■ 牡丹下の猫 ■
(ぼたんしたのねこ)
一匹の猫が牡丹の花の下で、気持ちよさそうに昼寝している。これを観察すると、やわらかな寝姿である。そのやわらかさの中には、確かに潜む生き物の確信がある。
寝ていながら耳を立て、何事かに警戒を怠っていないかのようにも映る。何か一度、事が起これば、直ぐにでも飛び上がり、立ち去りそうな、しなやかな筋肉を観じる。
俊敏な命を持つ猫の寝姿。外敵が襲ってきたら、直ぐにでも撥(は)ねのく。そんな猫の寝姿を、「如何に読むか」という事が『牡丹下の猫』である。
さて、そこに武芸者が近付き、一刀のもとに猫を斬り付けた。猫は、この刃をひらりと身を躱(かわ)して逃げていく。そこに俊敏な命の実態があった。
この時の猫の心境だが、猫は本当に気持ちよさそうに寝ていたのか、それとも寝た振りをしていて、咄嗟(とっさ)の危機に対して、最初から警戒していて、対処していたのではないかという、二つの推理が成り立つ。
前者が事実とすれば、猫は本当にぐっすり寝ていて、その咄嗟の攻撃に刃を躱したという事になる。
また、後者は本当に寝ていたのではなく、常に危険に対して警戒し、身構えていたという事になる。この二つの仮説の相違点は、「寝ていたのか」、「寝ていなかったのか」という事である。
寝ていたのであれば、咄嗟の出来事のみに対処して、その瞬間、危険を躱したという事になる。そして、猫の心はくつろいでいて、寝ていながら、寝てなかったという事になる。
もう一つの考え方は、最初から寝ていなくて、常にいつ何かが起こってもいいように、起きていたと考えれば、猫は常に寝る事ができない。やはり、寝ていたと考えるのが常套(じょうとう)であろう。
そして本当に寝ていたが、心は常に危険に対して警戒し、遊んでいなかったという事になる。
悠々と寝ていながら、その危険が察知でき、万処の出来事に対処できる「無」の心を、それが『牡丹下の猫』の教訓である。 |