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志高く、より良く生きるために
信は荘厳より起る。この語は、信心は堂宇の装飾から始まるという意で、内容は形式から、自ずと導かれることをいう。物事は、すべて形から入って、真髄に迫るものである。
 そして、師につき、師事し、これを真摯に学ぶことから成就の道が開けてくる。
 
王陽明肖像
王陽明先生文集

■ 宗家直伝・個人教伝
(そうけじきでん・こじんきょうでん)

 

●恥辱に対する感覚に敏感になれ

 犬死することを「死に恥」と言うが、生きながら、自分の恥ずかしい行為も気付かずに、長々と生きることを「生き恥」と言う。世の中には、この生き恥を掻(か)いている人が、何と多いことでろうか。それも、自分が生き恥を曝(さら)している事に気付かない人が多いようである。

 人の揚(あ)げ足を取り、弱者を甚振(いたぶ)り、無知な者を洗脳して我田引水(がでんいんすい)を働き、自ら求めて賄賂(わいろ)を要求し、こうした物が大手を闊歩して歩いている一方で、正しいことを言っても、あるいは事実を言っても信用されず、人間はどんな境遇に追い込まれても、「信」の心の遣い方を忘れてはならないだろう。
 絶体絶命の窮地に立たされても、諦めずに、更には安易に妥協せず、「死の道を尽くす」という「最後の気持ち」を持つと、これまでの心を悩ませ、迷わせ続けていた気持ちは、以外にも落ち着くものである。
 問題なのは、窮地(きゅうち)に立たされても人を裏切ったり、寝返ったりしないことである。信と義の「士」であることが、武術修行には求められるのである。したがって、自分の最期(さいご)に当たっては、「恥ずかしい死に方」だけはしないようにしなければならない。

 そして、座して死ぬのも、行動を起して死ぬのも同じ結果が出るのなら、起死回生に賭(か)けて、安易な生に縋(すが)るのだけではなく、やはり行動を起すことに賭けて、一世一代の男の心意気を示さなければならない。土壇場では、安易に消極的になっては犬死だろう。後がないと分かっていて、見苦しく振舞うのは醜態の限りである。死を顧みず、毅然(きぜん)とした行動を起すべきである。

 こうした場合に陥った時に、「どう生きたかいいか」、これを具体的に教えているのが陽明学なのである。
 陽明学の「知行合一」は、これを明確にしている。
 また陽明学は、問題などのトラブルが発生した時や、非常事態や有事が起った時こそ、自分を鍛える最大のチャンスであると教えている。この好機を、陽明学では「事上磨錬(じじょうまれん)」という。

 人間と動物の根本的な違いは、格の上の者に「尊敬する気持ち」と、一方で「恥を知る心」であろう。
 これは裏を返せば、二つのうち一つでも欠かしたら、人間失格ということになる。
 昔から「廉恥」ということがやかましく言われた。
 恥を知る心であり、廉恥の「廉」は「無視」を指し、恥を知る意味では自分よりも、いつも社会全体のことを念頭において、行動すると「廉」の意味が分かるようになり、利己的で反社会的な企てをすると、恥ずかしく思うようになるのである。これは「恥を知る」ということだったのである

 文武両道や友文尚武を掲げて武の道を学んでいる人は、自分がなさねばならに第一の修行は「学ぶ」ということであろう。
 しかし、武人が学び得ないが、どうしても身につけておかねばならぬ資質は、その人の品格である。
 武人に要求されるものは、肉体を媒介とする強さではない。また、武技を振り回し、その才をひけらかすこともでもない。品格、すなわち品性である。
 その品性は「廉恥」を叩き台にして養われる。

 

●なぜ陽明学が必要なのか

 一見、学問と武術は無関係のように思える。首から上は問題が内容に思われる。したがって、武術を学ぶのに、なぜ陽明学が必要なのかと思う人がいるかも知れない。
 また、武術は強くなる為に練習するのであって、教養の一貫として、学問など学ぶ閑(ひま)があったら、もつと練習をした方がいいという人がいるかも知れない。

