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戦闘の本質を問う詭道の兵法

手裏剣術
(しゅりけんじゅつ)

 

全長13.5cm、重さ80・4g片刃平型・六角三稜(ろっかくさんりょう)小手裏剣の(表)。手裏剣の刃先は、日本刀のように精密に研ぎ澄まされている。六角三稜手裏剣は、単に標的に刺さるというだけではなく、鋭く食い込み「切り裂く」という特徴を持っている。
  手裏剣は単に、標的に刺さるというだけでは、本来の意味を為
(な)さない。手裏剣は撃ったと同時に、目標媒体に突き刺されば、肉を切り骨を断つ、そうした凄まじい武器でなければならない。

 古人が生死を決して修練した手裏剣の「術」は、凄まじさの上にも、精神的な心のあり方が説かれており、単に的の中心に当たるだけでは駄目で、その命中したものが、更に的の奥に深く食い込むものでなければならなかった。ここに一打必殺の凄まじさがあった。
 

同六角三稜小手裏剣の(裏)。六角三稜手裏剣の構造上の特徴は、裏側から見ると尖先(きっさき)三稜部の三角の鰓(えら)が張り出ていて、この鰓部分が標的に当たると、標的を切り裂き、それが奥へと食い込むような構造になっている。したがって、小型の手裏剣でありながら、この構造をした手裏剣は大きな威力を持っているのである。

 このタイプの手裏剣は、「万打自得(まんだじとく)の修練で、畳に打ち込んでも、ドスンという音色を発しいて小気味いい音がし、標的に深く食い込む特性を持っている。また、これが「片刃平型の六角三稜手裏剣」の特徴である。
 

手裏剣の表の尖先構造。片刃平型である為、尖先は標的を鋭く切り裂(さ)く働きを持っている。まさにこの手裏剣の尖先は、日本刀の帽子を思わせる。
手裏剣の剣尾の六角造り。剣尾には方向舵(ほうこうだ)として「房」「馬の毛」を取り付ける為の「剣尾孔(けんびこう)」の孔(あな)が掘られている。

●投擲武器としての手裏剣

 手裏剣は投擲武器(とうてきぶき)の花形である。その所以は、投擲武器の中で最も殺傷能力が大きく、打つことにより、一打必殺が可能であるからだ。

 手の内に納めた「棒手裏剣」等を用いて、遠方より敵を狙撃する飛び道具の技法が、この「手裏剣術」である。
 手裏剣に限らず、投擲技術を習熟すれば、ポケットに入った小銭にも応用することが出来るし、また道端の小石を拾っての、手裏剣に見立てた飛礫(つぶて)投げも可能となり、止むに止まれぬ有事の際、護身という意味でも押さえていて損はない技法である。何故ならば、人間の本能の中にには、身に危険が及び、敵が接近してきて、今にも自分が襲われそうになると、周りの物を手当たり次第投げる癖(くせ)が備わっているからである。

 あるいは、この相手だけは絶対に倒さなければならないという窮地(きゅうち)に追い詰められた場合、まずは物を投げ、その怯(ひる)んだ隙(すき)に斬り付けるなどの行動に及ぶからだ。
 絶体絶命に追い込まれ、単に自分が殺されるのをただ待っているだけでは、実に能のない者のすることである。
 あらゆる武術を護身術として考えた場合、単に敵の攻撃を「待つ」という行為が、実に危険であるか分かるであろう。単に殺されるのを待つだけの考えしか浮かばないのは、智慧(ちえ)のない人間のすることである。

 人間は誰でも、待っていて殺されるだけの運命には我慢できないはずである。こうした、待つだけの運命を自らの手で、何とか回避しようとするものである。武術や武道、更には格闘技の何たるかも知らず、またスポーツ経験のない人でも、一度わが身に危険が及べば、それから回避しようとして何らかの手を尽くすはずだ。

 況(ま)して殺人者が目前に迫り、今まさに自分が殺人者の手で殺されようとする場合、未経験者でも「周りの物を投げつける」くらいの防衛本能は働くはずである。
 この時、何もせず、殺人者の言いなりになり、無抵抗で抗(あらが)うことをしないのは、愚人のすることである。したがって、こうした命の危険から回避する為には、やはり投擲武器の一つくらいは覚えておく必要があるといえよう。

