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戦闘の本質を問う詭道の兵法

■ 合気手裏剣術■
(あいきしゅりけんじゅつ)

●合気手裏剣術

 手裏剣術における標的の「的」は、古畳が用いられる。古畳の的には、自分の顔面部や胸部を顕(あら)わす場所に白い円が描かれ、西郷派大東流手裏剣術では円の下に、漢数字の「六」の字が書かれている。この「六」は、六の上を頭部の顔面とし、その下を肩の左右の一直線と見立て、更にその下には左右の肺があることを記号化したものである。

▲標的に「○に六」の字が入る、西郷派大東流独特の標的媒体

 手裏剣の打ち方は、畳の的を狙って投擲(とうてき)すると言う打ち方では駄目である。的を更に貫き、その先をも貫くと言うイメージが必要である。それは丁度、能の能楽師の鼓(つづみ)が、鼓を打つ際の打ち方と同じである。
 能楽の鼓は「鼓の後面(うしろ)へ、打ち通す、これ一気を以て貫くなり」とあり、「音は鼓の革にあらず、指にあらず、指と革と相打つのひびきを。風気にて伝へて、耳に送るなれば、今臍下(せいか)の気息(ちかち)を外気に和することを得れば、おのづから人をして感ぜしむるの妙処に到るべし」と記し、鼓の技術は、単に小手先のものでないと説明している。同時に臍下丹田(せいかたんでん)の意識も必要だとしている。

▲鼓の図

▲弓術の図

 また弓術では、「勁弓(つよきゆみ)をひきて、よく中(あた)ることを得るの力は、臂(ひじ)腕にあらず、指頭にあらず、ただ身体の正中なる丹田の枢軸より発せし一気を以て、発(はなた)ぬ先に的を貫くなり」とあり、よく弓矢を発するのならば、的ばかりに命中させようとする、人間的な欲望の「目先の欲」を捨てて、心術(しんじゅつ)を中心にして、それが「天の道理」に通じれば、芸道は伸びるとしているのである。ここでいう「天の道理」とは、自分と宇宙が一体となり、その一体になることによって、自然の本性が現れるとしているのである。

 古伝の教えをあげれば、人間は、心が外物と相対すると、「意必固我」(てまえぎめ)の念が起るとされている。自己の思うところに心を求めて、その結果、自然の本性は失われ、偏頗(へんぱ)に陥ると言うのである。偏頗に陥れば、我が現れて目先の目標を追うようになり、膚浅(うわべ)のことに気忙しくなり、実戦では実用に立ち難くなると言うのである。

 手裏剣術の標的を打つ技術と、弓術における的を射る技術は、ある種の共通点を持っている。それは東洋的な「無」の真髄(しんずい)に触れ、宇宙との一体感をもって、これに回帰する事である。
 例えば弓術では、矢を的に当てる事ではなく、矢の方が勝手に的に当たって行くような「射」(しゃ)の状態を作り出し、この射という状態を「無」と解釈しているのである。弓術で言う「無」とは、本然(ほんねん)によって、意識して「無」を作り出すのではなく、自然の本性の儘(まま)、的を狙わずに、矢が的に自然に当って行くという境地に至る事を「無」と云っているのである。「無」は、ただ静止していることだけでは、派生しない。静止する「陰」より発し、それが、まさに「動」に至らんとする瞬間に、我欲を捨て去った境地に至って、始めて発動される。

 凡夫は矢を的に当てる場合、目で見て狙わなければ当らないと考えてしまう。これこそが、今まで深く刻まれた間違いだらけの暗い固定観念であり、深く染み込んだものの考え方である。
 こうした固定観念から己自身を解き放つ為には、何年も掛かって染み込んだ、先入観的な知識を駆逐しなければならないと教えるのである。そして駆逐した後に、行き着く境地は、「無」というもので、この「無」に到れば、自然の本性が発揮されると言のである。

