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誇りの裏付けとなる数々の技法
茶金時代造り拵(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)
 
脇差の刀身と拵の名称(クリックで拡大)

■ 小太刀術 ■
(こたちじゅつ)

対杖の小刀術の上段之構えで、「天之構え」とも言われる。

●一眼二足三胆四力

 「一眼二足三胆四力」とは、剣術の世界でよく使われる言葉である。
 撃剣を以て、激しく攻勢する時も、撃刺を以て激しく刺す時も、こうした突撃においては、手で打つのではなく、腰で打て。手で突くのではなく、腰で突け。あるいは足で突けといわれる所以(ゆえん)は、総ての身体動作の基礎は、上肢にあるのではなく、下肢にあるということを教えている。つまり、「足」だということになる。足に重点を置くことを教え、足に重心があることを教えている。

 足から齎(もたら)される人間の行動律の意味合いは大きく、例えば、小太刀術で「半身構え」を行う場合は、右足を前に、左足を後ろに置くのが「正眼の構え」であり、この右半身の正眼から上段に変化すれば、右足が下がり、左前半身となり、その左右両足の間隔は、おおよそ「半歩」くらいとなる。
 左右は陰陽を顕(あらわ)す表現形であるが、これは動く度に、その動作の中で、左右が入れ替わるが如く、同時に陰陽も入れ替わるのである。

 陰陽が入れ替わることは、同時に左右の「半身前」も入れ替わるので、その場合は全身の重心が、左右等分に分かれなければならない。一方だけに重く、重心が掛からないようにするのである。こうした重心での体勢を維持する為には、まず爪先に多くの重心が掛からないようにし、爪先からの力を抜き去らなければならない。

 また、逆に踵(かかと)だけに重心が掛からないようにし、特に、踵で転換する愚行は避けなければならない。足の行動律の原則を述べるならば、足の重心は「拇趾球(ぼしきゅう)に中心があるべきとなる。
 古来より、武士の歩き方に準じれば、能や狂言などと同じように、武人特有の「摺(す)り足」である。 この「摺り足」の中に、武人の総ての行動原理が包含されていた。また、これが起居(たちい)振る舞いの武士の原則であった。

 「摺り足」とは、敵に悟られない歩き方であり、また、自分の居所を知られないようにする歩き方である。
 この歩き方は、西欧の狩猟民族の、弾むようなステップする歩き方とは異なり、大地を信頼した、農耕民族特有の歩き方である。しかしこうした歩き方は、今日、一部の古流武術などを残し、総(すべ)てあとは消滅しているようである。

 もともと大東流の歩き方は、御式内(おしきうち)に由来する、殿中作法(でんちゅうさほう)からも窺(うか)えるように、能(のう)や狂言と同じ、「摺り足(すりあし)」であった。
 ところが、昨今の殆どの大東流愛好者は、その重要な基本的な要(かなめ)を忘れ去り、ただ大東流の高級技法ばかりに眼を奪われている観が強いようだ。
 大東流の指導者の中にも、御式内と大東流とは全く関係無いものとして、こうした殿中作法である、歩き方を無視する者までいる。

 そして、その愛好者の殆どは、競技武道と同じように、合気空手などと称して、ただ相手を負かし、勝てば良いと思って練習している為、こうした肝腎な行動原理を無視した考え方が流行し、足運びを無視する観が否めないようだ。
 これでは、伝統は愚か、伝承武道と称する分野のものまで、飛んだり跳ねたりの、欧米のスポーツに類似するものが蔓延(はびこ)り、競技を模索したスポーツに成り下がっているように思う。

 やはり、こうした欧米化する現象から解脱して、日本本来のものへと回帰しなければならない。その為にも、足運びは、「摺り足」を厳守し、能(のう)などの武家の伝統に戻るべきである。こうした伝統に準ずるならば、「摺り足」を尊び、右足の踵(かかと)はやや浮かし気味にし、左足はあまり曲げないようにして、「摺り足」を維持したまま、「拇趾球」の重心を置くべきであろう。

 昨今は飛んだり跳ねたりの西洋のものを、日本武道と称して、普及させている種目の競技武道があるが、これらはステップと称して、例えば右半身に場合、左足の膝を曲げて対戦相手と対峙(たいじ)している試合をよく見かける。
 また、上半身を使っての逆突きなどを狙っている場合は、左右が逆半身となり、やはり何(いず)れかの膝を曲げている光景を見かける。
 しかし、後方に下がった足の膝を曲げると、躰全体の重心が後方に掛かり、その為に躰(からだ)の運用の敏捷性に欠け、身体を甚だ不自由にするものである。つまり、これこそが「摺り足」の欠如なのである。