 そこで、ここでは「棒手裏剣」について紹介する事にする。
 さて、一般に棒手裏剣では、剣先を敵に向けて投げつける「直打法」と、更にその飛距離を長くした「回転打法」とがあり、直打法は間合いの近い敵、回転打法は間合いの遠い敵、という具合に距離に応じて使い分ける。
 そして、その狙う部位は人体の急所であり、一撃必殺を理想とするが、遠く離れた敵の急所を正確に貫くのは至難の技であり、出来るだけ狙い通りに飛ばせるよう、よくよく訓練しなければならない。
 手裏剣術では、「よくよく練習し、稽古する」ことを、「万打自得(まんだじとく)という。

手裏剣の打法図

手裏剣の打法図

 戦いが始まって、一番最初に有効なのは、遠い間合いからの攻撃、即ち飛び道具である。これは近代戦においても同じであり、最初に白兵戦から始まるなどのことは、絶対にありえない。白兵戦は最後の最後に用いられる、矢が尽き、刀が折れての手段である。
 したがって戦いは、いきなり白兵戦【註】最後の土壇場での組討柔術や鎧通しなどを持っての格闘)から始まるわけではなく、いつの時代も、まずは飛び道具から入り、武器による剣技のやり取りを経て、最終的に素手による攻防が始まるのである。

 武器を持っている敵に対し、いきなり素手で立ち向かったり、充分な間合いがあるにも関わらず、自ら歩み寄って、わざわざ危険域に足を踏み入れるなど、愚行と言わざるを得ない。武術や格闘技を研究するという事は、単に徒手空拳に対する「無手」の研究ばかりでなく、武器術の研究も怠ってはならない。能(よ)く武器を研究することは、則(すなわ)ち武術を研究することであり、古来より《武芸十八般》に数えられていたものの中には、必ず「手裏剣術」も数えられているのである。それは効果と実戦性が高いからである。

 護身術の立場からも、例え手裏剣を所持していなくとも、道端の石や砂を拾うなどして、安全圏から、敵の戦意を削(そ)ぐことが大切であると言えよう。

十字手裏剣と貫刀小柄

十字手裏剣と貫刀小柄(ぬきとうこづか)

 戦いに、穢(きたな)いも綺麗(きれい)もない。あるのは、ただ「生き残る者と、死する者」がいるだけである。しかし、情緒豊かな日本人の感性では、このような戦法を「穢い」、「卑怯」などと切り捨ててしまいがちである。有事における「戦闘」という行為には、ルールもなく、穢い、卑怯などという言は存在しない。ただ、生き残ることだけが課せられるのだ。

 死人に口なしであり、綺麗な戦い方をして殺されてしまっては、その後の事情を語ることは出来ない。したがって、「必ず生き残る」ことが前提となる。
 同じ条件で、正々堂々と戦うフェア・プレーの精神が根付いている現代日本では、当然のことかも知れないが、これは西洋流のスポーツが持ち込んできた、一方で、非常に危険な考え方である。綺麗な戦い方などをしていては、護身には何も役に立たないだろう。

  今まさに、わが命が尽きんとする窮地(きゅうち)の土壇場(どたんば)あって、その時に発する切ない絶唱は、誰でも生に執着する、「まだ死ぬわけには行かない」という、切実な生命の生存本能だろう。この切実な本能が途絶えてしまえば、人間は死ぬ以外に、また殺される以外に、何も手が残されていないことを知るが、やはり人間は他人から殺されることは嫌うものである。

 スポーツならばともかく、人間の尊厳を脅(おびや)かそうとする理不尽な暴力を前にして、正々堂々などと考えていたのでは、金品を奪われ、身柄を拘束されて蹂躙(じゅうりん)され、挙げ句の果てに凌辱的な行為に及ばれ、更に犯され、命を奪われるという無慙(むざん)な結末が待っている。それこそ「死人に口なし」の、勝手放題に扱われてしまうのである。

