インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 入門方法 >> 夏季合宿セミナー(二) >>
 
志高く、より良く生きるために

■ 夏季合宿セミナー■
(かきがっしゅくせみなー)

 
夏合宿/稽古風景
 
 
本合宿の五大特徴
1.
 朝は固形の食事を摂らず、液体の玄米スープの朝食。一般的に朝食を摂ることは現代栄養学の立場から、非常によい事のように考えられているが、朝食時に固形の食品を摂取すると、腰骨の関節が開き、関節のしまりを弛(ゆる)めて、腰痛の原因になる。人体には異化作用と同化作用があるので、朝は排便タイムである。日本では古来より、武術修行者に限らず、樵やマタギ等を生業(なりわい)にする人は、腰骨を守る意味からも、朝食を摂らなかった。これは西洋においても同じだった。

 山林業やマタギ等の猟師を生業とする人は、筋肉を酷使するため、朝は朝食を摂らず、水分だけを摂り、腹を満腹状態にしなかった。
 この点は武術の修行者も同じだった。朝食を摂ると、血液が筋肉に集まらず、胃に集まって消化のために使われる。こうした状態で修行しても、上達が期待できないのは明白である。腰痛が起るのは、現代栄養学が言うように「しっかり朝食を摂る」からだ。

 現代は誰もが間違って栄養学に騙されている。特に現代栄養学はその間違いの最たるものである。

 腰痛は朝食を摂ることから起り、これが原因で腰骨の関節が弛み(特に仙腸(せんちょう)関節の筋肉と関節は弛みやすい)、次に肩甲骨(けんこうこつ)の関節が弛んで「肩凝り」の病因を作る。更に肩凝りは頭蓋骨の関節を弛め、頭蓋骨が弛むと、顔全体が膨らんでくる。顎(あご)が二重三重になる。四十歳の初老のことから老人斑(ろうじんはん)が出来る。視力が低下する。歯が弱くなる。脳の血行が悪くなり、物忘れがひどくなる。ボケ状態が始まり、アルツハイマー型痴呆症に一歩近づく。集中力や根気力がなくなる。聴覚が低下する等である。
詳細は《癒しの杜の会》HPの「腰痛・肩凝り」を参照。

 朝は朝食タイムでなく、「大事な排泄タイム」である。一日3食食べれば食べ過ぎぎであり、現代人こそ飽食に流れているので、美食を慎み、「一日2食の粗食少食」に徹すべきである。

2.
大分耶馬溪は尚道館より、車で一時間半ほどの場所にある。全国的にも景勝地として知られる。またすぐ近くには、羅漢寺があり、この寺へのコースは、足腰の鍛錬となる。徒歩禅をかねて、八門遁甲の「山(さん)」である地理を学ぶにはもってこいの場所である。

 時代を生き抜くためには、小手先の戦闘技術だけを学んでもダメである。「天地の理」を知り、一生を通じて自分の心の拠り所と、人生の精神的な糧を、古人の智慧の中から汲み取らなければならない。地形を知り、土地の利を知り、自然観測を通じて、状況判断を下すものでなければならない。

 更には「ただひたすら歩く」ことが、徒歩禅にもなりうる。無我の境地に、わが身を置き、都会の喧騒(けんそう)から解放されることも大事である。

 歩くことは、また無我になることであり、気圧の高低を観じて、毛細血管の回路を開発すると同時に、自律神経を調整することにも繋がるのである。更に山道を歩くことは、股関節の動きを滑らかにし、溶融や坐骨神経痛の予防や治療にもなり、長年腰痛で苦しめられていた人が、登山によって腰痛が治った、坐骨神経痛が治ったという話は、よく報告されるところである。つまり、「腰骨の関節の弛みぱなしの現代人」の、腰骨をしゃきっつと引き締めるのである。

3.
合宿期間中に行われる菅生の滝での「滝行」

また福智山福智山山麓の「七重の滝」ならびに「菅生の滝」での『滝行』とともに、『地理』を学ぶと共に、「山に登り、山を走る」という山稽古と滝行を通じての、「毛細血管の回路」を開く行法をする。

 正しい滝行の修法を指導する。滝行とは、単に滝に打たれることを言うのではない。正しい滝行の修法を知らなければならない。「泥丸(でいがん)」から直接滝の水に至れると、脳の毛細血管が破壊され、毛細管に目詰まりを起し脳障害やアルツハイマー型痴呆症の病因になる。
 したがって、「唖門宮(あもんきゅう)」を開いて、ここから「水の精気」を体内に送り込み、身体裡側の汚れを浄化するのである。

4.
 西郷派の得意とする乗馬を指導する。馬を馭すことは、“合気”掛け「八人捕り」の要領である。馬の轡(くつわ)を捉えて、「腕を返す術」を知らなければ、“合気”に繋がる修行は出来ない。
5.

