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このように、西郷派大東流の全ての儀法(ぎほう/技法)は、密教の印伝形式としての行法と密接な関わり合いを持っているのである。 大東流の祖・西郷頼母は、行法の重要性を熟知しており、「密教秘術」や「古神道」の行法を取り入れて、明治中期ころに「合気行法」を完成させた。それが「大東流」だった。これまでの研究によれば、大東流の流名由来は、この頃に定まり、その名付け親は西郷頼母か、その養子であった政治好きの西郷四郎と思われる。したがって、それ以前に大東流の流名は存在しなかった。 その為にも、歴史的には極めて新しく、それだけに、他藩の御留流と比べても、古武術的な要素が薄く、この点が根本的に異なっているところである。つまり、他藩の御留流よりも、極めて「洗練された武技」のなっていることである。 武技の起りは、その起こりが古ければ古いだけ、儀法体系は原始的であり、技法自体も直線的な行動線を持った、野蛮で、泥臭い、武張った「硬い動き」をするものである。 もともと日本柔術は、古流剣術の中の「無刀捕り」より始まっている。無刀捕りは、素手をもって刃物を持った敵と対峙(たいじ)し、それを制する技である。最初から、他の近代格闘技に見られるような、「素手」対「素手」の戦いの中から起ったものではなかった。 したがって、元来が「無手柔術」ではないのである。あくまでも剣の「裏技」であったのである。この「裏技」が、江戸中期になって「柔術」として開花したのが、今日の数少ない日本柔術諸流派なのである。古流柔術流派の多くは、明治中期ごろ、講道館柔道に取り込まれ、その伝統や流派の存続を失ってしまった為である。 江戸中期ごろに起った柔術諸流派は、その起こりが剣術の裏技であった為、剣術と一体になったものも少なくなかった。その為に「柔術」という表現の他に、「小具足」と言ったり、「腰の回り」などとも称した。剣と一体になった「格闘組打」の形式をとったものが多かった。その意味で、例えば、関口流柔術においては、「兜(かぶと)捕り」などという、戦国期に用いられた格闘組打などが、今日にも伝わっている。 一方、会津藩御留流を母体にした明治中期以降の大東流の中には、こうした古流柔術の集約作業を行って結果、かつて柔術諸流派に存在した秘伝や奥伝が少なからず研究され、その形跡を残している。これが、時代に合わせて編纂(へんさん)され、これが、大東流が新興武術といえる所以(ゆえん)である。 一般に大東流といえば、「清和天皇第六皇子……云々」 とか、「新羅三郎源義光伝説……云々」とか、「大東の館での戦死体解剖……云々」が持ち出され、その起こりを天皇家・皇室に求め、皇胤(こういん)の伝承体系を引くものとして宣伝しているが、これは明らかに茶利(ちゃり)であり、明らかに後世の仮託(かたく)である。大東流に、このような皇胤(こういん)に由来するところは一切ない。武技の優と、歴史の古さは無関係である。また、皇胤に関係があるなしに関わらず、これも武技自体の優とは何の関係もない。 こうした、一種の伝説から起った「皇胤伝承体系説」を裏から眺めれば、大東流は明治中期以降のものであり、もともと大東流の「大東」も、それ以前には存在しなかった。その意味で、戦国期の武田信玄の重臣であったと称する、「大東久之助」や「相木森之助」も、後世の茶利である。 さて、わが西郷派においては、「合気行法」を通じて、肉体と精神を修め、また霊肉が混然一体となる境地を、この行法に求めている。つまり、「神人合一の境地」を得る密教的修法である。 合気行法の代表的なものとして、「鎮魂法(ちんこんほう)」や「周天法(しゅうてんほう)」などの存在が挙げられる。 呼吸のコントロール法で、大事になるのは「丹田呼吸法」であり、次に「逆丹田呼吸法」である。これは、単に深呼吸するだけの呼吸法とは異なる。また、禅などの、長い呼吸法とも異なる。この呼吸法を行う為には、その呼吸法の中に含まれる「吐気」および「吸気」の、「間の取り方」が大事であり、これを普通の呼吸法と混同してはならない。つまり、「間」によって、気が上がったり下がったりするのである。また、それに応じて生物電流といわれる、電気線も上がったり下がったりする。 