 それは矢を射るのではなく、矢が「射られる」と言う事なのである。矢が射られれば、的は自分の方へ近付いて来て、それは自分と一体になる事を顕わす。的が自分と一体ならば、それは自分も矢と一体となる。更には自然の本性と一体になる事であり、この一体感が、矢は、有(ゆう)と非有(ひゆう)の不動の中心に据えられ、したがって的の中心に矢がある事になる。
 それ故に、的を目で見て狙うのではなく、矢と的と自分が一体になった自分自身を狙えと教えるのである。こうすれば、自分自身と、的を同時に矢で射当てると教えるのである。この教えは、現代の弓道の解釈というより、古典の弓術にある解釈であり、日本古来の弓術は「不動中心」という教えの中に、「有」と「非有」を説いたのである。

 弓術では的を見る場合、一体「誰が見るのか」、「何を見るのか」、「誰が射るのか」、それを自問自答させ、そこに「射る」ことの解答を求めさせようとする。そして、己と矢と的が一如になったとき、「大悟の境地」に到達すると言われている。

▲半座弓術の図(曽山幸彦作)

▲半座の弓稽古(会津武家屋敷)

▲半座で弓を引く武士(幕末の写真)

 弓矢とともに《武芸十八般》に数えられる手裏剣術は、標的を貫くということで、その目的を同じにする。しかし「射る」と「打つ」では、その動作が異なる。「射る」は「弾く」であり、「打つ」は、針などを刺し入れると言う意味を持つ。前者は「当てる」が目的であり、後者は「倒す」が目的となる。この「倒す」は、「不意を打つ」にも通じるであろう。ここが、弓につがえて、矢を放つ、つまり「弾く」とは異なるところで、求める境地は同じ共通点を持つが、その方法論が弓術と異なるところである。

 さて投擲武器には、手裏剣に似たものにナイフがある。また、陸上競技の投擲と言えば、フィールド競技の中で、砲丸投・円盤投・ハンマー投・槍投などがある。
 人間は本能的な行動の中で、身の周りにある手ごろな物を、我が身に危険を感じた時、それを敵に向かって投げると言う習性がある。これを考えた場合、最も手近な物は「石」であろうが、石投げの武術は日本では「飛礫術」(つぶてじゅつ)として残るが、この術はあまり発展を見なかった。しかし武術史や、古典の戦記物を読むと、石を投げ付けるのを得意とする徒党が居たと、『平家物語』や『義経記』には出ている。

 人間が「物を投げ付ける」という行為は、本能的なものであり、またその「投げ付ける威力を知る者の得意技」として、戦記物には残されている。
 これは近代戦に至っても同じであり、弾薬が底を突けば、最後は石を投げて抵抗したと言う話が残っている。戦記物では「石合戦」を『印地(いんじ)打ち』と呼ぶが、これは古くより、主に農村での子供の遊びになっていた。
 かつての農村は、武士が誕生した母体であった。農村より、古代の平安時代後期より武士が発生し、当時、多くの武士が半農半兵であった武士団は、鎌倉時代に武芸を専門に行う職能民として発展する事になる。

 そして、かつての職能民の中から「物を投げる」と言う武芸が登場して来る。物を投げると言うのは、何も石ばかりを投げたわけではない。刻々と豹変する戦場では、自分の所持するあらゆる武器を投げ付けて抵抗する。この投げる事に、最も多く使われたのは、古今東西をとわず、「槍投げ」であった。
 「槍投げ」は近代スポーツ陸上競技の一つにも数えられ、日本でも鎌倉時代に至っては、槍を投げる事は、武士の武芸への心得でもあった。
 槍術の諸流派は、最終的に槍を投げる術がある。

 槍を投げると言う事は、当然刀剣も投げると言う事であり、新陰流では「飛燕六箇条之太刀」というものがあり、技法の最後には、打太刀(うちたち)が刀剣を手裏剣代わりとして打つ形が残っている。
 しかしこれは、打太刀が追い詰められて、万策付き、総てが窮した後に、最終手段として刀剣を投げるのであって、刀剣を最初から投擲用に用いるという事ではない。したがって敵に対し、「一打必殺」という気魄で投げ打っても、決して有効打にはならないものである。それは刀剣自体の造りにあり、弯刀(わんとう)のように反(そ)りのあるものは、刀の大小ともバランスが悪く、余程でない限り、投げ付けても有効には刺さらないものである。
 最終的な投擲は、使太刀(したち)への予想外の行動によって、窮地から起死回生を狙ったものであろう。