 そもそも、人間が争うということ自体がすでに「狂気の沙汰」であり、一度戦うことを決めたならば、卑怯も穢(きたな)いもなく、確実に敵を仕留めなくてはならない。そこまでして勝つ必要がないのなら、何としてでも戦いを止めるべきであろう。
 だからこそ、武術の修行者は、無益な争いを避け、戦わない道を模索(もさく)するのである。この模索する「術」こそ、手裏剣術であり、単刀直入に言えば、無益な争いをしないが為に、手裏剣術を稽古し、万打自得を会得しようと、稽古に励む原動力になるものである。

 このような観点から、敵の出鼻を挫(くじ)き、先制攻撃を浴びせることの出来る手裏剣の技法は、戦いの本質を探る広義的な護身術として、修行者の重要な嗜(たしな)みとなっている。

 

●何故、投擲武器を学ぶ必要があるのか

 人間は「話し合い」で、物事を解決できるほど、進化した生き物ではない。説得だけで、あるいは物事の道理を説いただけで、人間はそれに応じるほど、素直な生き物でない。大抵は頑迷(がんめい)で、迷妄(めいもう)に陥りやすく、「迷い」の中で生きる生き物であるからだ。

 その為、複雑でこじれた物事の解決には、多くの場合、武力が行使され、それによって強弱を決め、負けた方は途方もない賠償金をとられ、勝った方は自国の文化や思想を敗戦国に押し付けることが出来る。これこそが人間自身の持つ、自文化を他国に押し付ける「文化の押し売り」であり、この事は歴史を見れば、一目瞭然(いちもくりょうぜん)であろう。

 そして歴史から窺(うかが)えることは、現象人間界に住む、人間のレベルでは、戦争を抜きにして、あるいは武力の行使なきにして、もめごとを解決できるほど、人間は進化していないということに、あらためて気付かされることである。問題解決には、常に「制圧」という名の暴力が付き纏(まと)う。この事実は、如何なる時代の「正義」とて、「自称正義」であり、強者と弱者の関係式は絶対に覆(くつがえ)すことはできないであろう。

 現象人間界では、人間は「抵抗する」という圧力の中においてのみ、その存在を認められることが出来る。もし、相手に屈しないという「圧力」がなければ、人間の存在価値はないだろう。
 これを歴史から学ぶとすれば、例えば国家間同士で、戦争ではなく、交渉で物事を解決する最も有効な手段は、決して「話し合い」だけではないことが分かる。

 「話し合い」をするには、その裏付けが要(い)るのであり、つまり「話し合い」プラス「圧力」が要るということである。「圧力」の伴わない話し合いなど、「絵に描いた餅」も同然である。善意の話し合いや、善意の説得では、何も解決せず、何の効力もないのである。善意は常に踏みにじられる実態なのだ。これは人間が、善意だけでは、どうにもならない生き物であることを物語っている。

 例えば、今日話題になっている北朝鮮の拉致(らち)問題を挙げてみよう。これを挙げた場合、単に北朝鮮との話し合いだけでは埒(らち)が明かないのは誰の眼からも明らかであろう。「圧力」のない話し合いでは、物事が解決しないことは、この事が何よりも雄弁に物語っている。

 これまでに拉致被害者の5人を取り戻し、その家族の子ども達7人を取り戻したのは、拉致被害者の家族会の、何ものにも屈しない、取り戻す為の執念と、それに賛同する日本国民の「圧力」であった。この「圧力」があったればこそ、拉致された5人は日本に戻ることが出来、その子ども達7人も日本に帰ってきた。

 北朝鮮の理不尽な暴力に対し、拉致被害者の家族会と、それを支援する日本国民の圧力が効を奏して、拉致された人たちの何人かは日本に帰ってきた。

 最初、拉致された家族は、何処からも顧(かえり)みられず、孤独のどん底に落とされていた。家族たちの多くは、宛てどもなく日本各地を探し始めた。しかし、これだけでは行方不明になった人を探すことは出来なかった。拉致被害者で有名な横田夫妻は、日本中を探して廻り、かすかな手がかりがあれば、何処へでも足を運んだという。日本各地を探し廻り、その歳月は二十有余年に及んだという。大変な苦労と労力である。

