■ 皆伝師範・岡本邦介先生の死去について■
●心より御冥福をお祈りいたします
さる10月22日、茨城支部道場の顧問で、わが流皆伝師範の岡本邦介先生が死去されました。
岡本先生は、これまで、ご自分がガンであることを知りながら、闘病生活の中でも、西郷派大東流の修行を怠らず、発病告知から四年に亘り、茨城支部道場の後進者の指導に当たられました。
そして、まさにそのお姿は「闘魂の人」でした。
しかし、肺ガンよりのガン転移にて、10月19日に急変して病状が悪化。
かねてより、10月21日(土)に茨城地区講習会が行われることを楽しみにしており、また曽川和翁宗家先生にお会いすることを心待ちにしておられましたが、この日に、岡本先生のお姿を見ることは出来ず、既に危篤状態の中にあったと思われます。
しかし、当日の講習会に参加した内外の門人の多くは、岡本先生の病状急変を知らず、この悲報が届いたのは、講習会終了後の10月22日(日)の午後7時30分でした。岡本先生はかねてより講習会を楽しみにしておられ、遂にこの日、講習会にお姿を見ることは出来ませんでしたが、岡本先生はその成功を見届けてから、旅立たれたのではないかと思われます。
享年七十七。
岡本先生は、五十二歳でわが流に入門。また、わが流が関東に出る為の足掛かりをつくり、影に日向に、わが流発展の為に多大な尽力をつくされました。心より御冥福をお祈り致します。
【岡本邦介先生の略歴】
昭和4年、東京生まれ。大戦末期の十代後半に召集により、東京鉄道聯隊に陸軍二等兵として徴兵さる。戦後、日本中央競馬会の厩務員として、船橋、美浦のトレーニングセンターで競走馬の育成にあたる。
昭和46年2月、八光流柔術師範の資格を得る。
昭和47年11月、八光流柔術皆伝師範の資格を得る。
昭和48年3月、西郷派大東流合気武術の現宗家の門に入門。
昭和49年3月、八光流柔術・皇法指圧治療師の資格を得る。
昭和51年3月、西郷派大東流合気武術皆伝師範の資格を得る。
昭和52年、北九州小倉区在住で、当時、朝日新聞社北九州支局に勤務していた、わが流門人の進龍一先生(当時、准指導員)を千葉県習志野市の喚び、指導者として育成後、昭和53年8月より習志野綱武館の指導と運営を任せる。
以後、稲敷郡美浦村にJRA美浦トレーニングセンターが開設されたのち、美浦厚生会館内の合気道場にて後進者の指導にあたる。
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▲『臥龍』の歌詩(クリックで拡大)
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なお、岡本邦介先生死去にあたり、現宗家・曽川和翁先生が、「闘魂の人」の故人を偲んで、故岡本先生の為に、哀悼の念をこめて、『臥龍(がりょう)』という歌を作詞・作曲なされました。
また、この曲の編曲に当たられたのは、音楽家として著名な佐孝康夫氏が担当いたしました。
ただいま、編曲が完成し、本ネット上に公開しております。
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