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西郷派大東流と武士道

■ 西郷頼母と西郷四郎■
(さいごうたのもとさいごうしろう)

●大東流編纂と大東流蜘蛛之巣伝の持つ霊的神性

 西郷頼母の大東流蜘蛛之巣構造の中には、幕末から明治にかけての、時代の風雲急を告げる時代背景がこれに複雑に絡み合い、蜘蛛之巣構造の展開は急速さを増していた。巷には、尊王攘夷を掲げた偽志士達が押し込み強盗を働いたり、長州の赤報隊に見られるような、世紀の奇兵隊とは異なる隊閥が存在し、豪農や豪商から、幕府転覆の為と称して不正な軍資金が徴集されていた。

 また一方、尊皇攘夷の渦中に孝明天皇を中心とする《公武合体》の政策が幕府によって打ち出され、会津藩は近辺の諸流派武術の研究及び編纂を始めた。幕府の要人警護の為である。
 元々会津藩校日新館の教科武術であった太子流兵法(軍学)や溝口一刀流や柔術等の極意に、馬術、古式泳法、弓術、居合術、槍術、日本式拳法(柔術の当身を中心とした拳法)を加え、公武合体が囁かれ始めた頃、藩政に基づいて編纂・改良・工夫したのが大東流の母体を成した会津御留流であった。そしてこれには、剣術の溝口派一刀流が加わる。西郷頼母は、溝口派一刀流の達人でもあったからだ。
 ここに大東流【註】この時期、「大東流」は制式名称となっていないので注意。「大東流」が流名を持つのは大日本武徳会創設以降の事である)が当時の時代背景として、直心影流ではなく、溝口派一刀流であるという事が分かるであろう。

 この武術は複数の研究者達の英智を総結集し、幕末期に完成した総合的な新武術である。そして、曾てどの流派の武術も真似の出来ない、高度な技法にまで発展させていった。これを頼母は軍事的思想的スローガンを掲げて、幕府要人や皇族要人を警護する、奥女中及び上級武士の為の武術に作り上げて行った。
 だが大東流の意図するところはそれだけではなかった。古神道に立ち戻れば、「人間は人各々に天御中主神の一霊一魂を受けた玄妙(げんみょう)なる小宇宙神であり、その根本は大霊と同一の一雫(ひとしずく)である」という惟神(かんながら)の玄意(げんい)が含まれている。

 「陰が極まればやがて陽に転じ、霊妙になる」という精神的な涵養は決して合気行法と別物ではない。
 大宇宙の玄妙なる霊気は、やがて人間に及び、その森羅万象に至るまでの玄意が大東流の全貌であった。そこには古神道や密教の秘め事や諸々の約束事があり、言霊の妙用をも含めて大東流の「大東」は神聖なる聖域(日の出と共に陽に転じる霊妙)を有し、霊的神性に貫かれた「大(おお)いなる東(ひむがし)」を意味していたのである。つまりこれは「極東」に意味が含まれ、「東洋一の優れたもの」という思想が、大東流流名由来に大きく関与しているのである。

 大東流の体系的分類は、まさしく「柔術百十八箇条」と言えるであろう。しかし、この分類は近年によってなされたもので、戦国時代に編纂された、あるいは源平時代に編纂された、更には武田信玄の技などと称するのは早計である。少なくとも、今日囁かれている、伝説的流言を真に受けて、「大東流は新羅三郎源義光が伝えたもの……」という伝説は歴史的根拠がない。これを信じたり、こうした考え方で捏造された伝説を無理に信じ込もうとする連中は、自流の流れを客観的に観る目を失った者と言えるであろう。

 参考にまで申し添えて置くが、大東流には柔術・合気柔術・合気之術の三大儀法があり、一般的に大東流愛好者の中では柔術百十八箇条はよく知られているが、合気柔術や合気之術は密教の秘密教伝法をとっている為、指導者と雖(いえど)も、これを知る人は少ない。また、霊的な面も理解していなければ、合気柔術以上の儀法を知る事は出来ない。
 一般に大東流の技は「百十八箇条」といわれているが、これは「大東流柔術」のみを示すもので、大東流合気柔術や大東流合気の術とは全く無関係である。大東流柔術百十八箇条は、いわゆる「組み技」であり、古典的かつ骨董的である。明治になって構築された伝承を重んずるあまり、伝統武術としての要旨が抜け、骨董品的な要素の観が否めない。
 またこの骨董的技術を「大東流は新羅三郎源義光が伝えたもの……云々」として伝承経路を、「源平の昔から」とするのは、これを宣伝する者の虚言と言うべきものである。

