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誇りの裏付けとなる数々の技法
小太刀術では1尺5寸から1尺2寸までの刃渡りの真剣が遣われる。写真は刃渡り:1尺2寸の脇差刀身である。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)
 
1尺2寸の小太刀術用の刀身を納めた脇差の拵。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

■ 小太刀術 ■
(こたちじゅつ)

五尺杖に対する小太刀の間合取り。小太刀術とは、則(すなわ)ち、「重い物を軽く遣(つか)う技術」に対峙(たいじ)した、「軽い物を重く遣う業(わざ)」なのである。

●時と場においては、長物が不便なときもある

 長ければ有利と考えるのは、三次元顕界においての物質的論理である。前後・左右・上下を表す三次元空間において、長短の優劣は勝敗を決するキーワードのように思えるが、これは必ずしも的を得ているとはいえない。

 それは長剣を持ち、有利に振舞っていた者が、時として、短刀や匕首(あいくち)や、また小太刀の術者に敗れるからである。更には、長剣で斬り込んで来る者が、無手の者にさえ、敗れることがある。これは如何なる理由からであろうか。

 武儀の極意に「漆膠(しつこう)」なる、躰(たい)捌きがある。
 そもそも剣儀(けんぎ)には、心の動きがそのまま顕(あらわ)れるものである。剣の握りを疎(おろそ)かにすれば、精神は軽佻浮薄(けいちょうふはく)になるものである。また、心の動きの具現として、それは剣先に顕(あらわ)れ、尖先(きっさき)はそのまま心の表現となり、観察眼の優れた者には、対峙する敵の心が、手に取るように読めるものである。

 剣先に「小心」が顕れた場合、業(わざ)も小さくなり、早い業、軽い業、小手先の業に偏(かたよ)り、小心の「心」がそのまま、剣を形作る。
 つまり心身の重みは、技術先行では如何ともしがたく、やはり敵に乗ぜられることなく、不動心が必要となろう。

 一般に、敵に乗ぜられることなく、動かぬ心を「不動心」という。しかし、この不動心こそ、一人歩きをし、勝手に解釈されている言葉はない。不動の心を「不動心」という。極めて当たり前でありながら、実は不動心という言葉ほど抽象的で、掴みにくい言葉はない。
 本来常人の心と言うものは、常人らしく、元々は軽佻浮薄のものである。敵の優勢に浮き足が立ち、わが方の劣勢には不安を感じるものである。これこそ、人間の偽らざる心情であり、凡夫(ぼんぷ)の持ちうる人情である

 ところが、人間はある機会を境として、突然、豹変(ひょうへん)することがある。それは、「背水の陣」を敷き、後がないと知るときである。これまで平凡に、地味に、小市民と生きてきたものが、ある機会を境に、忽然(こつぜん)として豹変するのだ。
 それは「肚(はら)を括(くく)った時機(とき)」である。したがって、小心者も、遂に勇者に豹変するのである。

 こうした勇者が持つ剣は、小太刀や短刀と雖(いえど)も侮(あなど)り難いものがある。
 普通、敵の剣は三尺、吾(わ)が剣は一尺という場合、吾が方が不利と思うのは、蛮人の一致した考えであろう。しかし、小太刀術ではこうした短さを補う術として、三尺の一尺を比較して、短い分の二尺分だけ、「前に出よ」と教える。つまり、「二尺分だけ前に出る」のである。二尺分だけ前に出れば、三尺の剣の尖先(きっさき)が吾が咽喉元(のどもと)を狙うように、吾が小太刀の尖先も、敵の咽喉元を同じように狙うことが出来るのである。これは「咽喉元を狙う」という条件において、敵の長剣の尖先も、吾が方の小太刀の尖先も同じということになる。

 また、一方で、敵の三尺の剣を、吾が方に近寄らさなければ、敵が如何に長剣を握っていても、吾は打たれることはない。つまり、わが流のこの教えは、「剣術修行は、小太刀術を含み、位置と動きの修練である」と説く所以(ゆえん)である。

 

●重い物を軽く遣い、軽い物を重く遣うの理

 剣術を修練する者にとって、軽い物を遣(つか)うと言うのは、日頃、それ以上の重い物を遣(つか)うのに比べて、容易(たやす)いことと、誰もが簡単に思うようである。
 例えば、剣道の愛好者が練習においては、一般の物より、軽い竹刀で試合に臨んだとき、この軽い竹刀を用いれば、軽快に動けると錯覚するようなものである。それは普段の状態を覆(くつがえ)し、普段とは異なる物を遣った場合、試合などにおいては、軽快に、俊敏(しゅんびん)に動けると勘違いするようなものである。