 その後、全国各地に拉致被害者の家族会が組織され、これが最初の「圧力の第一歩」となったという。1997年3月25日のことであった。
 拉致被害者に賛同する日本国民の拉致被害者家族会は、拉致の調査と、その形跡を示す資料と、拉致被害者を応援する人たちの支援を得て、日本政府(森善朗首相当時)はやっと重い腰を上げ、その結果、北朝鮮の金正日(キム‐ジョンイル)は拉致したことを自白するに至った。

 その背景には、拉致被害者を支援する全国組織の日本国民の圧力があり、救出運動があり、これは効を奏したといえよう。また、これは金正日を圧迫したといえよう。
 本来ならば、国家的犯罪に対しては、解決の為にその国の国家が動かねばならない。しかし、これまでの日本政府の立ち上がる腰は実に重かった。

 また、この鈍重さは、今日になっても同じ考えを変えず、かつて小泉首相が金正日と折衝してもその後の進展もなく、かの国には日本人の拉致被害者がまだまだいると思われるが、圧力や市民運動は、昨今では少しずつ減退し、「圧力」の威力を失われているように思える。

 それは、やはり日本人の心情の中に感傷的な側面があり、「話し合い」や、街頭署名や、陳情というお願いがあれば、物事は解決できるという安易な驕(おご)りがあるからだ。その後の拉致問題が進展しないのは、この為である。「圧力」が薄れてきているからだ。

 それは民主主義デモクラシーの「議会制政治のシステム」に問題があると言えよう。
 例えば、議会制民主主義のルールに沿って、国民の要求や、街頭署名や、陳情を盛り込んで、その意図を汲んだ代表者を選び出し、やっとの思いで国会議会壇上に議員を送り込んだとしよう。だが、その瞬間に運動の目的は忘れ去られ、いままでの「圧力」は弛(ゆる)み、要求運動や市民運動は崩壊していく。
 その理由は、運動を展開した側は、その運動の意図に即して国会議員を出したのだから、これにより大きな効果が得られるだろうと、希望的な観測に縋(すが)り、その成果を安易に期待するからだ。

 これまでの圧力運動は、単なる「お願い」だけが運動の目的となり、議員は、単なるそのお願いの請負人となる。その上、圧力運動は忘れ去られ、威力を失っていく。したがって、その後の交渉には圧力がなく、単に「話し合い」で終わらせようとする茶番劇で終わりとなる。
 この事からも分かるように、交渉というのは、その背景に「圧力」があってこそ、効果を発揮するのである。つまり、その裏付け的な力が要るということである。そうでなければ、「話し合い」はいつの間にか、取引に摩(す)り替えられ、脅迫者の言いなりになってしまうということである。

 ちなみに、小泉首相が最初の訪朝と、次の再訪朝では折衝が取引に摩り替えられ、それにより、拉致解決への道は忘れ去られた観が強くなった。また、当時の小泉首相自身、拉致問題の解決よりは、日朝国交正常化の方に傾き、拉致問題は「解決済み」というような錯覚すら窺(うかが)われた。
 その上にである。当時日本は、コメ25万トン、医薬品1000万ドルも提供して、愚かにも金正日の機嫌取りに終わったという醜態(しゅうたい)ぶりだった。これでは暴力を振るい、理不尽な行いをする、ならず者に媚(こび)を売り、お追従の醜態を曝(さら)しただけではなかったか。

 本来、北朝鮮の金正日に悲鳴を上げさせ、拉致を自白させ、「圧力」を掛けたのは拉致被害者の家族会と、それを支援する日本国民の力だった。
 ところが、こうした行動に批判の声をあげる人もいる。

 例えば、自称人道主義者を気取り、人権擁護のポーズを崩さず、圧力や制裁は間違っているという考え方をする人がいる。この人達は、あまり圧力を掛けると、有事に発展するかも知れないという懼(おそ)れを理由に上げ、したがって圧力ならびに制裁はよくないという。こうした主張をする人は北朝鮮の代弁者たちであり、進歩的文化人であり、あるいは野党議員の指導者たちである。

