インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 入門方法 >>入門審査や体験入門を考えている方が読むページ >>
 
志高く、より良く生きるために

■ 入門審査や体験入門を考えている方が読むページ
(にゅうもんしんさやたいけんにゅうもんをかんがえているかたがよむぺーじ)

●入門をすると言う行為

 「道」を学ぶ人のことを「求道者(ぐどうしゃ)といいます。
 「道」の為に、人間の行動律を当てはめ、そこで修行する人が求道者なのです。
 一方、求道者は、よき師との出会いを求めて、師が在り、学びたいと思う人が、入門を通じて師弟関係を作ります。大方が、入門に至る動機は「求道」からです。

 しかし、中には心得違いをして、「喧嘩に強くなりたいから」とか「馬鹿にしている者を、強くなって見返してやりたい」などと、実に次元の低い考え方で、競技武道や格闘技をはじめる青少年も少なくありません。

 現代という時代をよく見てみますと、この世の中は「不穏」の一語に尽きるようです。必ず、日本中いたるところで毎日、金銭や異性に絡む殺人事件や傷害事件が起こっています。犯罪の若年年齢化とともに、放火や強盗といった憎むべき犯罪が起こり、その犠牲者の多くは婦女子や老人といった弱者がターゲットになっています。
 そして、こうした人達は、自分を護る術(すべ)も知らず、殺されたり、あるいは生き残ったとしても、犯罪の後遺症から回復できず、一生その「おぞましい影」に苦しめられます。

 人間の命が、今日ほど軽く扱われる時代が、これまでの人類の歴史の中であったでしょうか。また、人間は何故、こうまでに意図も簡単に虫けらのように殺され、あるいは傷つけられなければならないのでしょうか。

 こうした今日の背景には、人間の持つ精神性を蔑(ないがし)ろにして、物質欲や、科学的快適さ、便利さ、豊かさばかりを求めた結果の皺寄(しわよ)せが、一方でこうした事件を起しているものと考えられます。そして、どこでも、ここでも、理不尽な暴力が横行しています。

 現代人は、こうした世の中を、否(いや)が応でも生きることを余儀なくされているのです。私たち現代人は、こうした世の中を、どう生きればいいのでしょうか。

 ここに一つの道標(みちしるべ)があります。人生を生きる、心の拠(よ)り所があります。
 それは、わが流の説く、「武の道」です。
 「武の道」とは、強弱論を論じて、強弱からなる勝負を求め、強者と弱者を隔てるものではありません。また、強者が弱者の上に君臨して、弱者を見下し、思いあがることでもありません。然(しか)しながら、世の中にある多くの武道場や格闘技場は、この強弱論に固執し、強者を英雄と崇める考え方を捨てきらないものが少なくありません。

 しかし、こうした強弱への「こだわり」は、やがては自己を滅ぼす墓穴と誘(いざな)います。それは、「武の道」が、弱者を見下し、思い上がり、有頂天に舞い上がった次元に存在していないからです。
 人間は、自分が少しでも偉いと思ったり、強いと思えば、その人の思い上がった優越感は、その時点で、「滅びの道」に直結していることを忘れてはなりません。

 まず、求道者として「道」を求めて学ぶ、一学徒となるのですから、強弱論に振り回されることなく、真摯(しんし)に、謙虚に、慎み深く、「道」を求めるのが、求道者としての心構えです。

 

●求道者の心得

 「薪水(しんすい)の労をとる」という言葉があります。これは師弟関係を結ぶ上で、重要な条件となる事柄です。
 師に仕(つか)える事が、求道者の第一義でなければなりません。
 しかしこの言葉ほど、中々実践するには容易ならず、「言う」と「行う」とでは天地の差があります。「言うは易しく、行うは作(な)し難し」です。
 一方、「薪水の労をとる」とは、炊事などの労働に就き、転じて、人に仕えて骨身を惜しまない働きをすることを、こう呼びます。

 本来の修行と言うのは、試合に「勝つ為」に行なうものではあるません。修行の原点は「礼法」に叶っているかどうかであり、これが抜け落ちた場合、修行は根底から崩れます。
 修行の目的は「強弱論」にあるのではありません。時と場合に応じた、咄嗟(とっさ)「臨機応変さ」にあるのです。