 大東流の全貌は大東流柔術や直心影流の剣技に代表されるものではない。むしろ当時の時代背景に反応して、急速に、何等かの必要性に迫られ、総合武術として新たなものが構築されたと見るべきである。そして指導区分として柔術百十八カ条を下級武士に教え、合気柔術は中級武士、合気之術は藩要職にあった五百石以上の上級武士に伝えたのである。武士階級の階層の違いによって、大東流が伝えられたと言うのがその特徴であり、大東流以前の会津御留流は記録にはないが、江戸中期頃に柔術百十八箇条が構築されたものと思われる。
  これを観ても、新羅三郎源義光が作ったと吹聴する人達の歴史的認識は大いにレベルが低いものであり、歴史的常識を疑わざるを得ない。

 西郷頼母は《大東流蜘蛛之巣伝》の中で、霊的神性をあげると同時に、密教の修行法を取り入れ、「秘密」「秘事」「秘伝」を旨とし、約束事を設け、高級技法は一般に流れ出さないように封じた。そして大日本武徳会創設以降、大東流の流名を用いて会津御留流を伝統武術として蜘蛛之巣伝の中に封じ込めてしまった。
 蜘蛛之巣伝は秘密を旨にした秘事の約束事から始まり、約束事は外に漏れない為に一子相伝と言う形の秘伝の中に封じてしまったのである。この秘伝は、数百年単位の古人の智慧であり、この智慧を天才が現れて謎解きをしようとも、簡単に解けるものではない。
 また、密教や古神道の行法に合わせて蜘蛛之巣伝を構築している為、伝統の約束事は、以降憶測で解釈されるようになり、やがてこれは誤った歴史観が流布されると言う現実を招いたのである。

 大東流は公武合体政策に準じて、早急に編纂される必要性に迫られ、西郷頼母が中心となって会津御留流が新たに蘇ったものであり、新時代の時代背景を元にして、西南雄藩に対抗し、東北雄藩の協力によって完成を見たと言うべきものである。そして江戸中期以降の伝承をベースとして、伝統武術に相応しい変貌を遂げたのが大東流編纂の目的と、蜘蛛之巣伝の政治的構想であり、大東流は総合武術としての観が強い。
 この為に、儀法の内容が極めて斬新であり、巧妙な技術構成からなり、この点が他の古流武術とは大きく異なっているのである。また、こうした思考によって歴史観を追求し、更には「武術と武道の違い」「修行と練習の違い」あるいは「伝統と伝承の違い」を吟味して行けば、大東流は「秘伝で構築された」という事実が明白となり、反復トレーニングや力とスピードだけではどうにもならないと言う事が分かるであろう。そしてそこには、究極的に、霊的神性まで上り詰めないと、到底秘伝は理解できないと言う事が分かるであろう。

 大東流の某指導者が「秘伝はまだある」と自称しているが、これは霊的神性を踏まえた秘伝ではなく、自分が勝手に秘伝と思い込んだものを秘伝と自称しているだけであり、武道雑誌等で、自分が第一人者のように振る舞っているが、果たして傲慢(ごうまん)とも思える人物に、霊的神性は宿っているのであろうか。また、彼は霊的な「霊学」といわれるものや、「言霊学」と言われるものを勉強し、それが身に付いているのであろうか。
 もし、こうしたものをきちんと修め、体得しているのであれば、どうしてあのような傲慢な言動がはけるのであろうか。

 霊的神性を正しく身に付ける為には、まず自身が礼儀正しくなければならない。次に、日夜修行を重ねなければならない。一般人と同じように仕事を持ちながら、余暇や片手までこれを修行すると言った事は到底不可能である。日夜心血を注ぎ、修行三昧の世界に明け暮れなければならない。仕事の片手まで、技術面だけを練習すると言った事では、到底秘伝は学べない。内面的な霊的なものが必要となり、当然霊学や言霊学は学んでいなければならない。これを学べば、心が変わり、人格が変わり、品格が変わり、運命までもが正しい方向に変わってしまうものである。つまり、人の心の代わりようは、自分の運命までもを変えてしまうのである。
 西郷頼母は霊学を研究してこの事を発見し、後世に大東流蜘蛛之巣伝(西郷派大東流では門外不出であり、公開は一切なされていない)なるものを伝えたのである。


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