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大東流の基本となる日本刀の操法

■ 西郷派之秘剣・合気剣の極意 ■
(さいごうはのひけん・あいきけんのごくい)

●敵の感情を撹乱せよ

 人間は大別すると幾つかの種類に別れるが、必要以上の感情に振り廻され、それに激怒したり、喜怒哀楽の情を深くする者は少なくない。こうした、感情に振り回される者は、東洋系の人種より、西洋系の人種に多く見られる。何故ならば、アクションの少ない東洋人よりも、アクションの大袈裟(おおげさ)な西洋人の方が、身振り手振りは大きいからである。ジェスチャーという仕種を見ても明白であろう。

 あれは感情から起る動作であり、また西洋人の彼等は、また感情家なのである。昨今は日本人も霊的神性が薄れ、「以心伝心」は速達されない為か、欧米人のように、身振り手振りで話すものが多くなった。これは霊性と言うものが失われている為である。

 例えば、スポーツ競技における勝者のガッツポーズは、思わせぶりな態度を連想させる。感情によるアピールは、本来、日本人の観念にはなかった。これは明らかに喜怒哀楽(きどあいらく)に振り回される感情表現である。見せ掛けが最初に表現され、心の奥底を覗(のぞ)くと、そこには誠実さに欠ける形ばかりの態度が見て取れる。つまり、感情に酔い、感情に趨(はし)り、感情に振り回されていることを如実に顕わしている。そして、それに酔うことが、「良い」としているのである。

 しかし、物事の把握の仕方や、時期的な計算が感情主体では、その意を相手に悟られ易い事は明白であろう。したがってこうした種の人間に、冷静な判断を求める事は難しい。気持ちが苛立ち、心の冷静が失われているからだ。太刀合に一切無用な心構えである。
 感情の波立った人間に、冷徹な判断は下せない。また、有頂天に舞い上がった人間も同じだろう。

 例えば、戦場において、争いの起因は、戦争を求める権力者の欲望である。これに誰も異論を挟む余地はないだろう。
 本来、戦国期の国盗り物語の根底には、権力者の欲望があって、権力者が一国の領土で満足できない時に、この者の欲望は爆発し、これが感情に変換されて、巧妙な大義名分が作られ、権力者の意図によって、その家臣団が、権力者たる主君に仕えるという手順で、戦いが仕掛けられた。

 つまり家臣が、主君の欲望に手を貸し、その御零(おこぼ)れに預かろうとしたのが、則(すなわ)ち合戦であった。利得を狙った感情である。
 大義名分は何であれ、その根底には明らかに権力者の欲望が横たわっている。また、こうした欲望に魅(み)せられて、人間の歴史は積み上げられて来た事になる。しかし、感情に振り廻される心が乱されていたら、その拍子も、いつかは狂わされるものである。何故ならば、人間は「拍子」で人生を刻んでいるからである。

 また拍子が狂わされるのは、感情が先行するからである。欲望を伴う感情は、大いに心を乱し、通常のリズムを狂わしてしまうものである。拍子の狂いは、撹乱(かくらん)状態に導かれてしまうからである。

 感情は喜怒哀楽や一喜一憂を棲家(すみか)とする。心がこの棲家に籠(こも)っている限り、ここから「兵法の奥儀」を察する事は出来ない。
 拍子と言うものがハッキリと出て来るのは、人の心が安住(あんじゅう)の地を得て、そこに落ち着いている時である。これにより、規則正しいリズムが刻まれる。
 しかし、心が乱れれば感情が湧(わ)き立ち、情動や気分によって物事を決定しまければならず、その決定は多くの場合、誤りを生じ易い。また、一定のリズムを乱し、情的過信に陥る。これが激怒の原因である。激しい怒りは、肝経に害を及ぼし肝臓を傷(いた)める。大脳生理学で言えば、前頭葉の未発達が肝経(かんけい)の障害を齎(もたら)す。

 こうした過信状態にあっては、拍子と言うものが一定のリズムを保ち得ない。
 本来人間の人生と言うものには、やはり定まったリズムと言うものがある。このリズムを狂わされると、理性を失って感情に片寄り、正しい判断が出来なくなる。これこそ、心が敵の思う壷に操られる最悪の元凶である。此処から崩れるのである。自己の感情に溺れ、敗れる者は多いのである。

 したがって、戦闘の場合は、敵の拍子を知った上で、知略を用い、これを撹乱するがいい。それには思い掛けない拍子で、敵に体当たりし、無形の拍子を以て大いに狂わせ、大いに乱れさせるがいい。意表を衝(つ)くように姿を現わし、また時には姿を隠し、大いに悩ませて、敵のリズムを掻き乱すことだ。