 投擲武器を飛ばすと言う概念は、決定的有効打になり難い反面、対峙(たいじ)した相手が、予想外に出ると言う奇想天外な行動に、相手を一瞬錯乱する事が出来る。昔は、喧華上手は、ただ素手で闘うばかりでなく、自分の周りのあらゆるものを投げ付け、まず、奇想天外な行動に打って出て、その隙(すき)を窺(うかが)って勝機を得ると言う行動に至った。

 幕末の薩摩藩の志士で、「人斬り半次郎」と恐れられた中村半次郎こと桐野利秋は、いざ太刀合(たちあい)となると、まず自分の履(は)いていた下駄を惨殺する相手に投げ付けたとある。それと同時に踏み込んで、有無言わさず斬り付け、相手を斬り据えたと云われる。ここには「履いていた下駄を投げ付ける」という意表に、相手を一瞬混乱させ、想像を絶する思わぬ奇想天外な行動を取るところに、投擲武器の機微が窺(うかが)われる。

 しかし、素手意外でしか闘った事の無い格闘家は、「物を投げ付ける行為」を卑怯だと罵るかもしれない。これは実戦という現実を知らない者の言うことだ。また、こうした行為をフェアーでないと言うかもしれない。しかしこの考え方は、スポーツ格闘技の考え方であり、実戦武術の戦闘理論とは異なるものである。
 実戦はリングの上や、土俵の上や、畳の上で展開されるものではない。予期しない不意打ちを喰らい、喰うか喰われるかの実戦は、スポーツマンシップも、、騎士道も武士道も存在しない。負ければ殺されるだけである。殺されれば、殺され損となる。

 そして、殺された後、警察は殺人事件として捜査を開始し、犯人逮捕には至るであろうが、それでも死んだ者が生き返るわけではない。事件が犯人逮捕によって一件落着を見るであろうが、殺された被害者側は、何とも納得の出来ない結末になってしまうだろう。ニュースに出れば、殺された被害者の家族は、世間の同情を受け、義援金などの見舞いを貰うであろうが、それは最初の数カ月までであり、三ヵ月もすれば、すっかり世間から忘れ去られるであろう。こうした家族の多くは、最後は一家離散の運命を辿る事が多いようだ。

 日本も、急速に外国並みに、国家の治安が悪くなっている。通行人が、突如、精神異常者から殺傷されるとか、覚醒剤患者が、幻覚症状で地域の住民を手当り次第に、無差別に襲い掛かると言う事件は、日本でも頻繁(ひんぱん)に起り始めている。あるいは、家の中に、突如強盗が刃物や拳銃を持って襲い込んで来る場合があるとも限らない。こうした局面に遭遇した場合、一体どうしたらよいか、常々から考えておくべきである。

 「物を投げ付けるなんて卑怯ではないか?!」などの愚問は、生きるか死ぬかの場合に通用するものではない。生きるか死ぬかの戦闘では、これを審判するレフリーは居ない。こうした場合、拳銃や刃物を持った相手にルールは存在しないし、また反則もない。何を遣ろうと、生き残らなければ、好きなようにされてしまう。
 だから常日頃から、自分は無関係だなどと、他人事のように考えず、いつ何が起こっても不思議でないと、日常を、非日常に切り替える準備が必要である。

 野外だったら、砂や泥を掴んで、相手の顔に向かって投げ付けるのも一案だろう。手に掴み易い石を咄嗟(とっさ)に拾い上げて、即座に投げ付ければ、直ちに主導権がとれ、刃物や拳銃の相手でも反撃が可能であろう。
 屋内ならば、皿などの食器類を天井に向けて投げ付け、それで注意を惹(ひ)き、その隙に反撃する事も可能となる。この場合、相手に当てる事が目的ではないので、天井に投げ付け、その破片が相手の頭の上に落ちるようにする事が肝心である。
 こうした窮地に追い込まれた場合、辺りの物を手当り次第に投げ付けるのも一案なのだ。
 しかし、こうした撹乱すると言う行動も、それを何度も繰り返し行う事は出来ない。

