トップページ >> 技法体系 >> 拳法 >> 当による合気拳法(一) >> | ||||||||||||||||||||||||||||||
さて、大東流に於ける人体急所で用いる急所箇所は、次の通りである。 頭部から順に天倒、天道、霞、印堂、烏兎、人中、両毛、下昆、独鈷、頬車、脳活点、頸中、秘中、松風、村雨、ダンチュウ、月影(左右二箇所)、稲妻(左右二箇所)、電光(左右二箇所)、後電光(左右二箇所)、雁下、水月、肺尖(左右二箇所)、胸尖(左右二箇所)、明星(開元)、早打(左右二箇所)、尾テイ、第一頸椎、癪活、活殺、金的(釣鐘)、腕馴(左右二箇所)、肘詰(左右二箇所)、内肘詰(左右二箇所)、開握(左右二箇所)、内尺沢(左右二箇所)、外尺沢(左右二箇所)、曲地(左右二箇所)、合谷(左右二箇所)、甲手(左右二箇所)、内関(左右二箇所)、外関(左右二箇所)、後稲妻(左右二箇所)、夜光(左右二箇所)、後詰(左右二箇所)、承山(左右二箇所)、内踵(左右二箇所)、甲利(左右二箇所)、向脛(左右二箇所)、手打(左右二箇所)、潜龍(左右二箇所)、草靡(左右二箇所)、陽輔(左右二箇所、但し別名として絶骨、分間、分肉等の呼び名がある)、伏兎(左右二箇所)であり、その数は81箇所にのぼり、殊にこの中では約70箇所程が、主に打法目標として遣われる。 ちなみに「五輪塔」の五輪は、五行の「五」であり、「五行の当」に対応している。 大東流に於ての急所打法は、柔術諸流派と同じく、約70箇所程の経穴が遣われるが、竹内流柔術が急所打法に72穴を定め、大和柳生流が74穴を定めている事は、ほぼ大東流の約70箇所程の経穴と一致する。 中国には擒拿術という武術があり、これは経絡上の経穴を掌、拳、指先で打突き、若くは拇指などで押圧して、然る後に捕えるというもので、時には突きと同時に、敵を神経的に麻痺させたり、脈所を絞め揚げて、運動不能にする武術である。これは日本の柔術諸流派と究めて酷似しており、元々これら諸流派は中国武術思想の影響を受けたものと思われる。 日本柔術諸流派の中には、「拳法」を名称にした流派が少なくなく、諸賞流拳法などが有名であり、独自の技法を構築し、擒拿術としての経絡における殺活を研究した流派であり、本来の意味での中国拳法とは異なっている。 ●張りと中貫合気 この「張」は当身業の合気拳法の「素振り」であり、拳で撃つ事を「拳張」、猿臂等の肘討ちを「肘張」、中高一本拳等の鋭い拳で突く事を「刺張」という。 また、大東流拳法の特徴は、常に複数の敵に対する「多敵之位」を戦闘の想定に置いているので、一対一の戦いではなく、複数に対しての自滅作戦を展開するので、特殊な打ち方で当身を「当て」、次に「投げ」、最後に「斬る」という過程を辿る。 これ等の動作がある程度会得できたら、次は「気力の一致」に入る。 「吸う」と言えば、一見不思議に思うかも知れないが、多くの武道や格闘技は、相手を叩く場合、突く場合、あるいは投げる場合、総て「吐く息」の気合というもので制することが少なくない。また「エイッ!」と気合を入れた方が、何となく勇ましく思うかも知れない。 そのため、こうした格闘技や競技武道の愛好者は、晩年、蜘蛛膜下出血で眼を煩ったり、呼吸器障害を起したり、心臓に負担を掛けて心臓肥大症となったり、無理な蹴技(脚を高く上げてキックするなど)で股関節に亜脱臼を起して、半身不随になる確率が非常に高いのである。著名な武道家が、晩年、纔30センチの高さの階段を上がるのにも苦慮して登っている姿を見掛けるが、これは蹴技が災いした股関節だ脱臼のためである。 次に、呼吸法の誤りが挙げられる。 ●吸気の大事 大東流の呼吸法は、「掛け」や「当て」の瞬間に「吸気」を行う。この「吸う」ことこそ極意であり、呼気から一瞬に転じて「吸気」を行うのである。 さて、「張り」を行う場合は、出来るだけ力を抜き、拳は手は最初から固めるのではなく、丁度、ウズラの卵か何かを軽く握った感じで、打ち出す瞬間にこれを握り固め、同時に、目標物に当たる瞬間「吸う」のである。これは当身業に限らず、大東流柔術を行う際も、この吸気は大切である。「吸う呼吸」が会得できたら、これが本物であるかどうか、「試張り」が必要となる。空手で言えば「試割り」であり、据え物斬りで言えば、「試斬り」である。 大東流の試張りは、合気拳法・手拳を以て、これを行う。 