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袈裟斬りの正しい斬り付けは、切断媒体に対し、必ず30度から40度を侵入角度を厳守し、あとは「日本刀の理(ことわり)」に任せるのである。そして「引き斬り」をすることが大事である。 刀に弾かれることは愚かなことである。また、弾かれた刀は曲げやすく、据え物斬りの経験の少ない人は、よく弾かれて、刀を曲げてしまう。切断物質を切断するということは、弾かれず曲がらないようにしなければならないので、時代劇映画のチャンバラとは異なる。切断媒体が人間であるにしろ、あるいは試し斬りの濡れ巻き藁や竹であるにしろ、大根を切るのとは全く異なっているのである。 日本刀で媒体を切断する場合、「濡れ巻き藁」の場合は、普通、畳み茣蓙(ござ)が使われるが、これを竹の心棒と共に巻きつけ、一昼夜、水に浸し、水をよく吸った、切断媒体を垂直に立てて試し斬りをする。この場合の、「畳み茣蓙表の巻き数」は、二枚程度で、ほぼ人間の首の太さになる。 西郷派の居掛之術(いかけのじゅつ)や、その他の居合術や居合道の流派には、その奥儀として必ず「介錯の術」がある。武家においては、介錯を知るということは、一種の作法を知るということであり、礼儀に適(かな)った作法とされた。 俚諺(りげん)にも「武士の情け」という言葉ある。「武士の情け」という言葉の本当の意味は、二進(にっち)も三進(さっち)も進退窮まって、どうにもならなくなり、「もはやこれまで」となった時、生き恥をさらさずに切腹する武士の介錯に関する「情け」を、こうした言葉に託したのである。 痛みを感じさせずに、苦しませずに切腹する武士の首を刎ねる。これこそが、武家における最大の作法であり、また武士の情けであった。その為に、介錯の作法を知るということは、同時に一刀の下(もと)に首を刎ねる据え物斬りの技術を持っていなければならなかった。 本来、日本刀の刀技は、人間を斬るために鍛錬するものである。試し斬り用の濡れ藁や、竹を斬るために鍛錬するものではない。試し斬りは何処まで行っても、試し斬りの範疇(はんちゅう)を超越することは出来ない。人を斬ることが根底に確立されていなければならない。 これは現代社会から考えれば、些(いささ)か残酷なように思えるが、これくらいの闘志がなければ、この生存競争の烈(はげ)しい人間社会に処して、人より一歩先に出て、あらゆる障害を乗り越え、災難を避け、外敵に勝ち、勝利の道を驀進(ばくしん)することは出来ない。それだけの気魄(きはく)と、闘志は持っていたいものである。 日本刀は何故斬れるのか探求するのではなく、日本刀で斬る技術を持たなければ、これを用いても斬ることが出来ないということだ。 日本刀には、例えば袈裟斬りをする場合、最も斬れ味がいい侵入角というものがある。つまり、「刃筋の正しさ」である。刃筋の角度を誤っては、また媒体との間合を誤っては、どんな名刀を用いて斬り付けたとしても、一刀両断に切断することは出来ない。刃筋を誤った角度できりつけると、大方は弾かれ、そして醜く曲げることになる。日本刀はただ打ち込んだだけでは、弾かれて曲げるだけなのである。 その為に刀技に優れた術者は、まず、敵もしくは切断媒体に触れた場合、茶巾絞(ちゃくんしぼ)りの要領で、柄の手の裡(うち)を絞り込み、それと同時に「引く」という動作を行う。「絞る」と「引く」という動作が伴わないとき、それは単に媒体に当たるというだけのことである。 日本刀は、刀法が悪ければ、元の鞘に戻らないのである。 昨今は、一部の精神修養団体などで、「武士道」という言葉が、やたらめったら使われているが、こうした無差別に武士道を標榜(ひょうぼう)する集団の中には、本来の日本刀の姿や、日本刀に託された精神性を知らず、頃場だけが一人歩きして、安売りのように武士道、武士道と連発されてているが、これは某新興宗教のお題目とは違うのである。武士道を、やたら連発すればよいものではない。