 東洋と西洋の合作のような競技武道である場合、肉のトレーニングは西洋のものに委ね、その古式の形だけを東洋に求めて、結局、どっちつかずの状態になっているようである。何と言う不便なトレーニングをしているのであろうか。
 つまり、東洋と西洋の隔てるところは、同じ格技であっても、「足の遣い方が違っている」ことがその両者の一大特徴であり、東洋の精神に、西洋のトレーニング方を持ち込んできても、それは中途半端になって、成就しないことは火を見るより明らかであろう。

 そこで日本では、特に剣術においては、「一眼二足」と、眼の次に「足の大事」を持って来ているのである。この「足の大事」は、西洋のそれでないことは明白であろう。

 『五輪書』の「足の大事」を求めれば、次のように論じられている。
 「足の大事、足運びの様の事」として、これを揚げ、「爪先を少し浮(う)けて、踵(きびす)を強く踏むべし。足遣(つか)いは時によりて、大小遅速はありとも、常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみ据(すえ)ゆる足とて、この三つ嫌ふ足なり。この道の大事にいはく、陰陽の足と云ひ、これ肝心なり。
 陰陽の足とは、片足ばかり動かさぬものなり。斬るとき、引くとき、受くるときまでも、陰陽とて右左右左踏む足なり。返す返す片足踏むこと有るべからず。よくよく吟味すべきものなり」と。

儀法の汐時(しおどき)、則(すなわ)ち、技が速いとか、遅いとかの時間の区別は、実際には存在しない。何故ならば、時間を空間化しては、時間の本当の意味が消失するからである。
 小太刀術における、「位置」「動き」の一体化は、空間化されるべきものではなく、どこまでも時間的なものである。

 時間とは、継続の長さを表す数直線ではない。継続の長さを「線」で表しては、それは「継続」であって「持続という時間」ではない。もともと、長さで表すことが出来ないものが「時間」なのである。

 小太刀術の、得物の中でも短い物を持ち、これによって敵と対峙して抗うことは、単に、時間とか、生存とかという働きには、その「働いた跡」をいうのではない。働く前の、働きもなく、働いた後の働きもない。
 また、「過去」というものは、過去を思っている現在の心であり、「記憶」という上に浮かんだ「心象」に過ぎないのである。つまり、「心象」こそ、「現世の幻」であり、幻の中に、「今」は存在しないのである。
 わが流では、「今、この一瞬に生きる」ということに重きを置く。

 足の大事から分かることは、上肢だけでも駄目で、下肢だけでも駄目だということが等しく述べられている。つまり、馬に騎乗する武士が、如何に勇者でも、馬が駄馬(だば)では充分な働きが出来ないということを云っているのである。
 また、足が丈夫であるということは、武術を修行する者にとって、必要不可欠な条件であり、この足の鍛錬において、わが流では、福智山登山などを通じて山稽古を行っている。
 「歩けない者は滅びる」とは、古人の諌言である。

 「歩行の方法など、習わなくても分かっている」と高(たか)を括(くく)る人が多いようだが、実は、こういう人に限って、簡単なトレッキングで登山を遣(や)らせると、からっきし駄目で、平地の平面な試合場では一応は様になるものの、場所が変わって嶮(けわ)しい傾斜の山道になると、無態(ぶざま)な醜態を曝(さら)す人がいる。そして、こうした人達は、足の陰陽は変化する「歩行の方法」を殆ど研究していないのである。

 したがって、研究不足は生死(しょうじ)を賭(か)けたサバイバルでは、用を成さないのである。こうした愚行を避ける為にも、普段から足は鍛えておくべきであり、車社会からの解脱も、念頭に入れておく必要があろう。
 「足運び」を完璧に近づける為には、車を離れ、普段から野山を跋渉(ばっしょう)することが大事である。また、進んで峻嶺(しゅんれい)を踏破(とうは)するとか、足の衰(おとろ)えを気遣って、鍛錬しておく心掛けを持つようにしたいものである。

 しかし、「足運びの鍛錬」は、平地の室内に篭(こも)っての、筋トレでは用を為(な)さず、やはり野外において、「山稽古」を通じて為されるべきであろう。

 

●小太刀の持ち方

 小太刀を持つ場合は、右手を鍔(つば)に密着させないように持つ。鍔から、心持、僅かに離すようにして持ち、左手は太腿(ふともも)に充(あ)てるようにして、動きの際に、左手がぶらつかないようにする。そして握る際は、力詰めで握るのではなく、「ふわり」とした気持ちと、手触りでの感覚で柄(つか)を握ることが大事である。

