本合宿の日程は、下記のスケジュールで行われる。スケジュールには蔬菜をベースにした食餌法を取り入れ、また道場内の稽古では体験できない滝行、馬術、徒歩行軍に併せての山稽古などの鍛錬がある。
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14日(木)
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15日(金)
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16日(土)
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17日(日)
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18日(月)
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朝
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※九州以外の遠方からお越しの方は、13日(水)の夕刻からの宿泊も可能です。 |
05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
・合宿安全祈願のため産土神社参拝
・午前の稽古
12:00
・ 昼食 |
05:30起床
・国旗掲揚朝礼
・玄米スープ朝食
・滝行(菅生の滝)
09:30
・乗馬(希望者のみ)
・ 昼食
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04:00起床
・玄米スープ朝食
・徒歩行軍にて鱒淵ダムを目指す。また福智山近辺の滝めぐりの行軍。
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昼
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13:00
・午後の稽古
※途中休憩を挟む |
14:00
・午後の稽古
※途中休憩を挟む |
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夕
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17:00
・集合、注意事項 。
入浴、夕食をかねた親睦会
23:00消灯 |
18:00終礼
夕食
19:00夜の稽古
入浴
22:00消灯 |
18:00終礼
夕食
19:00夜の稽古
入浴
20:00消灯 |
17:00帰館予定。
行軍敢闘祝賀会
24:00消灯 |
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※日程通りに行う予定ですが、天候によりスケジュールを変更することがあります。
平成26年の夏季合宿セミナーでは、今回は鱒淵ダムまで行軍する。あわせて滝めぐりと歩く徒歩禅を指導。
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▲「遠き山に陽が落ちて……」と、そんな唄を髣髴とさせる帰館時の福智山の下山時の風景。山頂は、まだ8月というのに、もうすっかり秋の装いを見せ、何とも哀愁のある風景である。 |
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▲山頂へ向かう石畳。
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▲登山途中の上空のうろこ雲
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▲皿倉山に掛かる行軍途中の道標
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▲英彦山山麓の名物・男魂岩。
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▲英彦山の山麓にある男魂祭。
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▲咸宜園の藁葺屋根の玄玄関。ここには「咸宜園」の看板が架かっている。
尚道館より車で一時間半。 |
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▲咸宜園の塾内。筆頭塾生として、大村益次郎らが学んだ教室。大村は適塾に入る前、咸宜園で学んでいたのである。(大分県日田市) |
【お勧めの近辺名所の紹介】
九州豊後日田(大分県日田市)に「咸宜園(かんぎえん)」という江戸時代後期にはじまった塾舎跡が残っている。ここの塾頭は、儒学者の広瀬淡窓(ひろせ‐たんそう/著書に『約言』『迂言』『遠思楼詩鈔』『淡窓詩話』など。1782〜1856)だった。
「敬天の説」を主として、諸学を総合し、塾舎・咸宜園を建て、門生三千人以上を集め、その中から多方面に人材を輩出した。
咸宜園の特色は、入塾すると、塾生自身の世俗的な身分や家柄、貧富の差は、一切無視された。また、過去の経歴なども一切無視された。
此処では階級や差別のない革新的な指導が行われ、塾生達は試験に追い捲(ま)くられる日々を送っていた。
咸宜園に唯一つの差別があるとするならば、試験によって出た結果だけであり、成績の順位で序列が付けられたのであった。その序列は、大坂で医業を開いていた緒方洪庵(おがた‐こうあん/1810〜1863)の適塾(緒方塾あるいは適々斎塾)によく似ていた。適塾の門下からは大村益次郎・橋本左内・大鳥圭介・福沢諭吉らが出たことは有名である。咸宜園と適塾は、結果重視主義で酷似したところがあった。
受講する机の位置までが試験の結果で出され、成績の悪い者は部屋の隅や、階段の下までに追いやられることになった。
しかし、咸宜園を適塾の唯一の違いを見い出すとするならば、咸宜園の塾頭・淡窓は、厳しい試験競走によって塾生同士の心が荒廃しないよう、全員を野遊びさせて、お互いの友情を図ったことである。