 ことろが、普段の物より軽い物を使用した場合、精神が軽佻浮薄(けいちょうふはく)になり、心は安易さに傾き、この安易さから起る自惚(うのぼ)れと、ある意味での動揺は、直ちに剣先に顕れる。尖先は大いに揺れ、軽佻となり、軽々しく浮薄となって、浮き足立つからだ。
 この世での「心の法則」は、安易さが直ちに「心の動揺」となって、現実に具現されてしまうことである。

 そして、これらの「動揺」が齎(もたら)すものは、例えば業(わざ)も小さくなり、早い業、軽い業に偏(かたよ)ることである。
 その上で、これで「よし」と自負している点である。

 一方、重い物を持てば、重さゆえに、沈着冷静となり、打ち出す業も確かなものであるといわれている。更に、重い物を軽く遣えるようになれば、心に余裕が生まれ、物事を冷徹に見据える見識が養えるとしている。同時に、心身が養え、一石二鳥としている点である。
 ところが、重いものを軽く遣うと言う技術は、「此処まで」である。それ以上のものはない。

 それは、軽い物を重く遣う業において、一歩遅れを取っているからである。
 重い物を軽く遣うことは、肉体的な鍛錬により、これを養成する事が出来る。肉体を酷使し、健康を害さない程度に鍛えていけば可能なことである。

 ところが、軽い物を重く遣い、重いものと同じ効果を齎す業は、その業自体が、技術的な肉体鍛錬で解決できないからである。何故ならば、軽い物を重いものと同じ効果を導き出し、それと同等にすることは、単に三次元的な技術でないからだ。これを三次元技術で解決しようとすれば、忽(たちま)ちのうちに、姿勢や態度の乱れが生じるからである。

 この世という顕界(げんかい)での行為は、常に肉体を関与して行われる。特に、物理的な法則に負うところが多い。したがって、重い物を軽く遣う事は肉体の鍛練で解決するが、軽い物を重く遣う行為は、肉体の鍛錬では如何ともし難い。
 芸事の練習と言う行為は、功を練り上げ、それに肉体を馴染(なじ)ませ、馴染むことにより特殊な筋肉が発達し、その筋肉により普段使わない筋骨が、へこたれない体力というものを養成していく。したがって、これまで重かった竹刀などでも、練習によりカバーすることが出来るようになり、最初重いと感じていた竹刀も、軽く使いこなす事ができるようになる。しかし、「軽く使える」というのは、此処までである。それから先がない。つまり、肉体の辿り着く、此処が終着点である。

 「重い物を軽く遣い、軽い物を重く遣う」という、相反する行為を実現させる為には、それに用いる長短軽重を超越しなければならない。何(いず)れかに偏(かたよ)らず、自(おの)ずから変化を齎して遣うことこそ、長短軽重が超越できるのである。
 つまり、肉体信奉者のように、「体主霊従(たいしゅれいじゅう)」に陥るのではなく、また気の信奉者のように、「霊主体従」に陥るのでもなく、何れにも偏ることなく、「中庸(ちゅうよう)」を保ち、肉と魂を相半分にして分離する「半身半霊体(はんしんはんりょうたい)を構築し、心にも肉体にも住することなく、自然へと帰着する境地を確立させるのである。これにより、こだわることもなくなり、あるいは固(こ)するところも消え失せ、円融無碍(えんゆうむげ)の境地に辿り着くのである。

敵が開けば、吾も開き、長さを陰に隠せば、小太刀の術者もこれに順応し、変化するというのが小太刀術の「位置」「動き」の対応である。 杖術対小太刀術の「位置」と「動き」の遣り取りで、術者は間合を決定する。剣の修行とは、「活機」を窺う修練なのだ。

 

●能動と被動

 人生には「繋(つな)がれた生活」や「束縛された生活」あるいは「奴隷に落ちだ生活」というのが、現世には渦巻いている。
 自分は繋がれていない。自分は束縛されていない。自分は奴隷などではないと豪語して見ても、大なかれ少なかれ、何かに繋がれ、何かに束縛され、何かの奴隷に成り下がっている現実に思い当たる。つまり、これが何かに繋がれるという「柵(しがらみ)」である。