 理不尽を働き、脅し、威圧を容赦のない態度で掛けてくる、ならず者に、果たして「話し合い」に応じる紳士的な態度があるのだろうか。もし、こうした理不尽が人類の間から消滅すれば、まさに地球上には「地上の楽園」が到来するといえよう。
 しかし現実には、暴力が途絶える日は、まだまだ先のことであり、おそらく人類には永久に暴力は途絶える日など遣(や)ってこないかも知れない。

 その意味で、例えば、「北朝鮮が話し合いに応じないとすれば、どうすればよいのか」という質問に対し、圧力と制裁は駄目とする野党議員や進歩的文化人たちは、「そうであればあるほど、だから話し合いが必要なのである」と寝ぼけたことを豪語する。しかし、彼等はこの発言からも分かるように、「言葉を弄(もてあそ)んでいるだけの人種」であることは明白であろう。

 だからこそ、理不尽な者に対して、これと抗(あらが)い、圧力で屈しないという態度を示すことも大事であり、その裏付けとして、一武技に固執するのでなく、それ以外の手段として「密かに実力を養っておく」ことも必要なのだ。

 私たち日本人が忘れてはならないことは、今日の人類は、まだまだ「話し合い」で物事を解決できるほど、優れた人種でもなく、また、それほどの精神的進化もしていない亜人類なのである。
 地道に実力を養い、イザという時の防禦策(ぼうぎょさく)を講じておくことは、激動の現代を生きる現代人の修得すべき必修科目であるといえよう。

 したがって、投擲武器を卑怯(ひきょう)な武器の最たるものと一蹴(いっしゅう)し、笑止に封じるのは愚かなことである。こうした愚は、智慧(ちえ)のない人間の考えることである。ゆめゆめ、自分だけは例外で、災難に巻き込まれないと、高を括(くく)らないことである。人間が人生を生きるということは、実は非情であり、「命賭けである」ということだ。

 先の大戦が終わり、半世紀以上が過ぎ、今日、この体験の凄まじさや残酷さを知る人達は、多くが高齢の為、徐々に少なくなってきている。戦争と言う恐ろしさを、実感として感得できない現代日本人は、戦闘状態の凄まじさや、戦争をし、戦争に敗れ、敗戦国になった国民が如何に精神的肉体的に残酷な目に遭(あ)うか、それを具体的に感じ取れない人が多くなってきている。
 また、内戦状態にある国々が現実に存在しているが、こうした国々での出来事も、対岸の火事のような傍観者(ぼうかんしゃ)の眼で、多くの日本人は見ているようだ。
 したがって、本当の戦争の怕(こわ)さや恐ろしさを知らず、したがって、その裏返しである「平和の貴さ」を知らないのである。

 つまり、戦争の一番残酷なところは、戦争をしている間よりは、その国が敗戦し、その戦後の在り方において、本当の地獄が始まるのである。かつて満洲に居(お)られた方なら、日本が敗戦した後、その戦争終了後に、ソ連兵からどのような屈辱や凌辱を受けたか、筆舌に尽くせないほどの恐ろしさを背負ったことだろう。

 日本は、先の大戦では、人類初の原爆までもを投下された敗戦国にあるのにもかかわらず、実際には敗戦の恐ろしさをあまり理解していない人が多い。単に「戦争は、もう、こりごりだという感情論」で終わらせている。したがって、戦争の起こるメカニズムや、敗戦後の地獄の意味が、よく分かっていないのである。

 この事は、今日多発する兇悪犯罪に結び付けて考えれば、より具体的になるであろう。
 昨今は人権擁護(じんけんようご)の立場から、被害者の人権は無視され、加害者の人権ばかりがクローズアップされて、加害者の人権を擁護する考え方が、社会常識として広まりつつある。兇悪犯罪を犯した加害者にも人権があり、この人たちの人権も守る必要はあるとする不可解な考え方である。これを奨励しているのは、進歩的文化人たちである。

