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槍術を含み独特の体捌きを錬成する

『碧巌録(へきがん‐ろく)』の中には、「一円相(いちえんそう)を問うた公案が出てくる。そして公案は、悟りとは何か、囚われないとは何か、欲と愚かさから離れ、真の自由を得たとき、そこに先人たちの珠玉を観じるとされている。

 「一円相」は、宇宙をも包含するという。自由自在に変化するともいう。しかし、円相のみに固執したら、真意を見失うという。
 では、「一円相」なるものは、いったい何であろうか。

 一円相は、唐の時代、耽源(たんげん)禅師が編み出し、その弟子・仰山慧寂(ぎょうさん‐えじゃく)が、学人教化の手段に円相を用いたことから、中国禅の大事とされている。
 『碧巌録』 によれば、陳操(ちんそう)という役人がいて、この人は禅によく通じた人であった。
 ある日、資福(しふく)和尚に陳操が「一円相の公案」について訊ねた。和尚は黙って空中に、一円相を描いて見せた。
 それを見た陳操は、「そのようなものは、何の役にも立ちません」と反論した。すると、和尚は黙って居室に帰り、戸を閉ざしてしまった。

 この時、陳操はある程度、禅に通じていたので、資福和尚が一円相を示しても、「そんなことくらい知っていますよ」と言うつもりであったのだろう。しかし和尚は、「知ったかぶりをして悟りすましていても、空中にかいた円相に囚(とら)われていたのでは、悟りを得たとはいえないではないか」と言う意味を込めて、無言のまま居室に帰って行かれたのであろう。

 さて、一円相は天地大自然から大宇宙を包含するばかりでなく、その状況に応じては、心の姿を顕したり、あらゆるものに自由自在に変幻するのである。その為に「円相」ばかりに心が囚われたのでは、本当の真意は見逃してしまうだろう。

 かつて剣豪・宮本武蔵は吉岡一門を討ち果たした後、美濃の大仙寺に愚堂(ぐどう)和尚を訪ねたことがあった。そして天地大自然のことについて、教えを乞うたのであった。その時、和尚は何も言わず、武蔵が立っている周りに杖で一円相を描き、そのまま旅に出てしまったのである。武蔵は、一円相の中に取り置かれ、これが何であるか、三日三晩考え抜き、ようやく一円相より脱することが出来たという。

 一方、槍も「円相」を貫く「術」である。
 槍術者は日夜修練を重ねると、槍を突く場合、そして退く場合、重心を失わず、躰を中心に「東西南北四維上下」の「天地十方」を自在に突き、あるいは退き、その時、槍を持った手は中心に「一つの球」となるようになる。この球を「円相」といい、この操法を「円月」という。

 円には初めがなく、終わりがなく、その中心に、吾(わ)が心を置き、自由自在の「変応自在の球」を、自身を中心に創り上げる。

 
槍術者は一円相の中に、わが身を置いた「変応自在の球」である。この球は、円相から無限に変化するのである。

合気槍術
(あいきそうじゅつ)

●西郷派大東流の合気槍術心得

 槍の操法の中心は、素早い突きと退きであり、単に「一の突き」に止まらず、「二の突き」あるいは「三段突き」「五段突き」と、息もつかせず連続させて繰り出すことである。槍の繰り出しは、突くのも早いが、同時に退くのも早いのである。そして、「突き」と「退き」の場合の動きの箇所は、左右の拳の、動向如何に関わっている。拳が巧みの前後し、筒(管)になる手を通して押し差す手が捻りを加えながら繰り出されてくるのである。

 槍は、静かに、無色透明の澄み切った中から繰り出されてくるものである。此処には心の表形がない。拍子もなければ、気持ちからする「色」も存在しないのである。ただ、「一条(ひとすじ)」に繰り出されてくるのである。

 わが流では、「相抜け」という独特の突き方がある。この「相抜け」というのは、槍術者同士、あるいは槍対剣において、敵の方が早く攻撃を仕掛けながら、遅れで繰り出し、それでいて勝つ方法である。つまり、「間の外し」であり、拍子を以て攻撃してくる敵は、間を外されると、自分の方が早く仕掛けていても、後から繰り出す槍に遅れをとるのである。特に、間の外しは、槍対剣において克明に顕れる。

