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さて、鎖玉の「攻め」の中心は、鎖部分を用いた場合、敵の頸椎(けいつい)にこれを絡め、「窒息」させることにある。 この業(わざ)を解剖学的に見ると、鎖が頸椎の孰(いず)れかの部分に喰(く)い込み、その部分を必要以上に伸ばすので、敵の第三頸椎から第五頸椎の孰れかに、強いダメージを与える事が出来、これらを外すか、骨折させる事も可能である。 また、この状態から力を加え、更に腕(かいな)を返せば、第一頸椎と第二頸椎が外れてしまう。こうした状態で頸(くび)を絞められ、呼吸が出来なくなると頸動脈(けいどうみゃく)が圧迫されて、脳への血流が滞り、ついに失神するだけでなく、数時間放置すれば、脳壊疽(のうえそ)を起こして植物状態になる事もある。 こうした隠武器を研究し、これを熟練の境地まで高めることは、単に実戦という、闘わねばなくなった場合に、これに応じて闘うことではなく、隠武器を熟練することによって、「負けない境地」を会得する為である。 それは人間が死に向かっている存在であるからだ。 老獪とは、単に歳をとっていて狡賢(ずるがし)いことではない。これは老いによる人生経験を指すが、それだけではない。老いても無能な老人は幾らでもいる。無能でないことを、あえて「老獪」という。その老獪にこそ、智慧(ちえ)があり、その智慧は、人生の窮地(きゅうち)を助ける。 こうした智慧は、人生を平々凡々に過ごしてきた老人には存在しない。苦労を積み重ね、人間社会の中で辛酸を舐めてきた人間のみ、苦労から導き出した智慧が備わる。総て、経験や体験が為(な)せる業である。したがって、若者でも、苦労を重ね、厳しさに耐えて生き残った者は、やはり老獪の一面を備えている。そうした者が最後まで生き延びるのである。 その為には、やはり武器の熟知ばかりに止まらず、「敵の度肝を抜く」という境地を会得するべきであろう。つまり、敵の眼から見て、あるいは敵の集団から見て、この人間と戦えば、自分たちも決してタダではすまないと思わせる心の気魄(きはく)が必要である。この気魄さえあれば、敵は自分たちに降り懸る難を避けて、戦わず去るだろう。 戦わず去るように仕向けることが、本来の武術修行と最大の目的である。武術修行の目的が、演武会で自分の練習した技を誇らしげに披露したり、これを素人に見せ付けて、「どうだ素晴らしいだろ」という風な、自己顕示欲の為に、本来の修行はあるのではない。 本当の修行とは、生死の尖端(せんたん)に、とことん自分を追い詰めて、死に物狂いで高等技術を身に付け、「どうしたら戦わなくて済むか」ということを模索するのが、修行の本当の目的である。身に付けたものを、演武会や試合で誇らしげに、観衆の面前で披露することではない。 武芸とは、芸者の「芸」とは違う。 つまり、「兵法」で謂(い)う、「敵の底を抜く」ことである。敵の、底を抜く為には、武器においても、技量や体質においても、あるいは心においても、総ての行為は、上回っていなければならない。これが上回っていない限り、「負けない境地」や「争わない理」は会得できない。技量が上回り、体質が上回っていなければ、最終的には敗北するのである。 この境地が確立されなければ、敵を付け上がらせるばかりである。敵から、見下されない為には、まず、敵の度肝を抜くような、奇手を用いて、この術を知り、また、自らの心を養うことだ。 心の養い方の一つの教訓を、歴史の中から上げるならば、それは「川中島の戦い」に見ることが出来よう。川中島の戦いは、ご存知の通り、上杉謙信と武田信玄の戦いである。この戦いは、前後五回によって行われた。しかし、何(いず)れも雌雄(しゆう)は決し難く、遂に物別れとなった。しかし、決して「もつれ合った」のではない。 川中島の戦いは、信玄の方が優勢であったとする歴史学者や小説作家が多いが、歴史的な正確な文献によって検討すれば、第一回の戦いも、第二回の戦いも、遥かに謙信の方が上だった。第三回の戦いと第五回の戦いでは、刃(やいば)を交えることなく両軍の睨(にら)み合いで物別れとなった。 有名な頼山陽(らいさんよう)の「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)」の漢詩で有名な、第四回の戦いは、前半が謙信が勝ち、後半は信玄が勝ったが、終局的には五分と五分であり、引き分けに終わっている。これこそが、「負けない境地」の真髄であり、決して両者は侵略されたり、侵略したりの争奪戦に参加したのでなく、「負けない境地」を律して、戦いに臨んだといえよう。 そして、第四回の戦いにおいて、有名な両雄の一騎打ちがあったとする事実に対し、これを否定する歴史学者が居るが、その直後に送った、近衛前嗣(このえさきつぐ)の書状よれば、「自身太刀打ちのおよばれたのは比類なき働きであって、天下の名誉なり」としているところから、やはり両雄の一騎打ちは、あったと考える方が最も自然であろう。 