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槍術を含み独特の体捌きを錬成する

別名「一休寺」といわれる酬恩庵(しゅうおん‐なん)。かの有名な一休宗純(いっきゅう‐そうじゅん)は、康正2年(1456)、此処に荒廃していた妙勝寺を再興し、大応国師の「恩に酬いる」という意味を込めて、「酬恩庵」を建立した。
 大応国師は、かつてこの地に妙勝寺を開基した僧であった。
 一休は晩年を倶(とも)にした盲目の美女・森女(しんじょ)の為に、あえて造ったのだった。一休は生前、自らを風狂子と称し、破戒僧を任じたのであった。
 文明13年(1481)、一休は88歳で他界するが、死の前に此処に埋葬するように命じ、廟塔とした。

 一休は、死と向かい合った人物である。死を嗜(たしな)むことを知る尽くした人物である。死を思い、死に、日常慣れ親しめということは、実はそれが人間の義務であるからだ。武を学ぶということは、死について学ぶことである。それが職人芸的な、技術者であってはならないのである。死を明確にするこそ、真に武を学び、その奥儀に触れることなのである。
 そうした意味で、一休は既に「死を嗜む道」を知っていたと思われる。

 

● 槍 の い ろ い ろ ●

菊池槍。短刀を切刃造りにして、造りとしては日本最古の槍と思われる。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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新刀期の袋槍。5尺杖に被せたものと思われる。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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古刀期の袋槍。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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古刀期から新刀期に懸けての笹穂槍。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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古刀期の片鎌槍。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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片鎌薙刀。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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十文字槍。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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千鳥十文字槍。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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槍術
(そうじゅつ)

●西郷派大東流槍術とは

 槍術は、槍または手槍を以て、敵と戦う為の技術であり、西郷派大東流の躰捌(たい‐さば)き全般に、大きな影響を与えている特異な技法である。更に槍捌きは、「多数之位」を修得する上で重要な間合取りの距離感会得となり、多数を相手にする武儀を会得する為には、最重要の登竜門である。
 それは槍には、柄の長さというものがあり、籠槍4尺、手槍6尺、戈槍(一般の槍といわれるものて三角平造り)8尺、長槍10尺以上という、槍の柄の長さに、間合取り(遠間の間合取り)の秘訣がある。

 元々「突く」ために考え出された槍は、構造や実戦用途の面で、日本刀とは大きく異なる。それは剣の間合に比べて、剣を持つ敵から検(み)れば遠く、自分から剣術者の間合を見れば、近いからである。

 槍の特徴は、正対した敵の武器を巻き上げ、払い流してしまう操法にあり、敵の攻撃を一歩後退させながら体を左右に開いて躱(かわ)し、直ちに反撃する「抜き技」、敵が持っている剣に、槍を巻き付けて払い落とす「巻き落し」などの術が存在している。
 また敵の刀や槍その他の武器を二度三度狙って「叩き落す」という術もある。つまり、これは「枕をおさえる」という意味である。

 槍術に限らず、「枕をおさえる」ことを教えている。敵に対して「枕をおさえる」とは、「頭を上げさせない」という意味である。勿論、反撃させないことも含まれるが、敵を後手に追い込んで、先手を取らせないことである。
 敵の技に対し、自分が掻(か)き廻されるのはよくないのである。掻き廻されたり、引き回されたり、追い詰められたりすれば、必ず「後手」となる。後手にならない為には、「枕をあげさせない」のである。

槍術の奥儀は、敵を「もぎ離す」ことである。

 敵が打ちかかろうとするのを抑え、突こうとするのを止め、組み付こうとするのを払い、これをら叩き落し、「もぎ離す」ことを、「枕をおさえる」というのだ。
 しかし、幾ら「枕をおさえる」といっても、敵の行動をこちらが、おさえよう、おさえようにこだわるのは、「後手」である。
 そこで、まず、こちらも敵に働きかけて、敵が技を掛けるように仕向ける。そして敵がこの誘いに乗り、打って出たら、その出鼻をおさえるのである。しかし、これも策略や作戦としてこだわれば、最後は敵の術中に落ちてしまう。問題は、「こだわらない」ことである。

 つまり、「枕をおさえる」とは、敵の企てを一切役に立たないようにしておいて、これを牛耳ることにある。これにより、枕をおさえられた敵は、思うような動きが出来なくなる。動きが悪くなれば、そこには隙が現れ、自ずから敗因が顕れてくるのである。これは意図的に仕向けるのではなく、自然の形としてそうなる運命に道を付けるだけのことである。

