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技法の根源となる「ただ一つのこと」

合気揚げ完成への道 ■
(あいきあげかんせいへのみち)

●両手封じの捨身懸命の抑え

 大東流で行う「両手封じ」は、まず「捨身懸命の抑え」を会得する事からはじまるのである。抜刀巧みな術者の「抜打抜刀」を封じる為には、術者の剣が、握りの拳になる前に、これを封じなければならず、この封じが遅れれば、自分は術者から斬られる事になる。斬られるのが嫌であるならば、術者の両手を封じて、これを必死になって捨身懸命に阻止しなければならない。つまり命賭けの阻止と云う事になる。

 この阻止する意識の原動力は、自らの養成した握力であり、握力が弱ければ斬れれる以外ないのである。したがって合気揚げの手順としては、相手に掴ませるのではなく、自分が相手を掴む握力が養成出来ているか否かにかかり、握力が弱く、相手の手頸を動かせないくらいに掴む事が出来ないものは、要するに、幾ら相手に力一杯掴ませても、これを本当に揚げる事は出来ないのである。

 一般に行われている合気揚げは、他派の大東流では相手に力一杯握らせ、術者は自分の手頸を揺すったり、相手の握る手と自分の手との隙間が出来る様に揺り動かして、抜手の要領で揚げようとするが、これは力の弱い相手には通用するものの、掌が大きく、指の長い相手には全く通用しない。握り込まれたまま、微動だに動かす事が出来ないのである。

 特に握力運動を充分に養成した人間に対しては、大東流の「揺すり」や「揺らし」など躰動の小細工を用いても決して揚げる事は出来ない。それはこうした躰動が、躰動法から行われる躰動ではなく、小手先だけの躰動に頼っているからである。
 本来の躰動法は、その「うねり」が、肩球を中心にして行わねばならぬものであり、これが小手先や、手頸に隙間を当て込んでの「揺らし」程度の躰動であれば、実際には役には立たないのである。

 また合気道では、静座して肩の高さの位置から取らせて揚げる合気揚げが行われているが、これは実戦に則した合気揚げでない。こうした状態から揚げるのでは何の役にも立たない。
 近年の合気道の特徴は、女性会員を意識しているためか、最初から肩くらいの高さに上げておいて、これを掴ませ揚げているようであるが、これは術者が正坐した腰に手を置いた位置から掴ませて揚げようとすれば、その殆どは全く揚げる事が出来ないのである。こうした点は現在の合気会系の合気道の大きな欠陥であると言えよう。

 さて、合気揚げの修練は掴ませてそれを揚げるのではなく、自分が相手の手頸を掴みにいって、捨身懸命に握り込み、これを「絶対に揚げさせない」という気魄(きはく)が必要であり、「揚げさせない」という行動の中に、実は合気揚げの重要な秘密が隠されている。
 何故ならば、「握る」という握力は、単に外筋での養成では不充分であり、内筋がものを言う範囲のものであるからだ。

 握力を鍛えると、単に指の握りしめだけの外筋ではなく、腕の内筋が微妙に動いている事が分かる。これが内筋の働きであり、合気の内在する力はこの中に隠され得ている。
 そして握る力が強力になれば、握った相手の手頸の皮を、皮ごとズルっと剥ぎ取ってしまうくらいの握力すら養成できるのである。
 また、これくらいの気持ちで握るのが本当であり、互いの約束の上に於いて、安易な合気揚げが行われるべきでない。

 合気揚げの鍛練の第一は、相手に力一杯握らせるのではなく、自分が術者の手を力一杯握り、捨身懸命の気持ちを養成する事が大事である。要するに合気揚げは、相手である術者の手頸を握り、これを絶対に揚げさせないと言う気魄の鍛練からはじまるのである。

 

以下、つづく。


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