 「臨機応変」と、口で言うのは容易(たやす)いのですが、実際問題として、咄嗟に予期しない事が突然起った場合、訓練を受けていない多くの未熟者は、たちどころに落ち着きを忘れ、うろたえるの通り相場のようです。そこに未熟者の無能ぶりが、この時に出る分けです。
 咄嗟の出来事に対応できる心構えは、試合上手とは無関係です。試合の上で、強いか弱いかは、実戦には余り問題ではないのです。それは実戦と試合が大いに異なるからです。

 ある著名な武術家の著書に、直心影流の榊原鍵吉(さかきばら‐けんきち)と、その弟子の山田次朗吉(やまだ‐じろきち)の話が出て来ます。
 榊原鍵吉は天保元年(1830年)十一月、麻布広尾の榊原邸で生まれましたが、天保十二年の十三歳の時、男谷精一郎(おたに‐せいいちろう)の門に入り、直心影流剣術を学びました。以降、研鑽(けんさん)十年、天性の素質と才能に恵まれ、その上、稽古熱心であった為、ついに免許皆伝を得て、安政三年築地の講武所剣術教授に抜擢(ばってき)されました。また、小川町の講武所剣術師範として、師の男谷精一郎と、その門下「十三人衆」と共に名を連ねる程の腕前になっていました。

 こうした鍵吉の得意絶頂にあった頃に、入門したのが山田次朗吉(やまだ‐じろきち)でした。
 山田次朗吉は入門してその後、精進し、師匠の榊原鍵吉に随行が許されるまでの信頼を勝ち取ります。

 この話は、次朗吉が師匠に随行して、雪の九段坂を歩いていた時の事です。この話には出て来る物語は、ある咄嗟(とっさ)に起った出来事を取り上げています。

 この出来事は、予測不能にして、あるとき突然、咄嗟に起こりました。
 雪の為に、師匠の鍵吉の履(は)いていた下駄が滑って鼻緒(はなお)が切れたのです。しかし、次朗吉は、わが師・鍵吉が顛倒(てんとう)しようとした瞬間、鍵吉の躰(からだ)を咄嗟に支えると同時に、残る片手で、今度は自分の履いていた下駄を素早く脱いで、師の足許(あしもと)にあッという間に差し出したのです。見事にも、一瞬のうちに踏み履かせ、顛倒(てんとう)を防止すると同時に、わが師の足許(あしもと)に、自らの下駄を踏み敷かせたのです。

 これこそ、まさに臨機応変の最たるもので、これ以上の「妙」はないと思います。
 顛倒しようとする人を支えるくらいなら普段でも在(あ)り得ることで、咄嗟に自分の履いている下駄を脱いで、その足許(あしもと)に、さっと差し換える妙技を行えるのは、心配りと観察眼の疎(うと)い凡夫(ぼんぷ)には中々できる事ではありません。
 つまり、これはその人の持つ、「非常時に備える才能と素質」の自覚が、このような妙技に至らせるのです。

 世の中には、人それぞれに才能や素質を持った人が沢山います。しかし「武の道」として修行に励む人は、このくらいの「気配り」がないと、求道者としての成就は適(かな)いません。

 雪に滑って、鼻緒が切れ、顛倒しかかると言うこの事件は、ごくありふれた事であるにもかかわらず、その根底には、予期できない偶然性は秘められています。こうした現象は偶然に起るから、「咄嗟」と言うのであって、こうした出来事に、対応できるから、「臨機応変」と言うのです。
 そして偶然性と言う、予期できない事象は、そう簡単に、気配だけで感じ取れるものではありません。

 それでいながら、咄嗟の出来事に対し、師の顛倒を支え、下駄をすかさず差し出したと言う、随伴者として当然の行為は、心の在(あ)り方を如実に教えるものです。漫然(まんぜん)と師の伴(とも)をしていては、こうした事は出来ないはずです。こうした働きができるのは、その根底に「薪水の労をとる」という心構えが、普段から働いていて、常に危機に対する備えが備わっている為です。