 更に、横薙(よこ‐なぎ)ぎにして、「横薙ぎ斬り付け」がある。この儀法は、薙刀のように用い、槍の両刃を水平にして横に薙(な)ぎ払うものである。
 刃物は、刃全体で切るのではなく、多くは「尖先(きっさき)」により、切るのである。したがって槍の場合も、太刀と同じく、「尖先三寸」が勝負処(しょうぶ‐どころ)となる。

 「多数之位」において、槍を最初から突き刺す武器に用いれは、穂先は血脂(ち‐あぶら)で汚れ、刺さらなくなる。したがって、槍術者は最初から敵を突き刺す業(わざ)にでない。人間に血は、「脂」であるからだ。脂は鉄に付着すると、鉄に働きを鈍らせる。特に刃物においては、血脂が着くと切れが悪くなる。槍も同じである。

 槍術者はしたがって、槍を突くという行為に最初は出ない。槍を水平に振り回しながら、間合取りをして、「追い廻し」あるいは「追い落し」を懸けるのである。多数を倒すのが目的であるからだ。そして槍を突くのは、最後の最後である。

槍の名称

/名称図

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 また、西郷派大東流槍術では、通常の槍の操法に加え、約5尺を基本の長さとする「手槍」の技術を重視している。これは5尺杖に、1尺の穂先の袋槍を被せたもので、これが忽ち6尺の槍に早代わりする。この槍は、室内戦において有効である。

 古来、野外の戦場にて、重要な役割を担っていた槍の技法であるが、長さ一間(いっけん)から二間にも及ぶ、長大な槍は室内戦に向いていない。その為に、江戸期に至り、狭い室内での攻防法が確立され、それが手槍や籠槍(かご‐やり)の術へと変化していったのである。
 また、籠槍というのは、大名や家老職以上の者が乗る駕篭の中に、装備したもので、奇襲などのイザというときに、敵と応戦する為に用いられる槍である。

手槍の穂先と鞘

 手槍の操法は、本来が一対一の攻防における技術ではなく、多勢を相手にする時の状況を想定している為、この技法に習熟することにより、敵の攻撃を紙一重で躱(かわ)「受け流し」を会得することが出来る。

 槍の名門「宝蔵院流(ほうぞういん‐りゅう)」に、これらの技術を学んだ、西郷頼母以来の会津藩校日新館で編纂された「会津御留流」は、独自の躰捌きを、他の多数捕りの技法にも応用し、武器に対する「捌き」の原形としているのである。そして槍は、戦場では最も重要な武器になるからである。

長槍での石突いしづき/鐓)の突き。敵の手元が拙い場合、一気に打ち込みの際に、石突で反撃をする。

 剣術の剣士と対峙した場合、敵の手元が未(いま)だ定まらず、槍を上下または斜め上下に動かしている際、これはやりに付け入る隙(すき)を窺(うかが)っている場合である。したがって、こうした剣士に対しては、「三段突き」あるいは「五段突き」などの繰り出して突くことは稀(まれ)である。

長槍の石突(鐓)

 その為に、手元が定まった瞬間、槍術では「石突による反撃」を企てるのである。
 石突による反撃を企てる場合、敵の手元が一応に据(す)わり、然(しか)もその手元が拙(つたな)い場合、敵の手許(てんもと)を一気に返し、反撃を企てるのである。石突による反撃は、敵の手元が拙(つたな)く、例えば正眼から上段に移った時機(とき)などに、その隙(すき)を狙って穂先を返し、石突にて顔面部を突くのである。そして、顔面ぬを突く場合、最も効果的なのは敵の顎(あご)であり、顎は眼に準ずる急所の一部である。

 

●槍術の鍛錬

 かつて槍術を修行する武士達は、敵の顎を貫く為に、室内の鴨居(かもい)から穴の開いた銭を紐(ひも)でぶら下げ、銭の穴を狙って紐が切れるまで、繰り返しつき捲(ま)くり、その「貫通命中率」を高める鍛錬をしたという。
 槍は、単に瞬発力をもって切り出す「突き」だけには止まらない。貫通命中率を高める為には、単に突き出すだけでは、貫通の効果が生まれない。貫通効果を高めるのは、槍独特の「捻り」である。この捻りが、大きな貫通力を生み、破壊力を生むのである。

 槍は、繰り返し繰り出すことによって、円を描きながら螺旋状(らせん‐じょう)の動きをする。この動きが敵をめかけて伸びていくのである。これは丁度、銃砲の弾丸が飛ぶ様子に似ている。つまり、繰り出される時に槍の穂先が素早く回転しているのである。また、回転しながら繰り出される「突き」や「退き」は、敵の眼を撹乱する役割を持っている。