 素早い「突き」と「退き」は、剣術と対峙(たいじ)して、剣士から槍術者の動きを眺めると、槍術者が繁いてきた時機(とき)に、足の踏ん張りと突き出した槍の穂先によって、両手に力を入れてこれを受け止めようとすることである。往々にして、こうした心理が働きやすく、心がこの方向に流れた場合、たいていは受け止めると、その結果として「手が痺(しび)れる」ということである。

 あるいは刀は「打ち物」であるので、剣士の剣儀が拙(つたな)い場合、刀が曲がるという現象が起こる。更には、矛先(穂先)で絡め捕られて、刀を弾き飛ばされる場合もある。

 したがって、腕の立つ剣士は槍と対峙した場合、まず呼吸法を必ずマスターしようとして、槍術者の呼吸の解読を研究するものである。また、自らも呼吸法を学び、呼吸法で養った柔らかくて柔軟のある威力を剣に活かそうとするものである。
 つまり、剣の手練(てだれ)というレベルになると、弾力性の富んだ体躯(たいく)と、手の裡(うち)を知っており、「ふわり」とうける絶妙な技術を以て、槍を「受け留める」のである。

右前半身の槍との対槍術攻防戦。

 この「受け留め」が出来る剣士は、その次の剣儀として、槍を太刀に絡ませて巻き上げようとするものである。
 こうした剣術者の心理を、槍術者が読み取る場合、巻き上げるか、払い落とすかの、反撃に移る瞬間に一瞬の隙が出来るといえる。

 更に剣術者の心理を次なる形で読み解いていくと、剣術者は次なる変化として、槍術者の「天地の構え」に対し、剣を八相に構えたり、送り八相、あるいは影に構えることが多くなる。この場合、剣術者は槍の穂先を右前半身で見ており、一方槍術者は左前半身であり、「払落し」が可能でありながら、同時に槍には、退きの早さがある為、踏み込みの手前でどうしても躊躇(ちゅうちょ)する心理が働く。
 また、そんな心理状況下では、槍術者が有利となり、剣術者の剣を簡単に巻き取り、払い飛ばしてしまうことが出来る。

右半身同士の槍対剣の攻防。

 槍の利点は、敵より遠く居ながら、遠間を有利に生かして敵を攻撃することである。したがって、攻撃に早い遅いは生じない。
 例えば、剣士が素早い速さで槍の間合に入り、攻撃を仕掛けてきても、これを充分に察知し、単に早く突こうとするのでなく、「腰溜め」して引き寄せ、確実に攻撃圏内に入った時に槍を繰り出すのである。

 槍は、右利き、左利きの得意手があるので、先手の「管」を左にするか右にするかは、個人差によるが、「管」の方を半捻りし、次に後手(突き出す手)を更に半捻りするのである。捻ることにより、威力が増すだけではなく、螺旋上の動きをするから、敵を突き刺す命中率を高めるのである。

 合気槍術における極意は、わが流では「相抜け」に重きを置いている。敵は早く仕掛けてきながら、それを充分に観察し、敵の足運びやリズムを即座に読んで、これに対し腰溜めし、管を捻り、更に突き手を半捻りして突き出すのである。

居合術対槍術の右半身の攻防。
右半身の槍の攻撃を受けて、居合術者は抜刀を行う。
槍は直ぐさま退き、二の突きを繰り出す。
居合術者は後ろに二歩後退するが、更に三の突きで、
三段突きを繰り出すのである。

 槍は「中墨(ちゅうぼく)をとりながら繰り出すべし、とある。つまり、中心の一点に心を定め、この箇所のみを相手にするのである。中墨をとる為には、管に当たる手で、敵の槍や刀を二重三重に叩いて叩き落し、あるいは巻き込んで跳ね飛ばすのである。
 この場合、管の返し手や後手を充分に熟し、更には足腰であり、また膝の自在性も必要になる。この自在性が充分に適(かな)ったとき、繰り出す槍に回転力と反発力が生まれる。その為には、真っ直ぐに中心を突く「中墨」を会得し、鋭く突くことを日々鍛錬して工夫するのである 。

 武器には、それぞれに長所を持っている。武器に長所がある以上、それを活かして遣(つか)うことが肝心である。
 武芸には《武芸十八般》というものがあるように、それに用いられる武器もそれぞれであり、武器を用いる場合は、まず、その長所を活かし、特徴を利用し、時機に応じて使用すべきである。

