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素手で敵を制することを目的とした剣の裏技
鎖玉は左右の鎖の尖端(せんたん)についている丸い分銅の部分で、敵の頭部を打ち砕くこともさることながら、球分銅(たまふんどう)の重みを利用しながら、鎖の部分で敵の手頸(てくび)を絡め捕ったり、あるいは頚動脈を絞めたりと、躰術(たいじゅつ)としての様々な変化に応じる儀法(ぎほう)である。
 現世は「変化」に準ずる現象界で、「変化する」ことこそ、この世の実体である。この実体は固定されることなく、常に変化を伴って動いている。如何なるものも、絶え間なく変化するのである。
 西郷派の鎖玉は、こうした変化に順応する、特異な「隠武器の兵法」である。また、一般に鎖玉は、上半身の動きを主体にした武技と思われがちだが、実は、その真髄(しんずい)は下半身にある。下半身が自在なることが、鎖玉の得意な遣(つか)い方なのである。鎖玉は、西郷派独特の武技であって、他の大東流柔術には存在しない。

鎖玉と絞業 ■
(くさりだまとしめわざ)

 西郷派大東流で用いる隠し武器は、「戦い」を兵法と考えているので、様々な隠し武器を用いて非常の際に当てられた。そして、その隠し武器の「秘伝」として、特異な『鎖玉』が用いられた。

 西郷派合気の基本理念は、「当身」によって、敵を徹底的に弱らせるのが合気の術理である。当身なくして合気は成立しない。しかし、当身を数回打ち込んでも、最初の出鼻を挫(くじ)く事が目的の為、当身自体は「本当身」の形をとっていない。こうした効果不充分の時に、隠武器として「鎖玉」が用いられる。
 これこそ、「兵は詭道(きどう)なり」の、「小よく大を制す」の根本鉄則である

 体力に乏しく、弱者に置かれる者は、端(はな)から力に頼ることなく、「術」をもって敵を倒さねばならない。弱者であるが故に、術を磨く必要があるのだ。その術の一つとして、西郷派には特異な鎖玉がある。また、この鎖玉を用いて、敵を絞め落とす業(わざ)がある。

 鎖玉は、長さ2尺〜3尺の鎖の両尖端に、約200グラム前後の球分銅(たまふんどう)がついている。これを多数之位や多勢に無勢の格闘で用い、あるいは強敵に対してこれを用い、「負けない境地」を確立するのである。
 多勢に無勢の場合、腕力だけで対処するのは至難の業(わざ)である。また、敵が刃物で襲い掛かる場合、素手では分(ぶ)が悪い。素手で敵を撹乱(かくらん)するにも限界がある。

 多敵と対峙(たいじ)する場合、これは心理戦において、まず、敵の心を、心底から打ち崩さなければならない。敵の心を根絶やしにしなければ、術者は如何に技量が卓(すぐ)れているといっても、直ぐに包囲され、袋叩きに遭(あ)ってしまうだろ

 心理戦で勝つには、技で勝つことではなく、敵の心の度肝(どぎも)を抜くことである。
 一般に、道場稽古で強い者は、実戦においても強い者と信じられている。しかし、道場稽古と実戦はその比に非(あら)ず。また、試合でも、試合上手と実戦での戦い方は異なる。ルールがないからだ。

 実戦において、武技が卓れた方が、必ず勝つとは断言できない。道場の稽古上手も、実戦では勝手が違う。板張りや畳の上や、また、リングの上とも異なる。
 したがって、武技によって、形の上では敵を圧倒していても、敵が闘志を失わない場合は、倒したと思っていても、何度でも起き上がってくる。徹底的に敵を仕留めない場合、決して勝ったとはいえないのである。その為に、「最後の詰め」がいる。
 それが、絞め業に用いる「鎖玉」である。この武器は、一見単純で、用い方においては、多勢に無勢に対応できる唯一の武器となる。ゆめゆめ、素手による腕力だけで、多敵に対応できると思わないことだ。

