トップページ >> 技法体系 >> 手裏剣術 >> 手裏剣打法 >> | ||||||||||||||||||||||||||
打ち込む際は、腕を垂直になるように揚げ、手裏剣と肩の部分がほぼ垂直に一直線上にならなければならない。そして打ち込む際は、上段から大きく振り降ろし、腕は耳を掠(かする)るくらいのすれすれで振り降ろす。腕が曲がったり、手首に力が入ると真直ぐ飛ばず、また的に刺さらないので肘から下に力を入れ無い事が肝心である。 棒手裏剣を握る際は、生卵をそっと握るように掌の中に配置し、くれぐれも力まない事である。的に向かう場合の姿勢は、丹田を意識して気が真下に下がるようにし、会陰に集中して腹部並びに腰を安定させ、「手の内」は極めてやわらかく、そして嫋やかな状態を維持する。 直打法第一打は利き腕に手裏剣を持ち、垂直になるように手裏剣を振り上げ、そのまま真直ぐに手裏剣を打ち込み、次に第二打も、第一打の「標的修正」を行いながら第二打を打ち込む。 また手裏剣は、敵との太刀合いにおいて、単に手裏剣を以て敵を倒せない場合、抜刀によって太刀合いが行われるのであるが、手裏剣を打ち込むにおいて、これは敵との間合を計る事になり、一気に斬り付ける場合、非常に有利な「間合取り」になる。 敵に、手疵(てきず)を負わせて一気に斬り付ける。これは「兵法」であり、まさに「兵は詭道」(非常手段)なのである。詭道とは「卑怯未練」の一切を超越し、「ただ一心に斬り据える」事を言い、そこには迷いも悩みもない。その迷いと、悩みを断ち切る為の隠し武器こそ、手裏剣なのだ。 兵は詭道(きどう)なり。この言葉は、迷いも、苦悩もすべてを捨て去る。迷わず己を信じて、「一打必殺」という気迫が手裏剣を打ち込むときには必要になる。そして「一打必殺」に迷いは禁物であり、己を信じて手裏剣を打つしかないのである。 江戸幕末期、暗殺集団が横行した。この中に「人斬り」という連中が居た。中村半次郎(人斬り半次郎で後の桐野利秋)もそうであったし、他にも人斬りと称された剣客は多く居た。 こうした剣客の中に、明治維新の志士・佐久間象山を、京都三条木屋町筋で斬った川上彦斉という武士が居た。(【註】川上彦斉は河上彦斎ともいわれ、後の高田源兵ともいう。ここでは川上を姓として話をすすめる) 川上は熊本藩に伝わる伯耆流居合(熊本藩に伝わり、流派の開祖は名和伯耆守長年。天正一五年、肥後宇土城主・村上伯耆守顕孝が豊臣秀吉に降伏し、細川氏の入国後は同家に仕え、この居合を同藩に伝承した)の達人で、有無も言わせぬ抜打の達人で、擦れ違い態に相手を斬り据える特技を持っていた。 象山は川上に襲われた時、擦れ違い態に足を斬られ、恐怖のあまりに刀を抜く事なく逃げ出している。 川上は第一打で相手を仕留めるほどの手練であった。その彼をして、手練に押し上げるその腕の冴えは、つまり迷わぬところにある。また、相手に考える暇を与えない、無分別があり、この無分別こそが、易々と相手を打ち獲る要因になっている。 つまり竹刀剣術での間合は約一軒離れて各々が刀で対峙(たいじ)する。ところが川上はこうした剣術の常識を破り、長距離から襲い掛かる剣術を編み出していた。その長距離からの技術が手裏剣に見立てた、打法後の斬り据えである。川上は実際に手裏剣を打ち込んでから斬り掛かる剣客ではなかったが、そのイメージを以て、一気に斬り掛かった事は明白で、第一打、第二打を打ち終えてからの、有無を言わせぬ、猛突撃であった。 これは手裏剣を打ち出し、その後、猛烈に突進する、あの白刃をひっさげての恐るべき奇襲である。 斬るか、斬られるかは問題ではないのである。戦闘において、無分別こそ、迷いをなくす最短距離であり、他人にどう思われようと、全く問題ではないのである。 さて、同時代に生きた福沢諭吉は、大の武士嫌い、武術嫌いであったが、フリーメーソンだった彼は、坂本龍馬が刺客にあって殺された時、「今度は自分の番か……」と、恐怖したという。 命を遣り取りする「太刀合い」において、真剣による斬り合いは誰も自分の命が惜しい。また捨てるものがないと言いはれる程、そこまで聖人の域には達していない。捨てられない柵(しがらみ)が有り過ぎるのだ。 真剣勝負において、竹刀剣術の腕の上下は殆ど役に立たない。命の遣り取りに於ての、この事のみを、十分に理解し得た者、悟り得た者のみが勝者となるのである。 双方が真剣を構えて対峙し続ける。双方は互いの眼を瞠(みは)り、その瞳孔が少しでも変化が生じれば、一気に猛突撃し、斬り付けた。あるいは少しでも動いたら、どちらかが血を吹いて倒れていた、という凄まじさなのだ。 原因が結果を生む。これは今日の常識になっている。 心の度仕方(どしかた)如何で結果が先に出、原因が後に来るのである。 では、救われる者とそうでない者は何処に差が生じるのか。 太刀合いに於いては、充分な間合であるが、対峙した双方は容易に動かない。ところがそうしていると、祈力の弱い方が段々と弱り始め、脂汗が出て来て顔面が蒼白になる。 そして川上の剣の特徴は、間合を一切考慮せず、長距離から大鷲のように得物に襲い掛かるその猛烈なスピードが川上に勝利を齎した。 常人は「間合」というものを過信する。これくらい離れていれば敵の剣は届かないというふうに安易に決めつけるところに盲点が有る。
「西郷派大東流」の手裏剣術には、こうしたイメージ打法と言うものがあり、手裏剣を学ぶ事によって、「負けない境地」を得るのである。 平和を口で唱えるのは簡単である。しかし平和の裏づけは「負けない境地」であり、この意識がなければ平和は維持される事がない。 人命は大事である。したがってその大事が分かるのは、こうした武器と人殺しの術を知り尽くしての、以降の事であり、口先だけの平和主義は、侮られ、いつかは攻め込まれる危険性を持っている。
|
|
|||||||||||||||||||||||||