 昨今は道案内と称して、師匠の前を自分勝手にスタスタ歩く、礼儀知らずの案内人が多いようですが、もし、山田次朗吉が榊原鍵吉の前をスタスタ歩いていたら、顛倒しかかる師匠の躰(からだ)を支え、残る片手で自分の下駄を脱ぎ、それを師匠の足許に挿(す)げ替える等と言う妙技は行えるはずがありません。やはり、この場合は「三歩下がって師の影踏まず」という俚諺(りげん)が功を奏した事になります。

 しかし「薪水の労をとる」とは、師匠が門人の上に胡座(あぐら)をかいて君臨し、師は弟子に対し指導者面(づら)する事ではありません。また、こうした事を門人に要求する事でもありません。
 しかし、修行するという日々精進の世界は、有事に際して、咄嗟の措置が出来なくては、その人は武道愛好者や趣味の域で止まる人なのです。
 また精進する世界を、単に勝ち負けにこだわって練習する人には、こうした「切実」かつ「純真」な心が理解できず、ついには有事に際して、何一つ役に立たない禍根(かこん)ばかりを積み上げている愚人に成り下がります。

 後に、鍵吉の高弟・山田次朗吉は『日本剣道史』を著わしますが、この中には、明治20年(1887年)十一月十一日の伏見宮(ふしみのみや)邸での、わが師・榊原鍵吉が、兜(かぶと)割りの天覧を供にした事を、次のように述べています。

 「此の日、この場に招かれた剣客は皆一流の聞えある者のみであった。我が師榊原は前々より斎戒沐浴し、鹿島明神を祷(まつ)り、出入りの刀剣商より取り寄せたる胴田貫どうたぬき/肥後の刀工の一派で慶長の頃)の一刀を携えて出頭した。(中略)(かぶと)は名に負ふ明珍みょうちん/甲冑師の家名で、戦国時代の十七代信家や高義・義通の頃から世に知られるようになった。轡(くつわ)・鐔(つば)なども製作し、名人として知られる)鍛えの南蛮鉄桃形(なんばんてつももがた)、合図に任せて一順、二順、警視庁の逸見宗助(へんみそうすけ)、上田馬之允(うえだうまのじょう)腕を鳴らして進み出て、曳(えい)ヤの声は勇ましかったが、刀はカンと跳ね返って兜は掠(かす)り傷も負はず、或いは刀を辷(す)べらして危うく倒れかかった者もある。榊原は徐々と傍(そば)近く歩み寄って、すらりと抜きたる胴田貫を真っ向に振り翳(かざ)し、気合いの充(み)つると同時に、エイと叫んで打ち下したる手練(てだれ)の冴えは、ズカリと斬り込む鉄兜に、三寸五分を喰い入ったのである。あな斬ったり。割ったりと(中略)嘆美の容子(ようす)は各人の色に形(あら)はれてあった時に鍵吉、五十八歳であった」と記されています。

 こうした鍵吉の偉業の裏には、弟子の「薪水の労をとる」影の力があった事は、言うまでもありません。
 榊原鍵吉は剣に長じた人物でしたたが、理財の才に欠け、惜しいかな、明治の世になってサーカスの曲芸師まで遣(や)り、また不肖の異腹の兄弟の多かった事が災いして、鍵吉自身の晩年は、必ずしも恵まれた人生とは言えませんでした。

 鍵吉は、日清戦争の宣戦布告の翌月の明治二十七年九月十一日、六十五歳の人生を閉じました。そしてその亡骸は、四谷南寺町の西応寺に葬られました。
 鍵吉は逸材の人物として、才能並びに伎倆(ぎりょう)に優れ、しかし残念ながら理財には欠けていた為、人間としての身を律する方法を知りませんでした。もし、鍵吉に理財の才があれば、かくも惨めな死に方はしなかったであろうと思います。

 しかし唯一の慰めは、山田次朗吉の、あの九段坂のちょっとした雪のスリップ事件であろうと思い返すことが出来るのです。
 あの事件こそ、鍵吉自身も弟子の次朗吉に救われたはずで、心から人間には「凄い奴がいるものだ」と、心服したに違いありません。これにより、師弟関係の絆(きずな)で随分と救われたはずです。