 脇差を用いての小太刀術では、狭い場所や敵の躰と接近した場合に役立つ武器であり、一方、刀の種類でも、太刀は、どんな場合にも、だいたい使用できる特徴を持っている。その為に剣術を支持した武士は多く、これが武門では広く一般的であった。武門で刀が神聖化され、刀が単に物質的な刃物でないことは明白であった。
 そして、日本の武芸を考えた場合、やはり刀術を中心に《武芸十八般》が起ったことが明らかである。

 槍術を考えた場合も、刀術の延長上にあるものと考えられる。その典型的なものが、薙刀術である。薙刀は太刀よりも長く、便利であり、これに似たものが長巻や斬馬刀である。
 一方薙刀は、柄の長さを利用して遠間から敵を斬りつけることが出来る。しかし、戦場に用いる場合では、どうしても槍よりも劣ってしまうのである。
 それは槍は、先手を取ることが出来るけれども、薙刀は後手に廻ってしまうからである。同等の腕前を持つ同士ならば、槍の方が幾分有利である。

 しかし、槍にしろ薙刀にしろ、狭い部屋では利が少なくなる。そこで槍術の新たな発想として考えられたのが、手槍や籠槍である。柄が短く、それでいて槍の特長を活かせるのである。どの武器を用いるにしろ、野外戦場ばかりを想定するのでなく、狭い室内での格闘戦の技術も身に付けておかねばならない。また、武芸に用いる武器は、これでなければ駄目だとか、これだけ身に付けておけば大丈夫というものはない。武器は偏愛しないことである。また、選(よ)り好みも無用である。

 現代は、終戦直後の平和主義や、かつての武術をスポーツ武道に置き換えた種目別競技が大衆の眼を撹乱している。これらの内容を考えると、種目別に競うものが存在し、その中で闘技を争うものになっている。
 こうした背景には、終戦直後のアメリカの指導が大いに関与している。主義主張がアメリカ側から一方的に押し付けられ、これを守ることが民主主義だと教えられてきた。

 しかし、民主教育も、平和教育も、日本人を軟弱にし、ひたすら死から逃げ回る日本人像を出現させてしまった。かつて米国政府の元大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが、日本人と日本の文化を題して、その著書『ひよわな花・日本』は、死を逃げ回る日本人の無態(ぶざま)な姿を徹底的にこき下ろし、揶揄(やゆ)したものであった。死に力がなく、命を賭けない民族は、民主主義の本場である欧米人からも馬鹿にされるのである。

 現代、日本の代表的な武道は、その多くが日本伝統の形式を表面上はとりながらも、その内実はアメリカナイズされたものばかりである。柔道をはじめ、剣道、空手、合気道、なぎなた、拳法、少林寺拳法など、その多くは「日本伝」としながらも、背景のスタイルはアメリカナイズされたものばかりである。そして、アメリカナイズされたものは、多くの愛好者を経て、「スポーツ」として発展してきたのである。

 さて、槍術においても戦前までは武の道の嗜(たしな)みとして、心ある武芸者により広く行われていた。ところが、日本が太平洋戦争に敗北し、軍国主義高揚に武芸や武術が使われたことを理由に、連合軍およびG・H・Q(連合軍総司令部)の達しにより、武術・武道の全面禁止の措置がとられ、これを機に壊滅的な打撃を受けた。

 その後、これまでの武芸や武術は、「スポーツ武道」として復活するが、それは奇(く)しくも、種目別に整理された、精神の伴わない、「楽しむスポーツ」であった。勝つことだけが主体となり、その種目別競技において勝者になり、その種目で頂点に立てば、誰でも英雄視される現実が出現した。民主主義は、古来より崇(あが)められた神に変わり、人間がその頂点に立って崇められる社会システムである。スポーツタレントが英雄視されるのも、この為である。

 しかし、それはスポーツ武道という闘技の中で、「これに限る」という武道愛好者の「偏愛」を作り出しただけだった。選(よ)り好みをし、強弱論や優越論を優先させて、それに偏(かたよ)る現実を作り出しただけだった。礼儀正しさや作法に適う起居振る舞いより、ただ強ければいいという、それだけで武道愛好者や格闘技愛好者の人気を攫(さら)ったのである。
 これは「力は正義」という概念が持て囃(はや)されている為、正しきことが正義ではなく、強いことが正義なのである。民主主義は人を拝む政治システム、あるいは社会機構である。したがって、多数決の原理も此処から派生している。人気者が英雄であり、強者がリーダーとなるのである。この事は、政界、財界、スポーツ界、芸能界が明白に物語っている。

