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かつて畳の上で格闘する柔術を「畳水練」を称されました。 さて、柔術を主体にする道場には、何故、畳が敷かれているのでしょうか。 しかし畳稽古が中心となり、畳が当り前となりますと、喩えば合氣道の「呼吸投げ」のような技も、実際にはコンクリートの上や、砂利道の上では掛かる事はなく、クッションの利いた畳の上だからこそ、お互いの協力によって掛かる技であるという事が分かります。こうしたものを総じて「畳水練」を誹られたのでした。 本来、武術というものは場所を選ばないものです。そこが傾斜地であろうと、山深い僻地であろうと、あるいは水中の中であろうと、当然そこにはそれ相当の儀法が存在しなくてはなりません。また、こうした状況下で、ルールなどとは言ってはおれません。即、その場が武技の応酬の場となります。 ●体力や筋トレ不要の秘伝の体得 以上に示すように、大東流儀法習得の全貌は格闘中心の腕力やテクニックや反復訓練、あるいは筋トレや肉体的運動神経の養成でない事が解ります。 「護身」とは、不法な暴力から身を護るだけではなく、その他の危険に対しても、「生命の安全」をはかる事を意味します。そして、わたしたちの身の周りには、いろいろな危険が取り巻いています。 もし、自分自身の生命に危険が及ぼうとした場合、直ちにそれを回避し、あるいは制して、そこから脱出する「術」を身につけていなければなりません。 そして現在の警察庁の防犯白書によりますと、ストーカー被害は年々増え続け、日々に悪質化の傾向にあり、急増するこうした犯罪に、警察の防犯対策や、具体的なキメ手は皆無であると報告し、現実問題として、今日の司法や行政機構は具体的な防衛対策を持っていないのが現実のようです。 今日のマスメディアの発達は、それまで手が届かなかった人達をごく身近に感じさせ、一方において、これを巧みに利用した犯罪が急増しています。交通機関の発達で世界は身近に行き来できるようになり、自他の距離感が益々喪失し始めています。暴力もこれに伴い、外国からの勢力が忍び寄り、わたしたちを柔躙し始めました。そしてこれらは、征服し、支配しようと暴走を繰り返します。 1980年12月8日、元ビートルズのメンバーの一人だったジョン・レノンがニューヨークの自宅のアパート前で、熱狂的なファンの兇弾によって斃れるという事件は、わたしたちの記憶にまだ生々しく残っています。この時の衝撃は、世界中を震憾させました。 こうした不慮の事故に対する防衛策も、普段から予期して、自分の特別な人間ではなく、いつでも事件や事故に巻き込まれる可能性があると、認識しておかなければなりません。 ●同じ人間なのに、事件や事故に巻き込まれる人と、そうでない人人間は平等に造られていると言います。しかし果たしてそうでしょうか。 日本は、今でも「平等神話」が駆け巡っています。生まれながらに人は平等であると言います。 民主主義というのは、基本的人権を基盤とした一種のエゴイズムであり、個人主義の傾向が強い社会システムです。そして、この民主主義・デモクラシーは時として暴走し、悪しき個人主義に変貌します。 また一方において、日本人の多くは、日本社会に対する危機意識が疎く、これらの社会情勢に対しては、殆ど無関心に生活しています。 こうした無関心は、時として犯罪の温床になり、こうした場所に巣食っている不正な暴力も少なくありません。そしてこうした現実から逃避し、現実から眼を反らす国民が「愚民」であればあるほど、民主主義は「悪魔の道具」になりやすい特徴を持っています。 幸運にも事件や事故に遭遇しなかった人と、遭遇した人の差は、普段の心構えにあります。普段からこの事を知り、危機意識を持っている人は、喩え事件や事故に遭遇したとしても軽傷で済みます。その格差は、自分自身の生き方に積極的であり、精神状態をコントロールするのが上手か否かが問題になります。 こうした心構えを以て、普段から道場で稽古に励んでいる人は、まず、その人自身に「勝つ為に稽古するのではなく、負けない為に稽古する」という意識を強く感じています。 西郷派大東流合気武術は、勝つ事を教えるのではなく、負けない事を教える武術です。今日の勝者は、明日の敗者である事を忘れてはなりません。
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