 しかし、その基本にあるのは、貫通命中率を挙げる地道な稽古である。地道な稽古こそ、不完全なる人間が少しでも完全に近付こうとする行為である。

 この世では、自分も他人も完全でないから、常に完全に少しでも近づく為に、地道な鍛錬をしなければならない。これこそが、求道者(ぐどう‐しゃ)の本領である。
 また、この世の現象には、美しいものと穢(きたな)いものが「綯(な)い交(ま)ぜ」になっている。これ「浄穢不二(じょうえ‐ふじ)という。更に、立派に思えるものと、そうでないものも、ごっちゃになっている。

 人間の種類も色々だ。無力で、何も出来ない善良な市民が居ると思うと、その一方でとんでもないことを仕出かす、善良とは思えない行動派の人間がいる。これも、つまり人間が完全ではないからであろう。したがって、完全でなければ完全に近付くように、地道な鍛錬が要(い)る。

 人間の行動には、大きく分けて二通りであろうと思う。それは、実にいいことをするという瞬間があると思う一方、自分の仕出かしたことが愚かで、心無いと思うときもある。同じ人間が善悪二面の局面を持っている。その二面性の矛盾を出来るだけ小さくしながら、そこから自身を批判し、反省し、苦しい鍛錬に耐え、修練を積んで、「これでもか、これでもか」という心の裡(うち)の闘魂がなければならない。この闘魂を、換言すれば「修行」ということになる。

 そして、修行には、その背面に、「神の許し」がなければならない。私たち人間は、「神の許し」を乞う為に修行するのである。不完全な人間が、完全に近付こうとする努力は、まさに神への許しを得る行為である。
 その段階において、叱られ、褒(ほ)められ、行き詰まり、泣き、そして笑うのである。

 また、総ては鋭く、決して甘くなく、それで居て柔軟であり、人間観というものを、生きているうちに、これを、どれほど深められるだろうか。
 この奥深いなる行為が、則(すなわ)ち、修行なのである。そして、この修行を通じて、私たちは「生きている」というのである。ここに「鍛錬する目的」がある。

 貫通命中率を高める為には、ひたすら「突く」以外ない。神の許しが出るまで、突きまくるのである。突いて突いて、神が、「これでよい」というまで、ひたすら突くのである。これが槍術の鍛錬である。そして、そこにはひたむきな、地道な鍛錬の意味がある。日々鍛錬とは、この事を謂う。

 

●地道な鍛錬の意味

 槍の鍛錬は、地道な稽古が基本である。同時に精神の鍛錬も必要である。槍は、他の武道種目に比べて、実に地味で、地道な稽古が必要とされる為、コンビネーションにも派手さが無いが、しかし地道に、努力に耐えるという鍛錬は、同時に精神も強靭(きょうじん)にするのである。此処に精神を鍛える本当の意味があるのだ。

 武芸でも、武術でも、最大の産物は、これらの武儀を通じて、精神を養うことにある。しかし、単にトレーニング的な練習を通じて、勝つ為に「なせばなる」と確信することではない。練習の鬼とは無関係である。

 人は、修行と称して、何故、稽古を積むのか。
 それは稽古をして、更に稽古をし、修練に明け暮れることで、才能に限界があることを知り、それが有限であることを知るのだ。

 更には、自分の前には、強者が居るということを知ることでもある。
 常に「自分の前には強者が居る」という心掛けで稽古に励めば、自分を見失わなくて済む。人は、驕(おご)り高ぶった時に、落とし穴に落ちるものである。落とし穴に落ちる人間は、往々にして、自惚れから、自分の限界を見定めることが出来ないのである。

 私たちは、誰もが、この世の中ではトップの座に坐っていない。
 強いといっても高が知れている。また勝者も、常に入れ替わり、年齢と倶(とも)に、自身の研鑽した技は朽ち果てていく。テクニックなど、高が知れているのである。記録は日々更新され、地位は常に交代させられて、王者が常に入れ替わる。また、これらの者を評する世評も、常に流動的である。その座に長く止まることは不可能なのである。
 したがって、勝者になるとか、王座に就くとか、トップに位置するなどは、幻を追う夢物語である。しかし愚者は、この幻を追いかける。

 幻を追う者は、また、自分が二流以下になって、そこで耐え忍ぶ心構えを失っている人間である。二流以下に耐え忍ぶことの出来る人間は、普段の稽古を怠らない。日々鍛錬を実践する人である。この人は、恐らく、二流に甘んじることへの感謝の心も忘れないであろう。したがって、地道な鍛錬に励む。人が見ていないところでも、もくもくと稽古に励むことができる。