そして咸宜園の特色は、知的優秀者だけを相手にせず、その根本には、友情を重んじることに、横の連繋(れんけい)を持とうとした事であった。
また近辺には耶馬渓や下関の赤間宮がある。
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▲少し足を伸ばせば耶馬溪に至る。
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▲耶馬溪の青洞門。
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▲安徳天皇を祭る下関の赤間神宮。
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▲関門海峡に架かる関門大橋。
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▲玄界灘を望む。
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▲防風林と防風壁の津屋崎。
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▲壮大な七重の滝「一の滝」 |
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▲七の滝 |
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▲鱒淵ダム湖周辺。この湖の眺めは絶景。 |
一部の武道の中には、膝を突っ張ったまま闘技をするものがありますが、これらは平面上の場所のみで有効であり、嶮しい山道では、あの手の足型は全く通用しないようです。
また、人間は三次元歩行ならびに走行をする生き物ですので、脚が丈夫であるということは生きるための行動原理であり、特に「膝の大切さ」は、山行(やまぎょう)を遣ると明白になってくるものです。
こうした山行を遣ると、その直後、何ともいえない爽快感を覚えます。
この爽快感は、ミネラルウォータがこれまでの体液と入れ替わったことも含まれると思いますが、何よりも、大自然の中で森林浴を楽しみ、更には滝に接近してマイナス・イオンを浴び、こうしたものの相乗効果が、爽快感を齎(もたら)したものと思われます。
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●複雑な現代社会を生きるためには
現代人に正しい生活法則を指導する。現代人は、自分で見落としている危険な「落とし穴」がいくつもある。また、現代人を取り巻く地球環境は、現代人に益々窮屈を強いり、悪化の一途に在るのは周知の通りである。
現代人は、「科学万能主義」の迷信に酔い、色情や金銭に魅了されて生きている。その人生の主体は快楽主義である。誰もが自然との調和を忘れ、メカと情報に翻弄(ほんろう)されて、自分自身でさえコントロールできない状態になっているのである。更に、こうした悪循環の上に現代栄養学の食指導の誤りが、現代の難病奇病を派生させ、人体に不適当な食品群は現代人の肉体を長時間かけ、自覚症状のない状態で、確実に蝕んでいるのである。
果たしてこうした生活の延長を、人生として設定してよいのだろうか。
食生活の急激な変化と、飽食や美食に明け暮れる現代は、人間を大自然から大きく引き離してしまった。そこに私たち現代日本人は、情報過多の社会の中で迷走しているのである。
氾濫する珍味や美食の数々。化学調味料を含んだ多くの食品群、合成着色料や合成甘味料がふんだんに使われた清涼飲料水、保存料などの各種添加物入の食品群、インスタント食品やジャンクフード。これらのどれをとってみても、人体に有害なのは明白である。
現代人こそ、食品産業の利益優先にたった人体実験の当事者なのだ。
一方、縄文時代より連綿と続いた日本の穀物菜食の伝統は失われ、日本人の体質は異様に畸形(きけい)した観がある。
乳製品や食肉食品の大氾濫。動蛋白偏重の欧米型食生活。今なお消えぬ愚かしい牛乳神話。「肉はスタミナのモト」神話など、日本人の脳裡には欧米から汚染された不適当な食品を食する悪しき伝統が根付こうとしている。そして、これが脳神経や体内の代謝機能の働きを狂わし、ビタミンやカルシウムの欠乏を招いた。
その中でも白米、白砂糖、化学精白塩などは「三白ガン」と称され、それでもこれらの食品の摂取に歯止めがかからない。無批判で、誰もが食べさせられているのである。これらの食品に加えて、タバコやアルコールの恒常的な習慣が改まらず、ガン、心臓病、脳卒中、肝臓病などの病気が死亡原因の上位を占めるようになった。
現代人は真の健康を見失っている。また、環境の悪循環に自分が浸りきっていることに、一切の自覚症状を持っていない。危険なことである。
真の健康を養える条件とは、水や空気が綺麗で、日当たりがよく、騒音のない、情報量も過剰に氾濫(はんらん)していない環境の中において保たれる。これが人間の情緒を安定させるのだ。
明るく朗らかで、気力が充実し、愉快に、爽快に暮らせる条件は、大都会の喧騒から離れ、静寂の中に身をおくことである。
現代社会の物質主義が見落としてきた、自我(じが)に囚(とら)われない、宇宙と合一する現代生活からの打開策が、本合宿にはプログラムされているのである。
そのプログラムの中には、ストレス解消法があり、慢性病や虚弱体質の改善があり、疲労回復に繋がる、多くの古人の智慧が息づいているのである。
現代人はこれまで多くの食情報に惑わされ、また医学情報に散々弄(もてあぞ)ばれてきた。一種の現代栄養学と現代医学の被害者である。カロリー一辺倒主義の被害者であり、機械医療の被害者である。あまりにも多くの間違いに翻弄(ほんろう)された歴史を抱えている。しかし、もう、そうした呪縛(じゅばく)から、いい加減に解放されても、いい頃ではなかろうか。
また、現代という時代は誰もが「文明」という贅肉をまとい、その贅肉の重さで潰されようとしている時代である。いま現代人に課せられることは、文明という贅肉をそぎ落とし、自然の帰ることこそ、急務ではなかろうか。
一人でも多くの人が目覚め、生きとし生けるものとしての自分の生命を全うすることに、本合宿が、少しでも役に立てば幸いである。