 これはちょっと考えれば、いかにも卑怯(ひきょう)のように映るが、これこそが「兵法」と言うものであり、敵を苛立たせ、怒らせ、迷わせ、苦悶(くもん)させ、不安に落とし入れ、あるいは拍子抜けさせて油断させ、敵のリズムを狂わせることなのだ。
 人間は感情の生き物であるから、感情を操ることが出来れば、則(すなわ)ち、敵も制する事が出来るのである。
 これを巧みに利用して、勝ちを収めた武芸者は多い。感情を巧みに操るのも武芸のうち、兵法(ひょうほう)のうちなのだ。

相打ちの剣、その一は、この状態から敵は跳ね上げようと、吾(仕掛の術者)が剣に対し、「張り上げ」を行う。上段からの袈裟(けさ)斬り打ち合いは、外された場合、次の一手をどうでるか大いに悩み、迷うところである。したがって、刃を跳ね返されない為には、吾は「手頸の返し」で抜けるしかない。
相打ちの剣、そのニは、敵が跳ね上げを行うその刹那、抜き胴の要領で「手頸の返し」【註】手頸の返しに口伝あり)を遣って、斬り抜け、一気に敵の首を刎(は)ねる。

 

●いい伝統を持つものは時代と共に改良されなければならない

 人が時代と共に変化し、その心情の根底にあるものは、絶え間ない「変化」である。この世の事象の総(すべ)ては、変化して已(や)む事がない。止まる事を知らないのである。そこで、本来の「伝統」と、旧時代の一分も違わない寸法通りの「伝承」を見誤ってはならないのである。

 軍事研究に少しでも関心のある方なら分かるであろうが、かつて大日本帝国海軍には「零戦」という優秀な戦闘機があった。
 零戦は、「零(れい)式艦上戦闘機」の通称であり、太平洋戦争当初から大活躍をし、日本海軍の主力戦闘機であった。この戦闘機は堀越二郎の設計によるものである。設計は三菱だが、三菱と中島飛行機で生産された。総生産数の半数以上が中島製であり、当時、主交戦国のアメリカ軍からは「ゼロファイター」の異名で恐れられた。

 しかし、あまりに優秀だったこの戦闘機は、日本海軍のベストセラーになるばかりではなく、ロングセラーにまでもなってしまった。このロングセラーが曲者(くせもの)だった。一旦優秀な戦闘機が出現すると、その設計思想から中々抜け出せなくなってしまう。

 設計を考える場合、これを基本にして考え、その他の考え方に頭が廻らなくなる。別発想で思考が出来なくなる。それと同時に、これを基本にしなければならないと言う固定観念が生まれる。つまり、「分別知(ふんべつち)」に囚(とら)われてしまい、そこから抜けだせずに、新たな思考が発想できなくなってしまうのである。

 画期的な異次元媒体を製作する時、これまでの優秀性を一切刷新し、新たな立場で物事を構築しなければ新しいものが出現しない。新奇性が生まれないのである。
 したがって、こうした刷新する条件に於いて、「無分別智(むふんべつち)が必要条件となる。「無分別智」かならなる発想によって、先の次元を超え、高次元に到達するのである。

 ところが、一旦、都合のよいロングセラーが登場すると、この発想が捨て切れずに、それを基盤として物事を考えるようになる。やがてこの考えは時代遅れを生み、時代の取り残される。
 さて、零戦は、初飛行を昭和14年(1939)4月に行い、初期のものから性能向上や戦訓の取り入れの為、段階的に改良されていく。しかし、改良は改革でないから、刷新性や新奇性は生まれない。この点が要注意。

 当初の零戦は、発動機の換装により一号、二号と呼称された。機体の改修は一型、二型と表されていたが、1942年の夏に連続した二桁の数字(最初の第一桁が機体の「改修回数」で、次の第二桁が発動機の「換装回数」を顕わす)で示すように変更されたが、その発想は、何処までも、零戦思想を母体にして考える発想から抜け出せなかった。

 既存の一号一型は歳月を経て改良され、一号二型は一一型および二一型と改称された。二号零戦は二号零戦改と仮称され、新型零戦は三二型および二二型と改名され、性能もこれを基(もと)に改良され、一号一型を母体に次々に改良が加えられた。
 後に武装の変更をする為に、甲・乙・丙を付与する規定が追加されて、大戦末期には「二一型」や「五二型」が登場する。しかし、これも改良に伴う形式や発動機や、主翼や各種装備の変更を示すことが主体となり、時の流れとともに移り変わりはしたが、戦闘機全体を模索する思想は、どこまでも零戦思想から抜けだせるものではなかった。結局一部の改良のとどめることになる。

