■ 西郷派の殿中居合術 ■
(さいごうはのでんちゅういあいじゅつ)
●何処で、誰に、何を教わったか問題ではない
一般大衆に位置する日本人の多くは、未(いま)だに学歴という、履歴によって物事を解釈し、経歴によって、その人の真価を評価する考え方が蔓延(はびこ)っているようだ。
その為に、何処で、誰に何を教わったか、何を学んだかを問題にする。ところが、こうしたものは、正しい真価の評価にはならない。
問題なのは、「何を知っているか」であり、これを度外視して、稽古事の不文律は成り立たない。一切の稽古事は、「不文律」から為(な)る。
したがって、何処で、誰に何を教わったか、何を学んだかは、問題にするべき事柄ではない。これは稽古事の修行の論理からすると、それは単なる伝承過程の系図を重んじることであるが、稽古事の起源は、かつて流祖というべき、古人によって体系が立てられ、その体系的優位者によって、「一子相伝(いっしそうでん)」により伝承されていくものであるが、一子相伝は、日本の場合、その血筋に限られ、秘伝は一子相伝により伝承されてきたことになる。
この伝承体系を注意深く凝視すると、秘伝を会得できるのは、血縁に限り、一子相伝の資格を得るということであり、血縁外は、最初からその資格がないということになる。したがって、血縁でもない限り、どんなに逆立ちをしても、秘伝は会得できない分けである。
しかし、この「秘伝」という事柄も、最初は一人の優位者により始まり、その後、一子相伝により、改良が繰り返されてきたと見るべきである。
したがって、親・子・孫の三代によって、この秘伝も時代とともに変化する。また、伝承の過程には前時代的な、「骨董品部分」を伴っている為、今の時代にはそぐわない「術伝」が多い。そして一つの術伝を考えた場合でも、考え方に前時代的な伝承を主体にするのか、これを一新して時代の則したものへと、伝統を重んじながら変化させていくかが、問題になってくる。
そして、前者を選んだ場合、それは骨董品に成り下がる。
問題なのは、何処で、誰に何を教わったか、あるいは学んだかは問題ではない。問題なのは「何を知っているか」である。これの抜きに、武術・武芸という稽古事は成り立たないであろう。
さて、「何を知っているか」ということを問題にした場合、武芸という日本古来からの考え方、あるいは東洋的な伝承として、次の時代に伝える論理と、それを背負って伝承すべき考え方に、次なる批判がある。
この具体的なる、稽古事伝承について、次のように指摘した中国武術家が居た。その武術家によれば、人間の才能と素質の有無を、次のように指摘している。
「日本には素質も才能もない中国拳法家師範が多くの書籍を著わし、単純な感化されやすい人々に先生と呼ばれて得意になり、凡人には理解が困難な理論でまくし立て、われこそ真正拳法家という顔をしてのさばっている。
しかし、氏の著した理論は正しい面が多いが、氏の演ずる写真を拝見すると思わず吹き出してしまう。 氏が学んだ師匠は名人であるかも知れないが、氏のつきでた尻と、自ら敵の打ちやすい所へ技をかける戦闘法は素人には区別できずとも、真のカンフーを学ぶものなら、見抜くことは容易である。
また、ある氏は空手の威力で戦い、カンフー服を着てあたかもカンフーであると書籍を著している。
また、ある氏は柔術で戦う自分が最強であるかのような顔をしているが、ある著名な拳法家に食い物にされた人である。
三氏のうちで才能も素質もない前者よりも後者の二人の良い所は、後者二人はそれぞれ、違う武術を長い間訓練しているので写真などを見ても隙がない。ただ二人にはカンフーの才能がない。
一方前者は、写真やビデオテープで見ると隙だらけで、現在名師になってしまったのは、拳法界の七不思議の一つである(以下後略)」(具一寿著『中国拳法戦闘法』昭和59年5月25日発行の愛隆堂書籍より)