この方法は、新聞紙数枚を、誰かに上の部分だけ持って貰い、これを「突き」や「刺し」で突き破る方法である。最初は一枚から始め、その呼吸が掴めたら、枚数を徐々に増やしていく。 普通、木刀や日本刀を振り回せば、何らかの音がするが、この音が出る間は、実際には「空を斬る」までの次元に域に達していないのである。本当に空を斬ることが出来れば、映画やテレビで見る時代劇のチャンバラ・シーンような、風を薙ぐような「鳴き音」(ヒューと鳴く、速度の遅さから来る低周波音)はしないものである。大東流剣術には「音がするうちは未熟と心得るべし」という戒めがある。音がする、しないは低周波と高周波の違いである。 波動音も高くなれば高くなる程、その波調も短くなり、したがって人間の耳には聞き取れなくなる。本来ならば、こうした波調の高い音を、人間の耳で聞き取ることは困難である。したがって波調が低ければ、修行未熟な、万人に聞こえる「ヒューと鳴く音」を発し、それは未熟から起こる「振り回しの鳴き音」である。しかし一般素人は、これが物凄いと思ってしまうようだ。 ●発気と中貫合気肉体的には、呼気は吐く息であり、気合が伴えば強いように錯覚しやすい。また吸気は、気血的には納める息であり、吸っているため表皮的には弱々しく映る。しかしこの、一見弱々しく映る、吐納の納気に隠された秘密がある。 吸う瞬間の吸気に、納める納気を一致させれば、絶大な威力が伝播される。人体はその八割方が流動体からなる液体であり、液体に与える打撃は、呼気ではなく、気を納める時機の納気でなければならない。これに心・気・力の三者が一体になり、心は心情と交わって元気(玄気)をなし、気は唸と交わって意念を発し、力は精と交わって武技を形作る。そしてこれが一体となって、三宝(天・人・地で、天は日・月・星、人は精・気・神、地は火・水・風)を作るのである。 しかし初心者は、気と力が分離している為に、纔一枚の新聞紙すら突き抜くことが出来ない。「暖簾に腕押し」の観であり、突き破るコツを掴むのに多少の時間がかかる。 一般に思われている呼吸は、空気中の酸素を取り入れるために、二酸化炭素を吐き出し、単に、ガス交換を行うことくらいにしか思われていない。 中貫合気は瞬時に、点を破壊する技法であり、呼吸を一箇所に集中する事が大事である。そして力んだり、腕力で、これを打破してはならない。仮に打破しようと目論んでも、それが力技や肘から捻り出すピストン運動である場合は、機械的な繰り返しとなり、暖簾に腕押しで、新聞紙一枚すら突き抜く事は出来ないのである。 これはピストルとハンマーの違いで、ピストルは、標的目標に押し当てても発射する事が出来るが、ハンマーは目標物に押し当てた儘では、それを破壊する事が出来ないのと同じ理屈である。ハンマーで目標物を破壊するためには、打ち砕くための射程距離(振り上げて、振り降ろす運動区間)を必要とするからである。 さて、この新聞紙が正拳突きや抜手刺しで、突き破れれば、次は割箸一本を名刺や、割箸の入っている鞘の紙等を遣って、これを切断する事が出来る。但し、こうした技術はあくまでも余興的なものであり、実際の武術の儀法(業の意で、礼儀作法と武技の一致した法)とは余り関係のないので、こうしたものを見世物にしないことである。 さてこの場合、「空を斬る」を正確に言うと、これは「切断」ではなく、「折る」と言った方が適当であるかも知れない。 以上、説明を重ねれば、大東流当身拳法は、以下なる打撃系の武技や流派とも異なり、素手から生まれた「ケンカの道具」の部位として、手や足を使っているという意味とは、元々次元を異にするということが理解できるであろう。 時代の流れは、武家から町家というのが歴史的な文化の流れであり、起源は武家が母体となっている。その一つの証拠に、髷(髪を頂につかね、髻を結った上部を後方へ折り曲げ、さらに前へ折った所の名)の結い方がある。 武士のものであったからこそ、武士階級でもない豪農や、郷士(武士でありながら城下町に移らず、農村に居住して農業に従事したり、町家で商業を行った下級武士)の間にも、これらは普及したのである。 日本は古来より「剣」をもって、前途多難な、己の運命を切り開いてきた歴史を持つ。鍬や鎌や叩き棒ではなかった。まして舟の櫓でもなまった。
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||