 当初の零戦が余りにも軽快で、性能が良く、運動性も卓(すぐ)れていた事から、これが大戦末期までロングセラーとなった。
 そして、世界の武器はどんどん進化して行ったが、零戦はその設計思想の範疇(はんちゅう)を抜け出すことが出来ず、世界の進化に足並みを揃(そろ)える事が出来なかった。母体はロングセラーの零戦のままで大戦末期まで続き、最後までこれを超える名機は生まれて来なかった。

 ただ辛うじて、登場したのが、プロペラ機の中では、当時、世界最高と言われた「紫電改」【註】「紫電」一一型の欠点である視界や脚関係の不備を改良し、防禦を重厚にした海軍の局地戦闘機で、昭和18年川西航空機が高性能戦闘機として本土防空決戦の為に作られた名機。特に松山航空隊の源田大佐が率いた「源田サーカス」は有名。B29を懼(おそ)れさせ、「B29キラー」の異名を持った)くらいだった。

 日本は、世界の戦術が航空機によって立体戦争になり、既に平面戦争が終焉(しゅうえん)している事に気付かず、古いベストセラーに頼り、これに固執した事が日本の大敗北を招いた原因の一つにもなった。つまり「伝承」に固執すると、こうした二の前になるということを、先の大戦は貴い教訓を残し、これを如実に物語っている。

 したがって、時代と共に、「伝統」を基にしながらも、変化する思考が登場しなければならないのである。
 この場合、戦闘機に例えるならば、伝統は人類が空を飛ぶ乗り物として開発した「飛行機」であり、この飛行機に様々なアイデアと工夫を凝らして変化させる「今的」なものが伝統である。

 この「今的」を無視して、伝承ばかりに固執すると、ロングセラーから抜け出せない発想で、プロペラ機的な戦闘理論を引き摺(ず)って考えねばならぬ事になる。それは奇(く)しくも時代にそぐわない、単なる骨董品に過ぎないのである。
 先の大戦で日本は、骨董品を戦場に持ち出し、時代遅れの観も無視して、多くの人命を失った事を忘れてはなるまい。

 

●邪気と外邪を払う

 日本刀・真剣と言うものは、単なる得物としての道具ではない。魂の籠(こも)った「神器」である。したがって、太刀を構成する神器は、その遣い方と言うものがある。
 太刀は遣い方が肝心である。つまり、太刀こそ、太刀筋と言うものはあり、これは刃筋と同義である。

 太刀筋を糺(ただ)す為には、単に木刀や竹刀を振る要領だけを心得ておいても駄目である。太刀が通る太刀筋・刃筋と言うものを知らなければならない。
 一般に、日本刀と言えば、テレビや映画に出て来る日本刀遣いを想像し易い。その想像も、架空に迫力を持たせた、斬って来る時や振り廻す時の、ビュッという異様な音である。日本人の誰もが刀を振ると、あのような音がすると思っている。

 しかし、こうした音がするのは、樋(ひ)の入った刀だけであり、樋は、刀や薙刀(なぎなた)の身の棟(むね)よりの側面につけた細長い溝のことである。これは刀剣の重量を減らし、調子をととのえる為のもので、血走りをよくする為に考案されたものである。これを「血みぞ」または「血流し」ともいう。

 さて、刀を振ると、実際にテレビや映画で見るようなああした音がするのか。
 否、しない。特に鎬(しのぎ)造りの刀は、樋を彫ってなければ、あのように風を斬るような音はしない。また、素人考えで、速く振ればああした音がするのではないかと思い勝ちである。事実、木刀でも竹刀でも、速く振れば風を斬る鈍い音がする。したがって、日本刀を振れば音がすると考えるのは当然の事である。これは、多くは樋の入った刀のみである。

 例えば、樋の入っていない刀で試し斬りをすると、濡れ藁(わら)や竹などは見事に切断されるのに、切断される前に、テレビや映画で見るあのような音は聞き取れない。しかし、音がないのに切断されている。したがって、「音はしない」のである。
 これは太刀が空を斬る以前に、その目的を遂げてしまうからである。太刀の遣い方は、やたら速く振ろうとしても、遣いこなせものではない。太刀を速く振ろうと意識して用いれば、太刀筋を誤らせ、自由自在を失ってしまう。太刀は、もともと自由な存在であり、これは西洋の道具としての刃物とは異なっている。

