想剣なろものが示す剣法は、次の通りである。
1.夢想剣……伊藤一刀斎の一刀流。
2.浦波……柳生流や柳生新陰流の秘剣。
3.竹割……真っ向唐竹割(まっこうからたけわり)
4.一文字……二階堂流(にかいどうりゅう)剣術などに横一文字。
5.天狗飛……義経の八艘(はっそう)飛ならびに甲賀流忍術の天狗昇高飛術。
6.燕返し……巌流・佐々木小次郎がマスターしたといわれる秘剣。
7.音無剣……幕末期、高柳又四郎(たかやなぎまたしろう)が復活させたといわれる音無(おとなし)の構え。

 こうした秘剣に加えて柔体術があり、火術、遁甲術、隠行術、隠三法、隠草三法、隠火三法などの八門遁甲に使われたと思われる術なども存在するという。
 またの「天津蹈鞴九鬼宗門静閑論」第七巻によれば、「華道遍」の箇所があり、九鬼家が華道の家元として日本最古であると記されている。また九鬼家から美毛呂流(みもろりゅう)なる華道が誕生したとある。
 『九鬼文書』を伝えた九鬼家は、古代権力の神統譜を伝える熊野宗家だった。また『九鬼文書』は出雲王朝の正統さを説く日本最古の古代古伝を伝える「天地創造神話」に出てくる「母止津和太良世乃大神(もとつわたらせのおおかみ)」の元始神を記し、この神を「太源輝道神祖(たいげんきそうしんそ)」とし、略して「太源神祖」とした。

 太源神祖は『竹内文書』の元始神「元無極躰主大御神(もとふみくらいぬしのおおみかみ)」と機能的に酷似する神であり、創造神話も同様でり、原宇宙の創成神であるとともに、原宇宙そのものであるという。
 「元無極躰主大御神」とは、『九鬼文書』によれば、造化三神、天神七代、地神五代、陰陽神を総称したものを「宇志採羅根真(うしとらのこんじん)大神」といい、この大神は日月星辰、三千世界、山川草木、人類禽獣をはじめ、森羅万象の万物を宇宙の玄理(げんり)に則り、創造大成させる大神であるという。

 ちなみに、「宇志採羅根真」とは、「丑寅(うしとら)」または「艮(うしとら)」のことである。
 「九鬼神道」では地球世界を東西に分け、東半分の東北を「丑寅(艮)」で顕し、この地理的位置になる国を「日本国」としているのである。この意味で、日本国こそ、全世界の創造大成を司る「根神(こんじん)」である「金神」が存在することになる。また、神々の諸機能を統括する「聖なる場所」が日本列島であるということになる。

 大本教【註】正しくは大本)によれば、総合神は国祖は「国常立尊(くにたちとこのみこと)」であり、神速素盞鳴尊(かんはやすさのうのみこと)とされている。そして国祖神が、邪神の陰謀によって隠退させられ封じ込められたという。ここに国祖隠退、すなわち、救世主再現の神話が存在するのである。また、大本教によれば、水晶の世、弥勒(みろく)の世が大本の信仰により、約束されるといわれている。

 しかし、大本教に大きな影響を与えたのは九鬼神道であり、九鬼家の文化は様々は方面に大きな影響を与えていることがわかる。その意味で、華道もその一つだったのであろう。
 活け花とは、もともと常磐(ときわ)、堅磐(かきわ)に変わらない根のある花を、神籬(ひもろぎ)の周辺に植えたことから始まる。更にこの習慣は、榊(さかき)の枝に木綿(ゆう)を付けて神に祀ったことに起因する。そして、神への献花(けんか)が「玉串(たまぐし)」だった。つまり、華道の始まりは献花に始まったともいえる。これに一つの日本だけの、神事に通じる文化であろう。

 次に、九鬼神道は「茶道」を教える。茶の道を説いているのである。これは「九鬼茶道」である。
 九鬼茶道の起りは、九鬼家の中興の祖である藤原湛海ふじわらたんかい/源平時代の熊野水軍の総帥)が、庭先で武術を鍛錬し、その流汗後、お茶を立て心に静寂を求めたことから始まったという。
 点茶の「点」とは、「茶を飲めるように仕上げるなり」とあることから、武術の修行並びに戦場にあるときは、一汗かいた後、再び戦が開始できるように、心に静寂を求め、心を沈着にさせるとともに、活(かつ)を入れるという意味があった。その為に、「心の佇(たたずま)い」として、武家に茶の湯が広く流行したのである。これが起源であるとするならば、千利休よりも四百年も古いことになる。

 武家に茶の湯が好まれたのは、千利休の最期(さいご)からも分かるように、千利休は堺の豪商の出であったが、秀吉と対立したとき、武士に劣らない毅然とした態度で切腹の作法を実行したことは、また千利休自身が武家の嗜(たしな)みである茶の道を心得ていたからだともいえる。
 では何故、武家に茶道が好まれたのだろうか。

 これは一つの教養としての嗜みであったかも知れないが、精神修養に大きな効果があり、戦場を往来する武士は、常に死と隣り合わせの環境にいた。その為には、死生観を超越する必要があった。即座に、死生(しじょう)を解決しなければならないのである。
 そこで茶道は、一種の精神安定剤として、実用的な効用が大きかったと考えられる。

 炉釜か風呂釜で湯を沸かし、「和敬静寂」の響きを聞き取って、一碗の茶を点(た)てるとき、その茶の湯の中には、人間の死生を超えた幽玄(ゆうげん)なる世界があった。武士達は、茶の湯の中に幽玄なる世界を見詰めていたのかもしれない。

死生観を超越した修羅の世界
茶の湯の幽玄な世界

 茶道の究極は「動中に静」を求めることである。これこそ戦場においての臨戦態勢に繋がるもので、心が乱れていたのでは「無我の境地」は得られないことになる。そして、こうした「心の佇まい」を求める「静中に動」あるいは「動中に静」は、そもそも九鬼神道からはじまっていると言える。

 武術には単に、猛々しい武張った部分が突出しては、それは荒魂(あらみたま)の本能の命ずるままである。つまり「生」であり「現」である。
 俗に言う「荒」の文字に困惑されて、アラブル神と混同する必要はないが、しかし、肉であり、血である「荒魂」だけでは用は成さない。これに離魂分身であった「和魂(にぎみたま)」が帰一し、それに伴い、「幸魂(さきみたま)」や「奇魂(くしみたま)」が加味されて、肉体に霊体が止(とど)まって「霊止(ひと)」となるのである。この霊止とは、「人」のことである。

 危機に際し、あるいは不測の事態に遭遇して、蛮勇を振るって挑んでも、どうしようもない。高齢者の場合、若者の体躯(たいく)と異なるので、もっと異次元の精神力や霊的なものが必要になる。人間を、宇宙の普遍的な存在であると看做(みな)すべきであろう。

 また、人間は肉体や細胞組織レベルで捉えるのでなく、更に一等も二等も上の、直霊(なおひ)や和魂(にぎみたま)の次元で捉えるべきであろう。
 直霊は宇宙の普遍的な根本意識を、自らが神の分霊であると認識することであり、和魂は精神や心の領域の認識である。一切の生きとし生けるものは直霊に属し、森羅万象(しんらばんしょう)は霊的に、みな同等・同格に結ばれているのである。全身全霊を挙げて、自分を深く掘り下げ、そこに浄化する行法と共に、調和と統一を求めたならば、自然と鎮魂(ちんこん)の妙境に入り、神秘幽玄(ゆうげん)なる域に達することが出来るのである。


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