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大東流の基本となる日本刀の操法

据物斬り


据物斬り
(すえものぎり)

 西郷派大東流では、有段者となり段位が上がるに伴って、日本刀を用いて実際に物を斬る据物斬りの修練を行う。これは「斬ること」により、自らの剣の刃筋(はすじ)を確かめ、目標とする媒体に対して、如何に斬り付けるかの間合を学ぶと共に、「斬り据える技術」を会得するためである。

 斬り据える方法は、一般的に云って最も袈裟斬(けさぎ)りが多く、これは剣道の正面打ち等とは一線を画している。つまり据え物斬りの剣術は、「どうすれば斬れるか」ということに焦点を合わせ、竹刀競技と異なり、小手・面・胴のポイントをとるための打ち込みとは違うということだ。

 普段の剣術稽古では、便宜上、木刀を用いた修練を行っているが、木刀はあくまでも木刀であり、日本刀とは似て非なるものである。
 木刀稽古の中で、幾ら日本刀の操法をイメージしても、それは想像の域を出るものではない。重さも、長さも、反りも、柄(つか)握りの感覚も、あらゆる部分で差異があるからだ。
 近代剣道の竹刀競技に使われる竹刀ならば尚更のこと、代用品を使っている以上、本物の感覚を理解することは不可能あろう。
 木刀や竹刀で、物は叩けても斬ることはできない。

 勿論、木刀を用いた稽古にも意味はあります
 しかし、剣の原点は、やはり「斬る」ことにあり、同じ型を延々と繰り返し、美しい演舞を披露出来るようになったとしても、実際に斬れなければ武術的な価値はないのである。

 従って、実際に日本刀を扱い、物を斬り、その操法を熟知しておくことが、武術の根源へ向かう最良の道であると、西郷派大東流は考える。つまり、日本武術は日本刀の発明により、日本武術が起源したのであるから、日本刀を理解し、これを熟知することが日本武術の会得にも大いに役立つというものである。

 日本刀は、これまでの直剣に「反(そ)り」を造り、反りの発明によって、日本独自の剣術が誕生した。これは、これまでの中国渡来の「剣(つるぎ)」を改良し、日本独特の「刀(かたな)」という発想をもって、特異な儀法(ぎほう)を構築したことである。

 そして、この中に含まれる中心的な斬り方は、左右の袈裟斬(けさぎ)りである。袈裟斬りでは、切断物体を30度から40度の角度で侵入し、これを斬り付ける。この侵入角が、20度であったり、50度であるのは間違いである。袈裟斬りの侵入角は、飽くまでも30度から40度を厳守すべきである。

 袈裟斬りの基本的な斬り付け方は、わが剣を大上段に振り上げ、振り下ろしてからの侵入角が大事であり、これを誤ると切断物質は斬り付けることが出来ない。切断物質が竹であったり、濡れた巻き藁(わら)であったりしても、侵入角に誤りがあれば、これを斬ることは出来ない。

 また、日本刀に馴染みの無い初心の者は、先入観や固定観念から、「日本刀は誰が使っても無差別によく斬れる」といった勘違いをしていることが多いようであるが、日本刀の操作は難解であり、技術の伴わない者が扱っても、その重さに振り回されるばかりで、濡れ藁一束すら斬ることが出来ない。
 日本刀を使い熟(こな)すためには、相応の訓練が必要なのである。

 そして、日本刀を扱うに当たり、構造や作法に関する知識を深めることも重要である。

日本刀の名称

▲日本刀/名称図(クリックで拡大) 刀剣の作図曽川 彩

 袈裟斬りの正しい斬り付けは、切断媒体に対し、必ず30度から40度を侵入角度を厳守し、あとは「日本刀の理(ことわり)に任せるのである。そして「引き斬り」をすることが大事である。
 日本刀は刃筋を糺(ただ)し、正確な折り目をつけて理通りに用いれば、必ずその理において斬れるように作られている。こうした理を無視して、自分勝手に腕力などの力で斬ろうとすると、日本刀は切断媒体を斬り付けただけで、「弾く」性質を持っている。これは侵入角度の間違いから起る。

 刀に弾かれることは愚かなことである。また、弾かれた刀は曲げやすく、据え物斬りの経験の少ない人は、よく弾かれて、刀を曲げてしまう。切断物質を切断するということは、弾かれず曲がらないようにしなければならないので、時代劇映画のチャンバラとは異なる。切断媒体が人間であるにしろ、あるいは試し斬りの濡れ巻き藁や竹であるにしろ、大根を切るのとは全く異なっているのである。

