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槍術を含み独特の体捌きを錬成する

桜の木の原木のままを遣って造られた直刀の仕込杖。見た目は刀剣が仕込まれたように見えない巧妙な造り。(写真提供:大東美術刀剣店 福岡県公安委員会 第10221号)

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杖術
(じょうじゅつ)

●静と動について

 静は必ず動を含み、また、動は必ず静を含んでいる。したがって、精神統一などと称して、静のみを求めても、静だけの状態からは、中々精神統一は果たされないものである。
 例えば、坐禅(ざぜん)を組んでみたり、静坐(せいざ)をしてみたりと、静だけの状態を求めても、中々うまくいかず、返って様々な雑念や思念が湧いてくるものである。

 これは雑念や思念を押さえようとするからであり、問題は、雑念や思念を正すことにある。押さえようとはせず、正すことである。これを正しさえすれば、静には必ず動を含み、また、動には必ず静を含んでいることが分かる。これを静と動に分けて、静は静だけ、動は動だけとするから、心を安定することが出来ないのである。

 心を安定させる為には、中正をもって、静でも安定し、動でも安定する心を得なければならない。心の本体とは、生々躍動(せいせいやくどう)するものであり、天の正気が休みなく働いているものである。天の命は、まさしく静にして止まないものなのである。この休みなく動く躍動(やくどう)が失われれば、それは死を意味するのである。
 こうしたものは、本体の心の本体から起る思念ではなく、単なる自分勝手な悪しき「私念」に過ぎない。

 この「私念」が大きくなると、静坐(せいざ)しているときは、一見心が引き締まり、しゃっきっとしたように感じるが、イザ事にぶつかると、忽(たちま)ちに雑念が湧(わ)いてきて、その方に気を取られて、ついに心の安定は崩れてしまうのである。

 また、心には、「内」と「外」の区別がない。静と動が区別がないように、内と外にも区別がないのである。内外に心を区別した場合、別の心が内にあって、これが自分を監督しているということなど、ありようがないのである。

 例えば、静坐をし誰かの話を畏(かしこ)まって聞いている心が、実は静坐しているときの心である。しかし、事においては錬磨し、自分を鍛えなければならないので、心の安定は、静坐の状態だけとは限らない。静だけの状態なら、事が起り、困難にぶっかったとき、忽(たちまち)ち乱れを生じるのである。
 静の状態において、一見心を引き締めているように見えて、実は散漫になっているのである。

 物には、おのずと内と外が存在する。しかし、この内と外は、本来別々のものでない。内と外を並行して修行していく課題であり、両者に断絶があってはならない。それは業(わざ)に「裏」と「表」があるようにである。この裏・表は並行して修行するべきもので、切り離しては考えられないものである。

 それと同様に、心の内と外も切り離せるものではない。それが「心の本体」であるからだ。
 ところが、精神性が薄れ、人欲に心が奪われるようになると、内と外を区別し、それを切り離して考える思考が生まれた。それが心の安定を失わせる元凶となったといえよう。
 いたずらに静の境地を求めるだけではなく、咄嗟(とっさ)の場合には、動の状態にも対応できる心の安定を養っておかねばならない。

 陽明学的に行動の哲学を求めるとすれば、王陽明が言った、「人ハスベカラク事上ニ在(あ)ッテ磨錬(まれん)シ、功夫ヲ做(な)スベシ」に回帰され、修行は積み重ねれば積み重ねるほど、生の境地を深めることが出来るし、動に状態に移行しても、自在に対応できるというのである。
 これを陽明学では、「事上磨錬(じじょうまれん)といい、行動原理の鉄則になっているのである。つまり、行動できる態勢が静の始まりであり、動の終着が、やがて落ち着こうであろう静への状態を示しているのである。
 これをもって、「静動一如(せいどういちにょ)という。
 則(すなわち)ち心とは、内と外を切り離したり、静と動と別々に扱うのでなく、もともと「一つのもの」なのである。

 