 さて、わが西郷派大東流も、随分と遠くから、わが流派を学びに来る人がいます。しかしその人達の多くは、単に西郷派の儀法(ぎほう)を修得に来るのであって、「薪水の労」をとりに来るのではないようです。技だけ学べば、大半はサッサと帰ってしまいます。
 しかし中には、一日、二日と寝食を共にする人もいます。そして稀(まれ)にですが、頼まないのに便所掃除や風呂番や飯炊きまでして「薪水の労をとる」ような事をする人がいます。こうした人は「切実」かつ「純真」な気持ちがあるからでしょう。

 恐らくこうした人は、目指す目的が、技術的に技だけが上達すればそれでよいと考える、一般の道場生とは異なっている事が挙げられます。
 一念発起(ほっき)して、ある事を日々精進(しようじん)し、日夜努力を重ね、ついに高次元なものを会得する人がいます。こうした人を「名人」と呼ぶのです。名人とは、人格ならびに品格が、一般の人より抜きん出ていて、技術的な面で多くのことを知っている人のことを言います。また、名人を「高手(こうしゅ)の人」と呼ぶこともあります。
 さて、高手の人ですが、高手の人には、二通りのタイプがあります。

 一つは幼少の頃から何等かの武術を学び、日々精進して師の教えを守り、人間として仕事に精を出すと共に、また、武術も練る。やがて後進者に慕われ、人格も磨いて、技もよく切れる人です。そして生涯を、これに満足して心豊かに終わる人です。

 一方、もう一つの高手は、やはり同じように幼少の頃より武術を学び、然(しか)し乍(なが)ら、よき師に出合わず、技術面ばかりにこだわって、強弱論を論じ、喧嘩三昧を好み、好戦的になって、自己の強い事を誇示したがるようになり、「喧嘩道○○段」と称して、自己の能力を過信する人です。このタイプの人は、実力があるが、人格が伴わない為に、狂暴で自惚(うぬぼ)れの強い、矛盾の多い人間となり、普通の人が持っている人格さえも失っていきます。一歩間違えば、性格粗暴者や性格異常者に属します。技は輪切れるが、乱暴者で仕方がない。喧嘩早くて仕方がないといった人が、このタイプの人です。

 このタイプの人は、自分の技術を「喧嘩道」などと称して、低年齢者を魅了しています。
 また、現代の混沌とする時代、こうした喧嘩師に憧(あこが)れて、格闘技を志す若者も少なくありません。勝てばよいと言うタイプです。弱肉強食こそ、この世の掟(おきて)と信じている人です。あるいは、腕力において、強くなければならないと信じる人です。

 こうした人は本当の意味の「薪水の労をとる」と言う、地道な日々精進を嫌い、ただ思い切り肉体を酷使し、汗を流して、ハードな練習に明け暮れ、何かにつけ好戦的で、一撃必殺などの言葉を豪語して、必殺法のみを修得しようとする人です。
 「静中動あり」という武術の真髄を知りません。常に「動中に動あり」と信じて疑いません。精神性が低く、アメリカナイズされたものを好み、派手好みで、常に躰(からだ)を動かすことを好みます。性格も落ち着きが感じられません。その為に、例えば孤高を持して、2時間も、3時間も「静坐」をしたり、「瞑想」することが不得意です。

 必殺法習得法のみを目的とする人で、目先の派手さに魅了され、高級技法ばかりを好み、 また「いいとこ取り」を狙い、人間的な基礎固めを怠って、肝心な「地道に地固めする」ことを嫌います。しかしこうした人は、生涯それ止まりの人です。何某(なにがし)かの技を身に付けたとしても、気狂いに刃物では、人々の人望を得ることが出来ないのです。

 わが流の入門審査や体験入門を考えている人は、是非とも、この事を考えていただきたいのです。そして、わが流では、切実かつ純真な、切なる願いの欠如している人は、入門しても、あるいは、わが流を体験しても、決して何も得るところがありません。それは求道の心得が間違っているからです。

 

