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誇りの裏付けとなる数々の技法

西郷派大東流の掲げるサバイバル思想の概論
(さいごうはだとうりゅうのかかげるさばいばるしそうのがいねん)

●戦争は感情から起る

 しかし、1930年代に入ると、日露戦争で勝利した日本を取り巻く国際情勢は激しさを増して来た。
 1931年
(昭和6年)9月18日、満州事変が勃発した。奉天(今の瀋陽)北方の柳条湖(りゅうじょうこう)の鉄道爆破事件を契機とする日本の中国東北侵略戦争である。その翌1932年には、傀儡(かいらい)国家・満州国が成立するが、これが起因して、華北分離工作を経て、日中戦争へ発展していく。一般には、柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)で知られる。

石原完爾の大佐時代。
 
 柳条湖事件は、1931年9月18日夜、関東軍の参謀だった石原莞爾(いしわらかんじ)中佐らの謀略計画により、柳条湖で満鉄線路を爆破し、中国軍の仕業(しわざ)と偽り、攻撃を開始した事件である。
 なお、この事件の地名を、柳条溝とするのは誤りであり、正しくは「柳条湖」である。

 こうして日本は、日中戦争の泥沼の中に嵌り込んで行く。1937年7月7日の盧溝橋事件を契機とする日本の全面的な中国侵略戦争で十五年戦争の第二段階に突入する。
 日中戦争の勃発当時の参謀本部作戦部長は石原完爾であった。石原は世界最終戦論を唱え、東亜連盟を指導した陸軍きっての戦略家であった。そして満州事変の首謀者として奉天北方の柳条湖の鉄道爆破事件を画策する。

 日本は、1938年中に中国全土の主な都市、鉄道の沿線を攻略したが、中国政府軍は重慶(じゅうけい)に遷都して抗戦を続け泥沼の様相は長期戦化し、1941年12月8日にはアメリカとの間で、太平洋戦争に発展するのである。

泥沼化する日中戦争。(北支戦線の日本軍。昭和12年7月)

 中国の東北三省および東部内蒙古(熱河省)をもって作りあげた傀儡国家「満州国」は、もと清の宣統帝(せんとうてい)であった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を執政として建国、1934年に溥儀が皇帝に即位し、首都は新京(長春)に置いた国である。中国では、日本が戦争に敗れ、敗戦に至るまで偽満州国と称された。
 この満州国に対し、アメリカを始めとする国際世論の風当たりは激しく、日本は国際世論の矢面に立たされ、激しい批判を浴びた。その結果、1933年3月には、日本が国際連盟を脱退する結幕を迎える。

外務大臣・松岡洋右(国際連盟脱退の際の首席全権。第二次大戦後、A級戦犯として裁判中病没。1880〜1946) 米国防長官・コーデル・ハルCordell Hull/1933〜44年、F・ルーズヴェルト大統領時代の国務長官。1871〜1955)

 世界世論の注目する中、国際連盟の議会場から、ふてぶてしい態度で退席した松岡洋右の姿も、実は感情から発したものであった。
 戦争でも、喧華でも、事の発端は「感情」である。感情が戦争への怒りを露(あらわ)にし、武力で決着を付けようとする政治上の延長戦が始まるのである。

 その後の日本の歩いた道は、1933年にドイツ第三帝国が樹立されヒトラーが首相に任命された後、1939年にはドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発し、これまでの軍事防共協定は、1940年9月には、第二次大戦中の枢軸国であった日本・ドイツ・イタリアの三国は日独伊三国同盟に発展する。

日・独・伊三国同盟(1940年9月、第二次大戦中の枢軸国であった日本・ドイツ・イタリア三国が締結した軍事同盟であり、日独伊防共協定を発展させた同盟。これは米英との対立激化を招き、太平洋戦争の要因の一つとなった)

 日・独・伊三国同盟は、昭和11年(1936)11月25日に締結した日独防共協定を、更に発展させたものであった。そして、この背後には、1933年に政権をとったヒトラーの、過酷な国際政治への社会科学的軍事力が無言の威圧として存在していたからである。