●杖術の起源

 杖術は単に、杖の身から発達した武技ではない。護身武器となりえた原形がある。それを分類すると、大まかに次のようになる。

剣術からの杖
剣術を発展させた杖術で、神道夢想流など。刀杖ともいう。
手棒からの杖
個人的闘技の為の半棒の杖術。主に下級兵士や庶民の技術。
手槍からの杖

手槍や籠槍の槍遣いが変化した杖術。緊急時の応急的技術。

錫杖からの杖
僧侶が持つ錫杖が変化した杖術。諸国行脚の旅の智慧らの技術。
捕手術からの杖
十手捕縄の捕縛で用いられる杖術。犯罪者を取り押さえる技術。

 以上のように分類した、大まかに五種類の杖に分けられるが、西郷派の棒術はこの何(いず)れにも属さない。母体は剣の技術を根底においたものだが、剣の技術のみをもって、これを杖術としている神道夢想流などとはその戦闘思想が根底から違っている。

 それは「多数之位」を戦闘思想の根底においているからであり、一対一の個人的闘技ばかりでなく、目標は多数之位にあり、腕の長さ【註】わが流で用いる二本の棒の長さの腕節棍全長は、上腕骨と橈骨あるいは尺骨までの長さとほぼ一致する)から始まる「腕節棍(わんせつこん)」に、その出発点を求め、ここから杖術→棒術→槍術に至り、多数と対峙(たいじ)する「多数之位」に至る為のものである。そして、その奥儀は「乱射刀の儀法」である。

 「乱射刀の儀法」は、多数を想定した、「途切れない動き」にある。また途切れない動きを支える為の、「流れ」にある。この動きと流れの中に、わが流の杖術は、その戦闘思想が横たわっているのである。

 

●杖の極意は一気に連打することにある

 杖は、一旦敵に打ち込んだら、躊躇(ちゅうちょ)なく、何処にでも一気に連打しなければならない。処構わず、辺り構わずである。一切の躊躇(ちゅうちょ)は許されない。「間」を空けてはならないのだ。
 しかし、連打について、あるいは乱打について、伝承主義の、昔ながらの時代遅れの骨董品主義者達は、打ち方にも形式があり、型通りに遣(や)らなければならないと豪語する。愚かなことだ。伝承から受け継いだ「型」など、実戦には何も役に立たない。

 連打し、乱打するのは、非常事態であり、大戦当時の言葉で言えば、「皇国の興廃(こうはい)」が懸(か)かる時機(とき)に、何ゆえ、形式通りに、手順通りに、約束通りに、型通りに、遣らなければならないのか。
 敵に、ひっくり返しにでもされたら、総(すべ)ては終わりである。「形(なり)振り構わず」というのが、緊急事態の鉄則である。カッコウをつける暇など、ないのである。

 平時と戦時は違う。また、日常と非日常は違う。平時の通りに、非日常の振りまいをしていては、イザというときに役に立たない。一旦、平時が戦時に変われば、一気に何処でも構わず、打ち捲(ま)くる事が肝心である。こんな時機(とき)に遠慮などする必要はない。これこそ、物凄い杖遣いであり、この打ち込みが優れていれば、敵は、これを打ち止めようと、張り退(の)けようとする。

 その瞬間を捉え、躊躇(ちゅうちょ)せずに、一気に連打し、乱打するのである。頭でも、肩でも、腹でも、腰でも、睾丸でも、脚でも、膝でも、処構わずに、徹底的に打ちのめすのである。敵に対して、行き着く閑もなく打ち据えるのである。これに手加減すれば、敵は苦し紛(まぎ)れに反撃し、逆にこちらが惨敗するのである。
 杖術の打法に限らず、「打」というものは、徹底的に打ち据えなければならない。これは「当身の打」においても同じである。遠慮することはない。徹底的に打つべし。

 この連打、乱打は、機先を逸(いつ)してはならない。確実に打ちまくり、勝ちまくることだ。
 杖をもっての「打」は、敵に息つかせないことが肝心である。杖の一打で打っても、もう、これで勝ったと思ってはならない。
 安堵(あんど)して、是(これ)で勝ったと思ったとき、敵に逆襲されて、吾(わ)が身は危なくなる。

 杖術闘技の、格闘において、折角杖の一打が、瞬時の、刹那(せつな)の、油断の為に無駄な懼(おそ)れを背負わなければならなくなる。 一瞬の油断で台無しになる。一瞬の勝利で慢心が起る。愚かしいことだ。

 一打を打ったならば、それが敵に頭上に命中しても、安易に狂喜してはならない。一打で、敵を打ち据えることが出来ようが、出来まいが、更に、二度三度、あるいは四度五度と、繰り返し打ち込むことが肝心である。敵の顔も挙げさせぬくらいに、徹底的に打ち込むことだ。

