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武術の攻防において、敵と対峙した時機、自分と敵との位置関係において、単に間合をとるだけではなく、客観的に見て、自分の構えた体勢は、どういう形になっているかということを直感することが大事である。 敵との対峙関係は、一人の場合は二次元的であり、然も一種の直線状態である。また二人の場合も、直線は二本に増えるが、結果的には吾を三角形の頂点に置いての、平面二次元直線上に対峙することになる。その場合、敵の狙う箇所は、吾の躰の中心線(肉体の中央部の頭上から肛門付近の会陰部までの、任脈と督脈の経穴を結ぶ経絡)であり、その幅は、左右から凡そ一尺二寸(一尺は1mの33分の10と定義され、一寸は約3.03cm。したがって一尺二寸は約36cm強)の処に、急所を集めた中心線上に、最も弱いところが垂直して並び、ここを打たれないようにしなければならない。 そこで敵に対して、吾が躰がどう映るかということを想像しなければならない。真正面から正対して100%の場合、その幅は一尺二寸の胴体上半身で対峙することになり、これを半身にして45度で構えれば、その向き幅は半分の六寸となり、正中線から左右に三寸を配して、敵と構え合うことになる。 多くの格闘技の場合、拳から繰り出した正拳や、蹴技から繰り出した足蹴りや、殴り合いを経験しているため、経験を重ねた者の多くは馘だけを躱したり、しゃがんで、これを避けたりしているが、攻撃手段が日本刀となった場合、こうした馘だけ躱すとか、横に避けるという方法では、無手格闘の戦闘のような安易な方法はとれなくなる。 剣で斬り込んで来る場合、馘だけ躱しても、肩から下がそのままでは胴を斬られてしまい、横に避けたとしても、薙ぎ払われれば、やはり胴体を真一文字にされてしまう。したがって徒手空拳の場合は、馘や上体をうまく避けても、日本刀の場合は上肢を躱しても、躱したことにならない。 さて、人間の胴体を支えているのは足(脚)である。この足を変応自在に動かすことによって、敵の電光石火の攻撃を躱すことが出来、術者は穏陰之構の足をもって、左右孰れかに転身することになる。この転身によって、足が孰れかに開かれれば、胴体も開かれることになり、敵の第一打の洗礼を受けなくて済む。 要するに、敵の第一打に対し、中心から三寸の移動によって転身すればよいのであって、その開きが横に開くか、あるいは斜め前なのかということになる。 ●躱しと脆弱部攻撃敵の攻撃を躱す場合は、躰を開いて「転身之術」で、これを躱す。これは敵の攻撃に対し、半身で躱すと同時に、その瞬間敵の一番脆弱な部分を攻撃するのである。 徒手空拳を主体とした無手武術格闘技には、「制空圏」なるものが存在する。この制空圏は身長幅の約二倍程度と考えられており、凡そ3m以上4m以内とされ、この空間において、無手格闘が行われるようである。したがって3m以上4m以内の中間をとって、3m50cmを制空圏と設定した場合、その半径は1m75cmとなり、この半径において攻防が繰り返される。 しかし制空圏なるものを主張し、その圏内に相手を寄せ付けない巨漢も、自分の手足の長さ以内に相手が侵入しない限り、攻撃を加えようがなく、侵入という次元において、制空圏を主張する者も、それを無視した者も、同等であるということが分かる。 そして、どんなに頑強に鍛え上げた巨漢でも、眼があり、鼻があり、耳があり、口があり、その他の数百に及ぶ経穴部を持っている。 ●過信された妄想の破壊力近代空手の唱える運動方程式には、L=M/2・V2の破壊力を現わす力学的思考がある。この場合、破壊力を現わす運動量はLで現わされ、Mは質量で、拳の大きさと、その重さ並びに固さ、Vは加速度を伴う速さである。 この力学的運動方程式は、打ち当てる物体が大きくて重く、然も固くて、打ち当てるスピードが速いほど、その破壊力は大きいということを現わしているという。この事は、ハンマーで物を壊す場合のことを想像すれば、容易に理解できるであろう。 ところが人体へのダメージは、こうした運動方程式で、一概に破壊力を表現することが出来ない。 巻藁突きなどで拳骨を鍛え、この部分の表皮を丈夫にしても、人間の躰が静止物体の固体でない限り、長年の風雪に鍛えた握り拳は無用の長物となる。 こうした善後策として、今日のフルコン空手の諸派が、これまで伝統的な空手のスタイルを改め、ボクシングに近いパンチの繰り出し方を見ても、伝統空手の一撃必殺が幻想であったということを証明したことになり、こうした武技種目の今後の課題は、人体という流動体に、どうやって効果的な変動を起すか、ということに気付いたためである。 本来、ボクシングのパンチの繰り出し方は、「突き放ち」である。また中国拳法を見ても、その殆どは突き放ちである。こうしたことから伝統空手も、本来は突き放ちであった。 近代空手の正拳突き打法は、未だにL=M/2・V2の〔質量〕×〔速さ〕の運動エネルギーが信奉され、この威力を試すために「瓦割り」や「柾目杉の板割り」が、競技として行われている。またこうしたものを観戦して、自己にすり替えている観戦者も少なくない。これは人体を、静止物体の瓦や、試割板のような、固体と看做した人体観から導き出された発想法であり、「空手=瓦を割る」の打撃理論が、一般大衆にイメージとして植え付けられたからである。 