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志高く、より良く生きるために

東京新宿支部
(とうきょうしんじゅくしぶ)

道場所在地 東京都新宿区
 
 新宿スポーツセンター3F
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指導 椎名和生
募集クラス 老若男女を問わず。
稽古日

【新宿スポーツセンター3F】

毎週・曜日  午前10:00 〜 12:00

令和5年10月15日、22日、29日の稽古はありません。

指導内容

新型コロナ自粛期間のため、これまで稽古を休止しておりました。
次回の日曜日より定刻どおり稽古を開始します。

初歩的な基本技や護身術としての技術解説が中心なので、力まずに無理なくやれます。
したがって過去に武術・武道やスポーツ経験の無い方や中高齢者の健康法としても最適。
また東京新宿支部では、入門者の年齢、体力、興味の程度等に合わせたマンツーマンの稽古内容を提供します。懇切丁寧に指導致します。難解な奥の術理に至りたい方も、少し武術に興味がある、といった程度の方も、それぞれにあった、無理にない柔軟なスタートを切ることが出来ます。

入会審査 なし
入門希望者は直接、稽古日にお越し下さい。入会の可否は指導者に直接お尋ねください。
入会金 10,000円
月謝 5,000円( 東京新宿支部に入門されると、習志野綱武館ならびに東京新宿支部の稽古の兼修が可能です。月謝そのまま)
体験入会

無料で体験入会を実施しております)

見学 (お気軽にお越し下さい。ご自由にどうぞ)声を掛けて頂ければ、懇切丁寧にご説明しいます。
連絡先

kazuo_shiina@softbank.ne.jp
携帯: 070-1524-6169(※仕事中はご遠慮ください。電話を掛ける場合は夕刻にお願いします)



 椎名和生、お恥ずかしながら東京新宿支部長として復活しました。復活記念の言として一席。
 止めとけ……、そう仰りたいのでしょう。しかしです。
 この世知辛い世の中。まあ、そう仰らずに、私のユーモアにお付き合いください。
 さて世の中、老いも若きも皆、合理主義や科学万能主義に奔る。そして現代は豊かで便利で快適でな時代です。しかし心の豊かさは殆ど皆無。
 心の時代とは既に使い古された死語になり、かつての良心というものは何処に消えてしまったのでしょうか。
 惻隠という言葉があります。
 『孟子』に出て来る「惻隠の心無きは、人に非ざる也」です。弱者への労り、不憫、思いやり、哀れみ、慈悲などを言います。換言すれば道です。
 この惻隠が昨今の日本人から消えてしまったことは甚だ残念です。それを想うと暗澹たる気持ちになるのは、果たして私だけでしょうか。


抜き払いの剣


────私履歴書────

 私が西郷派大東流合気武術の門を叩いた時は、黒の詰襟の学生服のよく似合う、花も恥じらう18歳の時の、大学受験を目前に控えた共通テストも目近な、一月中旬の頃でした。
 ちょうどその頃、私は高三現役で、大学受験の真っ最中でした。

 神奈川県小田原市から3時間かけて習志野市大久保の『習志野綱武館』を訪ねたのですが、その時に曽川和翁宗家先生と、進龍一先生にお会いし、入門は許して頂いたものの、最初に訊かれたのが、「君は18歳にしては随分老けてるね。10歳は老けて見えるが、オヤジが高校生の学生服着て、戸籍の生年月日、ごまかしているんじゃないの?」と冗談のようなことを言われ、「オヤジ」という言葉に一瞬激震が走るほどのショックを受けました。
 当時は純粋で無垢、しかも純情でシャイな私としては「超」がつくほど大きなショックでした。
 そして、そのショックに立ち直れぬまま筑波大工学部を受験したのですが、やはりそれがもとで大学受験に失敗。二度の大ショックを味あう羽目になりました。仕方なく宅浪して、もう一度筑波に挑戦しました。