 打ち込むことに、上手も下手もなく、正も偽もない。ただ徹底的に打ち据える。ただそれだけのことである。打ち据えれば済むことである。人間の行動に、正も偽もない。叩けば済むことである。杖とはそうしたものであり、仮に杖術の心得がなくても、杖で頭部を打破すれば、強烈な一打で、まるで西瓜(すいか)を粉砕するように叩き割ることが出来よう。つまり、杖の一打は、躊躇(ちゅうちょ)することなく、連打し、乱打の限りを見せて、敵の頭部を叩き割ることである。

 こうすれば、敵の顔を上げさせるまでもなく、一打で頭部を叩き割ることが出来る。この覚悟こそ決まっていれば、恐らく最初の第一打で完全に勝負が決するだろう。
 したがって、普段の稽古では、烈(はげ)しい闘志をもって、敵の顔を上げさせない覚悟で、一打一打を稽古することが肝心である。

 また面打ちだけではなく、胴や左右の脇腹打ちも肋骨が完全に砕けるくらいに叩き込むことが肝心である。更に、小手打ちにしても、脛(すね)打ちにしても、あるいは膝の半月盤(はんげつばん)割にしても、完全に砕き割るという覚悟が必要で、処構わず叩き込むことである。
 そして、西郷派の極意として、「小さな打力で、最も効果的な破壊力を有する」のは、その第一が「咽喉笛(のどぶえ)を確実の捕らえて突き割ること」と、その第二が「肩の鎖骨に向けて鎖骨のみを叩き折ること」である。

上段受け構え
襷受け打ち
横突き

 また、こうした「小さな打力」を用いての術の中には、敵の顔面に向けての「目の玉突き」「人中線上にある、人中に向けて此処を至近距離から叩き砕くこと」も、即決の勝負として覚悟して突き、叩き割ることが出来れば有効であり、更には、下段からの跳ね上げで、「顎(あご)を叩き割ること」も有効であろう。あるいが睾丸を徹底的に打ち砕く、突き潰すといった覚悟で充(あ)たれば、敵に惨敗の辛酸を味合わせることが出来る。総て、心の覚悟による。

 そして、「覚悟」として忘れてはならないことは、試合のルールで戦わないということである。ルール違反も、卑怯(ひきょう)も、何も存在しないのである。ただ在(あ)るのは、勝って生き残る側の人間と、負けて無慙に残骸を曝(さら)す屍体(したい)だけなのである。人生の半ばにおいて、屍体になりたくなければ、躊躇せず、立ち上がり態(ざま)に徹底的に打ち据える覚悟を決めることである。

 昨今は、「セフティ・スポーツ」や「ルールの上に成り立った競技武道や格闘技」が流行している為に、「危険」という理由で、こうした荒稽古的な「覚悟」は稀薄になったが、その心構えとして、立ち上がるや否や、躊躇せず、肘や腰、肩や頭部を強打して、睾丸と突き砕き、怯(ひる)むことなく勝ちを得るという覚悟だけは持ちたいものである。

 今日の社会的法規や人道的ルールからすれば、ルール違反で、如何にも卑怯な遣り方に映るが、生きるか死ぬかの真剣勝負であれば、卑怯だといっている間に殺されてしまおう。現世は、何事も「死人には口なし」であるから、殺された後に一切の苦情も文句も言えない。何が何でも生き残り、殺されないようにする為には、「覚悟が大事」なのである。
 普段の日常生活をこうした「覚悟」で生きておれば、これまでの生ぬるい日常が、突然、非日常に変化しても、ここで慌(あわ)てふためくことはあるまい。

 実際に、先の大戦の経験者達の老練な人達の話を聞くと、「一気に敵を連打する覚悟と、銃剣の武器使いは、実戦においては確かに有効である」ということだった。現在も、八十や九十の兵役に携わり、満洲(まんしゅう)や中国北支で戦い、あるいは南方方面の激戦地で戦い、「九死に一生を得て生き残った人達」の体験談を聞けば、「連打」や「乱打」は、極めて有効であるということが分かる。