●「道」を教わる態度について

 昨今の武道やスポーツの愛好者のグループを見てみますと、自分の都合のよい曜日や時間に顔を出し、ミーハー・グループのそれと変わりがないような、活動を行っている愛好団体や道場が少なくまりません。
 そして、こうした「お気軽感覚」は、「武の道」を標榜する道場にも広まりつつあり、それはそれで大変結構なことですが、残念ながら、これでは目的意識がぼやけ、また、形作られていかなければならない礼儀面は崩壊していくことになります。

 少なくとも「武の道」と、スポーツや格闘技などの芸能界と地続きになっている世界とでは、根本的に考え方の違いがあります。武術を志し、修行するのは、何も芸能人や有名人になる為に、これを行うのではないからです。
 修行を目的とした「武の道」では、その根底に「精進」という日々努力の姿が織り込まれている為、「道」としての礼儀がなければなりません。

 しかし、昨今のスポーツ界や格闘技界を見てみますと、スポーツや個人的闘技に励む選手を見てみますと、試合に出て勝者となり、有名人になる為に汗水垂らしてトレーニングに励んでいる愛好者が少なくありません。そして、こうした考えで練習に熱中する人の多くは、道を教わる態度は二の次になり、勝てばよいといった、ただそれだけの為に勝者としての英雄に憧れ、それに執念を燃やす人が少なくありません。
 ここに現代社会の、「道」を求道する心が廃れているように思えます。

 

●「道」を教わる心構え

 人それぞれに、教わる態度と心構えは様々です。そして、入門審査を受検するにしろ、体験入門を体験するにしろ、その申し出の時点で合格・不合格、あるいは体験入門者であれば、その心の裡(うち)が簡単に読み取れて、単にこの人は、何某かの武道と比較に来ているなどの思惑が即座に伝わってきます。つまり、強弱論にこだわってが見え見えです。

 しかし、強弱論にこだわるなら、一番強いのは拳や足を使っての殴り合いや蹴り合いではなく、打撃系のどんな最強を自称している個人的闘技の選手でも、自動小銃を持った高等訓練を受けた兵士には歯が立ちません。第二次世界大戦後、原水爆が発明されて、随分と久しいことですが、強弱論で勝ち負け競うことは、人類にとってこれほど有害なことはありません。

 さて、「道」を教わるという行為は、実際には月謝なり、謝礼なりを払ってその分だけ、教えるということになるのですが、これは明らかに商行為とは異なっています。何故ならば、「道」とは金銭に換算する対価の対象ではないからです。
 したがって、お金を払って物を教わる、お金を受け取って何かを教えるという、商行為でもなく、更には、商店主が顧客に対する接客の仕方で、物を売るという態度とも違うからです。

 しかし、現代社会では「道」を求めることが廃(すた)れている為、精神性を求める人が随分と少なくなりました。また、街には、アメリカナイズされたスポーツジムや、それに準ずる精神性を伴わない道場ばかりが流行している為、「求道」という感覚で「道」を求める人は極めて少なくなりました。

 月々の師への謝儀である「月謝」も、スポーツジムのインストラクターやオーナーに支払う会費も同じように扱われ、商行為の対価と考えている人が少なくありません。特に、精神性が稀薄で、文化程度の低い人は、「道」を求める稽古事や芸道を商行為の対価と考えてしまうようです。ここに、日本では、「道」が崩壊していく近未来が横たわっているといえます。

 スポーツはゴルフや乗馬などの、一部の貴族階級のロイヤル意識から生まれたものを除き、その他多くのスポーツは庶民感覚で行ったり、観戦したりすることが出来ます。これらは楽しんだり、騒いだりする為のものであり、それ以上の精神性や気品を感じるものは殆どありません。したがって、「道を学ぶ」ことを追求する精神性を含む武術と、スポーツや競技武道が同じものでないことは明確です。

 「敬を遵守れば、大きな過ちは冒さない」 という言葉がありますが、これは「道」の上に成り立つ言葉であって、商行為の上には成り立ちません。
 “敬”とは、お互いの立場の尊重であり、習う側と教える側との筋目意識を言います。筋目のないところには「道」もなく、したがって、「武の道」は人を活かすことを目的としています。人を活かすとは、尊敬の心であり、お互いが師弟ともども人間として生きることを意味します。