 太刀は、振りよいように、静かに振るのが良い。鉄扇や小刀を用いるように速く振ろうと用いてはならない。速く振れば刃筋を誤る。つまり、振れなくなり、斬れなくなるのだ。
 したがって、速く振れば「小刀きざみ」となり、太刀を遣って人を斬る事は出来ない。

 太刀は、振り切った後の臂(ひじ)を強く延ばし、柄は茶巾絞(ちゃきんしぼ)りの要領でしっかりと絞り、強く振るのが良い。太刀を意識的な早く振ろうとすれば、かえって太刀の持つ機能は失われ、人を斬る目的は果たせなくなる。それはまず、構造上の問題が上げられる。太刀は、刀同様に「反り」がある。特に太刀の場合、多くは「竹の子反り」といって、鍔許(つばもと)近くから反り上がった構造をしている。

 更に、片手でも振れる構造で造られている。
 騎馬戦で太刀を握った騎馬武者同士が片手でそれを振るい、騎馬戦の一騎打ちが出来るのは、太刀が片手でも振れる構造になっているからだ。

 一部の中国拳法マニアの人に、刀剣の素振りを、「棒振り」と侮蔑した表現で、甘く見ている御仁(ごじん)を筆者は知っている。しかし、この人は日本刀と言うものを全く知らないように思う。この人に何度か、日本刀で試し斬りを遣(や)らせた事があったが、結局一本の細竹も斬ることが出来ず、一本の濡れ藁も斬ることが出来なかった。その上、無態(ぶざま)にも、刀を無残に曲げてしまった事があった。

 そして、この人の結論は、「刀は斬れないものだ」ということであったが、筆者が同じ物を連続で数本斬り倒し、「では斬れない日本刀で、あなたも一緒に斬ってあげましょうか。胴体や首を斬れば命を失いますから、命を失わない程度に、片手でも片脚でも出して下さい。叩き斬ってやりますから」といったら、青くなって首を竦(すく)め、尻尾を巻いたようであったが、それでも私の居ないところで、日本刀の素振りを、今でも「棒振り」と言って憚(はばか)らない。この人もそのうち、侮辱した恨みを買って、命を亡うのではないかと思っている。

 世の中に憶測で物事を考えたり、自武道・自流が一番卓(すぐ)れていると思っている人が決して少なくない。それは自分の流派に対する愛着だけではなく、指導者から聞かされた伝説を信じ、一種の固定観念で凝り固まっている人である。こうした見聞の狭い人は、自身の修行の上達の度合いも、そこで足踏みしているようだ。

 こうした考えに取り憑(つ)かれて居る人は、打撃系に多く、特に中国拳法の愛好者や、自称・陳家太極拳(この拳法の本物は実に少ない)と称して、中国でも有名な○○先生の名前を挙げ、これらの武技を妄信的に愛好して居る人に多いようだ。
 また、日本人向きではないこれ等の武技は、練習すればするほど、膝関節や股関節を傷め、日本人向きではない。これは、その起源した国の人のものであり、中国拳法全般は日本人のものでなく、中国人のものである。何故なら厳密に言って、中国人と日本人の言霊(ことだま)も違うし、第一、膝関節については、その構造が違っている。

 つまり人種によって構造の違いが若干顕われ、これがその国の人の特異な体質の特長になっているからである。日本人以外の外国人のうちで、日本人と言霊が非常に近いのは、朝鮮民族くらいなもので、戦前・戦中は日本も韓国併合という悪政を敷いたのであるから、当時の日本人は、韓国・朝鮮人も日本人も同じと考えていたくらいである。したがって、彼等の徴兵を課せたことは歴史上の明白な事実である。しかし、中国人には徴兵は課せなかった。完全に異民族と思っていたからだ。

 昨今は、日本人でありながら、日本の伝統文化を侮蔑(ぶべつ)する人が多くなった。何でも外国のものを、良いと思い込み、こうしたものに熱を上げている。しかし、言霊が違う以上、幾ら熱を上げても、最終的には日本人のものにならない。その大本を握るのは、その国で生まれた文化の元締めである、ひと握りのエリートである。こうした物へ、日本人が横から割り込んで、彼等の真似をしたとしても、最終的なものは掴み取る権利はなかろう。その権利は、総(すべ)てその国の文化の元締めにあるのである。

 これは武術に於いてもそうであろう。
 日本人は、熱し易く冷め易い人種である上に、何でも外国のものを取り入れ、日本のものを一等も、二等も低く置いて、卑下し、日本文化を下等視して見つめる事が多い。また、固定観念から、一途にそう思い込むエネルギーは凄まじいものを感じるが、それだけに、このギャップから起る言霊の違いも凄まじい。こうして、外国の武技を遣り、言霊の違いから病気になったり、怪我をする人は多い。