以上を指摘したのは、わが流の進龍一師範が、「つっぱり兄ちゃん」の異名で絶賛する、具一寿(グ・イース)師の諌言(かくげん)であるが、見事に言い当てているものである。具一寿師が、それぞれ、誰についていっているか、武術愛好家なら、彼等が誰であるか、容易に見当が付くであろう。ここでは名前を明かし、彼等が誰であるか、改めて名前は出さない。
以上からも分かるように、やはり繰り返すが、問題なのは、何処で、誰に何を教わったか、あるいは学んだかは問題ではない。問題なのは自分が「何を知っているか」である。これの抜きに、武術・武芸という稽古事は成り立たないであろう。
そして、大事なのはその後の「変化」であろう。
日本には昔から、守・破・離の教えがある。
「守」とは師匠の教えを第一義としてその教えを守ることである。
「破」とは全部の教えを授かったならば、その伝承的な狭い範囲に止まらず、その後、多くを学び、一旦、師匠の総ての教えを否定することである。そして、その後独自の境地を開くことをいう。
「離」とは過去の全体系を超越し、独自の境地に達することを、一般的には言う。
但し、わが流は「破」と「離」を前後逆にし、「守」を第一番目に持ってきて、次に「離」がくる。これは、教わったら、即座に親から乳離れして、そこから一日も早く巣立ち、一人前になることを促すからである。そして一番最後に「破」がくる。
この「破」は、これまでの全体系を否定し、独自の境地を開くことを言う。師の教えだけを後生大事に持ち歩くことだけが能ではない。これを否定し、独自のものを研究しなければならない。そうしない限り、時代に取り残されるだろう。伝承武道で終わることなく、伝統武術の変化させてこそ、そのには「道」に至る崇高な頂が見えてくる。「道」を求めるならば、全体系など必要でない。それは「知る事が行う事」であるからだ。
師匠の教えを否定した、「新たな道」を、「自らの行い」によって見出すことが大事なのである。これを忘れた流派は、それが骨董品に成り下がり、前時代的な、伝承だけをあり難がる時代遅れのものになってしまうであろう。
時代とともに、武器の携帯が規制され、そうした時勢に合わせた形で、往時の達人と雖(いえど)も、素手だけでは乱闘に勝てない御時世(ごじせい)になってきた。素手で、渡り合って幾ら強いといっても、それはルールあってのことである。
昨今の不穏な時代、世相は混沌としている。こうした混沌とした時代に、素手で息巻いても空(むな)しい遠吠えに等しい。それに昨今は全く武道や格闘技の経験のない者でも、飛び出しナイフ(【註】ジャックナイフといわれるもので、日本ではこれを持っているだけで、不法所持となり銃刀法違反となる)やバタフライ・ナイフなどを常に所持していて、これを「護身用」と称して隠し持っている。
また、予測不可能な性格異常者や性格粗暴者の徘徊闊歩(はいかいかっぽ)もある。そして誰もが被害者にされるばかりでなく、一歩間違えば、今度は被害者が過剰防衛で加害者にされてしまう、人権が逆転した世の中が出現している。
こうした時代に、古武道を豪語したところで、油断があれば、その道の玄人でも、簡単に叩きのめされてしまうのである。不可解な動きをする素人は、その予測を立てるのが難しいだけではなく、素人はとにかく手が早い。この事だけは念頭に置くべきであろう。
こうした一方で、今日の社会は礼儀を忘れた時代であり、礼儀を忘れた時代に、「古人の武勇伝に胡坐をかく時代」は終わったといえよう。
伝説に固執することなく、一種類の武技に固執することなく、広く研究し、広く他流を学ぶ時代に入っているといえよう。伝説や武勇伝や、そこから引っ張り出した伝承体系を自慢するのは、既に遠い過去のことである。
時代が急激に変貌しようとしている今日、大事なことは、何処で、誰に何を教わったか、あるいは学んだかは問題ではなく、やはり、自分が「何を知っているか」であろう。そもそも秘伝というのは、自分が知らなければ、何も分からず、実戦にも応用できないのである。
