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大東流の基本となる日本刀の操法

■ 負けない工夫 ■
(まけないくふう)

●なぜ、「試し斬り」や「据え物斬り」が必要か

 秩序があり、社会ルールが厳しく叫ばれる今日、果たし合いなどは禁止され、多くの武術や武道は、ひたすら真剣勝負の場で味合う、臨場感を放棄し続けてきた。そしてそれは、実際には遣えないものへと退化した。

 ところが西郷派大東流合気武術は、実際に真剣を用い、これを能(よ)く遣う事で、真剣勝負に近い精神状態を味合う武術として活かし続けてきた。
 武術と言うものは、負けたら命を取られると言う非情な意識を体験する事が大事である。したがって勝負は勝つ事よりも、負けないように工夫するべきで、この両者の意味は似ているようで、実は似てない。
 勝つ事のみを追い求める者は、勝敗を第一とするであろうが、負けない事を模索する者は、どうしたら負けずに済むかという工夫をするところに両者の違いがある。その手段や方法を、有形または無形に思念し、工夫する。その結果、体得に至ると言う道筋が出来る。つまりこの道筋を真摯に模索する事が、工夫であり、その工夫の結果、「悟り」に至るのである。

 この境地を仏教的に言えば「菩提」(ぼだい)であり、武術の言うところの「悟り」である。
 西郷派大東流合気武術の「剣の道」は、剣を能(よ)く遣う事によって、人生の意義を悟り、更に能く遣う事によって、天地大自然の理法を悟るのである。これは宇宙の真理に通達することであり、この路程を極めつつ修行する事が武術家には、課せられているのである。

 一道を極めればすべてに通じるところに、道の尊さがあり、これが万道の理に至るのである。

 西郷派大東流合気武術の剣術の極意は、単に剣法の極意に止まらない。この呼吸を以て、有事の軍陣に臨み、あるいはこれを以て社会に還元し貢献するという、まずは人間である事に回帰するのである。

 これこそが万物大極の理であり、剣の道も、また人生の道なのである。そして理合と修行を一致させる事によって本当の「剣の道」の価値があるのである。


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