 1936年、ドイツは征服の為の快進撃を展開する。
 しかし、この頃のドイツ軍はまだ弱く、イギリスやフランスには遠く及ぶものではなかった。そこで天才ヒトラーは、一ひねりする。
 では、如何にしたのか。

 ヒトラーは、実際のドイツ軍よりは、強く見せかける為に画策を始めたのである。
 例えば、軍用機にそっくりの記録機を作り、航空機コンテストに出展して、常に最高の記録を樹立するように仕向けたのである。その典型的な例が、メッサーシュミット207だった。
 この航空機コンテストに出展されたのは、メッサーシュミット109と、外見はそっくりであったが、実は中身が全く違っていて、メッサーシュミット109とは全然別に戦闘機であった。この戦闘機が、 1939年、何と、時速757キロの世界新記録を出したのである。

 この時代の第一線の戦闘機の時速は、平均して450キロ程度だった。500キロも出せば俊足の戦闘機ということになる。
 しかしメッサーシュミット109によく似せた、メッサーシュミット207は、時速757キロの世界新記録を出し、これに世界の各国は肝(きも)を潰し、ドイツ空軍恐るべしの風説が全世界に広まったのである。

 ヒトラーは、このように一旦世界を震(ふる)え上がらせておいて、オーストリアとり、ズデーテンをとり、チェコスロバキアまでとって、一気に合併してしまったのである。
 しかし、この快進撃の種を明かせば、奇跡の快進撃の裏には、こうしたこけおどしの策謀があったのである。

 当時の日本は、 ドイツの快進撃に目を奪われ、すっかり魅了されて、ドイツと軍事同盟を結ぶことになる。特に日本陸軍は、ヒトラーの著書『わが闘争』の、黄色人種排撃の意味も全く理解しないまま、ドイツにラブコールを送っていたのである。

昭和11年(1936年)の日独防共協定締結祝賀会のもよう。赤坂の高級料亭でドイツの官僚や高級軍人を招待して盛大に行われた。
 この防共協定は、共産主義に対する共同防衛を名として日本とドイツとが結んだ協定で一年後にはイタリアも参加し、枢軸(すうじく)三国を形成して、やがて軍事同盟に発展する。

 1941年12月8日には太平洋戦争が開始された。アメリカの執拗(しつよう)な参戦工作により、アメリカの対独ならびに欧州参戦を促す為に、ABCD包囲網、ハル・ノート、真珠湾奇襲攻撃へと、日本の運命は誘導されていくのである。
 そして歴史に見る通り、1943年、イタリアが国際連合軍に降伏し、1945年2月にはヤルタ会談、同年の5月にはドイツが降伏し、ドイツ第三帝国は滅びてドイツは東西に分断され、同年の八月には広島と長崎に人類初の原子爆弾が投下され、同月の15日には日本が無条件降伏をした。それと同時に、北方領土がソ連により占拠され、朝鮮半島は南北に分断された。

 この流れを追って行くと、日露戦争が勃発した1904〜05年から、途中の1931年の日中戦争まで26年あり、太平洋戦争までは36年あり、実に、この三十六年間に日本人は、戦争で戦うと言う事を忘れてしまった、「戦争を知らない人種」に成り下がってしまっていたのである。
 戦争を知らない人種は、必然的に必然的に戦略を知らず、戦争現場での戦術すらも知らなかったのである。

 

●民主主義と平等主義の矛盾の中に生きる現代人

 日本の太平洋戦争への参戦は、見事に完敗した。広島・長崎の原爆で、完膚なきまでに叩きのめされ、それ以降、日本人は原爆恐怖症になり、戦争恐怖症になり、武器さえ遠ざけれいれば世界は平和だと信じるのようになった。
 だが、世界の平和を守る為には、日本は国際協調が必要になり、あらゆる犧牲を払う行動と努力が必要である。

 その行動と努力の中には、相当の経済的犧牲と、幾分かの人的損失も覚悟しなければならない。特に世界に平和を乱す、政治目的の為の暴力あるいはその脅威に対して、経済的制裁を率先して実行するべきであろう。