鎖玉

▲鎖玉。鎖の尖端には左右にそれぞれの同じ重さの錘がつけられている。

 さて、鎖玉の「攻め」の中心は、鎖部分を用いた場合、敵の頸椎(けいつい)にこれを絡め、「窒息」させることにある。
 この技法は「頸固(くびがため)」と同じように、術者は敵の頭部に鎖玉の尖端(せんたん)を打ち込み、次に顎下(あごした)から右手に鎖玉の尖端を握ったまま、右腕と共に差し込み、左腕でそれを支えつつ、同時に鎖を巻き付け、左右が開通した後に腕だけを抜き取り頸椎部を絞め上げる。この時、左腕を通したまま交叉(こうさ)させ、「馬の腕(かいな)を返す」要領で、捻(ひね)り込むので、頸椎部には相当な絞めと、圧力が掛かる。ひ弱な者でも、一旦この業(わざ)に嵌(はま)れば、容易に倒すことが出来る。要は「腕を返す」ことだ。

 この業(わざ)を解剖学的に見ると、鎖が頸椎の孰(いず)れかの部分に喰(く)い込み、その部分を必要以上に伸ばすので、敵の第三頸椎から第五頸椎の孰れかに、強いダメージを与える事が出来、これらを外すか、骨折させる事も可能である。

 また、この状態から力を加え、更に腕(かいな)を返せば、第一頸椎と第二頸椎が外れてしまう。こうした状態で頸(くび)を絞められ、呼吸が出来なくなると頸動脈(けいどうみゃく)が圧迫されて、脳への血流が滞り、ついに失神するだけでなく、数時間放置すれば、脳壊疽(のうえそ)を起こして植物状態になる事もある。
 こうした武器は、実際には一般の格闘技や競技には遣(つか)われないので、そもそもこの点において、実戦と試合が異なるということが一目瞭然となる。

 こうした隠武器を研究し、これを熟練の境地まで高めることは、単に実戦という、闘わねばなくなった場合に、これに応じて闘うことではなく、隠武器を熟練することによって、「負けない境地」を会得する為である。
 「負けない境地」を得る為には、単に武技の練習に明け暮れても、それが実戦に通用しない、「試合用のもの」であっては、必ず敗れる時が遣(や)ってくる。それは肉体に限界があるからだ。また、年齢と体力は反比例関係にあり、年齢が高くなれば、体力は低下する。

 それは人間が死に向かっている存在であるからだ。
 生まれたものは、やがてその年齢と寿命を全うして、必ず死ぬ。「必ず死ぬ」為に年齢というものが存在する。本来死ぬべき存在が、生きているとは、こういうことである。したがって長生きする為には、経験を積んで老獪(ろうかい)にならなければならない。老獪こそ、若者にない経験や体験の集積である。

 老獪とは、単に歳をとっていて狡賢(ずるがし)いことではない。これは老いによる人生経験を指すが、それだけではない。老いても無能な老人は幾らでもいる。無能でないことを、あえて「老獪」という。その老獪にこそ、智慧(ちえ)があり、その智慧は、人生の窮地(きゅうち)を助ける。

 こうした智慧は、人生を平々凡々に過ごしてきた老人には存在しない。苦労を積み重ね、人間社会の中で辛酸を舐めてきた人間のみ、苦労から導き出した智慧が備わる。総て、経験や体験が為(な)せる業である。したがって、若者でも、苦労を重ね、厳しさに耐えて生き残った者は、やはり老獪の一面を備えている。そうした者が最後まで生き延びるのである。

 その為には、やはり武器の熟知ばかりに止まらず、「敵の度肝を抜く」という境地を会得するべきであろう。つまり、敵の眼から見て、あるいは敵の集団から見て、この人間と戦えば、自分たちも決してタダではすまないと思わせる心の気魄(きはく)が必要である。この気魄さえあれば、敵は自分たちに降り懸る難を避けて、戦わず去るだろう。

 戦わず去るように仕向けることが、本来の武術修行と最大の目的である。武術修行の目的が、演武会で自分の練習した技を誇らしげに披露したり、これを素人に見せ付けて、「どうだ素晴らしいだろ」という風な、自己顕示欲の為に、本来の修行はあるのではない。

 本当の修行とは、生死の尖端(せんたん)に、とことん自分を追い詰めて、死に物狂いで高等技術を身に付け、「どうしたら戦わなくて済むか」ということを模索するのが、修行の本当の目的である。身に付けたものを、演武会や試合で誇らしげに、観衆の面前で披露することではない。

 武芸とは、芸者の「芸」とは違う。
 武芸者の心得は、如何にしたら戦わなくて済むか、これを真剣に模索することにある。その為に、心理戦において、敵の度肝を抜く必要がある。この点が、筋書きのある演武会と、筋書きのない実戦との違いである。