 これは古来より厳粛視されてきた、「武器の長所を活かして遣え」という理(ことわり)を度外視するものであった。そしてこうした理が軽視されるようになると、「武芸者たるもの」あるいは「武術家たるもの」の心構えまでもが軽視され、精神の伴わない、試合に勝つだけの「欲望の世界」に引き摺(ず)り込んでしまったのである。そこで、叩けよい、打てばよい、投げればよい、突けばよい、蹴ればよいというような、試合偏重へと偏(かたよ)っていくのである。しかし、その偏重には、精神が殆ど伴わず、肉体欲ばかりが旺盛になっていくのである。

 更に精神の欠如から、物質的なものに趨(はし)り、精神に付随する「礼儀」や「作法」の面を完全に欠落させてしまったのである。
 かつて古人は、武人たる者は油断なく、細心の注意を払うことが肝心であると教えてきた。

 例えば、座敷に坐っているときでも、上を見、左右を見て、上から突然何かが落ちてこないかと警戒し、戸や障子や襖(ふすま)の付近に坐る場合は、それが倒れてきたり、そこから槍や刀が突き出てこないかと警戒する。また、壁の向こうから足音がすれば、敵の潜入や、壁越しに槍や矢や銃弾が突き抜けてこないかなどを念頭に置き、いつでも応戦できる体勢を作ることが、「武門の心構え」と教えたものである。

 如何なる場所に居ても、あるいは歩行途中、走行途中であっても油断なく、機に備え、この心構えを失わなければ、不慮の際に咄嗟(とっさ)の行動として、身を護れると戒めたものである。
 大用とは、要するに全身の能力を万遍なく発揮させることなのである。また、何事も鍛錬のないところに向上は皆無だったのである。

 さて、合気槍術では油断のない心構えを教えると倶(とも)に、「油断あれば素人にも敗れる」という言を教訓として遺(のこ)している。 幾ら「なになに名人」でも、油断あれば簡単に素人には敗北するものである。それは、思いもしない「虚」を疲れるからだ。更に忘れてはならないのは、「素人は手が早い」ということだ。
 武芸武術の修行は、「敵が襲ってこないだろう」などと、安易に考えてはならないことを戒めている。

 

●目利き

 槍を検(み)には、目利きにならなければならない。目利きこそ槍術を、上手く致す秘訣なのである。また、目利きが上手いということは、人それぞれの長所や短所を発見することが上手いということにもなる。つまり、「優れた観察眼を持っている」ということになる。
 人は誰にでも、取り柄というものがある。その取り柄を活かすことが、物事を学ぶ「コツ」なのである。学び方いかんによっては、その使いようで幾らでも活きる。短所を捨て、長所を引き立てれば、いままでうだつの上がらなかった人間も活きてくる。

 得物もこれと同じである。得物を検(み)る眼、つまり活かすことが長けた人間は、兵法者の眼を持ち、目利きであるといってよかろう。これは人に対する目利きばかりでなく、得物においても同じである。短刀、脇差、中太刀、大太刀、薙刀、長巻、槍などに対する武器に至っても、目利きで、通じていなければならない。

 大分の兵法では、人に対する能力を判定する目利きが大事であるが、一分の兵法で、その闘技において、相手の強弱、理(ことわり)の熟知度、速遅の能力、年齢や性別などを目利きし、持っている武器の得失を目利きする必要があろう。
 その他にも、場所や足場、天候や風を読む目利きも大切である。特に足場の目利きが第一で、これを誤ると勝つべき戦いに敗北を帰することになる。

 戦いは、何も板張りの上とか、畳の上とか、リンクの中とは限らない。戦場が平面で平坦であることは稀(まれ)である。したがって、二次元平面や平坦しか知らない者は、その勝手違いから不覚を取ることがあるのである。勝手違いを悟らなければならないのである。

 

●半身転身之足

 わが流では、「半身転身之足」ということを、よく言う。つまり、人間は半身に構えてしまうと、片方の足だけしか動かさない行動をとってしまうのである。足には、陰陽の運びがある。左右の両足が動いてこそ、人は歩行が可能になる。しかし、半身に構えてそればかりに意識がいくと、足運びは陰陽が自在に繰り出せなくなり、片足止まりの、片足しか動かせない状態になってしまう。