 日本刀で媒体を切断する場合、「濡れ巻き藁」の場合は、普通、畳み茣蓙(ござ)が使われるが、これを竹の心棒と共に巻きつけ、一昼夜、水に浸し、水をよく吸った、切断媒体を垂直に立てて試し斬りをする。この場合の、「畳み茣蓙表の巻き数」は、二枚程度で、ほぼ人間の首の太さになる。
 人間の首を斬り落とせるか、否かは、この二枚の畳み茣蓙を袈裟斬りで斬れるか、否かに懸(か)かる。首が斬れるか否かと云うことは、最後の最後で、介錯をしてやる場合の最終的な目安になるのである。

 西郷派の居掛之術(いかけのじゅつ)や、その他の居合術や居合道の流派には、その奥儀として必ず「介錯の術」がある。武家においては、介錯を知るということは、一種の作法を知るということであり、礼儀に適(かな)った作法とされた。

 俚諺(りげん)にも「武士の情け」という言葉ある。「武士の情け」という言葉の本当の意味は、二進(にっち)も三進(さっち)も進退窮まって、どうにもならなくなり、「もはやこれまで」となった時、生き恥をさらさずに切腹する武士の介錯に関する「情け」を、こうした言葉に託したのである。
 切腹する武士は、ただ自分の腹をかっさばいただけでは、中々死ねるものでない。その為に、「介錯人」を必要としてのである。この介錯をする作法こそ、実は「武士の情け」であったのだ。
 そして、この作法は時代が下ると共に、切腹する武士は、刃を自分の腹に突き立てたと同時に、介錯人は首を刎(は)ねる作法を行ったのである。

 痛みを感じさせずに、苦しませずに切腹する武士の首を刎ねる。これこそが、武家における最大の作法であり、また武士の情けであった。その為に、介錯の作法を知るということは、同時に一刀の下(もと)に首を刎ねる据え物斬りの技術を持っていなければならなかった。

 本来、日本刀の刀技は、人間を斬るために鍛錬するものである。試し斬り用の濡れ藁や、竹を斬るために鍛錬するものではない。試し斬りは何処まで行っても、試し斬りの範疇(はんちゅう)を超越することは出来ない。人を斬ることが根底に確立されていなければならない。
 つまり、日本刀は「人を斬る技術」を持っていなければ、人は愚か、細竹一本も斬ることが出来ないということである。

 これは現代社会から考えれば、些(いささ)か残酷なように思えるが、これくらいの闘志がなければ、この生存競争の烈(はげ)しい人間社会に処して、人より一歩先に出て、あらゆる障害を乗り越え、災難を避け、外敵に勝ち、勝利の道を驀進(ばくしん)することは出来ない。それだけの気魄(きはく)と、闘志は持っていたいものである。

 日本刀は何故斬れるのか探求するのではなく、日本刀で斬る技術を持たなければ、これを用いても斬ることが出来ないということだ。
 素人でも、日本刀を振り回せば、相手が人間である場合、その躰(からだ)の表面くらいは切り傷を負わせることができるかも知れない。しかし、この程度の切り傷では、重症の致命傷や即死に至らしめることはできない。

 日本刀には、例えば袈裟斬りをする場合、最も斬れ味がいい侵入角というものがある。つまり、「刃筋の正しさ」である。刃筋の角度を誤っては、また媒体との間合を誤っては、どんな名刀を用いて斬り付けたとしても、一刀両断に切断することは出来ない。刃筋を誤った角度できりつけると、大方は弾かれ、そして醜く曲げることになる。日本刀はただ打ち込んだだけでは、弾かれて曲げるだけなのである。

 その為に刀技に優れた術者は、まず、敵もしくは切断媒体に触れた場合、茶巾絞(ちゃくんしぼ)りの要領で、柄の手の裡(うち)を絞り込み、それと同時に「引く」という動作を行う。「絞る」と「引く」という動作が伴わないとき、それは単に媒体に当たるというだけのことである。
 更に、当たり、弾かれるという現象が重なったとき、刀は醜く曲がるか、あるいは無慙に刃零して、それが名刀であったとしても、その価値を大幅に減少させるばかりでなく、刀の機能すら失わさせてしまうのである。この最たるものが、「元の鞘(さや)に納まらない」という愚かしい現象である。