 しかし日本政府の弱腰外交を見る限り、毅然(きぜん)とした態度は何処にも見る事が出来ない。経済制裁には極めて消極的だし、それは日本が北朝鮮に対する態度を見ても明白である。その上に、日本政府の政治動向を見ると、将来の利権を求めて、侵略的独裁者やテロリズム支援者に対しても、こうした政権にすり寄り、猫撫(ねこな)で声のメッセージを送っているのである。

 もし、日本が本当の平和を望むなら、経済的、文化的、軍事外交的な犧牲を払い、かつ情報の点において、多大な犧牲を払っても、「非軍事的抑止力」を発揮すべきであろう。
 ところが、「非軍事的抑止力」の発動は、到底望めそうにもない。

 米ソ冷戦時代、日本はアメリカの「核の傘」の下で、太平の眠りを貪(むさぼ)って来た。こうした生き方を展開して来た日本は、「非軍事虜的抑止力」はおろか、経済効果の行使も、それを発揮する行動力も、技能も、意志も持たないのである。その覚悟すらないのである。憲法問題を理由にして、国際貢献に犧牲を払う事は非常に消極的であり、可能な手段すら、その手を打たないで見逃して来た。近年に至って、やっと重い腰を上げ、しぶしぶ国際貢献の真似事をしだした。

 一方自由貿易については、日本がこれから先も繁栄を続ける為には、多角的な自由貿易の思考が必要不可欠である。
 ところが、現在の日本の産業構造は、巨額の輸出入によって成立しているだけでなく、自由な国際市場を前提として、これが出来上がっているのである。
 株式の構造を見れば分かるが、日本の株価はアメリカと一蓮托生
(いちれんたくしょう)で連結されているのである。産業界の一部に於ては、日本の生産力や技術力が、レベルの高い事から、世界的に見て多少の制限的な貿易慣行が、実施されても構わないと言う向きがあるが、これは全くの錯覚に過ぎない。この錯覚は、やがて日本の経済的繁栄を損なう大きな元凶になるであろう。

 日本の輸出品の多くは、その殆どが先進国相手の代替え製品の生産方式で展開されている為、価格と品質の凶相が機能しなくなり、日本の独占態勢に入れば、この輸出入が忽(たちま)ち減少するであろう。
 また、日本は自由貿易展開の為に、部分的な犧牲を嫌い性質があるが、特に日本の農業の、食料管理体制には、官僚の権限を守る為に利用される懸念が残る。

 この縮図は、昭和5年(1930年)1月〜4月に実施された、第一回ロンドン軍縮会議(日・英・米・仏・伊の五ヵ国による海軍軍縮会議。この時日本は、前首相の若槻礼次郎を全権として送ったが、日本の要求は退けられ、英・米・日の比率を大型巡洋艦を8.2:10:6に抑えられ、更に小型巡洋艦を10:10:7のトン数比を押し付けられた)を見ても明白である。この時、日本は軍隊官僚の抵抗を押さえて、軍縮条約に調印したではなかったか。
 また、この事が、「統帥権干犯
(海軍軍令部の許可も得ずに、軍の構成に関する条約に調印した事は大日本帝国憲法の第十一条と第十二条に違反する統帥権干犯であるというものであった)問題」に発展し、昭和10年の第二回ロンドン軍縮会議の際には、安易に条約を破棄してしまった前科を持っていた。

 その結果、日本は米英と建艦競争となり、日本は忽(たちま)ちアメリカに追い越されてしまったのである。
 国際協調を実行する上で、困難で腹立たしい交渉は繰り替えされるものである。その都度、腹を立てているばかりでは、国際協調は実現できない。率先して犧牲を払うべきものである。どんなに犧牲を払っても、日本全体の生き延びる事を考えれば、自由貿易維持の為に、犧牲はつきものであると覚悟して、その努力に努めなければならないし、その為に、組織と財政的裏付けも作成する必要がある。だが、その努力が惜しまれず、それに向かって注がれているだろうか。

 否、日本は寧(むし)ろ、それを回避して避けて通ろうとしているのではないだろうか。また、国民の多くも、その犧牲は嫌う節があり、個人主義に趨(はし)る日本国民の多くは、こうした努力は、努めてやりたがらないのが実情である。

 