 しかし、昨今の日本武道界を見てみますと、それを愛好している人の多くは、勝つことのみに執心し、強弱論で、勝者を英雄に祭り上げる風潮を作り上げているのが実情です。興行の一貫すら、見て取れます。
 その一方で、表向きには青少年育成などを看板にして、かしこまっていますが、その実は、前時代的な、人を斬り殺し、突き殺し、蹴り殺し、投げ殺すような、殺伐としたことだけに習熟し、まるで屠殺人(とさつにん)のような真似ばかりをしています。これでは武道の名が泣くばかりです。

 今日の武道界の現実を見ると、かつての往古の武人の風格を備えた人は非常に少なく、気品と人格を損なっている武技が少なくありません。これは大変残念なことです。
 日本武術において、往古の武人が備えていた気風は、まず、潔さ、清々しさ、物品に固執しない、威張らないなどの品位と風格でした。逆に、これとは対照的に、未熟者はこの正反対で、夜郎自大(やろうじだい)で、肩で風切るような傲慢(ごうまん)を平気で行っていました。

 つまり、往古の武人が高い品位と風格を備えたのは、何も撃刺(げきし)の技に磨きをかけて屠殺人の真似をしたからではありません。品位と風格の背景には、常に学問修養に励み、名誉と恥辱(ちじょく)に対する感性を磨いていたからです。
 この為にも、門に入って「道を学ぶ」ということは、以上のような心掛けをもって、目的意識ならびに筋目意識を明確にしておかなければなりません。

 

●わが流の求める人物像

 わが流では、単に武技のレベルの強弱論に明け暮れることなく、真の意味で、人格を磨き、品位と気品の向上を学んでくれることを切に希望しております。
 また、謙虚に、真摯に、「道」を学ぼうとしている人を求めています。「道」を学ぶのに老若男女は問いません。年齢に関係なく、誰にでも行え、更には健康法としては最適の武術です。

 入門して、最初に習うのは「手解き」ですが、これは「抜き手」による、握られた手を抜き取る技術です。この特異な技術「合気揚げ」といい、わが流は「合気揚げ」に始まり、「合気揚げ」に終わります。お互いが心を磨き合う同士の「砥石(といし)である」という考え方の上に立ち、「合気揚げ」を通じて、徐々にレベルを上げていきます。

 そして、武技以外の精神面での指導は、何と言っても、恥辱(ちじょく)に対して敏感になることの感性の成就です。
 現代の世の中は、随分と恥知らずの人が多くなりました。大人も子供も、至る所で恥知らずの人種が見受けられます。

 言い訳がましい。直ぐ自分を棚に上げて他人に責任転換し弁解をする。失敗を誤魔化す。弱いもの虐(いじ)めをするなどは、本来卑怯者のすることでした。しかし、現代人はこの感覚が薄れているようです。至る所に、この手の卑怯者が増えています。

 また戦後民主主義は、人間の平等や人権の擁護(ようご)ばかりに力を入れた為、多くの人は、自分は何をしてもらえるのかばかりを求め、自分が「他人の為に何が出来るか」を殆ど考えなくなりました。そして日本民主主義は、世界でも畸形(きけい)状態であり、多くの現代日本人は民主主義を個人主義と、履(は)き違えて捉えているようです。
 つまり、個人主義とは「エゴイズム」であり、エゴイズムに専念することが民主主義と考えるようになり、世界の中でも、本来の民主主義とは程遠い、畸形状態を、誰もが民主主義と勘違いするようになりました。

 エゴイズムは、何も社会の表面だけに横行しているのではありません。弱肉強食論で説く競技武道やスポーツ格闘技の中にも多く出現するようになりました。
 他人の敗北を見て笑う。弱者を見下す。一時の試合に勝って思い上がり、有頂天に舞い上がる。人の稽古を見て、下手だと笑う。無抵抗の者に攻撃を加える。驕(おご)り高ぶって傲慢である。作法が無態(ぶざま)で、礼儀正しくないなどがそれであり、この世界も、やがて崩壊する運命は免れません。