 また、握り方は、人差し指を心持ち軽く離し、小指・薬指・中指の順に絞り込むようにして握り、これらの三本の指を拇指(おやゆび)で止めるようにして握る。そして片手で握っていても、常にその「手の裡」を自得し、俗に言う「鶏卵を握るが如くにせよ」という教えを厳守することである。

 そこそも剣術には、「何の為に刀を握るのか」という疑問がある。格技を展開する上では、何も刀など握らずに、素手で遣(や)り合ったらどうかという考え方もある。
 だが、人間は素手で、一撃必殺というようなわけには行かない。一撃必殺などという言葉は、ただの幻想に過ぎない。

 人間の躰(からだ)は、非常に丈夫であり、格闘技や武道の鍛錬で鍛えていない人でも、相当に叩き、蹴らなければ、中々死なない。相当に叩き、蹴り、それでも人は生きているものである。したがって、一撃必殺はありえない。一撃必殺で、人が殺せないとなれば、これこそ、死に逝(い)く者に対しては、益々「無礼」であり、即死させることが出来ない殺人は、これほど野蛮で、残酷なものはない。

 こうした無礼に対し、東洋では剣が起り、日本では刀の技術が発達した。刀のみ、万人が一撃必殺に関して、即死させる唯一の武器だったのである。刀以外にも、一撃必殺が可能な武器は他にもあるが、刀ほど一撃必殺を、万人に可能にさせる武器は、未(いま)だかつてなかったであろう。その為、日本では即死に至らせる方法として、日本刀が用いられてきた。また、これにより、剣術の流派が多く出現し、その優を競ってきたわけである。

 しかし、万人に、刀が即死を可能にする武器であるといっても、その遣い方を知らなければ日本刀は用を為(な)さない。用を為(な)すためには、まず第一が「握り方」であり、第二が刀の理(ことわり)を知っての「振り下ろし方」である。
 そして第三が、切断する刹那(せつな)の、「強烈なイメージ」である。この三つが会得できてこそ、刀は初めて、一撃必殺の即死に至らしめる武器となるのである。

 そして忘れてはならないことは、日本刀は大小に限らず、竹刀と違って「打つ」という物でなく、「斬る」という物なのだ。したがって、「斬る」為には、刃筋が正しくないと物を切断することは出来ない。この事は、竹刀が「打つ」という行為を中心にしているのと対照的に、日本刀は脇差や鎧通し、短刀や匕首(あいくち)を含めて、「斬る」という行動がなければ、物は切断できないことが分かるであろう。

 また、小太刀などを握っての白兵・格闘戦において、自在な業(わざ)の出る持ち方、即座に変応できる持ち方、払われても刎(は)ねられても、小太刀を落とすことのない持ち方は、こうした条件を総括すると、やはり「具備した持ち方」があるということになる。

 つまり、「人差し指を心持ち浮かせ」かつ「中指を沈め、然も弛めず」更に「薬指と小指を絞める握り方」ということになる。そして手の裡(うち)であり、力詰めで握り締めても駄目で、一応は寛ぎと余裕があり、「斬る」という想念が小太刀に伝わらなければならないのである。

 

●小太刀術は「切り返し」の大事を説く

 「切り返し」を学ぶ大事は、その第一に敵と間合を計ることであり、その第二に袈裟(けさ)斬りの刃筋を正しく確立させることである。その場合、左右に五回ずつ切り返す。「切り返し」は、前進しながらの切り返しと、後進しながらの切り返しがあり、これをそれぞれ、五回ずつ切り返して袈裟斬りをするのである。

 なお、切り返しをする場合の注意点は次の通りである。

肩から力を抜き去ることで、「怒り肩」や「筋肉肩」になるように筋肉を養成しないこと。
切り返しの刃筋は、単に打つことだけに心を奪われず、正しく正確に40〜45度の角度で袈裟斬りの容量で切り込み、腕の肘が完全に伸ばすことなく、心持ち曲げて余裕を残しておくこと。また、この際、敵の横面を斬撃(ざんげき)する気魄を以て切り返すこと。
両足の間隔は「半歩」にしておき、体形を崩さずに進退すること。
充分に振り被り、思い切りよく切り返すこと。
切り返しを鍛錬すれば、業が激しくなり、同時に息が長くなる。
肩の動きが上下に動き、肩関節が柔軟になる。
体勢が崩れなくなり、小太刀の用い方に機転が利くようになる。

 「切り返し」の利点は他にも多々あるが、切り返しで学ぶことは、左右の袈裟斬りの連続動作を撃剣的に猛烈に浴びせることが出来るようになり、その一方で、敵の戦意を挫(くじ)くことにある。

 