●なぜ殿中居合が興ったか
殿中居合の興りは、武家の「礼儀作法」に回帰する。それは「上意討ち」に見ることができる。つまり、「上意討ち」も一種の礼儀作法から始まった人間の「行動原理」である。
人間世界は、身分の上下に区別なく、諸々の理不尽が存在する。身分が高いからといって、その人の行動や言論が正しいとは限らず、また身分が低いからといって、その人の行動や言論が総て誤りということはない。
身分の上下や、出身母体の学閥(がくばつ)や家柄、仕事上の経歴、資産の有無や、富裕の格差において、人の行動や言論は左右されるべきものではない。
だれもが同格であり、同等であるべきだ。こうした考え方は、多くは武家社会で見ることが出来た。つまり、横暴かつ理不尽な振る舞いに対しては、これに身分の上下に関わりなく、抗(あらが)うことが出来なのである。つまり、それは「道」という基準においてである。
「道」に則しているか、否かで、人間の基準は「同格」であるか、「同等」であるかが決定する。「道」こそ、人間の「対等な立場を計る物差し」なので、「道」を無視して同格も、同等も、対等もないわけである。
武士階級にあっては、身分の上下なく、何処の場所(例えば登城し、主君や重臣の居る殿中など)に上がるにしても、「脇差の帯刀」が許されていた。この点が、武家社会の武術を解明する上で「重要なポイント」になる。これこそ、殿中作法における「御式内(おしきうち)」が武術としての体裁(ていさい)を保っている「重要な要(かなめ)」といえよう。
なぜ武士が「二本指し」なのか。なぜ大刀以外に脇差を差すのか。
今日、「脇差を帯刀する」意味を正しく知る人は居ないようだが、武士が上下の身分に関係なく「脇差が帯刀」できる意味は、次の事による。
例えば、間違いがあったり、不正があったりすれば、その関係者や当事者に対して、下士は上士に対して「歯向かう事が許されていた」からである。不服があったり、理不尽な振る舞いをされれば、こうした事に対して抗うことが許されていた。
この点、時代錯誤するかも知れないが、武家社会の方が、今日の資本主義を基盤とした会社社会より、数段もフェアーだったといえよう。命を張って抗議し、談判し、弁明が出来たのである。問答無用の一言で、リストラに不服があっても、泣き寝入りという今日の会社社会とは大いに違っている。
重役が居並ぶ中で、処分の言い渡しと、同時に、切腹を命ぜられたり、討ち果たされるような場合でも、処分を受ける者は、脇差の帯刀が許され、また、不服がある場合は歯向かう事が許されていた。上士の一方的な理不尽に対し、最後の最後は、わが脇差を抜いて斬りつける覚悟で、抗弁できたのである。それは主君に対しても同じであった。主君に対しても、歯向かう事が許されたのである。ここが殿中作法である、御式内を武術に結びつける重要なポイントになる。また、こうした作法において、殿中居合が発達してきたものと思われる。
この場合、喩(たと)え相手が高貴な身分の主君であっても、あえて歯向かう事ができた。また、歯向かう位の意地を見せた方が、良い態度として大きな評価を受けたのである。この根底にこそ、身分の上下なく、諂(へつら)う事の「愚」を戒めているのである。
諂わない下級武士は、命を賭(と)して上士に歯向かう。あるいは命を賭して主君に歯向かう。理不尽があれば、その非を毅然(きぜん)と申し述べた。民主主義の現代とは大違いで、何と「対等な考え方」であろうか。
現代は民主社会というけれども、ここまでの「対等性」はない。一言で「民主」というけれど、その実は「金持ち」対「貧乏人」の、金銭に関する所有の身分差が歴然としている。つまり、現代という社会は、歴然として眼に見えない階級が存在しているのである。
その意味で、武家社会の方が、この点においては優れていた。武家社会においては、金銭所有での上下関係はなかった。単に身分や地位の上では、上下関係があるが、「人間としては対等である」としたのが、武家社会の鉄則であった。