 うさぎ跳び・腕立て伏せ・懸垂・腹筋や背筋などの筋肉トレーニングをせず、「呼吸法」と「修法」を中心とした古人の武術家が培った行法を第一として指導する。
  西洋式の現代スポーツの多くは、呼吸法による吐納が正しくない。そのために肉体を酷使すれば「心臓肥大症(心筋梗塞など)」になりやすい。
 基本的な正しい調息呼吸を学び、心臓に負担を掛けず、また深呼吸の誤りによって起る「禅病」(江戸時代の中期、禅の大家・白隠禅師が犯した病気。後に京都北白河山中の白幽仙人に自然治癒力を高める「内観の秘法」を学んだ)の愚も犯すことなく、静かで平穏な安らぎの呼吸法を学ぶべきである。

 呼吸を正し、吐納を正しく行うと、まず心の中の不安や恐怖が消え去る。次に気力が充実し、それが全身に漲(みなぎ)る。更に弾むような躍動感を感じ、生命力が旺盛になる。
 人は、この境地に至ったとき、悠久の天地と共に、自己の裡側を掘り下げ、自分が宇宙に溶け込み、広がり行く自分を観じるのである。そして、自らは清浄で、澄み渡り、大自然と一体となる境地を体感するのである。

 

●護身とは、単に外の敵に対してばかりではない

 私たち現代人は、外の敵に対しては警戒の眼を弛(ゆる)めないが、案外、内の敵に対しては無頓着である。特に、口から入ってくるものは、野放しだった。そして、「病気は口から入るという原理」を完全に忘れてしまっている。
 幾ら腕が立っても、裡側から病魔に冒されていては何もならない。

 では、なぜ秒名に犯されるのか。それは、「食事の悪さが病気多発の元凶」になっているのである。「禍(わざわい)は口からいずる」ともいうが、「禍は口からも入ってくる」のである。口から入る禍が、実に恐ろしい。
 そして、その人が何を食べるか、どれだけの量を食べるか、何を飲むか、こうしたことが慢性病発症に繋(つな)がっているのである。ここに生死を分ける明暗の分岐点がある。

 敵は単に外に居るばかりでなく、自分の裡側(うちがわ)にも入り込み、そこで潜み、裡側から自分を滅ぼそうとする敵もいるのである。この敵こそ、実に手強(てごわ)いものである。
 外の敵は、自分の努力と精進で、討ち果たすことも出来ようが、内の敵はなかなか手強く、一筋縄ではいかない。それがガン発症であったり、高血圧症、糖尿病などであったりすると、裡側から生命の危険が脅かされることになる。

 人間の躰(からだ)は、整然とした摂理で動いている。
 また人間は、食肉の中に現代栄養学が言う「良質のアミノ酸」が存在していたとしても、このアミノ酸を分解する酵素を持たない。それは牛乳やチーズなどの乳製品も同じだろう。人間には、動物性蛋白質を分解するだけの酵素は、腸内に存在しないのである。
 このことは、「人間の歯型」が如実に物語っているではないか。人間の歯型が、果たして肉食獣のように肉を切り裂くように出来ているか、甚だ疑問である。
 むしろ、穀類や野菜などを食べる草食に適した歯型をしている。

人間の歯型が物語るものは、「粗食」である。ここで言う「粗食」とは、欧米食に比べて「貧しい食事」と謂うことではない。
 粗食とは、「蔬食(そしょく)」のことであり、「蔬菜(そさい)」のことで、季節折々の、旬の新鮮な野菜や青物のことをいう。日本人は旬の穀物や野菜類、それに旬の魚介類を食べて来た食体系を持っている。この実践において、「粗食」と呼称するのである。

 したがって、動蛋白は人間には不必要な食品であり、現代栄養学が現代人に植え付けた、「肉のアミノ酸神話」や、「牛乳の骨太神話」の呪縛(じゅばく)からは、解放されるべきである。こうした食品は生活習慣病の病巣になるだけである。

 実際問題として、例えば、プロのスポーツ選手やプロ格闘技選手などの「食肉礼賛」を検(み)て、彼等の中から果たして、怪我や故障や事故が減少しただろうか。彼等に何故故障が多いのか。それは彼等の信仰している「アミノ酸信仰の動蛋白」に問題がありそうである。

 読者諸氏は、特にプロ野球の選手が、何故いつも故障するのか、この現実を考えてみたことがあるだろうか。

 

●心技体の護身の意味

 健全な心技体を造るには、単に室内に籠り筋肉的なハードトレーニングを積んでも駄目である。人間はもともと大自然の一員である為、大自然の中で心身を錬磨する必要がある。

福智山周辺には様々な大小の滝がある。
七重の滝の中の大滝。

 人生、一寸先は闇であるとは、よく使い古された言葉である。人生には、何が起るか分からないからである。そして、この「何が起こるか分からない」ことに、命を失う者は多い。

 命を失う者の多くに、危険な現代社会を生きながら、自分だけは危険とは無縁であると思っている見逃しや聞き逃しがあるようだ。
 しかし、今日では最低限度の危機管理能力が問われる時代、危険について見逃した聞き逃しをする者は、騒然その能力を問われ、あるいは批判されるべきであろう。

 人生には、いつ「非日常」が襲ってくるかもしれない。非日常について、疎い者は、思わぬ不幸現象に巻き込まれ易い。それは外部から襲ってくる外圧ばかりでなく、内部からも襲う災難に巻き込まれる者が居る。それが高血圧症であったり、ガン発症であったりする。生活習慣に疎い、不摂生から起る内部の敵に悩まされることになる。敵は、外圧の外の敵ばかりとは限らないからだ。

 そして、こうした疎い者に共通していることは、人間が自然の一員であり、自然と共になければならないことを忘れていることである。
 サバイバルとは、何もそのと敵だけと戦うことではない。同時に内の敵とも戦わなければならないのである。則ち、大自然を知るとは、日頃の便利で、快適で、豊かな文化生活の贅肉をそぎ落として、非日常の中に身を置くことである。これが出来てこそ、心技体ともに、「真の護身」となるのである。


戻る << 夏季合宿セミナー(二) >> 次へ
 
Way of living
   
    
トップ リンク お問い合わせ