 では、人間は何故かくもこのような傲慢に趨(はし)り、エゴイズムを剥(む)き出しにするのでしょうか。
 それは「敬」の欠如と考えられます。人間として、敬う気持ちが欠如しているからです。謙虚さが欠如しても、エゴイズムが剥き出しになります。こうして慎みを忘れた人は、やがて墓穴を掘って、自爆する運命にあります。

 

●入門審査

 わが流は入門に当たり、一定の基準枠を設けております。その為に、わが流の定めた基準と、今後の指導方針や考え方に賛同できる方を、入門許可の対象者としております。

実施道場
総本部・尚道館習志野綱武館(その他の道場は入門希望時の面談)
対象者
少年部を除く、中学生以上の老若男女で、わが流の指導方針や考え方に賛同できる方。
審査内容

面接と最低一年以上続くかの根気の有無。

審査料金
2,000円(道衣か運動着持参で参加下さい)
入門手続き
審査後、1週間以内に「入門手続き」をして下さい。

 

●体験入門

 入門を考えている方で、「いったい西郷派大東流では、どのような稽古をするのだろうか」とか、「過去にスポーツや武道経験が殆どないのだが、自分でも果たして、やっていくことが出来るのだろうか」と思っている方を対象に、入門時の体験をしていただく制度です。

 体験をする目的は健康法であり、小手(小手捻り、小手返しなど)を捕られて急所(合谷(ごうこく)、内関(ないかん)、外関(がいかん)など)を押さえられたり、手根骨(しゅこんこつ)の8個の骨を動かしたり、あるいは腕や肩、その他の経穴(ツボ)を押さえられて、激痛を感じたりの指圧的な健康法に通じる体験をしていただきます。
 また、経穴への刺激は、同時に暴力を停止される抑制力にもなるので、指圧的な健康法と、暴力抑制での護身術がセットになっている為、「一石二鳥」の観があります。

実施道場
西郷派大東流の各道場
対象者
4歳以上で少年部または一般部の稽古体験を希望し、わが流の指導方針や考え方に賛同できる方。
体験入門費用

2,000円(道衣か運動着持参で参加下さい)

体験入門から入門
体験入門後、入門される場合は体験入門が、そのまま入門審査となります。
ご注意

体験入門はあくまでも「過去にスポーツ・武道経験のない方」や「入門を考えている方」が対象です。体験入門を通じて、西郷派武術を体験して頂く為のものです。
 最初から入門する気持ちがなく、強弱論に固執し、好戦的かつ挑戦的な、競い合いの体験ではありませんのでお間違えなく。

体験入門を行う方は、稽古開始前に10分程度の面接を行います。面接によって、わが流に指導方針や考え方と異なっている方は、お断りする場合もあります。少年部では親子面接を行います。

 

●理不尽な暴力に出会った場合

 「一寸先は闇」といいます。現代社会のように混沌とした世の中では、いつ何が起こるか分かりません。世の中には理不尽な暴力が横行し、また近年は無差別テロなどが世界各地で起こっています。こうした世の中を生き抜く為には、「転ばぬ先の杖」として、何らかの確固たる心構えが必要です。

 しかし、暴力を暴力で反撃しては、愚の骨頂といえましょう。
 かつて打撃系武道の有段者が、居酒屋で酒を飲んでいて、後から入っていた客に、肩に触れたの触れないのと、口論になり、遂に殴り合いを初め、店の台所から包丁を持ち出し、この有段者がその客を刺し殺してしまうという事件がありました。こうした事件の根底には、「意地が意地を呼ぶ」という面子(めんつ)と見栄の張り合いがあります。

 一方、武術や武道を長年遣(や)っていて、かなりの腕になっても、「肩で風切る」ことはせず、おおらかで、誰に対しても頭が低く、人を外見で差別せず、年下の人にも見下したりせず、弱い人にでも丁寧な言葉を使う人がいます。
 前者と後者の違いは、まるで「太陽と北風」の、誰もが子供の時に読んだことのある、あの童話を彷彿(ほうふつ)とさせます。

 この「太陽と北風」という物語を読むと、腕力を使う前に「頭を使え」と教えています。つまり、「言葉としての武器も有効だ」と教えているのです。「言葉としての武器」とは、怒鳴りたてて威圧し、あるいは大声を出して難癖をつけたり、いちゃもんをつけることではありません。これこそ、「弱い犬ほどよく吠える」ということを、地で行く様なものです。
 この場合は、穏やかに話し、相手の面子を立てれば、それでようことなのです。