 つまり、要は「覚悟」であり、もし、日本刀で斬りかかって来る強盗に対しても、「覚悟」さえしっかりしていれば、日本刀に対しても、杖で対抗して、決して負けるものではない。
 しかし、連打や乱打の「覚悟」を忘れれば、喩(たと)え、吾(わ)が一撃が、強盗の頭部に当たったとしても、強盗は悲鳴を上げる程度で、自らが悲鳴に気付き、その瞬間、強盗は死に物狂いになっているので、躰当されて、吾(われ)が絶命することさえありうるのである。中途半端に打って、こうした手合いを、絶対に「窮鼠(きゅうそ)」にしてはならないのである。

 日本には古来より、「窮鼠、猫を咬(か)む」という俚諺(りげん)がある。
 この俚諺は、まさに「金言」である。この俚諺を極意にしたいものである。したがって、敵に一打をくれたならば、悲鳴など頓着(とんちゃく)せず、敵の怯(ひる)みに付込んで、確実に滅多打ちにすべきである。これが出来るか否かは、「覚悟」が決める事である。敵が日本刀や拳銃や、その他の刃物を持った強盗であった場合、敵を倒さねばこちらが殺されるのであるから、これは法的にも正当防衛であろう。

 宮本武蔵も、『五輪書』の中で、「太刀の道一つをもって、いづれなりとも打所、是縁の打也」といっているではないか。

 

●杖術は小手先の技術でない

 杖術をよく遣うには、「小手先に頼らぬ」ことである。小手先に頼り、「覚悟」を忘れれば、その「小手先技術」は敗北を招く元凶となる。
 杖術愛好者やスポーツ・チャンバラ愛好者らは、これらの行動律を「小手先の技術」と解している愛好者が少なくないが、小手先の技術で、非日常の実戦に生き残っていくことは出来ない。「覚悟」がなく、「命賭け」という、ぎりぎりの気持ちがなければ、やがていつかは粉砕されて、無慙(むざん)な敗北を招き、死ぬことになるだろう。
 また、「命賭け」というのは、言葉で表現するものではない。行動と態度に表れるものだ。覚悟の度合いとして顕れるものだ。

 しかし、このことを自覚している人は以外にも少ない。その為に、口先では「命賭け」という。口先で「命賭け」と喚(わめ)く者ほど、その多くが「小手先の技」に頼っている。
 杖を握る指先の動きと、手頸(てくび)の三寸か五寸の動かしたかを知り、それだけで勝てると思っている。また、ある人は、扇などを手にして、肘から先の技術の、「早いか遅いか」だけを問題にし、これを勝負と心得ている人がいる。
 あるいは、竹刀などで、手足の動かし方を練習し、敵に対して、幾らかの動きの速さで、勝負に臨もうとしている。しかし、これは「心が歪(ひず)んだ焦(あせ)り」であり、死ぬか生きるかの道理を悟った行動律から出たものでない。

 これらは総て、武術を小手先の技術と解釈し、生きるか死ぬかの道理を、小手先の「先」に勝利がぶら下がっていると感得する愚行である。また、これに準ずる考え方に、打ち込みの強・弱や速・遅と捉(とら)え、これに固執し、振り回されている人が少なくないが、勝負はこの程度の次元が決するものでないということを理解できない為である。
 これ先の弱々しい小細工は、実戦では殆ど問題にならないのである。あらゆる敵と遭遇しても、「覚悟」「命賭け」で、小手先に頼らぬ道理を弁(わきま)えていれば、技術的に未熟であったとしても、そう簡単には負けないものである。

 勝つか負けるかは、「時機の運」というけれど、実際には勝つ場合も道理があり、負ける場合も、道理を知らなかったという道理がある。これらの明暗を分けるのは、「覚悟」と「命賭け」という信念が稀薄になるか、否かに懸(か)かっているのである。こうして考えてくると、小手先の技術は、非日常ではあまり役に立たないことが分かるであろう。

 そして、今日の日本人が完全に忘れているのは、非日常という無差別攻撃と、精神的肉体的優劣を競う試合での勝負を同じように考えていることである。殺すの、殺されるのというと、「同じ殺し」であるから、同じものと考えるようであるが、この両者は明らかに異なっている。

 前者は、非日常という非常事態から起るもので、後者は遺恨や怨敵(おんてき)の念から起るものでない。無差別攻撃などともなると、当然そこには遺恨や怨敵という怨念(おんねん)の世界が浮上してくる。しかし、後者は最初から、遺恨や怨敵は存在せず、試合に勝っても、止めを刺さないというのが「武人の礼儀」であった。