 その一方で、無慙(むざん)に殺されたり、生涯後遺症を抱えて生きていかなければならない被害者の人権は軽んじられ、あるいは無視されたままで、加害者が精神異常者ならば無罪放免となり、その治療後、また、世の中に徘徊(はいかい)することになる。同じ犯罪が繰り返されるのである。
 しかし、精神異常者や性格粗暴者は、治療で心が改まったわけではなく、再び同じ事件を起し、精神異常であったということで、再度放免されて世間を徘徊することになる。こうした実情は、世の中を益々不穏(ふおん)にし、兇悪犯罪の翳(かげ)りで社会を混沌(こんとん)とさせるのである。そして、私たち現代人はこうした社会の実情の縮図の中で、日常生活を余儀なくされているということを忘れてはならない。

 無差別テロが横行する現代社会にあって、私たち現代人は、この現実に目をつぶったり、臭いものに蓋(ふた)をしたり、悲劇を冷ややかな目で見詰める傍観者(ぼうかんしゃ)であってはならない。いつ、自分がこうした悲劇の舞台に巻き込まれるか、その予測を普段から立てておかねばならない。自分だけは、自分の家族だけは、例外であると、ゆめゆめ思わないことだ。

 昨今は「押し込み強盗」や「押し込み殺人」が多発している。ネットの裏サイトを閲覧すると、殺人を匂わせる高額収入の「裏仕事の依頼」が目に付くようになり、こうした事件に巻き込まれて死亡する被害者が急増し始めた。それだけ今の世の中は不穏になったということである。

 ある夜、突然に、複数の押し込み強盗や、押し込み殺人の請負人が、わが家を土足で押し入ってくるかも知れない。そうしたときの防禦策は、常日頃から練り上げ、備えておかなければならないだろう。自分だけは、自分の家族だけは、わが家だけは、決して例外と思わないことだ。兇悪犯は、その気になれば、どんな家屋にも侵入することが出来るのである。
 また、昨今の兇悪事件の特徴は、単独犯が激減し、二人以上の複数犯による押し込み強盗や押し込み殺人が増えている。

 深夜、二人以上の複数犯による兇器を持つ不法な侵入者が、わが家に押し入ったとき、実際に自分がどう立ち回るか、この事を一度シュミレーションしておく必要があるだろう。
 失われた命は戻ってこない。深夜の侵入者に、迷うことなく、命を守る為に抗(あらが)「術」を所有しているか否か、そのことをもう一度、再点検するべきであろう

 そして、この場合に注意したいことは、組み付いて投げ捨てるとか、組みついて寝技に持ち込んで絞め落とすとか、突きや蹴りで一撃必殺で倒すとか、大東流の一本捕りでねじ伏せるとかの愚かしい挙動には出ないことである。金品を提供してそれで済まされるのなら、これに越したことはない。

 押し込み強盗や、押し込み殺人請負人たちは単独行動ではなく、必ず複数で遣(や)ってくる。その人数が一人とか二人とかだと思わない方がいい。連中は常に複数であり、兇器を持ち、攻撃の手を弛(ゆる)めないだろう。

 一方、押し入られた方は、どうするか。運が悪かったと諦めるのか、それとも生き残りを賭(か)けて、「必死三昧」で戦うのか。
 しかし、迷うことはない。深夜、複数で押し入る侵入者を、また、防禦する被害者側も、実は彼等と抵抗する権利はあるのである。言いなりになり、泣き寝入りし、凌辱的な扱いを受けて、最後に殺されるだけが能ではあるまい。

 物を投げつけ、それに「抗(あらが)う権利」は誰にでもあるのである。また、日頃の手裏剣の修練の賜物(たまもの)を試す権利もあるだろう。
 多勢に無勢で、こちらは自分一人に、あとは女子供という場合は、殺される前に出来る限りの抵抗をするべきだ。博愛主義者になる前に、毅然(きぜん)とした態度で抵抗することこそ、侵入者達の犯行を思いとどまらせる最良の手段なのである。まずは押し入った者の戦意を削(そ)ぐことだ。


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