 前者の事件の場合、自分の方に非がなくても、相手を立て、小さな我慢をして、謝っておけば人殺しまでは発展しなかったでしょう。しかし、面子にこだわり、意地を張れば、その後の泥仕合は避けられません。

 また、自分一人が逃げられる場合は、努めて相手にならないことも、「武の道」を志す人にとっては大事な行動律の一つです。逃げられるときは逃げなければなりません。逃げても負けたことにはならないからです。弱者を真似することも、禍(わざわい)に巻き込まれない智慧(ちえ)といえましょう。

 小さなイザコザで相手になった場合、喩(たと)えその場で勝ちを得ても、その打ち負かした相手には家族があり、あるいは仲間がいるかも知れません。怪我をさせれば、忽(たちま)ちに加害者となり、仲間が居た場合は、次は素手でなく、刃物や飛び道具を持って仕返しに来ます。相手が暴力団関係者であったりすると、自分だけではなく、自分の家族までが攻撃目標になり、最終的にはどちらに転んでも、警察沙汰となったり、その後の民事事件で、損害賠償での泥仕合からの運命が免れません。

 しかし、逃げるにしても、どうしても逃げられない場合があります。こうした場合は、生命に危険が及んでいるのですから。どうしても戦わなければなりません。また、同伴者の弱い人がいた場合、こうした人を見捨ててはなりません。この場合は、覚悟して戦わねばなりません。

 その場合、事の推移や、現場の事情を証明してくれる証人を作っておくべきでしょう。また、一対一で素手の殴り合いや蹴りあいになる場合は、武器となる道具を使うべきではありません。
 しかし、相手が大勢で、若者大勢に老人一人などの年齢差の激しいときは、躊躇(ためら)わずその場に在(あ)るものを手当たり次第使うことも止むを得ません。刃物で襲い掛かってくる場合も同じです。但し、出来るだけ重傷を負わせないように努力だけはすべきです。

 しかし、こうした結末に至るのも、感心できることではありませんので、普段から不穏な空気や、暴力沙汰になるような場所には近付かないことです。こうしたことは気配から、「危険に対する感覚を磨き、事前に回避する」べきで、災難に巻き込まれない心構えを持っておくことが大事です。
 また、人間には「運命の陰陽に支配される行動律」があり、これに左右されますので、この「理(ことわり)」を知っておくことも大事でしょう。

 暴力は、何も夜の巷(ちまた)ばかりに転がっているのではありません。不慮の事故は、広義の捉えれば、飛行機が墜落する航空機事故や、車や電車などに乗車した場合の大交通事故も、不慮の事故であり、この場合はどんなに肉体を鍛えておいても、全く役に立ちません。柔剣道の猛者や、格闘技の世界チャンピオンですら、墜落する飛行機の中では、全く為(な)す術(すべ)がないのです。ここに人間の肉体の限界があります。

 広義の意味で、人間に襲い掛かる暴力を考えた場合、人間以外からの暴力も考えておくべきで、それが飛行機であったり、鉄道であったり、車であったり、船舶であったり、猛獣であったり、更には大地震や大型台風までもを含めて、これにどう対処するかを普段から念頭において、打開策を考えておかねばならないのです。危険に備える心構えが大事なのです。

 西郷派大東流は、「暴力」を、単に小さなレベルでの護身術と捉えるのではなく、広義の意味で自然災害までを含め、これに対処する打開策を常に考え続けているのです。つまり、これが危険予知であり、「人間という生き物の法則」を知ってこそ、真の護身は可能になるのです。

 人間は、本来自由な生き物です。ところが柵(しがらみ)が出来、捨てるには惜しいものが出来れば、これに囚(とら)われて自由を失います。囚人のような生活を余儀なくされます。こうした時に、思わぬ不慮の事故が襲ってくることも知らなければなりません。


戻る << 入門を考えている方が読むページ >> 次へ
 Way of living
   
    
トップ リンク お問い合わせ