 さて、武術の発祥は武士団の興りとともに起源した。そして武士団の興(おこ)りの中で、武士階級はその時代の最高の教養人となっていった。
 更に武術修行は、常に死と隣り合わせにあり、武士階級に要求されたことは、如何にして死生観を克服するかにあつた。その儒学的背景にあった学問が、陽明学であった。
 江戸封建時代の中枢を為した幕府奨励の学問は、朱子学であったが、朱子学は体制側の学問だけに多くの矛盾を抱えていた。この矛盾を解決する為に、同じ儒学から発生した陽明学に目が向けられることになる。

 つまり、武士の行動原理を、何に求めるかと言う課題に対し、陽明学に目が向けられていったのである。
 さて、一般に陽明学などというと、怪しげな光芒を放つ学問ではないかと、陽明学を知らない人は思ってしまうようである。
 それは、古くは江戸末期の「大塩平八郎の乱」を起した大塩中斎(おおしお‐ちゅうさい)や、近くは「三島事件」を起した三島由紀夫らが挙げられ、陽明学と縁を持つ人達は、総て悲劇的な死を想わせることが起因しているようである。
 また、陽明学に対する誤解から、これを危険な匂いと言って憚る人も少なくないようである。
 ところが、そういう色眼鏡で見る言は、核心を得ていない。的外れといえよう。

 確かに陽明学の「知行合一(ちぎょう‐ごういつ)」の思想は、止みがたい行動律と志向性が包含されていて、それが結果的に「乱」を起すような側面があったことは否めないが、必ずしも無謀な暴走・暴発へと向かうものではないからである。その事は、陽明学の祖・王陽明が、優れた戦略家であり、戦略の観点から陽明学の中枢をなす「知行合一」や「事上磨錬(じじょう‐まれん)」を説いているからである。

 陽明学をあらためて見詰め直す場合、陽明学の魅力とは何かというと、おおよそ次のような精神の躍動(やくどう)に辿り着くのであろうか。
 「数町歩の水源のない池の水となるよりは、わずか数尺に過ぎなくても、滾々(こんこん)と湧き出る、尽きない井戸の水になった方がマシである」

 これこそ、「主観燃焼」の最高の思想ではないでないだろうか。歴史を見直すと、人間の歴史の中には、「主観燃焼」の止みがたい行動律が、ひしひしと表現されている。
 それは山鹿流兵法軍学師範であり、また陽明学者であり、萩・松下村塾で教鞭(きょうべん)と取った吉田松陰にも同じことが言えよう。

 『ヨハネ伝』(第12章24〜25)には、次のようにある。
 この言は多くの人に知られるところである。
 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにて在(あ)らん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。己(おの)が生命を愛する者は、これを失い、この世にてその生命を憎む者は、これを保ちて、永遠の生命に至るべし」と。

 志を抱き、誠に生き抜いた人は、死によって愈々(いよいよ)広く、そして愈々高く生き返り、一方、生をまことに為しえなかった者は、死もまた、本当の死に至らしめないのである。

 吉田松陰は『留魂録(さんこんろく)【註】処刑前日の夕刻に大急ぎで書かれた手記) で次のように述べている。
 「私は今年30歳になった。しかし一事の成功も見ることなく死を迎えようとしている。これは穀物が花をつけず、実をつけないのに似ている。その点においては悔(くや)しい限りだ。しかし、私の身について言うなら、今が花が咲き、結実の時機(とき)なのだ。これに何を悲しむ必要があろう。

 何故なら、人の命のいうものは、はっきりと定まっていないからだ。また、穀物のように必ず四季を巡るものでもない。
 いうならば10歳で死ぬ者は、その10歳の中に自ずから四季と言うものが存在し、20歳の者は20歳の中に、30歳の者は30歳の中に、それぞれの四季が在り、一方50歳や100歳の者は、50歳や100歳の中に四季を有するのである。