 しかし、昨今の弱肉強食論は、両者を混同させて、強いの、弱いのと、勝負にこだわり、ここから何某(なにがし)かの遺恨や怨敵が派生するような形で強弱論の試合が繰り広げられている。その為に、強弱論は「小手先の技術」に固執しやすい。小手先の技に溺(おぼ)れるから、強弱論が飛び出してくる。

 こうした、強弱にこだわると、どうしても小手先に技術に執着するのは、今日の現代人が肥大化した組織の中で、氾濫(はんらん)する情報に喘(あえ)ぎ、人間性が埋没し、個人間や人間関係が著しく矮小化(わいしょうか)されている為である。
 そして、愚にもつかない「強弱論」が優位を占めてしまうことになる。現代人こそ、こうしたものに振り廻され、この手の次元に「低い縮図」の中で喘いでいる人種といえよう。

 したがって、「太刀合いに勝って止めを刺さず」と、遺恨や怨敵を憤懣(ふんまん)させて無差別攻撃に殺戮(さつりく)を繰り返す輩(やから)と区別がつかないのである。両者は全く異なってものであるが、現代人の人間的なレベルの矮小化は、かくも両者を混同させ、武技の真髄(しんずい)を「小手先の技術」と解してしまう現実を作り出してしまったのである。
 一体、武道を愛好する自称・武道家どもは、何を恨(うら)み、何を憎(にく)んで「強弱論」に趨(はし)り、明け暮れるのだろうか。

 

●秘術としての「動き」

 強弱論は超越されなければならない。強いか弱いかは、稽古の量だけが決定するものではない。これを裏付けつした、心の裡(うち)の「覚悟」というものが決定する。覚悟があるから、また稽古に熱が入る。しかし、勝ちを求めての稽古は、覚悟を軟弱にする。覚悟を決すれば、勝ちなど求めず、むしろ「負けない境地」を求めるだろう。勝つことばかりを考えるのが、強さの秘訣でない。

 堅苦しく、武張っていては流れを失い、遂には動きを失う。猛々(たけだけ)しくては、それが「こけおどし」であると、心の裡を見抜かれるだろう。作られたボディ・アクションは、看(み)る者が見れば、それは直ぐに心の病気だと分かる。そんなものは、戦場の最前線で、猛々しさなど通用しないことは、かつて戦場に赴いた老齢の方ならば、ご存知であろう。

 あるいは戦場の経験のない人でも、敵前の最前線基地にあって、砲弾が飛び交う中、その前を、猛々しく肩で風斬るような人間がいたら、どうなるか想像して貰いたい。この人間は、味方に尊敬を与えるだろうか。こうした場合にすることは、武張ることではなく、敵の動きを観察し、その真意を洞察して分析することではないか。これが正しく分析できれば、決して猛々しい態度は取れなくなる。動きが止まり、流れが止まるからだ。

 「動き」があれば、流れは滞らない。動きと流れを留めてはならないのが、「人間の運行」であり、またこの運行は、「流れ」と「動き」の中から齎(もたら)される。このことを知れば、武張った型に固執しない筈である。

 ちなみに、「西郷派の杖」には、棒術に進む関門として、杖の「飛竜の型」がある。「飛竜」は、型ということになっているが、実際は「動き」であり、単に武道の「型に記された諸動作を順番に従って、順に行っていく」ことでない。あくまでも杖の動きによる、「実践での起居振る舞い」である。

 飛竜の「動き」は、敵の動きを封じ、敵を心から打ち崩す、「敵の心を絶やす」ことを目的にしているのだ。
 普通、例えば、近代剣道の「日本剣道型」とか、講道館柔道の「古式の型」などを見て、「心が封じられる現象」など起りえない。何処まで検(み)ても、実践とはかけ離れた、単たる「演じられた型」である。

 それは、もし、この型を戦場の何処の、激戦地で検(み)たとしても、その感想の中で、心のそこから恐怖を感じ、「実に手強い」などという感想は起るまい。所詮(しょせん)、型とはその程度のものである。

 ところが、西郷派はそのように型を教えない。「型」は型でなく、「動き」であると教える。何故ならば、西郷派の極意は、素手のみに頼らず、命を賭(と)して闘う場合は、形(な)振り構うな。徹底的に敵を恐れさせ、「敵の底を抜け」と教える。