鎖玉の本来の目的は、敵を混乱させ、撹乱させることにある。これにより「負けない境地」を確立させる。したがって、雌雄を腕力によって決するものでない。あえて勝つ必要はないが、本義は「負けない」ことである。混乱させ、撹乱させ、その隙(すき)に乗じて敵を打ち、あるいはそれで逃げても、負けたことにはならない。問題なのは、100%の勝ちを求めて、愚かな闘いをすることである。これこそ愚と言わなければならない。したがって、腕力を競って争うことではない。 術者が上半身を遣っての「玉振りの儀法」は種々ある。第一が、左右の手に持ち換えての素早い「風車」であり、第二が撹乱の為の左右の斜めに振り込む「綾振り」であり、第三が頭上で廻す「大車」である。この三つの振り動作に加えて、「一文字構え」(敵の飛込みを誘い、頸に巻きつけて絞める)、「二条受け」(鎖を半分に折って二重にして受ける)、「腕(かいな)捕り」(接近戦で肘を利用して引き寄せる)、「楯構え」(二重にして楯のように構える)などがる。何れも、「対刃物戦」に有効である。 また、振り動作において、上肢を用いる場合、腕の振りは素早く動かし、空を切る音を出すことが肝心であるが、音だけではなく、敵を見据える場合は、下から上を見据え、敵の眼から、目付けを離さないことである。人間は眼に、心が表れるので、その表れをじっくりと読むことが必要である。 振りの制空圏内においては、直径を約2メートル前後に保ち、間合を取りつつ、接近戦においては、敵の手頸(てくび)に鎖玉を叩き込んだり、刃物などの武器を持っている場合は、武器に向けて鎖玉を叩き込む。あるいは手頸(てくび)を絡めて制し、更には頸を絡めて頚動脈(けいどうみゃく)を絞めて制する。
武芸や兵法を、勝ちを得る為の闘争という風に考えるのではなく、「負けない為の境地」と考える方が、武術修行の目的は明確となる。格闘の試合において、強弱論を論じ、弱肉強食の世界を展開させれば、結局それは阿修羅(あしゅら)の世界となり、この世に禍(わざわい)を齎(もたら)すことになる。こうした禍を元凶化しない為にも、その目的は敵に勝つ為のものではなく、戦わず、また負けることのない境地を目指した方が、より健全であり、崇高(すうこう)であることは一目瞭然であろう。 さて、心理戦において、確立しなければならない姿勢は、まず、第一が「足運び」であり、第二が「その足運びが乱れぬ」ことである。足運びや、それが乱れていては、敵から見透かされてしまう。つまり、「及び腰」が露見し、その非を突かれるのである。「及び腰」とは、腰砕けのことであり、腰が砕ければ、足運びがままならぬ状態となる。 また、幾ら足運びが大事だからといって、足運びに準じる動きと称して、浮き足、飛び足、跳ね足、踏みつけ足、鴉足、猫足などと称して、種々の足運びをする必要はない。むしろ、自然な足運びである、「摺り足」こそ、一番大事な足運びであり、摺り足のみにおいて、腰は安定し、姿勢が毅然となり、心も落ち着くものである。 ところが、折角の摺り足も、膝が伸びきってしまっては、台無しである。膝が伸びきれば、折角の摺り足も、早く動くことが出来ない。素早さが半減し、これに乱れが伴う。 その為に、膝のバネは充分に余裕を持たせ、「弓身之足(きゅうしんのあし)」をもって、あたかも四駆のサスペーションのように如何なる悪路でも、自在性が必要となる。そして、早いばかりでなく、第一義は腰を充分に落とし、安定させることである。 単に早いばかりが能でない。速く攻め懸かれば、拍子が狂い、鎖玉の振り子動作や風車動作は足が出遅れた形となり、敵の急所まで届かなくなる。鎖玉の用いる目的は、敵をうろたえさせ、乱れさせ、崩れる状況を作るのであって、それを冷静に見極め、敵に少しも立ち直るチャンスを与えないことである。つまり、反撃の余裕を与えないことだ。 本来、兵法というものは、足が地に付いていない状態では、幾ら腕力があっても、一時的に敵を脅すだけで、こうした腕力一辺倒主義では長続きしないものである。また、腕力で闘う者は、やがて疲れ果て、墓穴を掘る事になる。 一時の生存競争に勝利しても、最後の勝利にはおぼつかないだろう。有終の美は、こうして崩れるのである。 例えば、足運びにおいて、飛び足がよくない理由は、飛び足を使うと、それは習慣となり、飛ばなくてもいいところまで飛んでしまうことである。また、跳ね足にしても、この跳ねるは、心が跳ねることを顕し、腰が落ち着かない心理状態を作ってしまうのである。こうしたそれぞれの足使いの心理状態は、そのままま心に連結され、心が躰(たい)を造ってしまうからである。そして、呼吸が乱れることは言うまでもない。
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