 また二流に甘んじることの出来る人は、優れた観察眼も持っていて、状況判断に卒(そつ)が無い。しかし、自分が一流である自惚れる人間は、その傲慢(ごうまん)から、他人を正しく評価することが出来ない。こうした人間の末路は見えているだろう。
 これは天地開闢(かいびゃく)以来、既に原則として定められていることである。これに例外は無い。それは悲しむべき事実であるが、如何ともし難く、人間の「運命の陰陽」は、既に開闢以来、それが定められているのである。

 しかし、謙虚さを忘れず、二流のランクに甘んじて、日々鍛錬を怠らない者は、容易に運命の陰陽には支配されない。その人は、「自らを知る」ことが出来る人であるからだ。
 こうした人は、人間には、それぞれに能力があり、これは平等で無いということを、実戦を通して知っているからである。

 人間の生涯の中で、永く続くことは、このような認識において、それには誤差があり、他人の評価は、常に流動的であるということの認識である。この事が分かっていれば、他人の評価など一切気にならない。

 つまり、武道界で人間を観察すると、試合に強いといわれる連中は、試合以外を除いた場合に、その点については驚くほど、人間性に欠如しているということである。人間性に欠如している人間は、「練習の鬼」というより、現実把握において不気味なほど、ひ弱であり、人間性も、たいした人物像は形成していないようだ。
 これはアイドル歌手や芸能タレントがそうであるように、内面性は、彼等は、全部が全部とは言わないが、非常に薄っぺらな人間が多いのである。人気者とはそのようなものであり、多くは人間性を伴っていないのである。

 さて、精神を鍛錬することが如何に大事か、これは自身を二流に見立て、そこから出発することが、自分の精神を成長させ、鍛え直すのである。自分を決して、一流などとは思わないことである。だから、一日も休まず、日々鍛錬が必要なのである。また、日々鍛錬する理由が、ここにある。

 何故ならば、武人は、アイドルや芸能タレントで無いから、外面的な評価で、人間は決まらないということを、実をもって知るべきなのである。

 また、自他との違いを知る上で、上には上が居ることを知り、自分を謙虚にして、能力のある人間を見て、素直に「参りました」といえる人間でなければならないだろう。これに意地を張って、意地で対抗することは愚かなことである。意地で張り合えば、直ぐに返り討ちに遭(あ)ってしまうだろう。

 自分の上の強者を見て、素直に「参りました」といえる人間は、やはり日々の鍛錬を怠らないのである。また、優れた人物に対し、「参りました」と、頭を下げられる人間は、実は勝ったように見える人間よりも、内実は上なのである。

 試合に勝つこともいいが、他人と競い合うことだけが能ではない。時には、実力者を見て、これに素直に頭を下げ、「参りました」と、相手を評価できる人間でなければならない。意地を張って、どちらが強いか、勝負で決着をつけるなどは、実に愚かしい限りで、愚者のすることである。
 しかし昨今、こうした手合いが多くなり、強くも無いのに強がり、意地だけを張って、強者を装っているが、これこそ自分で愚者を暴露(ばくろ)したようなものだ。

 本当に内実が充実し、強さを口にせず、武張ることの無い人間は、勝つことのみを相手にして無いので、自分より優れた者を検(み)ると、直ぐに「参りました」と頭を下げることの出来る人である。これは観察眼が鋭いからだ。

 そして、こうした人は、誤魔化すこともせず、あるいは精神的に打ちのめされることが無いので、「そうだ、あの御仁(ごじん)は確かに自分より出来る」と即座に判断できるのである。だから、無駄な格闘はしないのである。

 他人の優れた面を素直に評価できる人は、まず、心が素直で、同時に心が美しい人である。次に、心も正しいから、自分の未熟を悟り、「こんな稽古をして何になるのか」などの疑いを持たずに、日々鍛錬に励むのである。また、自分の存在に感謝できる人である。こうした人は、非存在で無いから、生きている間は、向上が期待できる人である。

 一方、外面的な社会評価に頼ったり、武道雑誌の評論を信じる人は、競争をさせることにより、人は上下のランクがり、精神は二の次であると考える人である。また、人を見下す。これは観察眼が無いからである。
 こうした人は、実に幼児的であり、自分を見詰め直して鍛えるチャンスを見失う人である。その結果、心身ともに、人間が構築されているという事実の見失い、何ものにも耐えられない「畸形児(きけい‐じ)」と成り下がるのである。
 槍術を稽古するものは、この愚に陥ってはならないのである。


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