 では、「敵の底を抜け」とは、何か。
 命を賭(と)して、勝負をするときは、何も道場稽古で、得点を挙げ、ポイントを取る事がうまい者が、必ず勝つとは限らない。道場稽古と実戦とは違う。
 何故ならば、吾(わ)が方が、武技においては完全に勝っているにも拘(こだわ)らず、スポーツ的な試合においては、勝っているのだが、敵が闘志を失わない場合である。こうした闘志を失わない者を相手にすると、実に手強い。叩いても、叩いても起き上がってくる。

 最初は簡単に勝負がつくと思っていたのに、闘う時間をずるずると引き延ばされ、遂に、延長戦に持ち込まれ、今度は武技的な勝負でなく、精神的な勝負、あるいは気力の勝負となる。
 道場での熟練者は、当然自分が勝てると思っていたから、この延長戦は堪(こた)える。敵を仕留めようとして、拍子を外され、間が狂い、遂に仕留めるまでにいかないということが起る。こうした場合、敗北するのは、武技に優れた方で、敗北するのは、「もう少し」という、道場稽古の熟練者である。これこそ、稽古上手の落とし穴なのである。

 だから、幾ら道場で武技を練っても、それは素人に通用する技かもしれないが、「したたかな者」には無効である。
 では、無効とする理由は何か。

 このヒントは、次の書物を引用して、もっと具体的に説明しよう。
 もう、随分前のことだが、中国拳法家で、極めて実力のある、具一寿(グ‐イース)という若者がいた。この人は、若いが実に才能と素質があり、人をよく観察し、実戦において、「構え無用論」を説いた人である。
 筆者は、具一寿師【註】この若者を「師」と表現するには、彼に対しての尊敬の意味からである)が、わが流の進龍一(しん‐りゅういち)師範から「突っ張り兄ちゃん」として愛唱され、進師範が絶賛した異例の中国拳法家である。また彼は、人の技術の度合いを見抜く見識に優れ、その見識のままに、その人を論じている。日本で著名な中国武術家は、この「突っ張り兄ちゃん」にかかれば、徹底的にこき下ろされ、その実力の程の化けの皮が剥げる。それが、実の的確で、的を得ているから、説得力もあり、その言は痛快である。

 具一寿師によれば、実戦を次のように冷徹に評している。
 「実戦に構えは不要である」(『中国拳法戦闘法』具一寿著、愛隆堂)と、はじまる彼の言い分は、同時に「型も不要である」というふうに聞こえる。事実、実戦では型など不要であるかも知れない。
 そして具一寿師は次のように論じる。
 「なぜなら試合などでは、今から戦闘すると解るが、実戦ではしなしば、いつ戦闘が始まるか解らない事があり、実戦のほとんどは一撃で勝敗は分かれるし、構える暇などない。構える時間があれば、飛び込んで殴ったほうがマシだろう」(『中国拳法戦闘法』具一寿著、愛隆堂)と述べている。

 実に重々しい諌言(かくげん)ではないか。単純明快な論理ではないか。
 これは中国拳法に限らず、日本の武術にも当て嵌(はま)るだろう。しかし、日本の武術はあまりにも形骸化されれた為、「構え」や「型」の発想を生み、それは例えば、剣道における日本剣道型(この型の母体は北辰一刀流)や、柔道の「古式の形」(天神真揚流と起倒流の対武器の型)などであり、こうしたものは最前線の激戦地では全く用を成さない。
 最前線に居て、敵と見方が眼と鼻の先で対峙している時に、何某(なにがし)かの剣士が、その最前列に立って、「日本剣道型」を演じたとして、それを見た敵は、これは手強いぞと、懼(おそれ)れをなして退却するだろうか。

 また、敵対したままで、退く事も、進む事も出来ない孤立した部隊が、その中に、柔道の経験者が居たとして、腐っている部隊員の前で、柔道の「古式の形」を演舞したところで、これが鼓舞(こぶ)されるだろうか。皆無である。茶番である。演ずれば、まさに「道化師」だろう。

 そんなものは、戦場では、実戦では、何も役に立たず、敵を恐れもさせないのである。単に、無駄な余興(よきょう)である。無駄なことはしない方がいい。実戦に役立たねば、覚えることすら無駄である。現在、アメリカやアメリカに準ずる多国籍軍が、中東地域やイラクで苦戦しているのは、「アメリカのこけおどし」が中東地域のイスラム圏人民に、全く通用しない為である。