 そして、言霊や構造上の体質の違いから、一旦、病気や怪我をすると中々治らない。
 筆者の知人に、中国拳法を熱心に遣っている人が居る。しかし、この人が太極拳のような、中国の揚子江を思わせる、緩やかな延々の流れの動きを遣っていたが、遂に膝を傷めて、これが中々治らないでいる。もう七年経っても治らず、自分では「稽古のし過ぎ」と云っているが、どうもそうではないらしい。

 これはまさしく、身体上の躰(からだ)の構造の違いと、言霊に違いから起る「呼吸病」とでも言うべき症状である。長い呼吸にゆっくりとした動作を合わせ、それにナメクジのように足を滑らせて行く動きは、日本では最も良い健康法と思われているが、こうした健康法は日本人のものではなく、中国人のものである。これを誤ると、病気をしたり怪我をしたりするのである。
 中には、自分は日本人でありながら、中国拳法をしているが、一回も怪我や病気をしたことがないと言う人が居るかも知れないが、この人は恐らく中国武術の猛稽古をしたことがない人で、実際には練習量は余り大した事がないからである。つまり、ほどほどに、稽古熱心でなければ、何年遣っていても病気や怪我はしないといえる。

 実際にその国の武術なり、文化なりの芸事を、朝から晩まで猛稽古に励めば、特に打撃系では蹴りの動作がある為に股関節が外れ、膝関節を損傷し、「股関節亜脱臼」を起す。若いうちは若さでカバーできるが、晩年はこうした身体上の故障は憂鬱(ゆううつ)な病魔と化すのである。したがって、言霊の違いは恐ろしい。晩年は階段を上れなくなるほど、大きな障害を残す場合もある。

 さて、日本刀は「神器」であると云った。邪を祓(はら)う威力があると云った。これは日本刀に見立てて、「剣印(けんいん)を作った場合でも同じである。
 剣印は人差し指と中指の二本を伸ばし、これを刀剣に見立てる。そして九字(くじ)を切る場合などに用いられる。では、どういう場合に用いるか。

 例えば、滝行などで御滝場の中に入る場合に用いる。この時の九字は、真言密教などで遣われるものである。したがって、周囲の邪気を祓(はら)う場合は、「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」の九字の呪(じゅ)を唱えて、人指し指と中指で剣印けんいん/人差指と中指を直に伸す)をつくり、空中に縦に4線横に5線を描くのである。これを「四縦五横(しじゅうごおう)」と言う。

 西郷派の夏季合宿セミナーには、滝行を遣(や)る為に全員が九字を切ってその場の邪気を祓い、順に滝の中に入る。ところが何年か前、部外からの参加者の一人が、「自分は宗教が違いますから九字は切りません」といって、邪気を祓うこともなく、勝手に滝の中に入っていった。そしてその日は何事もなく、終わり、合宿も一人も怪我人も出すこともなく、無事に終了したが、それから三ヶ月ほどして、この部外からの参加者が電話をかけてきた。

 内容を聞くと、合宿で滝行をして以来、ずっと頭が重いという。また、肩凝りも激しく、頭の中にもう一人、人がいるような感じがするというのである。だから筆者は、「それはあなたが御滝場で誰かの落とした唸(ねん)を拾ったのですよ。つまり、分かりやすく言えば“生霊”というものです。御滝場などはこうした他人の落とした唸がゴロゴロしていて、九字を切り邪気を祓わねばならないのですよ。当時あなたは宗教が違いから九字は切らないといったじゃないですか。これは自業自得ですよ」と言って遣(や)ったら、これに納得したのか、しないのかは分からないが、それから何の電話もかけてこなくなった。

 世の中には、指導者の忠告を無視して、自分勝手に古くからの行法を否定して、自己流に遣る人がいる。こうした人が精神的に害されるのである。また、御滝場に行くと、明らかに何処かの新興宗教と思える一団が占拠していて、異様な嬌声を上げ高らかに「般若心経」などを唱えている集団を見かけるが、こうした間違った行法をしている人の落とす唸も、昔以上に強烈なものになり、生霊化しているので、御滝場の入場は九字を切って注意した上にも注意をし、厳格を帰すことが大事であろう。

 つまり、こうした間違いは、日本刀も剣印も、日本独特の言霊であり、この言霊の中には邪気を祓う威力があると共に、「神器」としての役割があったのである。それを無視して言霊の違うものを持ち出したり、宗教が違うなどの滑稽な論理で、日本の大自然に備わっている実用的仕来りを無視したことから、多くの不幸現象は起っているのである。


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