 つまり、「兵法」で謂(い)う、「敵の底を抜く」ことである。敵の、底を抜く為には、武器においても、技量や体質においても、あるいは心においても、総ての行為は、上回っていなければならない。これが上回っていない限り、「負けない境地」や「争わない理」は会得できない。技量が上回り、体質が上回っていなければ、最終的には敗北するのである。
 ちまみに、ここでいう「体質」とは、僻地や窮地に遭遇しても、へこたれない、回復の早い、神経の質や精神力を言うのである。

 この境地が確立されなければ、敵を付け上がらせるばかりである。敵から、見下されない為には、まず、敵の度肝を抜くような、奇手を用いて、この術を知り、また、自らの心を養うことだ。
 敵の心を崩し、敵の闘志を奪う為には、強いか弱いかということよりも、「この人間と一戦すれば、仮に買ったとしても、タダではすまない」という事を、思い知らせることである。その為には、単に演武会用の練習に明け暮れるのではなく、実戦に際し、「負けない境地」を得る為に、日頃から日夜、地道な稽古を続け、心を養うことである。

 心の養い方の一つの教訓を、歴史の中から上げるならば、それは「川中島の戦い」に見ることが出来よう。川中島の戦いは、ご存知の通り、上杉謙信と武田信玄の戦いである。この戦いは、前後五回によって行われた。しかし、何(いず)れも雌雄(しゆう)は決し難く、遂に物別れとなった。しかし、決して「もつれ合った」のではない。

 川中島の戦いは、信玄の方が優勢であったとする歴史学者や小説作家が多いが、歴史的な正確な文献によって検討すれば、第一回の戦いも、第二回の戦いも、遥かに謙信の方が上だった。第三回の戦いと第五回の戦いでは、刃(やいば)を交えることなく両軍の睨(にら)み合いで物別れとなった。

 有名な頼山陽(らいさんよう)の「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)」の漢詩で有名な、第四回の戦いは、前半が謙信が勝ち、後半は信玄が勝ったが、終局的には五分と五分であり、引き分けに終わっている。これこそが、「負けない境地」の真髄であり、決して両者は侵略されたり、侵略したりの争奪戦に参加したのでなく、「負けない境地」を律して、戦いに臨んだといえよう。

 そして、第四回の戦いにおいて、有名な両雄の一騎打ちがあったとする事実に対し、これを否定する歴史学者が居るが、その直後に送った、近衛前嗣(このえさきつぐ)の書状よれば、「自身太刀打ちのおよばれたのは比類なき働きであって、天下の名誉なり」としているところから、やはり両雄の一騎打ちは、あったと考える方が最も自然であろう。

 鎖玉の本来の目的は、敵を混乱させ、撹乱させることにある。これにより「負けない境地」を確立させる。したがって、雌雄を腕力によって決するものでない。あえて勝つ必要はないが、本義は「負けない」ことである。混乱させ、撹乱させ、その隙(すき)に乗じて敵を打ち、あるいはそれで逃げても、負けたことにはならない。問題なのは、100%の勝ちを求めて、愚かな闘いをすることである。これこそ愚と言わなければならない。したがって、腕力を競って争うことではない。

 術者が上半身を遣っての「玉振りの儀法」は種々ある。第一が、左右の手に持ち換えての素早い「風車」であり、第二が撹乱の為の左右の斜めに振り込む「綾振り」であり、第三が頭上で廻す「大車」である。この三つの振り動作に加えて、「一文字構え」(敵の飛込みを誘い、頸に巻きつけて絞める)、「二条受け」(鎖を半分に折って二重にして受ける)、「腕(かいな)捕り」(接近戦で肘を利用して引き寄せる)、「楯構え」(二重にして楯のように構える)などがる。何れも、「対刃物戦」に有効である。

 また、振り動作において、上肢を用いる場合、腕の振りは素早く動かし、空を切る音を出すことが肝心であるが、音だけではなく、敵を見据える場合は、下から上を見据え、敵の眼から、目付けを離さないことである。人間は眼に、心が表れるので、その表れをじっくりと読むことが必要である。

