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誇りの裏付けとなる数々の技法

御式内
(おしきうち)

●御式内に内包された裡側の行動原理

 御式内は殿中における作法である。したがって現代居合道の前進や後退の動作ではない。
 この作法の中には坐法での動作の、膝行・膝退・膝側があり、殿中での一挙手一投足の身の慎み方と、処し方が示されている。つまり「天子南に座して北に向かう」という殿中での東西南北の配置に合わせ、君主は南側を背にして坐り、御家中拝謁者は北に配した位置に坐り、南の君主と拝謁することが基本原則となる。

 そして一度坐したならば、立って歩行したり、あるいは背後を向けて君主の前から立ち去ることができなくなる。
 君主の前では、あくまで正面対座が原則であり、下がる場合も、正面を向いていなければならないという殿中作法の為来りがある。勿論、立って歩行するなど、許されないのである。進むにしても、退くにしても、あるいは方向を変えるにしても、すべて膝行・膝退・膝側で行わなければならないのである。自分の目線が、君主より高くなるのは無礼とされたからである。

 さて礼法の基本は、自己と相手との間には境界線があり、その境界線を意識することで、相手と自分とは「立場が違う」ということを認識するのが第一の行動規範である。つまりケジメの意識であり、自分は今、どういう立場にあって、また、相手はどういう社会的地位なのか、あるいは位置にランクされるのかを、自分の「今」を通して認識することであり、これはおのずから態度や行動によって現わされるべきものである。

 つまり「礼」とは、「今の立場認識」であり、その中心課題は、如何に相手に対面して、無礼な態度に及ばず、まず、相手に対し、不快感を与えないということに尽きるのである。こうした「不快感を与えない」という意識が、自分の立場の認識であり、これが「礼」に叶った作法なのである。

 更に「礼」において、最も大切な基準は、知性であり、また感性である。
 作法の行動規範は、立場を認識した上で、相手に不快感を与えないというのが基本原則であるが、実際にはこれだけでは役に立たない。自分の立場と、相手の立場の違いを逸速く発見し、認識することは大切であるが、その認識上の問題には、当然ながら、個人が持つ知性と感性が問題となってくる。

 特に目上や上士に対して、不快感を与えないような行動を取っていても、その行動の中に現われる、個人の知性や感性が低ければ、それは即、相手への不快感へと跳ね返り、相手を理解できないまま、失意と、失態を招かぬとも限らない。
 そして「礼」というのは、まず、自己から発する自発的な行動原理であるから、これまでに積み上げた個人としての教養と、見識、あるいは鋭敏な観察力、柔軟な直感などが問われることになり、これは抜け落ちると、礼法というものは、単なる米つきバッタのような「お辞儀の動作」と成り下がってしまうのである。

 
平時の礼/正面から

▲平時の礼
平時の拝礼。
五本の指を揃え、「ハ」の字に構えて、前に白扇を置く。

 
平時の礼/斜横から

▲平時の礼
斜横から。


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