一般に演武会などで披露されている大東流の演武は、その多くが「間」を無視し、呼吸法を無視した観客受けを狙った、単なる芝居的な演武である。この演武の多くは、古流武道を一堂に会したと称される「日本武道祭」などや、「京都大会」あるいはアメリカやカナダやオーストラリアなどの「武道演武会」で大東流の演武会で見られるが、此処で演技される大東流の多くは、呼吸の吐納法を無視したものである。つまり、行法の伴わない大東流柔術の演武である。 その為に、演武者の主役である「術者」が、受け者の重みに引き摺(ず)られて、転げると言う醜態を曝(さら)したり、掛け技・不十分で、「甘い」という状態が多々見られるが、これは気が、演武そのものの演技に注がれている為、掛け捕る瞬間の発気(ほっき)である「吸気」が出来ず、気合をかける息を吐いてしまった状態になっているか、あるいは息を止めた状態になっているからである。 形だけは、他の柔術に比べて、非常にユニークであり、また斬新的な一面がある為、演武者の観客受けはいいようであるが、実戦では、こうしたものは殆ど役に立たない。 また、両手持ちから入り、敵に背後を見せて転換する「四方投げ」は、護身的に見て、掛け辛いもので、気の落としを間違うと、掛け捕った敵から、逆に術者が返されてしまい、頭上を地面に叩きつけられてしまう結果となる。転換の場合に、敵のとって腕を術者の背後に廻すことからである。 つまり実戦では、「四方投げ」一つを行うにしても、合気行法によって呼吸の吐納法を会得し、気を下げる「術」を知っていなければならないのである。また、躰動法(たいどうほう)という、「うねり」や「絡めつき」を起す「術」を知っていなければならず、これを知らずに行うと、返り討ちにあい、無慙(むざん)に敗北するのである。 また行法は、高い効用を持つ反面、人間の心や精神に大きく作用する為、常に危険が伴うので、こうしたことも知った上で、吐納法(とのうほう)に間違いが起らないようにしなければならない。 よって、行法を行うに当たっては、適切な指導者を持つことが望ましく、自己流の解釈を慎むことが絶対条件となる。 次に、段階別によってそのランクを定める、わが西郷派は、密教的な印伝形式を採(と)って階級が上がっていく為、そこの「礼」というものが必要になってくる。「礼」とは、「礼儀」であり、この礼儀の欠けた者は、このランクに進まれず、基本柔術のままで何年も放置されたままとなる。これでは、進歩は望めないであろうし、精神的にも、人格的にも向上が見られないであろう。つまり「礼」とは、「心」に回帰するもので、行法を学ぶ為の真摯(しんし)な心掛けが大事である。心掛けの至らない者は、この修行においては停滞する。 こうした停滞した状態を避ける為に、わが流は礼儀を重んじる。
●西郷派大東流の掲げる不文律 「道」を掲げてこそ、そこには「秘伝」があり、また、「奥伝」がある。これは民主的で、誰でも平等に与えられている、公正・公平な「競技する」ものとは異なるからである。 したがって、「秘伝」や「奥伝」の中には、民主的な協議によって作られたものは存在せず、あるいは話し合いによって、何某の技が出来上がったというものも存在しない。 そこで、わが流は密教的な印伝形式を、日本古来の伝統である「不文律」に求めるのである。特に、武術の世界では、この「不文律」は決して無視できないものである。 不文律の条件は、古人が実戦経験の中から身に付けた「数々の教訓」であり、無用な混乱を起こさない為の智慧(ちえ)である。この「智慧」において、智慧が発揮されている間、物事の本質を凝視(ぎょうし)することが出来る。これは実戦経験を積んだ結果からの「教訓」であるからだ。 伝統武術の根源に置かれるものは、その流派の流源に遡(さかのぼ)り、その流れの源を拓(ひら)いた流祖が体得した「武技の優」に主体が置かれるものである。その流祖が「打ち建てたもの」の中には、必ず何かが存在する筈(はず)である。その「存在する筈のもの」に、何らかの価値観を見つけ、それを認めた者が集まって集団を成したものが、「流派」である。 「流派」には、人の組織がある。人の集団がある。その集団はその後、更に武技を洗練させ、あるいは斬新なアイディアと考え方を取り込んで、時代に合わせて次々に変化し、対応していった。