●政治哲学のない日本の妄想

 日本領土内の人口定住の原則は、今や崩壊しつつある。移民が無秩序に流れ込む懸念(けねん)が大いにあるからだ。本来は、移民や万民が無秩序に増えない世界秩序を作る事に努力しなければならないのであるが、こうした事は各々に国に任され、この点においては不法状態である。

 日本の社会形態を考えると、日本は均質性の高い、然(しか)も、社会に治安と公共のサービスも非常に精巧なシステムで出来上がっている。その上、生活環境も清潔であるし、国民の美意識も、非常に高いレベルを持っている。こうした快適な、精密機械の心地よさの中に、現代の日本人は生きているのである。

 この精密機械的な心地よい社会構造は、単に核攻撃に脆弱(ぜいじゃく)なばかりでなく、海外から押し寄せる無秩序な難民の流入に対しても脆弱である。近年を振り返れば、日本は幸運にも、大量の難民が押し寄せると言う事はなかった。更に、長い間、自由民主党による一党独裁国家と言う政治形態が続き、日本型の資本主義を高度に発達させて、経済的享受も得た。

 だが、こうした社会形態は、一党独裁の政治バランスが崩れた時、世情は不安定になり、その不安定に乗じて、忽(たちま)ちにして大量の難民が流れ込んで来る危険も浮き彫りになり始めた。
 これを防ぐ為には、受け入れ側ばかりでなく、送り出す側にも利益を講ずるような人口移動の国際秩序があって然るべきだが、こうしたものもはっきりと確立されていない。

 日本は年間、百億ドル以上を拠出(きゅしゅつ)する世界最大の援助国であるが、その拠出法や、対象とする国家に対し、援助内容や政治哲学と言ったものは全く無い。丸腰外交で、取られるままに拠出し、脅されるままに拠出する。

 昨今の中国大陸や東南アジアなどで、日本人がバカにされ、抗日運動や日本人排撃運動が起っている現象の裏には、日本人自身に、日本国民としての意識がないからであり、ある華僑(かきょう)雑誌の評には、次のように酷評された。
 「日本人は強者に媚
(こ)びを売り、弱者を見くびり、外見で人を判断し、あるいは日本国民の多くは、北京政府の独裁者に金を貢ぐだけの三流・四流政治家(共産党を除く与野党の政治家を指すのであろう)しか選ぶ能しか持たず、国旗への意識も忠誠心もなく、国家百年の計よりはマイホーム主義に入れ上げ、自分だけのこじんまりとした小人数家族を構成して、悪しき個人主義を謳歌(おうか)し、金銭に抜け目のない世界最低の経済動物」と、華僑雑誌が評した事があった。

 この酷評は、「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」であり、心底から求めれば、華僑の評した言は、目的にぴたりと合致しないまでも、大きな見当違いにはなっていない。
 また、 推測や予想が的中していないとはいえ、たいして間違ってはいないのは明白であり、大体、正しい推量である事は疑う余地がない。
 そして日本人は、一方で世界から軽蔑される目を背中で感じつつも、これを意識しない悪しき個人主義に邁進
(まいしん)しているようだ。ここに世界はもとより、中国大陸や朝鮮半島、東南アジアから「経済動物」と蔑(さげす)まれる現実がある

 拝金主義、金銭至上主義と言う金銭貪欲思想に振り回される日本人が、エコノミック・アニマル(economic animal)と評されて随分と久しい。 世界は経済動物である日本人に対し、経済的な利益のみを追求する日本人をエコノミック・アニマルと皮肉った。そして今日も、その延長上にある。

 多くの企業は、かつての戦前の大陸侵略を思わせる無規範(anomie)を以て、世界の至る所に進出し、多国籍企業や工場を建設し、経済効果の我田引水を展開している。
 しかしこれは、自分で自分の頸
(くび)を絞める事であり、中国などでは、次々に日本企業が大陸侵略のごとく、多国籍企業として利潤追求を行っているが、中国大陸での企業展開は、まさに「砂上の楼閣」を築くに等しい行為であると、日本の経営者達は気付いていないのが実情のようだ。
 やがて、律儀で約束を履行する日本人は、狡猾
(こうかつ)な中国人から、してやられる時期が、近い将来やって来るであろう。


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