だから、不当な処分を言い渡されたり、理不尽な扱いを受けたり、罪なく切腹を申し付けられたりすると、この不当な扱いに対し、「歯向かう」ことが許された。現代の、企業のリストラなどと比べると、大違いである。不当な扱いに泣き寝入りせずに済んだ。堂々と抗弁・弁明が出来、あるいは諌言(かくげん)が述べられた。一方的に遣(や)られぱなしではないのである。
今から考えると、武家時代の方が、実に紳士的で、人間的には対等で、同格で、毅然(きぜん)として振舞え、不当な扱いには命を賭(と)して「厳重抗議」が出来たのである。
これこそ、まさに「人間としての道の実践」ではなかったか。
一方、主君や重臣等の上士は、どうしたのか。
下級武士が歯向かってくるのを、黙って見過ごしていたわけではない。これに対して、主君を護り、歯向かう者の攻撃に対処しなければならない。上士は、この責務が負わされた。
ここで礼法以外の武技が登場しなければならない。
これを取り押さえ、固め捕り、あるいは投げれば柔術であり、あるいは斬り捨てる居合術であり、一気に居掛ければ「居掛之術(いかけのじゅうつ)」である。此処(ここ)に攻防の鬩(せめ)ぎ合いがあった。居合術や居掛之術ならびに殿中居合の起源は此処にあるといってよい。
あるいは上坐の殿中を血で汚すことが許されぬのならば、速(すみ)やかに取り押さえ、固め捕る為の殿中柔術が、この起源となりえた。歯向かう方も、歯向かう者を取り押さえる方も、ともに命を賭(と)したわけである。ある意味で、武士の起居(たちい)振る舞いは、これに集約できよう。こうして殿中居合が興り、これに改良が加えられ、発達したのである。
●鞘の裡
居合の心は常に、「鞘の裡(うち)」にある。鞘の裡に在(あ)って、これを起居振る舞いの第一義とする。したがって、鞘の裡にある状態が、戦わずして最強の状態となる。したがって、幾ら凄い秘術を会得していても、一旦鞘から抜きはなれば、それは「切り札」が、切り札としての価値を失う。
「鞘の裡」の奥儀を会得する為には、まず、乱戦に慣れることであろう。次に苦しい戦いになれることであろう。そして苦戦の経験を持ち、「苦しみを味わう」ことに尽きよう。
有頂天に舞い上がり、思い上がり、他人を見下すような心根からは、決して「鞘の裡」の奥儀は理解できないであろう。
また、競技武道や格闘技の全般に言えることだが、勝つだけの戦いに慣れると、勝負がつかない一進一退の戦いでは、必ず苦戦が強いられるものである。したがって、勝負の駆け引きに慣れすぎるのも、困りものである。
居合術の術者が、「静中に動あり」の心を忘れてしまった場合、それは敗れることを意味する。動いてならない時に動き、動かねばならない時に止まったままでは、それは敗北なのである。居合の術が「鞘の裡」とするのは、一種の礼法に則った行動原理であるからだ。
礼法に則れば、決して思い上がることなく、高ぶらないことが大事である。
自分を尊い存在と思うように、他人に対しても尊いと思うような心がけが大事である。本来競い合うべき事は、この点にある。
競って、他人を尊ぶ心であろう。
こういう境地に至ったとき、自他は一体となる。他人と競って向上する条件は、自他との強弱の違いを競うのではなく、人と尊敬し合うことにおいて競うべきである。これこそが「競って尊敬すべき点」なのである。
こういう心境に至った場合に、尊敬することにおいて、自分は人よりも勝っていると思い、その一方において、人は自分より勝っていると思うことが出来るのである。
つまり、「道」を通じての人との出会いは、この「道」において、尊敬すべき人に出会うことなのである。
「武の道」では、この「道」を心の拠(よ)り所にして生きる喜びを教えると同時に、人間が驕(おご)り高ぶることを常に戒めている。