 しかし、二度目もオヤジ・ショックから立ち直れず、結局この年も「桜咲く」にならず、一念発起して三浪を決意。そしてその後、数学の得意な私でしたが、今度は軽い文系?に変更して、三度目の挑戦を行いました。
 そのとき進先生が三浪の私に声をかけ「筑波三浪とは、随分と君はサムライだなァ」と励ましてくれ、勇気百倍で挑戦しましたが、やはり初回のオヤジ・ショックが利いたのでしょうか、三度目も駄目でした。私の青春は三年間、桜が散りっぱなしです。
 「三度目の正直」ならず、最初のオヤジ・ショックを引き摺ったまま、毎週土曜日に小田原から習志野まで通って来て、稽古を続け、随分と長い月日が過ぎました。
 さすがに面の皮の厚い私でも、オヤジ面して筑波を四浪まではとても挑戦出来ず、私の青春は、一人寂しく、西郷派大東流合気武術の稽古に明け暮れることになりました。

 それにオヤジ・ショックをもう一つ。
 花も恥じらう18歳のとき、私の体重は58kgの超細身でした。
 ところがオヤジ・ショック以来、過食に奔り、特にファミレスのスパゲッティ、ナポリタン特大・大盛りは、これまでのショックを慰める唯一の友でした。
 ところがです。リバウンドが出て、今では何とその重量0.1屯。
 0.1屯ですぞ。kgではなく“t”です。恐るべし……。
 体重の殖えた分の42kgは、紛れもなく後遺症です。

 いま振り返れば、もう、あれから有に二十有余年が経ち、すっかり、まじでオヤジになったなァと、しみじみ感じます。
 そして今は中高年の超オヤジ。おまけに嫁が欲しくても、来手は無し。哀れ、惨め……etc。
 重ね重ね、いま思えば、随分と長いこと、西郷派大東流合気武術をやっていたのだなァと思います。
 今にして思うと、何故こうも長く、この流派に引き付けられて、未だに辞められないのか「何故だろう?」と思うことがあります。それは、この流派に「惻隠」という、格闘技とは異なる「道」があるように思うからです。今なお、その「道」に引き寄せられ、求道の気持ちを新たにする今日この頃です。

 毎週日曜日には、小田原から高田馬場まで、小田急線で3時間かけて通って来ています。新宿スポーツセンター(毎週・日曜日)で、午前10時より12時まで指導しています。
 どうぞお気軽にお越し下さい。体験入門も実施しておりますので、一度体験されてみては如何でしょうか。お気軽に私に声を掛けて下さい。






巌流島には、古い一艘の舟(再現された復元舟なのでしょうか)が置かれています。
 この人口浜には、当時の決闘の模様をイメージさせる武蔵が乗って来たとされる舟が再現されています。その舟に乗って、わたくし椎名和生は、お恥ずかしながら武蔵を気取ってみました。





東京新宿支部長 椎名和生    

●椎名和生の巌流島周遊記

 巌流島と聴けば、慶長17年(1612)4月13日の宮本武蔵と佐々木巌流の決闘地を直ぐに思い起こさせます。巌流島は山口県下関市の関門海峡にある無人島で、正しくは船島(ふなしま)と云います。
 宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘で有名なところです。

 島の名前の由来は、敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって、巌流島と呼ばれるようになりました。
 この度の平成21年8月の御盆の時期に開催された尚道館に於ての夏季合宿セミナーは、巌流島を周遊するスルスケジュールが設けられ、私こと椎名和生も、宗家先生とともに巌流島を回ってみました。

関門大橋。此処は東洋一の大橋です。

唐戸桟橋から直行便に乗って。渡船の中での愛嬌。

 巌流島は山口県下関市大字彦島字船島648番地がこの島の住所です。
 島の周囲は約1.6ほどで、かつては人が住んで居たことがあるそうですが、現在は無人島になっております。

舟島神社で。 武蔵と小次郎の銅像の前で。決まった!

 展望広場に建つ、宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像の前で、めい一杯膨らんでみました。関門海峡をバックに腹一杯膨らむと、何だか私も古(いにしえ)の遠き時代にタイムスリップしたようです。

巌流島の佐々木小次郎之碑

 決闘の地木碑と巌流島文学碑の前で。この場所の船の形をしている巌流島文学碑の向こうには関門大橋が見えます。

 この文学碑の碑文は「白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。この後も絶えず兎禰の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きている面影があった。」とあります。
 ちなみに兎禰(とね)とは、村上元三作『佐々木小次郎』に登場する小次郎の恋人の名だそうです。

記念碑の前でのポーズ。ちなみに私の体重0.1屯。

佐々木巌流之碑。この碑は、明治43年に建立されたものと聞きます。しかし小次郎の墓ではないそうです。

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