 現代人は、捨てるものを本当に捨てず、捨てなければならないものを、いつまでも後生意大事に持っている生き物である。
 奴隷といえば、「黄金の奴隷」を筆頭に、拝金主義や金銭至上主義に固執(こしゅう)し、それに振り廻され、奔走している側面が否めない。また「色」に、ほだされる事実も、否定できない。このように、現代人は何者かに雁字搦(がんじがら)めにされ、柵を引き摺(ず)って生きているのである。ただ、こうした現実を背負いながら、激しい自覚症状を催さないだけなのである。

 しかし、その現実の裏は、働き盛りの男どもが、家庭という檻(おり)に繋がれ、動物のような束縛された生活を強要されているのである。誰もが、こうした現実に薄々気付きながらも、それを思い出すまいとしているだけなのである。そして、それはそれで、「よし」とする生活をしているだけなのである。何かに妥協して生きる社会が現代でもある。

 その一方で、真の「解放」とことが叫ばれている。しかし、「解放」というからには、何かに寄り掛かり、凭(もた)れ掛る生き方から解放されなければならない。この寄り掛かり、凭れ掛りの生活の中では、自己が、自己ならざるものから使役される生活が延長線上にある。その生活の多くは、外の物に動かされている生活である。

 その多くは、社会や俗世の仕来(しきた)りであったり、世襲であったり、打算的な利害から、多忙と徒労を招き、自己矛盾に、エネルギーの効率の悪化から益々拍車を掛けるという境遇に置かれやすくなっている。その元凶は、他と比較する、他と競争するという競争原理に中で、客観という理知の概念により、みな外に向かう眼で、己自身をコントロールしようとしているからである。
 己が、己以外の、己でないものに縛(しば)られ、動かされれている現実は、まさに「他律的」あるいは「奴隷的」という他あるまい。

 では、何故こうした他律的かつ奴隷的生活が余儀なくされるのか。
 それは「生」という本質を見失い、「生」を物質的豊かさに求めているからだ。もともと「生」は、自由自在なる存在であった。それを外部に向けて奔走したとき、いつの間にか、内なる自己に眼もくれなくなり、外部の自分を内側に取り入れて、更には外をも、自分の内部に取り入れて、自主的自由を失ってしまったのである。この喪失に、現代という時代はあるといえよう。

 一方で、外に縛られずに生きる生き方がある。
 理知的立場は常に、相対的な立場を作り上げてしまう。ものを二つに分離して考え、善と悪、美と醜、静と動、右と左、前と後、吾と彼、外と内、生と死というように、分離し、比較するのである。しかし、もともとはこうしたものは統一して働いてきたものであった。二つに隔ててしまえば、両者は常に二つの固体になるが、本来は一つの事実の中に結ばれた「一体」としての働きを持っていた。

 しかし、一つの事実を二つに分離し、それぞれに隔離してしまえば、離れ離れに置かれた二つの独立したそれぞれは一見無関係な、独立した個体のように映る。

 さて、ここで例え話を持ち出すとするならば、いま一隻の舟が、船頭の竿(さお)に押されて動いているとする。押す竿と、押される水とは、眼で見たところでは、二個の存在のように映る。それぞれは独立した個体が関係し合っているように映る。
 しかし、この状態で「在(あ)るもの」は、「舟が動く」という一つの事実だけである。そこでは、竿と水とが「一つ」になっているのである。「一つ」にならなければ、舟は動かない。眼で見ている限りでは、「竿」と「水」というふうに別々の個体であるが、「舟が動く」という働きを見れば、それは「一つ」なのである。

 物体が動く。人が何者かを動かすという行為の中には、能動を意味する押すものと、被動を意味する押されるものが一体となったとき、一つの「動く」という事実が出現するのである。したがって、竿と水の関係は、その現実の二つの要素、二つの項目に過ぎないのである。つまり、物は二個だが、動きは一つなのである。動きにおいての現実は、「一体」ということが分かるであろう。

 現世を、いま生きている現代人は、生きて行動をするという事実は、常に「一体を経験している」ことになるのである。この一体という「交点」が、そもそも真の現実なのである。しかし、目で見るときには、これが二個になってしまう。独立した二個のものとして眼に映る。つまり、此処にこそ、道元禅師(どうげんぜんじ)が言った、「汝、眼に誑(たぶら)かされる」という虚構が存在するのだ。
 そして多くの現代人は、この虚構こそ、「ただ一つの真実である」という先入観を抱き、自己の殻(から)に閉じ篭(こ)もった固定観念で、物事を考えているのである。