 10歳で短すぎると言うのは、ヒグラシをして長生の樹木たる霊椿(れいちん)たらしめんとするようなものであろう。また100歳の長いと見るのは、霊椿をヒグラシに例えて、これを比べるようなものであり、いずれも天から与えられた寿命に達しないと見るようなものだろう。

 私は30歳を迎え、その中にはすっかり四季を備えることが出来た。花も咲き、30歳で実も結んだ。しかし、その結んだ実が、籾殻(もみがら)なのか、粟(あわ)であるのか、それは私の知るところでない。

 同志諸君の中には、私のささやかな真心を憐れみ、私の志を継いでやろうと思うなら、それは後に蒔かれる種子が絶えないで、籾殻が続けられていくと言うことを顕すのだ。
 同志諸君。どうか私の言わんとすることを、よく考えて欲しい」

 吉田松陰は、刻々と迫り来る死を迎えながら、その死の影と対決し、それを克服しようと努める。
 さて、人間が死を前にして求めるものがあるとするならば、それは宗教に帰依することではないだろうか。
 この事は、死を目前に控えている死刑囚の回顧記録などからも、その事は窺(うかが)われる。そして、いかに生から死に切り替え、死生観を超越することが難しいか、克明に記されている。そこで彼等は宗教へ帰依して、死の恐怖を克服しようとするのである。死から、救いの手を宗教に求める要因は此処にある。

 ところが吉田松陰は、この時、神仏に救いの手を求めていない。
 神仏には一言も祈りの言葉を捧げなかったのである。その代わりに、強い志と、知性によってこれを克服しようと格闘した後が『留魂録』には窺われるのである。そして『留魂録』を著すことにより、遂(つい)に死生観に達し、それを遂に超越する。ここに松陰の偉大さが現れる。

 この時、吉田松陰が結んだ実は、決して籾殻などではなく、まさに見事なまでの「一粒の麦」だった。
 その事は、後の歴史が証明するところである。この松陰の生き態(ざま)はまさに、イエス・キリストを髣髴(ほうふつ)とさせるではないか。
 よく生きたと言うべだろう。

 こうしてこれまでの、日本陽明学の祖・中江藤樹(なかえ‐とうじゅ)に始まる日本の陽明学は、まさに「知行合一」と「事上磨錬」にその源を求めることが出来、「わずかな数尺に過ぎない滾々と湧き出る、尽きない井戸の水」を連想させるではないか。

 人間と言うものは、日常生活において、自分を磨いていかなければならない。そのことを「事上磨錬」は顕している。そうすれば、確立した自己を養うことが出来、平時であろうが戦時であろうが、いついなかる事態に陥っても、冷静に対処できるものなのである。
 この事は、まさに吉田松陰が処刑の前日の夕刻に書いた『留魂録』に、克明に記されているではないか。

 まことに、よく生きた足跡が『留魂録』であり、此処には迷いや悩みは一切感じ取れない。実に清々しい雰囲気が漂っているではないか。
 まさに松陰は、陽明学によって精神を鍛錬した人と言うことがいえよう。
 陽明学には、このような実学の側面もあり、結局陽明学を知らない人が恐れるような、また怪しむような、危険思想でもなければ、単なる理想論でもないのである。

 実学としての実践的なアドバイスが、陽明学の中には多々含まれ、人間が人生を生きていく上で、随分と役に立つ学問であることは間違いない。
 そして陽明学が求める人生の課題は、次の通りである。

 1.意味のある人生を送ること。
 2.楽しみのある人生を送ること。

 以上の二つは、人生のおいて非常に大事な事柄である。この二つの事柄を機軸に、「意味のある人生をどうしたら送れるか」ということを説いているのが陽明学なのである。
 また、陽明学によれば、人間が誰でも素晴らしい潜在能力を持っていて、この能力を磨くことこそ、人生の最大の課題であるとしている。これは「事上磨錬」の考え方である。
 日々精進し、絶え間なく磨くことで、その能力が発揮されるとしてのが陽明学なのである。