●小太刀の妙は、勘の使い方にある

 人間の備え持つ「勘」は、磨けば磨くほど鋭く光るものである。したがって、「勘」は磨くことによって感覚が研ぎ澄まされることを物語っている。

 さて、「勘」とは如何なるものかといえば、人間の持つ感覚器の中で最も優れたものということになる。人間には肉体的感覚として、「五官」なるものがあるが、「勘」はその五官より更に鋭利な刃物のような、研ぎ澄まされた「第六意識」である。

 人間の外を感じる意識は、初めは眼によって物事を感じ、耳によって感じ、鼻によって感じるという順に、やがて肉体の表面感覚に迫ってくる。物を口に含めば、味覚が現れ、触れば触覚が現れる。つまり人間は、五官を通じてものを感じるのである。

 しかし、更に進むと、五官を超越する感覚に行き当たる。響きなき音を聴き、形なき影を見るようになる。眼に見えない何者かの殺気を感じ、鼻に匂わない独特に異臭を嗅ぎ取るのである。ここが人間の霊妙なる所であり、これは「勘」を研ぎ澄ますことで養われる能力である。

 肉眼や肉耳に頼る、正統な判断は、それが三次元顕界のものであるため、三次元の枠(わく)を出るものではない。そこに見るものは三次元の眼であり、そこに聴くものは三次元の耳である。したがって、その枠を超越するものでない。
 しかし、人間は必要に迫られて、三次元の眼や耳ばかりに頼っていられない場合がある。異次元のそれを求めなければならない必要に迫られる場合がある。

 では、「勘」とは如何なる場合に、その威力を発揮するのか。
 それは考える時間の余裕がない場合、あるいは即座に決断して、行動を決定しなければならない場合、こうしたときに肯綮(こうけい)に当たるのが「勘」である。

 小太刀術では、この「勘」を非常に大事にする。「勘」による即決の動きに準ずる事で、その動きは「他力一乗」のものとなる。自力でありながら、「勘」は他力の働きを持つようになる。 そして、それは他力と「一乗」のものとなる。総てが、この「一乗」で足りるのである。

 小太刀術での勘は、例えば、「二つの手があった」としよう。この「二つの手」のうち、何れかを採るか、取捨の選択に迷ったとしよう。一方を捨て、一方を採るということは、人生には往々にして起ることである。
 この場合、最後の決定はどうしても「勘」に頼ることになる。勘による判断しか手がないのである。しかし、勘は容易に出来るものではなく、勘による判断はかなりの修練を積まなければ出来ないものである。こうして修練することにより、勘を研ぎ澄ましていくと、遂に勘の冴えは本物となる。

 わが流では、「勘の見積もり」を格別値打ちのあるものと考え、瞬時に決する、その判断は、総て勘から出(いず)ものである。
 そもそも小太刀は、長剣に比べて短い分だけ、不利を背負っている。その不利を補う為に、三尺の剣に対した場合、吾(わ)が剣が一尺の小太刀ならば、二尺分だけ前に出て、敵と対峙しなければならない。この対峙によって、敵から突きつけられる尖先も、吾が敵に突きつける尖先も、同じ条件となる。しかし、この条件を同じにするには、「勘」が必要であり、「いつまえに」出るかがが、重要な課題となる。この課題解決の為に「勘」がいるのである。

 わが小太刀術では、この「勘」を、「剣徴(けんちょう)として顕す。剣徴とは、いつ、どのような形で、敵の剣が襲ってくるか見極めることである。こうした「予兆」を感じることを云う。

 剣徴を感じることが出来れば、まず敵の殺気を感じることが出来る。殺気というものは心に響き渡るものである。心に危険を知らせ、騒がせるものである。剣儀における死闘は、殺気の放ち合いとなり、命の取り合いとなる。そこには切迫なるものがある。切迫は「動」より起る。動の働きが、命の遣り取りという切迫なる物を作り、その結果、敵の剣は吾に届こうとする。それを見据えて、吾は左右何れかに転身して、初めて小太刀を打ち出すのである。
 これは気の終わりという、敵の剣の届かんとする時機、吾は「他力一乗」をもって、その敵の気の終わりに「乗ずる」のである。

 「乗ずる」とは、「勘」に乗ずることをいい、ここには紛れもなく「他力一乗」が働いている。そして、勘に乗じ、感覚を研ぎ澄ます修練を行えば、何度も繰り返していくうちに鋭敏になっていくものなのである。この鋭敏さは、単に技術的な練習によって会得できるものではないのである。

 鋭敏さを身に付けるために、研ぎ澄ます勘は、数を掛け、功を積むことであって、則ち勘の基礎となるのは、その第一が経験であり、その第二が無分別からなる無念夢想である。


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