 そこに横たわるものは、世の中の処世術、人と人との交際、あるいは役職での上下関係、日常の暮らし方、家族との接し方、苦労や疲労の打開策。こうした諸々が、活機を失わしめ、生きた働きを阻害しているのである。

 かつて、武術哲理に基づいた古人たちは、「敵の攻撃の真正面に立つべからず。常に斜めに向かえ」と教えた。また、ある古人は、「大敵に向かって真正面に立つべからず。吾より攻めるべからず。敵の来るのを迎え撃て」と教えた。この教えを吟味すれば、やはり「位置」と「動き」を読むことを教えているのである。

 これは応用篇として、現代社会に当て嵌(は)めるならば、喩え、大勢や多数の意見が誤っていても、大勢に抗(あらが)って、真正面に立つのはよくない。これでは不利になる。むしろ斜めに構えてそれに立ち向かい、大勢に乗りつつ、側面から撃破するのがよいといっているのである。また、こちらから攻めては、多勢に無勢の場合は不利である。先方の攻めてくるのを待って、充分に誘い込んだ後に刺殺するのがよいと教えているのである。

 

●無分別智への開眼

 固定観念を誘発する元凶は、「分別知」である。この分別知の「知」で、物事を見る限り、これは「肉の眼で見ている」ということになり、眼で見る立場の延長を、私たちは肉の眼で確認しているのである。つまり肉の眼の確認は、「目で見る立場の延長」であり、単なる整理・整頓に過ぎないのである。
 「知」は常に二つの立場に分裂することを要求する。二つの立場を即座に作り上げてしまう。

 一方「生」は、常に一つの事実に向かおうとする。しかし、もともと一つの事実を、「知」によって分裂させ、二つに引き裂くが分別知であり、知識である。つまり、分別知が知識を作り上げ、その知識から非道なる無理が出てきて、いつも「生」を縛り、「生」を蒼白(そうはく)に追い込み、痩せ衰えさせるのである。
 現代社会にはこうした側面があり、柵(しがらみ)という固定観念を持ち、「知」によって精神的窒息に追い込まれる世の中でもある。そして、多くの現代人が勘違いしている物質的豊かさの恩恵は、「知」によって助けられる、「物質生活」の、便利さ、快適さなどの日常の側面だけに恩恵の眼を向けているのである。

 しかし、「生」の観点から云えば、上下にランク別の階級はなく、貧富の差もなく、総(すべ)てが無分別である。この無分別の最たるものが、「大自然」であろう。大自然には、分別知など何処にも見当たらない。一切が無分別智(むふんべつち)で覆(おお)われている。大自然の前には、いかなる生き物も無力である。それに逆らうことは出来ない。

 そして、本来人間というものは、無分別智の懐(ふところ)に抱かれて、日夜これを大自然から生々しい現実として教え込まれ、現実的には、我と物、我と彼とは、常に一体であるという働きの中で、それを感得しているのである。それは有意識であろうが、無意識であろうが。

 こうした一体なる事実は、実際には眼で見ただけでは分からない。また、「心で見る」というものも、実際には眼で見えたものを、心の中に置き換えただけのことである。
 一口に、「心眼」といってみたり、「心で見る」といってみたりはするが、実際には肉の眼で見えたことの焼き直しに過ぎない。つまり、このようにして、心に見えたものは、肉の眼で見た、そのままを焼き直しているに過ぎないのである。したがって、心眼は、心の眼で見たものではなく、「知」の分別知から出てきた、主体的に納得するという、そうした行為に過ぎないのである。

 これでは、「心眼」などと称して、得意がっていても、結局、分別知の「知」の延長に過ぎないのである。しかし「知」は心に残るという悪しき唸(ねん)を引き摺(ず)る。唸が曳(ひ)けば、「残念」がのこる。残念は、寂(さび)しさを引き摺る。寂寥(せきりょう)を齎(もたら)す。本来、寂しさは忘れるのがよいが、忘れようとして忘れられるものではない。忘れよう、忘れようとすれば、益々残念が残る。この残念は心に一杯に充満する。したがって、「忘れよう」と働いた唸は、いつまでも残念となって残る。