 私たちが生きる、現代と言う世の中を見回してみると、物質的な側面ばかりが過大評価され、金持ちや芸能タレントが英雄視される世の中である。
 したがって、誰もが一億総タレントを目指して奔走するし、芸能界と地続きであるスポーツ界に憧(あこが)れて、これに狂奔しようとする。その為、世の中の構造は次第に肥大化し、氾濫(はんらん)する情報の中で、人間が埋没しそうになっているのが、昨今の実情であろう。

 こうした側面をよく観察すると、鈍重で肥大化した組織の実在に、現代人は訳も分からず圧倒されているようだが、その一方で、個人の役割は著しく矮小化されている現実がある。そして多くの人が、そこで追求するものは、ただ物質的か快楽を求める、金・物・色ではないではないだろうか。
 こうしたものだけを人生の価値観において、これに狂奔することは、実に愚かしいことである。こうした時代で、こうした世の中であるからこそ、私たちは「人間性の復権を説く陽明学」に学び、それを社会で実践していくべきだと考えるのである。

 陽明学の説く「知行合一」を簡単に説明すると、痛みを知るにしても、自分で体験してみて初めて知ることが出来る。また、寒さや飢えを知るにも、それを自分で体験してみて、それが感得できる。
 一方、知っていながら「行わない」のは、まだそれを知らないのと同じことである。つまり、「行うことが、知るという」ことなのである。
 したがって、机上の空論でひねくり回す、思考の中からは、何一つ、学問や修行に役立つものは生まれないと言うことを、切に説いているのである。
 知ることは、すなわち行うことなのである。

王陽明手蹟

 また「事上磨錬」も、次のように説いている。
 「朋友に処するに、務めて相下れば則(すなわ)ち益を得、相上げば則ち損す。処朋友、務相下則得益、相上則損」
 要約すれば、友人と付きあうとき、相手から良い面を学ぶように務めればそれは得になるが、相手を見下すような傲慢(ごうまん)な態度で付きあえば、相手も見下されていることに反応するから、そこで触れぬものは総て「損の要素ばかりである」というのでる。

 本来友人と言うのは、切磋琢磨(せっさたくま)の関係にある。お互いに磨きあって進歩していくものなのである。この進歩の中に、後天的な人間形成をする要素が含まれている。つまり、相手から学ぶことにより、その結果、自分がより一層磨かれ、一方、相手の短所は出来るだけ目をつぶり、長所を吸収するように務めよというのである。
 人間関係においては、あらゆる面で「お互いが砥石(といし)である」ということがいえよう。

 次に陽明学は、「心の鏡を磨け」と教える。
 陽明学は、師匠の王陽明(おう‐ようめい)と弟子・陸澄(りくちょう)の会話などが、『伝習録(でんしゅうりょく)』などに記されている。
 「先生、聖人はどんな事態にも柔軟に対処できるといわれますが、これは物事に対する洞察力が優れているからでしょうか」と陸澄は質問する。

 これに応えて王陽明は、
 「いやそうではない。聖人と雖(いえど)も、それほど洞察力に恵まれているわけではない。聖人は、ただ心を明鏡のように磨いて、澄んだ状態にしているだけに過ぎない。わが心の鏡に、明るさをもってそれを照らすことが出来るからだ。したがって明鏡には、自(おの)ずと反応するものが生まれる。

 過去の映像が残っているのに、未来の映像を先取りすることは出来ないのだ。先取りしようとするならば、過去の映像を一旦消去しなければならない。
 ところが後世の学者達は、まだ現れもしない映像までもを映し出そうとして、聖人の学問とは違ったものとなってしまった」と、一応、これまでの、同じ儒学から出た朱子学を批判した上で、次のように話を進めている。

 「昔、周公(しゅうこう)は礼楽(れいがく)を制定して、この世の中に文化を齎(もたら)した。しかし、これは聖人ならば、誰にでも出来ることだ。ところが、聖人の堯舜(ぎょうしゅん)はそれを遣(や)らずに、後世の周公に任せた。また孔子も、『六経(りくけい)』を作って世に広めたが、これも聖人ならば出来ることである。ところがである。周公はこれをあえて遣らずに、後世の孔子に委(ゆだ)ねた。何故だと思うか。

