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腕節棍は、一般的には空手等で言う「ヌンチャク」のことであり、西郷派大東流腕節棍と、空手のヌンチャクの違いは、ほぼ同質のものを遣(つか)いながらも、その運動法と使用法(「握り手」の部分の柄位置が異なる。空手でのヌンチャクの握り手は端柄であるが、わが流の腕節棍は紐の連結部近くを掴み、その遣い方は杖術と同じである)において違いがある。 まず、西郷派大東流腕節棍の場合、二本の棍(こん)を繋(つな)ぐ紐(ひも)の長さを、若干長くして遣い、それを節のある「杖」として遣い、杖捌きを会得する躰術(たいじゅつ)として、これを用いる。 杖の足運びは「足心蛇行(そくしんだこう)」と言う特異な、蛇のくねるような足跡の足運びであり、また、その躰動法(たいどうほう)は「足心打行(そくしんだこう)」と言う、足の裏の足心を裡側(うらがわ)の踝(くるぶし)に叩き付けるようにして進退する特異な躰動法(たいどうほう)を行う。そして、90度並びに180度の転身の場合は、躰全体の重心を、足心に置いて拇趾球(ぼしきゅう)の位置で転身を行う。 上半身の動きについては、一見空手のヌンチャクの動きに似ており、「風車」等の「廻し」や「胴払い」「あや振り」などを行うが、これは杖術で言う「水車」や「大車」であり、腕節棍の動作においては、杖術を完成させる為に通らなくてはならない「躰捌き」と「手頸(てくび)の返し」等を会得するのである。 つまり腕節棍の「躰動法」は、全身を使っての「うねり」であり、合気杖に至る為の基礎的な動きをマスターするのが躰動法であり、既に腕節棍自体が「小さな杖」と考えるのである。また、腕節棍は「型の稽古ではなく、その究極の目的は、杖術や棒術に発展する全身のうねりであり、この「うねり」を自己の身体に発生されることを目的として稽古するのである。これが腕節棍の稽古であり、また躰動法を用いる為の最初の関門といえよう。
棍(こん)は腕の長さを持つ「杖」のことであり、肩から肘関節までの「上腕骨」と、肘関節から手根骨までの橈骨(とうこつ)・尺骨を腕節に見立てた棍であり、関節部を紐(ひも)で繋(つな)いでいると言う形体をとったものが腕節棍であるす。 したがって、わが流の杖術を学ぶためには、基本として腕節棍の基本型のマスターがあり、その順番は腕節棍→杖術→棒術→槍術あるいは薙刀術(なぎなたじゅつ)となる。つまり腕節棍は「長もの」という武器術を会得する為の一番基礎的な「躰捌き」を会得するために基本儀法なのである。この基礎儀法を学ぶことにより、杖術以降の儀法へと発展する。したがって、杖術や棒術、更には槍術を学ぶには、腕節棍の稽古を飛ばして、先に進むということはあり得ない。
●腕節棍の戦闘思想と大東流杖術・大東流槍術そしてその奥儀は「合気槍術」であり、合気の躰捌きは、この合気槍術に至って多数捕りの完成を見る。多数の位は、槍術によりその制空圏が確保され、この制空圏の確保なしに、槍術の奥儀に迫ることは出来ない。 西郷派大東流槍術は、西郷派大東流杖術の五尺杖の上に、約一尺の刃渡り(【註】穂先きから槍首下口金)の「袋槍(ふくろやり)」を被せた六尺棒の、室内戦の躰術であり、室内の中で六尺の長さの袋槍を自在に遣いこなせる事が「合気杖」の躰術となる。
●西郷派における大東流腕節棍の検定わが流においては、杖術や棒術を学ぶ基礎過程として「大東流腕節棍」を置いている。したがって、この基礎過程において、腕節棍検定合格者のみが、次のステップである杖術ならびに棒術へと進むことが出来る。また、腕節棍の基礎過程を会得しない者が、杖術や棒術へと進むことは、わが流では絶対にありえない。基礎過程が終了しない者は、仮に、わが流の師範や指導員と雖(いえど)も、「棍法課程」には進むことが出来ない。 つまり、柔術やその他の分野において、わが流の師範や指導員資格を取得する者でも、腕節棍の基礎検定の合格者でなければ、杖術や棒術、更には槍術の修得は出来ないことになっている。 棍法と、一般柔術課程は、その躰動法において大いに異なるのである。柔術は躰動法が出来なくても、ある程度まで進展させることは出来る。しかし、「うねり」を伴う、合気は別である。これを会得するには、躰動法が必要不可欠である。 ちなみに、西郷派の「腕節棍」と、空手の「ヌンチャク」の違いは、握る位置の違いにある。
上記の腕節棍と空手のヌンチャクの握り方の違いについては、同じ武器を使いながらも、その「握る位置」の違いによるものであり、わが流では腕節棍を、次段階の杖術や棒術、更には槍術に繋(つな)がる基礎的な鍛錬法として、基本業修得法においているのである。 腕節棍の検定合格者は、杖術へと進むことが出来、また杖術を発展させた「合気杖」や棒術、更には槍術へと進むことが出来る。そして槍術の会得こそ、「合気槍術」となり、これが多数捕りにおける「躰捌き」となるのである。
さて、わが流では腕節棍の検定を行い、この合格者に限り、武器術・腕節棍と杖術を学ぶ資格を得る。腕節棍の検定における「躰動法」による躰捌きと、合格タイムは次の通りである。
【註】なお、この合格タイムの基準は、「スヌケの腕節棍」の重量が320gのものを遣った場合の合格タイムであり、一般の樫の軽いヌンチャク(重量:220g前後)を遣っての合格タイムではない。
武器術・腕節棍は「躰捌き」と、腕節棍自体の操法の「早さ」を問題にする武器術である。躰捌きが完璧で、腕節棍を遣う操法が、「正しく」かつ「早く」なければ、この基本に忠実であるとは言えない。遅い、のろまな動きで、なおかつ頭の中で、「次はどう動いたらよいのか」などと一々考えて動いているようでは、何の意味もなく、また実戦においては敗北者となってしまうだろう。 つまり、潜在意識に刻み込み、一々次の動きを考えるのではなく、自然の動きが、迸(ほとばし)るように出てこなければ、術者としての資格はなく、また杖術の過酷な「手頸を返す動き」にも耐えられないのである。腕節棍の修練は、「型の暗記」ではなく、動きを潜在意識の中に刻み込むことが目的であって、この「動き」を次のステップである、「杖術」へと繋ぐことが修行の目的なのである。 特に、腕節棍の操法は、力で「振り回す」という次元のものではなく、手頸(てくび)を返しながら、手頸関節の手根骨が自在に、機敏に動くということが、次の杖術へのステップとなり、この基礎的な土台が正しくなければ、杖術(【註】わが流では「五尺杖」を用いる)や棒術(わが流では「六尺棒」を用いる)においても成就することは出来ない。力技に終わり、そこで挫折してしまうからである。 これまでにおける、わが流の門人で腕節棍・基本型検定の合格者は、僅かに、下記に示す門人の通りである。残念ながら、合格者は師範・指導員や有段者を含めて、驚くほど少ないのである。 今後とも、日々精進の努力を忘れず、一途に鍛錬し、わが流の門人の中から、「うねり」を発気することの出来る有能なる武人が、出らんことを大いに期待する次第である。
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