■ もぎり之術 ■
(もぎりのじゅつ)
●秘伝!合気揚げ−−−もぎり球(霊)/もぎり之術
スポーツライター 宮川修明
合気揚げは左旋の動きである。左右取られた手は、左旋によって敵を浮かし吊り揚げる。この時の要領を順に追って説明すると、まず腰骨の上に、脊柱を出来るだけ垂直に立てると言う事である。これを「腰骨を立てる」と言う。
合気揚げには立業(立法)合気揚げと、坐業(坐法)合気揚げがあるが、いずれも上半身は脊柱を垂直に立て、俗に言う「出っ尻、出っ腹」の姿勢を作る。
下腹の真丹田(臍下から三寸、更にそこから体内に三寸)に中心力が集まるように腰と肚の力を一致させる。呼吸は吐く時の重たく、吸う時に軽く、乱れない呼吸を行う。これは調息呼吸であるが、この呼吸は、呼吸する事ばかりにい意識が囚われると、肝腎な手と腕の物理的フレームが疎かになり、ここへの意念の配慮も忘れてはならない。
次に、必要でない筋肉は出来るだけ遣わないように心がけ、肩の力を抜き、「肩球」(正しくは「肩霊」という)を意識する。ここは人間が物を持ち上げたり、押したりする場合の力の支点になり、古来より丹田から出た力はここを経由して腕や手に伝わると考えられ、魂が宿る場所として「霊」(たま/球)という字が充てられた。
この肩球を意識しつつ、集中を行うのであるが、単に意識の集中だけでは要を為さない。ここを特異な技法で動かすのであるが、今回は曽川宗家からのお許しが頂けないので、簡単な触りだけに止める。(動かし方に「口伝」あり)
物理的には三角形のフレームを作って、肘上の部分の三角形と、肘下の部分の三角形を合わせて平行四辺形を作り、「臂力」を用いる。
また、相手が握る手頸(てくび)部分は、中心力が渦を巻いて台風の目になるようなイメージを以て、「もぎり霊(球)」を働かせながら「合気揚げ」を行う。
「もぎり霊」とは、手頸に働く手根骨の「移動」と「動かし方」であり、その角度が問題となる。
相手が握る手は、吾が手頸を抑えるのに、その抑えの中心は拇指(おやゆび)であり、拇指をもぎり取るイメージで、臂力の平行四辺形フレームを崩さないように吊り揚げる。
次に、指を「朝顔形」に開いて、吾(わ)が手頸が左旋を行うイメージを持つ事が肝腎である。
そして腕の力の通しは、相手の頸(くび)に作用するように力を送り込む事が肝腎であり、吾が肘の臂力を、相手の肘に下から付けるように「潜り込んだまま」押し揚げる。
この場合、肚(はら)と腰をしっかりと据え、上半身が傾かないように注意する。
また揚げる際には、単に腕力で無理やり揚げるのではなく、全身が「うねり」を齎すように螺旋状(らせんじょう)の「巻き付き」のイメージを持ち、腰と肚が一致した状態で、正中線上を平行して腕を揚げる事が肝心である。
合気揚げは、相手の手頸を経由して肘、肩、頸へと吾が力が移行していく。そうした状態の中で、相手は重心を失い、また腰が浮き上がってしまい、吾が手頸を制する事が出来なくなって、最後は宙吊りに浮き上がってしまうのである。
【両手封じと合気について】
武術において、両手を封じる事の重要性は非常に大きい。
しかし昨今は、徒手空拳や制空圏を主張する格闘技やスポーツ武道が幅を利かせている為、「両手封じ」という事は、あまり問題にされなくなってしまったようだ。
ところがこの両手封じには、大きな役目がある。
「素手」対「素手」で戦う場合は、一々相手の両手を塞ぐよりは、突いたり蹴ったりの方が一見手っ取り早いように思える。したがって殴り合いの、素手による喧嘩様式をとる事が少なくない。
喧嘩上手が、風雪に鍛えた鉄拳をふるい、あるいはボクシング形式で鍛えた喧嘩術をマスターした熟練の手合いが、相手を威嚇する。こうしたアクション映画の影響の為か、素人までがこうした様式、あるいは形式で、殴り合いを演じる事が少なくない。
したがって「両手封じ」など、何の役にも立たないと安易に思ってしまう。
しかし相手の手腕を遣わせない方法として「両手封じ」ほど、有効なものはない。
特に「日本刀抜刀」等における、「居合」や「居掛」において、これほど効果的なものはなく、また、これ以上の方法もない。
居合は「坐撃」(いあい)とも言われ、このスピードと凄まじさは想像を絶するものがある。日本刀による斬り付けは、「点」であり、拳のように太くなく、また、遅くもない。
こうした秒単位で抜き放つ「激剣」に対し、これを封じるには両手を遣わせない事が最良の方法であり、その分だけ、抑え、封じる方は、命賭けの、必死の抑えとなる。
両手を放してしまえば、直ちに斬られるという事を覚悟した捨身懸命の抑えであり、命賭けで、渾身の力で封じてくる。
攻撃を掛ける「坐撃」に、両手を解かれてしまえば、立場が逆転して即座に斬られてしまうからだ。