 本来、「忘れる」とは、心を空(から)にすることである。空になることにより、人間はあらゆる残念を忘れることが出来る。心がそれられ満たされ、恨みや憎さが充満しているときは、忘れたと自分で思っていても、忘れたことにならない。深層部で残念が燻(くすぶ)っているのである。これは心から残念が消去していないのである。
 忘れようと意識することで心は空にならない。忘れよう、忘れようという心の焦りが、実は残念の実態である。忘れようとするのは心が空になっていない証拠である。心を空にするということは、心すら忘れてしまうことであり、心にも気に留めないことを云う。心が「無心」であれば、それは「忘」ということになる。

 「忘」とは、無心になる心であり、忘れようと力んでいては心は中々空にはならない。「忘れよう」と念ずる心が、つまり「有心」であり、無心とは正反対の心である。この正反対の心が、有心を招き、残念な気持ちを逆撫(さかな)でしてしまうのである。

 何事かに捉われる心を「有心」という。思いを巡らす心を「有心」という。無心になりたい、無心になりたい、無心になってただ一つのことに打ち込みたいという心は、有心から発した心で、無心とは無関係である。
 無心とは、何処まで突き詰めても無心であり、元来、「無」をもって、無心であり続けることは不可能である。無心という概念の二つがあり、その何れかを捨てて、無心になるということは有り得ない。二者のうち何(いず)れかを選択して起った心は、則(すなわ)ち紛(まぎ)れもない「有心」であり、無心と思い込んでいる、何れかの片割れである。こういう「片割れ」に無心は存在しない。片割れの心こそ、自他を選別する心であり、この取捨選択の中に、つまり無心は存在せず、大いなる有心であり、この有心の正体は、「妄心」なのである。

 そしてこの妄心が、「無」という、行(ぎょう)らしい概念を植え付け、人はこの概念に振り回されて、愚かしい意念や作為をもちい、この「念」に振り回されているという実情がある。それは分別知から出た、「無」という言葉の意味であり、この意味は、本来無とは無関係なのである。
 そこで、無分別智による「開眼(かいげん)」が必要になってくる。

 

●開眼へ至る道

 一般に武術や武道の世界で言う、「開眼」などという行らしい言葉を使うと、それは何か遠い先の、ある特異な境地を指しているように映る。
 しかし、「開眼に至る道」は、そんなところにあるのではない。ごく普通の、日々の生活の実践が、つまり開眼に至る道なのである。 私たちは、「奥儀」とか、「秘伝」という言葉で、これが曇らされ、それを自覚していないだけなのである。

 そこで、わが西郷派では、自覚せずに遣(や)っていることを、「他力一乗(たりきいちじょう)といい、自覚的に気付くことを、「悟り」という名で呼んでいるのである。これが「開眼(かいげん)である。開眼への自覚は、もともと自分自身の裡側(うちがわ)にある。自分の裡側に、気付けばよいのである。
 それは、何も難しいことではない。気付かぬことを気付けば済むことなのである。また、難しいことを自覚するのが難しいことであって、これ自体は、何も難しいもことではない。

 人間が日々精進として遣(や)っていることは、基本の集積であり、この「日々遣っている」ことが、実は自己の本質であり、本然(ほんねん)なのである。

 主体的真理というものは、現実の真相の中に存在し、「生の秘密」に直入することが、つまり武術では「道」というのである。武術の修行目的は、「生の秘密」を解き明かすことであり、この解明が、「悟り」なのである。
 しかし、これを分別知の「知」で捉えようとすると、いつまでたっても捉えることは出来ない。

 それは、「知」の方向が分別知に委ねられ、それに二分化の追加が加わり、発展を目指して行動するから、そこには益々細分化されたものばかりが出現されることになる。これは、「生」の方向や、「生」の真理とは逆方向なので、永遠に悟りに到達することは出来ないであろう。

 方向も逆方向で、益々真理から離れているのであるから、分別知の「知」ではどうしても捉えることが出来ないのである。

 つまり、悟って「わかる」ということは、「知」の立場とは似ても似つかぬものであり、何処まで追求しても、「わかる」ということでは、所詮(しょせん)解明できないのである。
 したがって、真理は「無分別智」の上に存在し、「わかる」という次元において明白になるのである。

 

●悟りには、「無心」というものすら存在しない

 よく、武道では「無心になれ」などといい、これを激励の言葉として遣うことが少なくない。しかし、声を大にして、「無心、無心」を連発しても、それは単に重大な過失の一つであり、また、重要な誤謬(ごびゅ)を、口走る人間が、犯している過(あやま)ちである。