 日本刀は、刀法が悪ければ、元の鞘に戻らないのである。
 かつて武士は、切断物質を仮にうまく切断できても、元の鞘に納まらないような斬り方をした場合、それは最大の恥とされた。これは「卑怯者!」と、名指しされたと同じくらいの恥辱(ちじょく)であった。
 本来武士は恥辱に対して敏感であり、日本刀を用いて物を切断して失敗したり、弾かれて醜態を見せた場合、これこそ「卑怯者!」に匹敵するくらいの最大の愧(は)じであった。武士は「愧じ」に対して非常に敏感だったのである。

 昨今は、一部の精神修養団体などで、「武士道」という言葉が、やたらめったら使われているが、こうした無差別に武士道を標榜(ひょうぼう)する集団の中には、本来の日本刀の姿や、日本刀に託された精神性を知らず、頃場だけが一人歩きして、安売りのように武士道、武士道と連発されてているが、これは某新興宗教のお題目とは違うのである。武士道を、やたら連発すればよいものではない。

日本刀の理(ことわり)を知る。

 人間が人として、武士道を標榜する場合、その背景には、「日本刀の理」を正しく知っているという裏付けが必要であろう。
 また、日本刀の斬れ味を何時(いつも)も鋭くしておく為には、ただ刀の手入れを怠らないということばかりではなく、力学的事実に基づいた、「斬る」という裏付けを完全なものにしておかねばならない。つまり、日本刀で「斬る」ということは、逆から力学的に吟味すると、「引き剥(は)がす」ということであり、切断する媒体にかかる圧力が鋭ければ鋭いほど、強ければ強いほど、刃(やいば)の粒子が結合して、切断媒体の分子を引き剥がし、これこそが日本刀の最高の極地となる。

 また、西郷派の剣はその据え物斬りにおいて、「引く」という動作と共に、「押す」という動作が加わる。この「引く」の動作と共に「押す」の動作を行えば、刃の粒子が結合した先端では、圧力の増加が物理的に加えられることになり、圧力の単位あたりの面積は、最小限に小さくなり、「斬れる」という現象が起こるのである。

 単位あたりの面積を極力小さくすれば、そこに懸(か)かる圧力は更に増大される。これを現実の武術の世界で述べるならば、重い刀で斬るか、あるいは先の尖(とが)った鋭利な刃物で斬った場合の方が斬れ味が良くなる。それは中国古代の「龍刀」や、三国時代に登場した関羽(かんう)らが使用した「関羽大刀」などはかなりの重さがあった為に、その重量を利用して、人間の首や胴体は愚か、馬の首や胴体まで切断したといわれる。これは重さを利用して切断方法だった。

 ところが、日本刀にはこうした重さはない。重さがない代わりに、ただ侵入角を30度から40度に保って鋭くするだけではなく、これに「引く」あるいは「押す」の動作を加えて、「斬れ味」というものを見出したのである。これが刃に「反り」を持たせ、この反りが斬れ味を生み出したのである。

 したがって、中国の刀剣武器の「龍刀」や「関羽大刀」のように重量がなくても、斬れ味だけで人間を簡単に斬ることが出来たのである。しかし、その裏付けは、やはり刀法に熟知することであった。
 ちなみに、日本刀の2尺4寸前後で名刀といわれる平均重量は約700グラム前後であり、これ以上重い刀は、鈍刀とされた。鈍刀が重くなるのは、素伸刀(すのべとう)に多く、要するに鍛えられてない刀はどうしても重くなる。

 一方、名刀は鍛えられた刀であり、鍛えることにより、鉄分に含む地鉄の中の炭素を叩き出し、炭素量の調節がうまくいっているからである。
 日本刀に用いられる地鉄は、古来より玉鋼(たまはがね)が用いられてきた。また、「皮鋼鉄」や「心鉄」は、包丁鉄(ほうちょうてつ)という柔らかい鉄が用いられてきた。更に、皮鉄には出羽鋼(でわはがね)を造る際に出る、屑鉄鋼(くずてっこう)あるいは包丁鉄を使用して鍛造された物が最も多い。

 こうした鉄鋼に加えて、島根県鳥上村より掘出された砂鉄で造った玉鋼(千草鉄とも)あるいは出羽鋼を用い、更にはひょうたん型の南蛮鉄が皮鉄に使われ、鍛造された。充分に鍛えられて鍛造された日本刀の研地(とぎじ)の肌は種々の文様を持ち、これは素伸の昭和新刀やサーベルに用いられている西洋刀とは根本的に鍛造法が異なっているためである。

 日本刀は単なる殺戮の道具ではなく、世界中の刃物の中でも特異な性質を持っている。日本民族の誇りであると同時に、崇高な精神が宿る神器であり、軽んじて扱うことは出来ない。
 日本刀の刀法を知るということは、その刀の持つ「太刀の徳」によって、自分自身を修め、また、それに合わせて、世の中も治められるような太刀遣いだ出来なければならないのである。