しかし坐撃を行う方も、さるもの。この両手を解き放ち、抑える相手を斬り据えるという技がある。この解き放ちを「手解き」と言う。
「手解き」とは、吾が手頸を握った相手から手を解き放つ「術」であるが、これが高級になったものが「合気揚げ」である。
したがって「合気揚げ」は、まず、「もぎり霊」を遣った「抜手」から入り、徐々に相手の吾が手頸を取らせたまま、浮かし上げてしまう「合気」へと発展した。
両手取り合気揚げは、両手封じの相手を合気に掛ける業(わざ)であり、相手に手頸を握らせたまま上方へ吊り上げるのである。
こうした技法を素人目に見た場合、握っている方は自分の手を放せばいいではないかと思うが、これが、放そうとして、中々放れないのである。
この「放れない」のは、一種の意識的な錯覚であるが、内容を要約すると、「抜手」から始まる「もぎり霊」は、合気揚げの稽古を繰り返し行う時点で、「もぎり霊」を働かせる事によって、一瞬崩れる瞬間が生まれる。
この一瞬の崩れの隙が「合気に掛かる瞬間」と言える。
では、掛かればどうなるのか。
私が、曽川宗家から合気揚げで、合気に掛けられた体験からすると、曽川宗家の手頸を握ると、瞬間に手頸が膨らみ、握った手に圧迫が伝わる。手頸が急に太くなったように感じるのである。これは握られて、弛んだ手頸に、パーンと指を開き、気を通した為であろう。これを力一杯握る。必死で握り込むのである。
以前、この「握り」が甘いと言われて、握った手をもぎ取られ、「抜手」を遣われて、その瞬間、厭と言う程、顔面を、掌底から繰り出す「張手」で打たれて脳震盪を起こし、しばらくうずくまった事があった。
その恐ろしさを十分に承知しているので、曽川宗家の両手頸を握る時は、まさに捨身懸命であり、命賭けなのだ。
そして強力で握り、次の瞬間に揚げられている。それは瞬間ではあるが、一気に持ち揚げられるという感じで、何処か、天井のような処に「宙吊り」にされるという感じである。
両手を放せばすむ事なのであろうが、放せば落下するような錯覚を抱く。したがって落下するのが厭(いや)なら、頑張って両手頸を握っているしかない。
つまり、自分自らで、自分の動きを封じてしまったような錯覚に陥るのである。こうした一連の動きを要約すると、手頸を握った瞬間に「宙吊り」にされてしまうという感覚を抱くのである。不思議の一言に尽きる。
曽川宗家は、合気は「合気揚げ」の中に総て包含され、内在されていると言う。幾ら高級技法を知っていても、あるいは複雑な柔術の掛獲も、合気なしでは要をなさないと言う。
したがって、柔術百十八箇条の柔術分野や、直心影流の表の型だけを幾ら練習しても、それは合気柔術に発展するものではなく、あくまで力を中心とした「江戸時代の中間・足軽の柔術」であり、現代柔道のような、力を力で競うような強力の技であり、齢とともに衰えるものであると言う。
大東流柔術を、合気柔術に発展させる為には、基本の極意に戻って、日夜合気揚げの修練をし、そこから合気の極意に迫る事こそ、急務であると感じるのである。
そして曽川宗家の教えに従うならば、この入口の第一歩は、まず、素振り用の木刀(重さ1.200グラム)を朝晩1.000回ずつ素振りし、一日で2.000回、一ヵ月で約60.000回、半年で約360.000回となる。
この頃になって、やっと肩の力が抜けて、腕に臂力がつく。更に、これを後半年続ける。これで720.000回となり、この頃になると肩の筋肉は落ち、撫(な)で肩となって、肩は骨と皮だけになる。また、それに反比例して、腕は太くなり、形は横から見ると「へら鮒(ぶな)」のような形になって、この断面は「楕円形」である。
剣道で鍛えた腕の太さとは異なる、日本刀を自在に遣い熟(こな)す腕の太さだ。
ここに至って、はじめて合気揚げを行える手と腕と肩が完成する。これが合気揚げの初歩段階である。こうした地道な日夜の稽古が必要であると、曽川宗家は言うのである。そしてこれが一旦完成すると、この威力は齢を取っても衰えないという。
西郷派大東流合気武術の総本部・尚道館が主催する講習会には、他で大東流(多くは「大東流○○会」を名乗る大東流柔術の愛好者と思われる)をやられて、参段、四段の段位を持った方や、各会の合気道有段者が参加しているようであるが、この人達の殆どは、狎れ合いの合気揚げに終始している為、実際の合気揚げとは程遠い、「合気揚げ擬き」になってしまっている。
相手の手頸を握る、その握りも弱く、演武形式の練習をしている為か、効果が殆ど無く、あまり役に立っていないようだ。その上、「両手封じ」の何たるかも分かっていないようだ。
やはり彼等も、現代にはそぐわない、骨董品に成り下がってしまった柔術百十八箇条ばかりにこだわらず、もっと原点に立ち返り、曽川宗家の言われる「剣の基本の素振り」から始めなければと思う次第である。 |