■ 合気立極(万歳固め) ■
(あいきたちぎめ ばんざいがため)
●合気立極について
スポーツライター 宮川修明
人間は直立して両手を挙げると、手頸(てくび)、肘、腕、肩、胸、腰、尻部、腿、膝、足首、そして足、足の裏と、動きが繋がっている事が実感される。この一連の繋がりが、人間としての動作を支配している。そして多くの場合、人間が直立して、何かの動作を行うとき、直立状態にある中心軸は正中線に委ねられる。
その正中線こそが、人体行動の謎を解き放つ基軸であり、起点を作る。しかしこの起点は、中心軸をずらされると崩れ易い。
この一瞬の崩れの隙が、「合気に掛かる瞬間」と言える。
では、掛かればどうなるのか。
予想しなかった方法と手段を以て、次の瞬間に揚げられている。それは瞬間ではあるが、一気に持ち揚げられるという感じで、何処か、天井(てんじょう)のような処に「宙吊り」にされるという感じを抱く。だから逆らって逃れようとすれば、益々宙吊りにされてしまう。
力を抜いて逃げれば済む事なのであろうが、力(りき)まずに萎(な)えれば落下するような錯覚を抱く。したがって落下するのが厭(いや)なら、頑張って逆らい、力んでいるしかない。
つまり、自分自らで、自分の動きを封じてしまったような錯覚に陥るのである。こうした一連の動きを要約すると、術者に攻撃を仕掛け、特異な転身を以て捌かれた瞬間に「宙吊り」にされてしまうという感覚を抱くのである。これは全く、不思議の一言に尽きる。
人間としての自意識感覚は、まず、重力を感じる事である。重力世界に身を委ねているという事である。そして合気は、物理的な意味からすると、この重力をうまく利用し、この内在力の中に、人間の動きが働いているという事である。つまり、ここに「掛けられる」という現象が起こることである。
「掛けられる」という現象を利用したものには、「壁合気」などの儀法があり、掛け捕られた瞬間に、壁に両手を押し付けられて、ブリッジ上体に持っていかれ、そのままの状態で、数秒間動けずに掛け捕られてしまうこともある。しかし、丹念に「立合気」を研究していくと、これは不思議でも、あるいは神秘でもなく、人間の持つ感覚器の一瞬的な「狂い」と、心理効果が大いに働いていることが分かるようになる。
こうなる為には、やはり日夜の稽古が必要であろうし、単に「高級儀法」の形を真似するという、「型の練習」では、似たような同じ形をしていても、実際のものは全く違うものである。
高級儀法の真似事から、脱皮して、日々精進し、本物の業(わざ)を身に着けたいものである。
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