しかし残念ながら、人間は流動体であり固体物ではないのである。人体は血液や空気などを含むソフト部分と、筋肉や骨などからなるハード部分の混合物体から出来ている。したがってL=M/2・V2の運動方程式は、人体に限り、どこまでも大きな矛盾を露呈していることになる。 ●鍛えることの出来ない四つの急所 どんな強者でも鍛えることの出来ない「四つの急所」がある。別名、「四タマ」と言われる所で、俗に言う、「アタマ」「メダマ」「クビッタマ」「キンタマ」の四箇所である。 この四箇所はどんな強者でも鍛えることが出来ない。クビッタマに当たる頸椎でも、ブリッジ訓練で多少は鍛えることが出来るものの、鍛えれば鍛えるほど、頸動脈が圧迫され、脳へ流れる血液障害と、七個の頸椎にズレが起り、晩年はこの部分から障害が発生し、頭痛や顔面神経痛などの頸椎障害の病因を招く。 さて、鍛えることの出来ない四箇所の急所が存在するということは、等しく、体格の大小に限らず、脆弱な箇所が誰にでもあるということであり、ここを攻める具体的な術を知っていれば、まさにこれは名実ともに、イザというときの「切り札」になるのである。 徒手攻防において敵に対し、最も効果的に当身を入れることの出来るチャンスは、次の四つである。 しかしこうした刹那を防御することも可能である。人間の内臓や骨は、先ず「筋肉」という鎧袖によって保護されている。したがってここを筋力トレーニングによって鍛えることが出来る。鍛えれば鍛えるほど、頑強になり毎日驚異的なトレーニング・プログラムをこなす相撲力士やプロレスラーには、幾ら剛拳の空手家の必殺拳も、またボクサーのハンマー・パンチも殆ど通用しない。 ●手解きを基本とする「抜手」の業大東流では、敵から手頸を掴まれ、これを抜くこと「抜手」と呼び、敵の封じた手を解くことを「手解き」という。敵の急所に、正確に中高一本拳などの当身を打ち込むためには、この抜手を熟知しておかなければならない。 激しく動き廻る敵の急所に対して、一撃必殺の正拳突きで倒そうとする発想は、先ず不可能に近い考えであるといわねばならない。つまりピョンピョンと撥ね廻り、腰から上の上肢を上下運動させて、丹田力を散らす殴り合いは、本来、日本武術にはなかった。日本の武術の足運びは、能楽(日本芸能の一つで、能と狂言との総称)と同じく摺り足である。 確かにボクシングは、フットワークを遣い、パンチによって、運動力学的に脳震盪を起させて卒倒させる格闘技であるが、これはグローブをはめての競技であり、脳や内臓に衝撃を与えるが、これは急所を捕えて殴り倒したものではない。あくまでも揺さぶりによる、脳震盪の結果からノック‐アウト(Knock Out/KO:相手を倒して、10秒以内に立ち上がれなくすること)を奪うのである。 以上を考慮すると、動き廻る敵の急所を捕えて、打破することは不可能かということになる。ところが、敵の攻撃に対処する術を会得すれば、敵の打ち込みや拳突きや蹴りなどに対し、手頸や足頸を制する方法が最善であることが分かってくる。 中国拳法では「推手」という動作で、聴頸化頸を要請するし、剛柔流空手道にも「カキエー」という類似の動作があり、また弥和羅といわれる古典の柔術には、平安時代後期頃からこの技術が秘かに伝わり、今日に残っている。 こうした抜手の稽古を重ねていけば、暗闇で攻撃されても、その気配だけで敵の息遣いを感知し、気配だけで腕や手の合谷、あるいは人体の急所の各部位に、ピタリと打ち据えることが出来るのである。 ●二丁張り 左右両方の拳あるいは二刀剣の要領で手刀を打ち出す事を「二丁張り」という。要するに一人の敵の急所を同時に、段差をつけて叩くことを言うのである。この段差をつけることで、各々の急所は異なった効果を現わすからである。 喩えば、拳張りの一種で、下突き揚げからの二丁張りで拳闘のアッパー・カット(upper-cut/相手の顎を下から突き上げて打つ攻撃法)のような突き揚げ方で、顎の下昆(地閣)と金的を同時に突き揚げる、段差を設けた張りである。この二丁張りは、上下の張りと、横の左右(双刀討で、その呼吸は中国拳法の双峯貫耳によく似ている)の張りがある。 ●手刀の橈骨・尺骨部の大事大東流では肘から上の部分を「手刀」という。この「てがたな」は単に空手で言う手刀とは異なる。小指側の刃の部分を、板や瓦を割るだけには用いず、この手刀は幾重にも変化する。日本刀に匹敵する武器になることを忘れてはならない。
また手刀の橈骨部と尺骨部は、日本刀で言えば棟(刀背側で峰とも)と刃(焼刃部)の関係になり、橈骨は茎状部でその拇指側を指し、敵の攻撃を外横の方向に打ち払い、防御に用いられる。この部位は「外小手」ともいわれ、特に受け技として用いる技が、そのまま攻め技にも転用できる。 また尺骨は茎状部の小指側を指し、「内小手」といい、主として敵の攻撃を内横の方向に打ち払い、防御に用いるが、攻め技にも転用できる。尺骨部は返し技で、受けと同時に手刀打ちへと変化させて、敵の頭部や顔面に向けて攻撃することも可能である。また第一打で目的を達成できない場合、第二打として指股などを用いて眼を突く攻撃に転じる事も出来る。
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