 つまり、片足だけしか動かさないのは、もう一方の足が動いていないということである。それでは躰が、偏頗(へんぱ)になり、得物を持つ腕も動きが偏ってしまうのである。得物を持つ腕や手は、足が自在に動いてこそ、戦えるのであって、足が止まれば、得物は動かせなくなる。
 特に槍を握っての先頭では、片足だけしか動かないのであれば、それは致命的な欠陥となる。

 足遣いには、「足の陰陽」というものがあって、これは交互に繰り出したり、あるいは退いたりするものである。敵に向かって進むときも、退くときも、左右に移動するときも、あるいは方向を変え、躰を回転させる転身のときも、躰を躱(かわ)すときも、右左、右左と前後左右自在に動くのがよい。これは自分の躰を崩さない為である。特に槍を握っている場合は、得物が長い為に、足運びが片足しか動かないようでは、直ぐにバランスを崩してしまう。

 片足だけで敵の間合に強く踏み入れると、躰が伸びてしまう。この伸びは、同時に隙を作ることになる。また、片足だけで退こうとすれば、体勢が狂う。体勢が狂えば、そこを狙われて斬り込まれるのである。

 片足だけを動かさずに、足は、陰陽の理を知り、交互に動かすことは、則(すなわ)ち、遺憾なく全身の能力を発揮することである。
 もし、人間に神通力などという、大それたものが会得できるとするならば、それは足を自在に動かすことを言うのであろう。神通力とか、神変自在などといっても、これらは格別、天から降り注いでくるものではない。また、こうした物理的な奇蹟を言うのでもない。槍術であれば、その術者が、自由自在な動きをして、様々な動きに変化させることなのである。

 自在な足運びを、「大用」という。大用とは、則ち、全身の能力をフルに発揮させて、槍術者であるならば、槍ともどもに一つの「球(たま)」になることを指すのである。そして、これらの動きを球として活用し、可能にする為には、平素の精進を怠らず、心身の鍛錬とともに日夜の努力が必要である。

 わが身を「変応自在なる球」に出来ないようでは、多くの才能を持った天才でも、その全能力が発揮できない為に、鈍才にしてやられかねないのである。小手先の技では、侮(あなど)りとなってしまうのである。相手が無名だからといって、侮ってはなるまい。

 敵に対峙したならば、一気に円の中心を突いて、その中心を貫かなければならない。中心を一気に突き刺すのは、足の自在による。円の中心を見抜いていて、迷ってはならない。迷いは、身構えるから起るのである。
 敵を指す拍子は、槍術では「一拍子」である。

 構えて、敵との間合を計ったり、退(ひ)こうか、進もうか、繰り出そうかと迷ってはならない。進退窮まるからである。
 そして、円の中心を見抜いたならば、一気に突き出すことが肝心である。それは理屈ではなく、気合によるものである。
 敵と対峙した途端、敵に考える余裕を与えず、一気に円の中心を貫くことである。

 また、わが流の槍術では、敵を右とに討ち取っても、槍を引き揚げることはしないのである。敵を制したからといって、その引き揚げた途端に、最後の渾身(こんしん)の力で逆襲されることもある。安易な引き揚げは隙(すき)を作るからだ。敵の様子も見ずに勝ち名乗りを上げることなど、以ての外である。

 しかし、一分の演武形式の古武道には、こうした愚をやらかしている愛好者が少なくないようだ。
 特に、最後の残心などで、両手を叩き、芝居紛いの見得(みえ)を切る、ある大東流の団体があるが、これなどは残心を無視しているばかりでなく、単に娑婆(しゃば)の、「敵は襲ってこないであろう」という希望的観測を地で行くようなものである。槍術者と対峙すれば、こうした手合いは槍で一突きだろう。

 実際に巻き藁(わら)をついて、その威力を確認する実戦槍術と、単に舞台の上で演技をして、その演技内容が美しいかどうか評価する演武形式の武術とでは、土台その根底にある戦闘思想が違っているのである。

 巻き藁をつく、実戦槍術では、その進退にしても、演武形式の武道と比べると、両膝を折り、四股立ちの股割の進退は、見ていてそんなにカッコいいものではない。一方膝を殆ど伸ばしきったまま、進退する演武形式の武道は、演技である為、それだけで観客受けするであろう。
 しかし、観客受けする内容は娑婆での評価であり、それは実戦ではありえない。また、わが流は「四股立ち」の股割を充分に利かして、進退するのは、同時のこの股割が馬に騎乗する場合にも、非常に都合がいいからである。


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