■ 柔術 ■
(じゅうじゅつ)
日本の柔術が、「剣の裏技」から発達してきたことを知る人は、以外に少ないようだ。
本来柔術は、単に「無手」を専門にした、素手同士の戦いの中から起ったものではなかった。この点が、平安期の相撲とも違うし、中国の角力や朝鮮やモンゴルの相撲とも、あるいは古代ギリシャのパンクラチオンとも異なる。
日本の柔術は、「チカラビト」のそれではない。 あくまで剣術の裏技として発達したものが、日本柔術であった。矢尽き、剣折れれば、最後は武器を持たずに「組討」に至る。この「組討」の技術として発達したのが柔術であった。そして、その発達過程の中で、「敵を無傷で生け捕る」という捕縛(ほばく)思想が生まれた。
武器を持たずに敵と対した時、もしくは敵を傷つけずに生け捕りたい場合など、投げや関節技を主軸とする柔術の技法を用いる。そして、柔術の技を、「儀法(ぎほう)」と称した。
「儀法」の意味は、敵を傷つけることなく、あるいは命を奪うことなく、敵の行動を制して、その命を奪ったり、身体を傷つけるものではないという、「礼儀」から興った「儀」であり、それと表裏一体の関係を示したものが、「礼」であった。
「礼」をもって、敵を傷つけず、敵の命を奪わず、無傷のまま生け捕り、敵の暴力のみを制するという思想で貫かれていたのである。
柔術は、大東流を象徴する儀法(ぎほう)の一つであり、合気道や他の武道に多大な影響を与えたことでも有名であるが、この技法の原点は剣術にあり、その動きの中から派生しているという事実はあまり知られていないようだ。
柔術と剣術は合気武術において、表裏一体の関係にあり、単独の技術として研究を行っても全くの無意味である。つまり、剣を学ぶことが、実は柔術の業(わざ)にも通じたのである。
「剣の裏技」である柔術は、剣術の動きがそのまま生かされており、いわば剣を持たない剣術である。
剣を持たないから剣術ではないという考え方ではない。
則(すなわ)ち、「柔術」とは、剣を持たない剣術であり、剣を持った敵に対し、「無手」で対峙するのが柔術なのである。
したがって、始めから素手の技術として存在していたわけではないのである。
突き詰めれば柔術儀法の上達は、剣術と合わせて研究することが、上達への近道となるのである。
また、素手で敵の攻撃を受け、捌き、絶妙の理合を用いて、敵を行動不能に追い込む柔術は、法律で武器の携帯が許可されていない現代日本では、非常に有用な技法であり、大東流の実戦護身術も柔術を核に構成されている。
大東流の柔術は、武術史上稀(まれ)に見るほど精緻な躰術(たいじゅつ)であり、その奥深さには特筆すべきものがある。
一つの技の中にも数多くのポイントやコツがあり、上の段階へ進めば進むほど、新たな理論が開けているという、立体的な多重構造を成している。
修行者は、長い階段を一段一段上っていくように、智慧(ちえ)を磨きながら技術の核心に迫っていくのである。
柔術を含む大東流の技法には、筋肉を鍛え上げ、機械的にスピードを競い合うといったスポーツ的な発想は皆無であり、最低限のわずかな力(8Kgを持ち上げる程度)さえあれば、年齢、性別を問わず効果を発揮する。この点が、「術」を学べば、婦女子にでもできる所以(ゆえん)である。
合理的な体の使い方、心身を調整する呼吸法、そして先達の智慧が集約する「秘伝」を以て、敵を制するのが大東流柔術の真髄なのである。
ちうなみに、わが西郷派大東流は、呼吸法と共に儀法への「吐納法」を教え、この呼吸を持って、敵の力を無効にし、更には敵の力を吾(わ)が味方に引き入れ、「術」を以て、敵を制する方法を指導している。
柔術の基本は、あくまで「剣術」であるが、「手解き」の剣術を学ぶために、合気揚げの両手取りから始まっている。この「両手取り」は、まさに剣の儀法であり、剣を上段に振り上げるときの極意が、この中に刻印されているのである。
そして、わが西郷派の教えは、「手解き」イコール「極意」の伝授であり、単に高級儀法を追って、技のレパートリーを増やすのではなく、基本技を地道に、コツコツと積み上げていくことを門人達の説いているのである。 |