そして、一つの集団が形成された背景には、流祖以来の伝統が息づいている筈である。つまり、この息づく「息吹(いぶき)」が智慧であり、この智慧は、決して曇らせれはならないものである。 また、武道オタクの如き輩(やから)に振り回されてしまってはならないものである。この「智慧」に、第三者の評論は無用なのである。此処に権威主義の伝統がある。この伝統こそ、その道を歩くものだけに与えられた特権といえよう。 正しい意味での権威主義によって立つべきものが、「立命」であり、この立命の支柱を為(な)すものが、各ランクに設けられた「智徳」というものである。 わが流は、この「智徳」をもって、不文律に回帰するのである。 現代流に言えば、「言葉」とは使い勝手のいい、便利なものである。その便利さゆえに、誰もが言葉を吐き、したがって言葉の種類も様々なものがある。その便利な言葉を使って、不文律などというと、閉鎖的な封建支配体制の悪しき因習だと見下したり、伝統を重んじる態度を、巧妙なゴマ摺りだと言ってのける輩(やから)が居る。 しかし、言葉は便利なだけに、その用い方やその人の知性の程度で、意識の状態が表面に滲(にじ)み出るものであって、人を悪罵(あくば)する態度の奥にも、その人の利害が絡み、当人の売名行為や自己顕示欲や利益誘導が絡んでいる場合が少なくない。 さて、行法を学ぶ為には「礼」の意識が必要だと言ったが、これを逆の面から見ると、「礼」を欠いた人間ほど、各段階のステップを踏破することが出来ず、常に基本技の段階で足踏みしているものである。 また、各段階を踏破して行く為には、力量が問われ、技量が問われ、心身とともに謙虚な態度というものが必要になってくるが、その態度の根本には、「礼」の意識がなければならない。 しかし、作法が礼の意識から始まっている以上、作法ばかりが重視されると、そこには定形化が起り、固定化が起り、教条化が起る。そして、それがやがて堅苦しい規律になったり、規則になったり、法令になったりする。最早(もはや)こうなると、そこには自由がなくなり、息苦しいものになってしまう。 こうした欠落傾向に拍車を掛け、これを制御するものが、「見識」と「感覚」である。見識が養われず、感覚が鈍く、物事を観察する目の疎(うと)い者は、印伝形式の各ステップを踏破することは出来ない。それは礼の「礼」は、礼儀から起っているからだ。 礼儀の「儀」は、「方式」であり、「儀式」であり、「決まり」である。つまり、会得する為の法則である。 したがって、「御式内」を単なる礼儀作法の「決まり事」と見下すのではなく、この法則は、武術と密接な関係にあることを熟知しなければならない。 しかし、行法が単なる修法と異なる為、これを知り、理解しているだけではどうしようもない。実践者でなければ、行法は成就しないのである。決まりを知り、これを行ってこそ、「神人合一」が得られ、その側面を知っているだけでは要を為(な)さないのである。その為には、健康であることも大事であろうし、これを受け容(い)れる知性も必要であるからだ。 そこで、行法を行う為の基礎体力と、体質の良さが問われてくる。 「世間」とは、人間社会を呼称するものであるが、そこには人が集まるだけあって、いろいろな情報が飛び交っている。情報だけでなく、人の動く世間では、伝染病も飛び交っている。 つまり、「体質」とは、病気に罹っても直ぐに直る、躰(からだ)の「質」をいうのである。行法では、この「質」が重要になる。健康体でなければ、「行法」は出来ないのである。腰痛や坐骨神経痛に悩まされ、痛い腰を引きずっていたり、肥満の体躯に阻(はば)まれていては、各段階のステップを踏破していくことは出来ない。 そもそも人間は、生まれ堕(お)ちる際、三焦の「火」によって、呼気を吐き、死んで逝く時に、吸気によって息を引き取る。そして、その息を引き取る時機に必要とされるのは、「末期(まつご)の水」である。この、人の一生を振り返っただけでも、「火」と「水」の役割は重要で、これを維持するのが「食」である。ここに人体が「食の化身」といわれる所以がある。
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