 往々にして、競技武道やスポーツ選手養成の指導者は、この「無心」という言葉が好きである。そして、こうした指導者達が、共通して、犯している愚行は、自分なりに整頓した「主観」と「客観」を見事に使い分けていることである。ここに、多くの指導者の間違いである、表向きは善人ぶっていて、その裏側は、「他人に厳しく、自分に甘い現実」がある。つまり、自他分離の意識である。
 また、こうした指導者が、後進の指導に無心を連発して、起す事件は少なくない。かの相撲部屋も、一種の指導者の「他人に厳しく、自分に甘い事柄」が招いた事件といえる。

 「稽古は厳しいものだ」という。それは理解できよう。しかし、人の生命を奪うような稽古は「猛稽古」ではなく、明らかに「しごき」である。その上、「無心」や「木鶏」が引き合いに出されれば、これに従っている後進者は立つ瀬がないであろう。
 「無心」とは、ある意味で一種の誤解を与える言葉である。

 例えば、「無心」と「一心」の例を挙げ、幾つかの問題を提起をしてみよう。
 本来、「無心」と「一心」は同じものである。それには主観も、客観も存在しないからだ。
 一心に花を見ている姿は、無心に泣いたり、怒ったりする心と同じである。また、一心に相手を説き伏せ居ている弁論は、無心に感情を入れ込む行為と同じである。

 いろいろなことに捉われて、雑念妄慮(ざつねんもうりょ)している。これも無心なるものが起因している。然(しか)も、無心に雑念妄慮しているのであって、所謂(いわゆる)事実上の無心である。

 一般に、武術や武道で、「無心」というと、何か、「無心」という特別な境地があるように勘違いし易く、また、そう思い込んでいるのであるから、間違いを犯し易い。これは無心に、「無心だ」と意識しているだけなのである。「無心」と意識する「無心」の中に、無心が存在していないことは明白であろう。
 則(すなわち)ち無心とは、意識するものではなく、「無心」と意識したら、そこには無心が存在していないことになるものなのである。無心には、「無心」という意識がないのである。

 もし、こうした意識の中に、「無心」があったら、それはまやかしの無心である。そんなものは、一つの意識状態であって、一種の「無心」を意識している、「有心」ということになる。したがって、「無心」と「有心」はイコールではない。明らかに、異質のものである。

 小太刀術に限らず、その他の武術や武道でも、例えば、敵との間合を口うるさくいい、また、間合は、敵との駆け引きも含まれるので、この駆け引きの行為において、間合は存在するものだという固定観念が出来上がっている。そして、こうした固定観念が、「威圧」という意識を作る。

 敵との駆け引きが起こる心は、無心からではない。明らかに「有心」である。有心であるから、「無心」になろうと、もがく心と同義である。敵の進退に従って、有心に心を動かし、作為によって敵を追い詰めようと懸(か)かる。至る所に「有心」が存在する。だが、これは、作為からなる敗北の暗示がある。「既に敗れたり」という、元凶が此処には存在している。

 勝負師は、先を競って、自分の間合を確保しようと画策する。また、自身では、「この間合からだったら、敵を仕留(しと)める事が出来る」と安易に自負をする。これこそ、「既に敗れた心」ではないか。

 人間が「自負」したり、「自称」という言葉を用い始めたら、それはそこで「進歩の止まり」を意味する。
 間合にしても、基本を大事にしている者は、意識による間合を求めようとしないものだ。
 例えば、基本を大事にし、初心の稽古を常に振り返ることの出来る者は、「切り返し」にしても、普段の「切り返し」の稽古から、無意識に間合を掴み取るものである。

 意識により、間合を「どのくらいに取ればよいか」とか、何「処から打ち出せばよいか」などの、意識は有心であるから、こうした有心で動く有意識は、咄嗟(とっさ)の応用が利かず、また、変化に応じることが出来ない。作為で動いているのであるから、「有心」の域から抜け出すことが出来ず、また解脱できない態勢にあるのであるから、臨機応変の動きが儘ならない。此処に、墓穴を掘る要素が存在し、敗北の暗示がある。これま「無心」になろうと、「足掻いた心」の報いである。
 したがって、悟りには、「無心」という心すら必要ないことが分かるであろう。


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