人間は、本来何一つ分かっていないのである。ここが、何びとも覆(くつがえ)すことの出来ない出発点なのである。喩(たと)え何かを知り覚え、何かが理解できたとしても、それはそれだけのことで、実は途方もなく複雑で広大なこの世の仕組みなど何一つ分かっていないのである。ただ単に、針の先の一点を見つけ出したに過ぎないのである。一部を明らかにしたからといって、思い上がるには至らないのである。
賢いように見えている人でも、何も見えていないのであるし、強いように見えている人でも、この世の仕組みからすれば、決して強くはないのである。喩え、多少たりとも、まともに見えるようなことが出来ても、それは生まれながらに神から与えられた能力であるし、本来は自分のものではないのである。
人間が、見掛けだけのけちな優越感に浸ったとき、そこには大きな落とし穴が待ち構えていて、最後は墓穴を掘ることになってしまうのである。
相手を見下したり、けなしたり、侮辱したり、威張ったり、誹謗中傷するとき、却(かえ)って人間は愚かしさが表面化してきて、その愚かしさの為に墓穴を掘るのである。多少のことが出来たとして、それで自惚れないことである。
したがって、居合の心が教える「鞘の裡」は、そこに総ての人間の行動が集積されているのである。名声を追う者は、名声に溺れることだけに終始する人生で終え、また、テクニックだけを追うものは、テクニックに溺れることだけに終始する人生で潰えててしまうのである。
人は、自惚れをもち、思い上がったとき、既にそこで、その人の進歩は止まっているのである。
わが流が説く、「鞘の裡」の戦闘思想は、剣術の基本理念に回帰するが、これは常に「平常心」を失わないことを意味する。また、それと同時に、敵の気配に対して、心を静かにおき、心は掻(か)き乱してならないと教えるのである。これが「鞘の裡」の心の用い方の「心法」である。
では、心を静かにおき、掻き乱さないとはどういうことか。
これは敵の過激な挑戦に反応して、無闇(むやみ)にそれに動かされないことを言う。敵の誘いに乗ってはならないのである。心が掻き乱されれば、それだけで心は浮ついた状態になり、こうした興奮が敗北を招くであろう。
次に、心は掻き乱してはならないものであるが、間の取り方や拍子を考えれば、心にも一定の躍動のリズムがなければならない。これをわが流では「心を静かに揺るがせる」という。
この「心を静かに揺るがせる」とは、戦闘に際し、敵に対して、心を静かに動かし、いつ、静中に動の急変が起こっても、これに即応し、少しの間も、このイズムが止まないように拍子を取り続けることを言う。
これは敵の仕太刀にもリズムがあり、拍子をもって襲い掛かってくるからだ。それを防ぐ為には平常心が必要で、まず敵に撹乱されないことであろう。次に、拍子と間を計りながら、敵の呼吸を読む必要がある。こうした事を無視し、心法を無視していたのでは、急激な敵の変改に対して遅れを取ってしまうし、不覚を取る。
こうした最悪の事態にならない為にも、ただ刀を「鞘の裡」に、ぼんやりと収めておくのでなく、いつでも対応できる「抜き放ち」が大事なのである。
常に、静かに、心を細かく配り、よく注意し、敵の動きから目を離さない観察眼が大事である。そして、この観察眼は、単に敵の仕太刀の動きばかりに眼を奪われることなく、敵の心の動きに留め置くことが大事である。
自分の躰(からだ)が静かな時機(とき)にも、心が拍子を取りつつ動かしておいて、心を静止させれはならない。逆に、躰が激しく動くときにも、心は静止することなく、如何なる変化も対応できる平常心を養うことが大事である。
換言すれば、心が躰の動きに引きずられないことである。一方、躰が心の動揺に引きずられることなく、それでいて平常心を保ち、それぞれが敵の動きに対して即応できる、刹那(せつな)の一瞬を、「鞘の裡」に作るのである。
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