■ 藤下がりと絞業 ■
(ふじさがりとしめわざ)
絞業の終局の目的は、敵の頚に絞め痕を残さず、仮死状態にして生け捕る事を目指したものである。しかし、一般に人間を絞殺死に至たらしめる場合、紐や電気コードやナイロンストッキング等が用いられ、被害者の頸には必ずその絞め痕が残る。絞殺は頸を絞めることによって呼吸困難に陥らせ、あるいは頸動脈を圧迫して血液の循環を疎外し、脳壊疽を起こさせるのがその目的であり、脳の酸欠状態に加え、壊疽が発生して脳が活動を停止することがその死因である。そして絞殺死体には絞め痕がくっきりと頸に残る。
しかし頸に絞め痕を残さずに、死亡させたり、あるいは仮死状態に至たらしめる方法がある。これが柔術でいう「絞業」である。その絞業の中でも、他に群を抜いて特異なものが大東流合気之術で用いられる「藤下がり」である。藤下がりの「藤」は藤の花に由来し、業を掛けられた者の顔色が藤の花のような色に変化することから、この技法名称の由来に至った。
さて、この絞業は一旦絞め落すと、その「蘇生術」(口伝)を知らない限り、敵を蘇生させる事は難しい。こうした状態を長時間放置すれば、死に至たらしめるからである。
絞業は、蘇生術と背中合わせの表裏一体であり、その瀕死の状態から蘇生させるのは、絞業以上に高度な技術が要求される。
また、この絞業に平行して研究されたものが、「頸固(くびがため)」の業であり、この業は敵の頸椎を固めた後に、この部分を「外す」という動作が加えられて完成する。この業は、敵の第三頸椎から第五頸椎を頸固する事で、第一頸椎と第二頸椎を外す業であり、頸動脈に圧迫を与えて敵を失神させる業である。
これらの業は、現在大東流を研究している愛好者も意外に知らない業であり、この業を充分研究しておかなければ、敵を侮(あなど)って敗れる事がある。また、寝技から強引に持ち込む絞め技や頸固、腕固や脚固もそれから逃れる術を獲得しておかなけばならない。
合気の特徴は、己の想念によって敵を呑み、その呑み込むイメージが、何処までも連続されていなければならない。この想念が途切れた時、名人は、名人と雖も、敵に心の裡側を見透かされ、たかが白帯風情の素人にも敗れる事がある。
惣角あっさりと寝技と絞技に完敗しいるのである。
『奥山龍峰旅日記』には、この場でのことを克明に書かいる。
後に惣角は当時の反省として、村井氏を何処までも素人扱いして敗れた、痛恨の思いから、次の一節を残している。
これが惣角の言う、「油断あれば、どんな達人でも、素人に敗れる。音無きに聞き、姿なきを見る。一見して相手を制し、戦わず勝ちをえる事が《合気》の極意なりき」であった。
この事は、鶴山晃瑞著『図解コーチ・合気道』(成美堂出版)の冒頭にも記されていたが、いつの間にかこの本(大東流を説明した格調高い本であったが……)は絶版になってしまった。
強気と、気位で押し切った惣角であったが、こうまで言わせるのは、余程自分自身に、侮りがあった事の反省であろう。
この後、惣角はこの出来事の反省として、衣服に刃物を隠し(これは著者が曾て武田時宗先生から直接聞いた話である)、万一の場合はこれを用いるという作戦に出たという。
そして奥山龍峰師は同書の中で、惣角の白河(福島県南部)での武士崩れの人足と、口論から喧華をし、「斬るに斬ったり三十六人」という一節で、「惣角は柔の人ではなく、剣の人であった」と述べている。
つまり龍峰師の解釈によれば、剣や、その他の刃物を持たせれば、強いが、素手ではそんなに大した事が無かったと締め括っているのである。
確かに、現実にもそんな人がいる。著者の経験から、素手では大した事はないのであるが、刃物を握らせると、突然、人が変わって獰猛になり、手がつけられないという人は、確かに居るものである。
当時柔道五段の猛者でありながら、八光流にも属していた村井氏は、師匠である奥山龍峰師から「この事は絶対に他言するな」と口止めされるが、これは後になって『奥山龍峰旅日記』に詳しく記され、事の次第が漏洩する事になり、「大東流は、柔道の足許(あしもと)にも及ばぬ」という評論がなされる事になる。
柔術は絞業による殺法を、組打(組討ち)の中で古くから研究してきた。同時にこれは入身から入る絞業へと発展する。入身から入る絞業の代表的なものは「藤下がり」であり、絞められて頭部が藤の花のような紫色になることからこの名称がついた。
入身から入る絞業については、植芝系合気道や大東流柔術(一般には大東流○○会と名乗る団体)には絞業がないが、大東流が幕末の戦闘を下地として編纂して来た経緯から考えると、当然素肌武術といえども、絞業は存在していなければならない。生け捕った敵を、最初から絞業の形になるように研究されたのが、大東流独自の絞業である。
多くの武道や古流柔術は某かの形(特に寝技)に持ち込んで、そこから絞業を掛けるのが普通であるが、大東流の絞業は、最初から絞めるか、一旦入身で取り込んで絞め業を掛ける業が編み出されている。
例えば「襷絞め」とか「藤下がり」といわれる絞業である。これ等の業は、投げ、倒し、抑え込んで、絞めに入るという業ではない。一気に絞め落とすか、一旦入身に取り込んで技を掛けるようになっている。
今、多くの大東流愛好者は、武田惣角の武勇伝にロマンを追い求め、あたかも自分が惣角になり切ったような錯覚を抱いて、それを練習しているのでは有るまいか。
しかし惣角の足跡を訪ねると、その代書人として八光流柔術の創始者・奥山龍峰師や、生長の家初代会長の谷口雅春師らが居る。こうした人たちは、武田惣角と云う人物を単に誰もが惣角に対し、驚嘆し、没頭し、魅せられて傾倒していった人たちとは異なり、武田惣角像を側面から厳しい観察眼で見て居た人たちである。したがって武勇伝中に出てくる連戦連勝の事実とは異なり、負けがあった事も認めているのだ。
大東流は「合気力貫」が出来て、初めて要をなす。これが出来ずに、単に柔術百十八箇条を暗記するように使えても、あるいはその他の高級技法が使えても、その業に持ち込む迄のプロセスが大事であり、合気を掛けずしてこれ等の技法は存在しない。
また合気が存在しなければ、大東流を如何に持ち上げ、贔屓目にして考える惣角の武勇伝の押され、その凄さを自分に置き換えて錯覚してみたところで、所詮絵に描いた餅である。
そして大東流百十八箇条は、ストリートファイトを考えた場合、既に時代遅れの所が有り、「骨董品の域」を否めない。
こうした骨董品の域をでないと言う、現代の珍現象は、一部の傲慢なひと握りの大東流指導者が、登録商標に大東流を登録する等して、独占し、横領しているという観が否めない。
大東流並びに西郷派大東流を志す各位は、現代のこうした珍現象に振り回される事なく、真摯な目で「合気」の実態を見つめ、その成就に日夜努力すべきである。
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