 咄嗟に石を拾って主導権を取り、相手を追い詰めたとしよう。しかしこれが一個しかなければ、それを投げてしまった時点でお終いとなる。また投げて外れたり、致命的な傷を追わせる事が出来なければ、「しまった」と動揺するばかりでなく、相手に反撃するチャンスを与えてしまう。こうなれば万事が窮すだ。以降、後手に廻る事になり、相手を更に憤慨させて、二倍も三倍も大きな仕返しを受ける事になる。
 しかたってこうした場合、「剛よく柔が制せられる」という状態になって、「柔よく剛を制す」の態勢は総崩れとなる。
 一発逆転を狙って、「柔よく剛を制す」の態勢を常に作り出すには、実戦を闘う技術を覚えておく事が必要なのだ。

 これまで考えた事の無いないような迫り方の暴力も、研究しておくべきである。
 現代社会は、こうしたものに直面する危険はどんどん増えている。「いざ」と言う時に、気遅れしてしまったら、お終いである。躊躇すれば、負ける意外にない。
 負けると言う事は、実戦では殺されると言う事だ。殺される過程の中で、相手の思うように運ばれ、頭部や胸部に拳銃弾を浴びる、胸部や腹部を鋭利な刃物で刺されるといった、こうした死に方をすのは余りにも無念ではないか。
 様々な危険から身を護る為には、やはり「柔よく剛を制す」の思想と、その研究が必要なのである。手裏剣術は、こうした場合の投擲武器として、この心得を以て、これを修練するということも大事なのだ。
 そして「打つ」という事について、「盾(たて)と矛(ほこ)」の関係を再点検する必要がある。

 しかし投擲武器を考えた場合、「打つ」という事に徹して考え、「一打必殺」を狙うのならば、それは手裏剣以外にあり得ない。手裏剣術こそ、「柔よく剛を制す」の最大の護りであり、追い詰められた「背水の陣」に際して、最後に「我が宝刀を抜く」と言うことが必須条件となるのである。
 合気手裏剣術で教える事は、弱者が強者に対して、行動は起こさないまでにしても、窮した危機に、どう立ち回るかという事である。

 手裏剣術の武術精神は、何も相手に対して、これを打ち込むという事ではない。百錬千磨して、心に余裕を持ち、精神状態を、相手より優位に置くことである。とっておきの「切り札」を持つことだ。
 「切り札」は、「切り札」として使わずにいる場合においてのみ、有効であり、これを安易に使ってしまえば、「切り札」は「切り札」として役に立たないものになってします。いつまでも使わずに、じっと自分の手の内に、握りこんで斬るから、「切り札」は「切り札」として通用するのである。
 そして「手裏剣」は、 いつまでも構えて、握ってさえいれば、実際には下手であっても、相手に対しては、これが上手なのか、下手なのか分かるはずがない。
 しかし、安易にこの「切り札」を投擲してしまえば、下手の場合、「一打必殺」が叶わないので、仕返しされる場合、二倍も三倍も、大きな仕返しをされることになる。下手な技術しか修得していない場合、「打たないうちが花」なのだ。

▲四稜四角手裏剣

 手裏剣の構えは、剣術における太刀合と、まさに同等である。
 例えば太刀合において、相手と互いに抜いた刀が激しく渡り合う時、吾(わ)が刀が相手より一、二寸先に伸びて飛び出し、これが相手の眉間(みけん)なり、霞(かすみ)なりを打ち貫くと言う「気魄」が、手裏剣術の「打つ」という技術に匹敵する。この気魄を以て、手裏剣を打ち付けるのである。

 また、手裏剣は飛道具なるが故に、一般素人からは、大きな誤解をもたれている側面が否めない。その誤解の多くは、手裏剣術の術者は、相手の素手や、構えた刃物が届かないところから、物陰に隠れて、不意打ちを喰らわす卑怯な武器ではないかと思われていることだ。しかしこれは、実戦武術の心得がない者の大きな誤解であり、飛道具であるから卑怯と言う論理は成り立たないのである。

 武術は《武芸十八般》からも窺(うかが)えるように、武器を交えるものを「武術」と称している。刀剣もこれと同じであり、刀剣を用いての剣術が、正々堂々と相手と渡り合い、「肉を切らせて骨を断つ。骨を切らせて命を断つ」とするならば、また手裏剣術も、剣術と然りであり、剣術の気魄で、手裏剣も「打つ術」なのである。


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