 かつて、兵法の道においては、太刀遣いを自在にこなせる者を「兵法者」と呼んだ。これは弓をよく射る者を射手と呼んだり、鉄砲がうまいものを鉄砲打ちと呼んだり、槍をよく使う者を槍使いと呼称するのとは違っていた。
 太刀をよく使う者を、太刀遣いと言わず、あえて兵法者というのは、太刀、つまり日本刀をよく遣う者を、全武芸十八般を代表して、「兵法者」と言ったのである。そこにはやはり「太刀の徳」があるからである。

 わが西郷派では、据物斬りを通して「斬る」ことを修練しながら、平行して日本刀に対する識見を深めていくことこそ、武術家の心得る最重要課題と置いているのである。
 また、太刀をよく遣うとは、単に剣術のみに固執するのでなく、あらゆる武技に通じ、あらゆる武器に通じていなければならない。これは「広く知って、わが道に磨きをかける」ためである。

 道において、貫通するものは、一芸だけではない。一芸だけでは「芸者の芸」で、結局最後は男芸者に成り下がる。そうならない為には、何事も広く知らねばならない。「芸道」に通じている道ならば、そこには共通の根本理念が横たわっている。この共通の根本理念を辿ることで、兵法と共通する一貫した道しるべを辿ることが出来るのである。

 しかし、昨今は多種多様化する武道競技の中で、各種目武道は、他流にその共通性を求めたり、他武道から芸道の真髄を学ぶという考え方が稀薄となり、それぞれは自武道自流が最強と決め付けている。あるいは最高の教えであるといって譲らない。
 ここにも現代の武道に取り組む姿勢に、暗い翳(かげ)りが指し始めている。人間に限らず、集団や組織に限らず、自らが最高だと思い上がった瞬間、滅びの影が忍び寄ってくる。人間の思念は、有頂天に舞い上がった時点で崩壊するようになっている。それまでである。

 それは「貫徹するものは一(いつ)である」という根本原則を知らないためである。
 天然自然の造化は妙(みょう)なるものである。茶の湯の道の大家・千利休が、絵の大家・雪舟が、あるいは西行が、宗祇が、更には松尾芭蕉が芸道風雅は自然と共にあり、春夏秋冬を友としてその季節が、総ての花を思うことは、また、総ての月の情景を思うことと示唆し、説明しているではないか。

「一刀両断」と、口で言うのは容易い。しかし「一刀両断」は、真剣勝負と同じ心持ちでないと、決して両断する事は出来ない。
 
 晩年の宮本武蔵が、肥後熊本に足を留め、そこに棲み、細川家の食客となってから、書画をたしなみ、仏像を刻んだことも、また、これは兵法と一貫するところを知り、よろずの道を極めようとしたと見て取れるのである。
 そして《芸道》においても、《武芸十八般》においても、邪(よこしま)の心を抱いていたのでは成就しないということである。

 それは例えば、日本刀の袈裟斬りにおいて、邪なこと、あるいは不正なことを意念して、斬ったとしても、その切り口は間違いだらけで、そのまま、その間違った心の現われということである。これを言い換えると、心が正しくなければ、喩え何とか斬り終(お)せても、その切り口には邪悪なものが漂っているということである。
 このように日本刀は、直ぐ人の心に反映されるものなのである。

 つまり、「心が正しくなければ」という正義観念は、常に日本刀と共について周り、この正義観念が働いてこそ、日本刀は正しく遣う事ができるようになり、これに邪な心が働いている者は、切断物質の刀の刃が当たっただけで、跳ね返されたり、あるいは刀を曲げてしまうものなのである。
 また、日本刀を用いる場合は、疑いを抱いたり、迷いを起すとその心が反映されて、直ぐに刀に伝わってしまうのである。こうした疑いや迷いは、兵法の原理を大きく踏み外す元凶となり、勝利からは遠く離れてしまうのである。

 また、日本刀は心の持ち方や、心構えや、目配りや、間合や、足捌きに直ちに反映され、平常心を失うと、そこには狂いが生じるものである。そして、心を広やかに持ち、真っ直ぐに持ち、やたら緊張したり、偏ったり、弛んだり、ともかく「中庸(ちゅうよう)」を失うことを戒めるのである。日本刀には、精神面に働くこうした一面があり、日本刀が単なる、人斬り武器でないことは明白であろう。


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