 聖人と称された人達は、時々の時勢を必要とするものを、必要に応じて処理しただけに過ぎなかった。こうしたことが出来るのは、心の明鏡だけであり、彼等が心配したのも、心の明るさだけであった。つまり、それ自体を照らし出せるかどうかは懸念(けねん)した痕跡(こんせき)がなく、心を明るく照らすことのみを修行の目的としていた。心を明るくする為には、修行を積んで心を磨いていかなければならない。何よりも憂いべき問題は、事態の変化が洞察できるか否かなでなく、明るくする為に心を磨き続けると言うことである」

 つまり師匠である王陽明は弟子に、「事上磨錬」の大事を説いているのである。
 そして王陽明は次のように指摘する。
 「静かな環境ばかりに気を取られて、克己の修行を怠ってはならない。これを怠ると、いざという時機に、事に対処する心は忽(たちま)ちに動揺を起す。人間と言うものは、本当は深山幽谷などに籠(こ)もって静寂を求めて修行するのではなく、一般の日常にあって、その中で確立した自己を求めなければならないのである。自己を磨けば、静時であろうと、動中であろうと、そうした表面の変化には惑わされることはないのである」と、締めくくっている。

 事上磨錬の「事上」とは、日常の生活や仕事を指す。したがって、事上磨錬が確立されておれば、日常は非日常に変わり、平時が戦時になっても、心は動揺するものではないと説いているのである。
 この事は、武術を修行する上で、最も重要な事柄の一つである。自分を鍛えることは、まさに事上磨錬に他ならない。

 ただ、本を読んだり、論理的な知識のみを吸収だけで、修行の度合いが進歩行くわけでもない。やはり自分の躰(かだら)を通して、体験し、その体験の中に自分を鍛える有力は方法がある。
 したがって、事上磨錬から学ぶ有力な智慧(ちえ)は、単なる知識階級が唱える、知識のそれではない。知識の習得は単なる知識レベルのみに止まるものであり、生きた生活の智慧にはならないからである。知識は実践して、はじめて智慧になるのである。

 生きた智慧を身に付けるためには、日々実践し、自ら厳しい実体験の中に身を置いて、それを積み上げ、地道に精進しなければならないことが事上磨錬には説かれている。
 陽明学の言う事上磨錬は、日々精進の実践や「信」「義」を貫く、志の高さにあるといえるであろう。

 しかし、同じ人生を生きながら、現象人間界ではその多くが、普段は自分に希求する志が宿っているにもかかわらず、それを眠らせたままにしている人が少なくない。利己的な感覚で、目先の安全、快楽、仕事、恋愛、物品や金銭ばかりを追い求め、健康や平和の享受を受けながら、その一方で肝心な心の眼を開き、確固たる志を明確にしなかった。これにより、真実の眼を開く機会は永久に失われたといえよう。

 

●人生の目的

 人は何の為に生きているのであろうか。あるいは何の為に、人は働いているのであろうか。
 幕末の儒学者・佐藤一斎は『言志四録』の一説で、次にように論じている。

 少(わか)くして学べば、壮にして為(な)すあり
 壮にして学べば、老いて衰えず
 老いて学べば、死して朽ちず

 ここに「学ぶ」という深い意味がある。

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 単に武技の修練は、高性能武器の発明されている現代、喧嘩術をもって敵を斃(たお)す為に奔走するものではなく、あるいは何者かと争い、格闘で勝つものなのではなく、自己完結性を高めていくものなのである。日々の修練を通じて、「自己完成」に向かって、「歩みを行う修行」が、つまり「道」であろ。そこに、武技は、修行と一体の「道」が見えてくる。
 魂の自由を見失い、人生道の「道」に迷ったら、ぜひ一度尚道館をお訪ねください。

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