 振りの制空圏内においては、直径を約2メートル前後に保ち、間合を取りつつ、接近戦においては、敵の手頸(てくび)に鎖玉を叩き込んだり、刃物などの武器を持っている場合は、武器に向けて鎖玉を叩き込む。あるいは手頸(てくび)を絡めて制し、更には頸を絡めて頚動脈(けいどうみゃく)を絞めて制する。

鎖玉/対刃物の楯構え
鎖玉/一文字構え

 武芸や兵法を、勝ちを得る為の闘争という風に考えるのではなく、「負けない為の境地」と考える方が、武術修行の目的は明確となる。格闘の試合において、強弱論を論じ、弱肉強食の世界を展開させれば、結局それは阿修羅(あしゅら)の世界となり、この世に禍(わざわい)を齎(もたら)すことになる。こうした禍を元凶化しない為にも、その目的は敵に勝つ為のものではなく、戦わず、また負けることのない境地を目指した方が、より健全であり、崇高(すうこう)であることは一目瞭然であろう。
 だからこそ、日々修練を重ね、練りに練り、磨きに磨き、己(おの)が儀法を常に研ぎ澄ませておかなければならないのである。

 さて、心理戦において、確立しなければならない姿勢は、まず、第一が「足運び」であり、第二が「その足運びが乱れぬ」ことである。足運びや、それが乱れていては、敵から見透かされてしまう。つまり、「及び腰」が露見し、その非を突かれるのである。「及び腰」とは、腰砕けのことであり、腰が砕ければ、足運びがままならぬ状態となる。

 また、幾ら足運びが大事だからといって、足運びに準じる動きと称して、浮き足、飛び足、跳ね足、踏みつけ足、鴉足、猫足などと称して、種々の足運びをする必要はない。むしろ、自然な足運びである、「摺り足」こそ、一番大事な足運びであり、摺り足のみにおいて、腰は安定し、姿勢が毅然となり、心も落ち着くものである。

 ところが、折角の摺り足も、膝が伸びきってしまっては、台無しである。膝が伸びきれば、折角の摺り足も、早く動くことが出来ない。素早さが半減し、これに乱れが伴う。
 こうした乱れも、板張りや畳の上では、あまり目立たないが、これが湿地帯、沼地、谷川、石原、浜辺、細道、田圃(たんぼ)、畑、険しい山道などとなると、膝が伸びきった状態では、敵との遣り取りで不覚を取ることになる。

 その為に、膝のバネは充分に余裕を持たせ、「弓身之足(きゅうしんのあし)」をもって、あたかも四駆のサスペーションのように如何なる悪路でも、自在性が必要となる。そして、早いばかりでなく、第一義は腰を充分に落とし、安定させることである。

 単に早いばかりが能でない。速く攻め懸かれば、拍子が狂い、鎖玉の振り子動作や風車動作は足が出遅れた形となり、敵の急所まで届かなくなる。鎖玉の用いる目的は、敵をうろたえさせ、乱れさせ、崩れる状況を作るのであって、それを冷静に見極め、敵に少しも立ち直るチャンスを与えないことである。つまり、反撃の余裕を与えないことだ。

 本来、兵法というものは、足が地に付いていない状態では、幾ら腕力があっても、一時的に敵を脅すだけで、こうした腕力一辺倒主義では長続きしないものである。また、腕力で闘う者は、やがて疲れ果て、墓穴を掘る事になる。

 一時の生存競争に勝利しても、最後の勝利にはおぼつかないだろう。有終の美は、こうして崩れるのである。
 その証拠に、老年の惨敗者は、若い頃、無理の多い、浮き足、飛び足、跳ね足、踏みつけ足、鴉足、猫足などを体力の任せて、筋トレ的に練習し、それで優位に立ったと安堵(あんど)したものである。しかし、こうした一時的な優位も、歳をとれば皆無に戻り、結局、肉体至上主義は、晩年を迎えて禍(わざわい)するということだ。

 例えば、足運びにおいて、飛び足がよくない理由は、飛び足を使うと、それは習慣となり、飛ばなくてもいいところまで飛んでしまうことである。また、跳ね足にしても、この跳ねるは、心が跳ねることを顕し、腰が落ち着かない心理状態を作ってしまうのである。こうしたそれぞれの足使いの心理状態は、そのままま心に連結され、心が躰(たい)を造ってしまうからである。そして、呼吸が乱れることは言うまでもない。


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