人間が人として、武士道を標榜する場合、その背景には、「日本刀の理」を正しく知っているという裏付けが必要であろう。 また、西郷派の剣はその据え物斬りにおいて、「引く」という動作と共に、「押す」という動作が加わる。この「引く」の動作と共に「押す」の動作を行えば、刃の粒子が結合した先端では、圧力の増加が物理的に加えられることになり、圧力の単位あたりの面積は、最小限に小さくなり、「斬れる」という現象が起こるのである。 単位あたりの面積を極力小さくすれば、そこに懸(か)かる圧力は更に増大される。これを現実の武術の世界で述べるならば、重い刀で斬るか、あるいは先の尖(とが)った鋭利な刃物で斬った場合の方が斬れ味が良くなる。それは中国古代の「龍刀」や、三国時代に登場した関羽(かんう)らが使用した「関羽大刀」などはかなりの重さがあった為に、その重量を利用して、人間の首や胴体は愚か、馬の首や胴体まで切断したといわれる。これは重さを利用して切断方法だった。 ところが、日本刀にはこうした重さはない。重さがない代わりに、ただ侵入角を30度から40度に保って鋭くするだけではなく、これに「引く」あるいは「押す」の動作を加えて、「斬れ味」というものを見出したのである。これが刃に「反り」を持たせ、この反りが斬れ味を生み出したのである。 したがって、中国の刀剣武器の「龍刀」や「関羽大刀」のように重量がなくても、斬れ味だけで人間を簡単に斬ることが出来たのである。しかし、その裏付けは、やはり刀法に熟知することであった。 一方、名刀は鍛えられた刀であり、鍛えることにより、鉄分に含む地鉄の中の炭素を叩き出し、炭素量の調節がうまくいっているからである。 こうした鉄鋼に加えて、島根県鳥上村より掘出された砂鉄で造った玉鋼(千草鉄とも)あるいは出羽鋼を用い、更にはひょうたん型の南蛮鉄が皮鉄に使われ、鍛造された。充分に鍛えられて鍛造された日本刀の研地(とぎじ)の肌は種々の文様を持ち、これは素伸の昭和新刀やサーベルに用いられている西洋刀とは根本的に鍛造法が異なっているためである。 日本刀は単なる殺戮の道具ではなく、世界中の刃物の中でも特異な性質を持っている。日本民族の誇りであると同時に、崇高な精神が宿る神器であり、軽んじて扱うことは出来ない。 かつて、兵法の道においては、太刀遣いを自在にこなせる者を「兵法者」と呼んだ。これは弓をよく射る者を射手と呼んだり、鉄砲がうまいものを鉄砲打ちと呼んだり、槍をよく使う者を槍使いと呼称するのとは違っていた。 わが西郷派では、据物斬りを通して「斬る」ことを修練しながら、平行して日本刀に対する識見を深めていくことこそ、武術家の心得る最重要課題と置いているのである。 道において、貫通するものは、一芸だけではない。一芸だけでは「芸者の芸」で、結局最後は男芸者に成り下がる。そうならない為には、何事も広く知らねばならない。「芸道」に通じている道ならば、そこには共通の根本理念が横たわっている。この共通の根本理念を辿ることで、兵法と共通する一貫した道しるべを辿ることが出来るのである。 しかし、昨今は多種多様化する武道競技の中で、各種目武道は、他流にその共通性を求めたり、他武道から芸道の真髄を学ぶという考え方が稀薄となり、それぞれは自武道自流が最強と決め付けている。あるいは最高の教えであるといって譲らない。 それは「貫徹するものは一(いつ)である」という根本原則を知らないためである。
そして《芸道》においても、《武芸十八般》においても、邪(よこしま)の心を抱いていたのでは成就しないということである。 それは例えば、日本刀の袈裟斬りにおいて、邪なこと、あるいは不正なことを意念して、斬ったとしても、その切り口は間違いだらけで、そのまま、その間違った心の現われということである。これを言い換えると、心が正しくなければ、喩え何とか斬り終(お)せても、その切り口には邪悪なものが漂っているということである。 つまり、「心が正しくなければ」という正義観念は、常に日本刀と共について周り、この正義観念が働いてこそ、日本刀は正しく遣う事ができるようになり、これに邪な心が働いている者は、切断物質の刀の刃が当たっただけで、跳ね返されたり、あるいは刀を曲げてしまうものなのである。 また、日本刀は心の持ち方や、心構えや、目配りや、間合や、足捌きに直ちに反映され、平常心を失うと、そこには狂いが生じるものである。そして、心を広やかに持ち、真っ直ぐに持ち、やたら緊張したり、偏ったり、弛んだり、ともかく「中庸(ちゅうよう)」を失うことを戒めるのである。日本刀には、精神面に働くこうした一面があり、日本刀が単なる、人斬り武器でないことは明白であろう。
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