 これは、ヨーロッパがイスラム圏に攻勢をかけた十字軍を検(み)ても、分かることだろう。「十字軍の遠征」は、11世紀期末から13世紀末まで延べ3回以上、遠征が繰り返されたが、結局、キリスト教徒たちはイスラム圏の人民を屈服させるには至らなかった。イスラム教徒の討伐は、成就しなかったのである。そして、今、アメリカは再び、現代の十字軍の遠征を行っている。アメリカに追随する国家を引き連れ、多国籍軍を標榜(ひょうぼう)し、強引にアメリカの軍事力で、イスラム教討伐を行っているが、この「現代版・十字分の遠征」は、一向に功を奏していない。益々深みに嵌り、ベトナム戦争の似(に)の前となっている。

 口先では「テロ撲滅」の大義名分を掲げている、アメリカ国民や日本国民を騙(だま)しているが、要するに、キリスト教国家アメリカは、過去の歴史を繰り返しているだけである。歴史は繰り返すというが、まさにかつての十字軍の遠征は、現代のアメリカを髣髴(ほうふつ)とさせる。そして、アメリカの傲慢(ごうまん)は結局成就しないだろう。

 それは取りも直さず、「武張った態度」や、それから滲(にじ)み出る「滑稽(こっけい)なまでの怒り肩」が、全然、怖くないのだ。畏れられない、そこに居るだけで威圧する気魄のない存在は、かえって混乱を招くばかりなのである。現在の中東情勢の混乱は此処に由来する。要するに、アメリカやアメリカに準ずる多国籍軍には、武術で言う、「動き」と、それを支える「流れ」が止まっているのである。だから、イスラム圏の人民から見て、ちっとも怖くないのである。

 西郷派は、伝承武道ではなく、伝統武術である。西郷派の「杖の型」を、型として捉(とら)えず、「動き」として捉えよと教える。杖の動きは、「流れ」として流れるべきであり、「流れ」は動くを伴い、勢力を継続させるものになる。勢力の継続こそ、流れに準じる動きであり、「動き」によって、実戦では勝利を得るのである。勝利は、室内で、道場内で、優劣が決するものでない。優劣の明暗が決定的に表明するのは、実戦の場、戦場の場なのである。

  戦場には、もともと勝敗の差は何処にもない。あえて「差」というものを捉えようとするならば、それは「動き」に見ることが出来よう。動きを、一種の分解写真のように演ずる者は、ズブのド素人であり、幾ら道場での室内稽古が何十年の猛者でも、実戦での戦いでは、全くの「ド素人」である。
 ド素人は、机上の空論で往々にして間違いを犯す。そして、最後は命を失う。その程度の軽い命しか持ち合わせていないのが「ド素人」であり、この「ド素人」は、道場稽古の武道マニアということになる。

 歴史を振り返れば、かつて日本軍は陸海軍ともに、「戦争を知らない軍人達の集合体」ではなかったか。彼等は、日本を敗北に導いたことは、彼等の敗戦責任である。
 戦後教育の中で、「戦争を知らない子供達」という杉田次郎の歌が、音楽の教科書にと仕上げられたが、実は、戦争を知らなかったのは、何も戦後生まれの現代っ子ばかりでなく、戦前戦中の軍人達もまた、「戦争を知らない軍人達」であったのである。

 そして、今日のアメリカも、「戦争を知らないアメリカ国民」に、イラク情勢が委ねられ、自分たちの選出した大統領によって、イラクへイラクへと、草木も靡(なび)かせているのである。
 アメリカナイズされたものは、総て「武張った」ものばかりである。このことを見る居ている日本人や日本人武道家は殆どいないといってよかろう。その為に、猛々しいものばかりが流行しているのである。

 西郷派はこうしたものに頓着しない。「こだわり」を捨てた流派である。「絵に描いた餅」同然の、故錬的な大東流の伝承武道に与(くみ)しないのである。
 したがって、西郷派は「型」の無意味を教える。型が無意味ならば、それは「動き」にならなければならない。この「動き」の中にあって、西郷派の「飛竜の型」は、形に止まらず、動きとして猛威を振るうのである。これこそが、多敵を相手にした「杖の動き」であると自負している。


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