■ 大東流合気武術と合気道との違い ■
(だいとうりゅうあいきぶじゅつとあいきどうとのちがい)
大東流は、その名称を「合気(あいき)」に置いているため、よく合気道と混同され、同じようなものであると認識されているようですが、大東流と合気道では、その考え方や(思想や武術論)技法の体系が大きく異なっています。
合気道は、昭和二十年代後半に「植芝盛平」が名付けた武道ですが、大東流はそれ以前から存在していた、元々会津藩の上級武士に伝わった門外不出の秘術でした。
大東流の一部を学んだ植芝盛平が、戦後に至って「武産合気」を説き、これに神道(正確には大本教の「神楽舞」)の神秘主義を取り入れ編纂したものが、現在一般化されている合気道です。
その構築様式や技法の構造を検討した場合、一見大東流と似ているようで、やはり根本的には似ても似つかない技術体系であり、目には見えない部分で武術的な考え方が大きく異なっています。
段階構造の体系に沿って技法を伝授する大東流に対し、合気道は、畳水練的な柔術を五十程度の技に簡略化してまとめ上げ、老若男女問わず誰でも楽しめるスポーツ的な意味合いを多分に含んでいます。
これは、合気道を普及させ、多くの人々が気軽に武道に触れる機会を増やしたという意味では素晴らしいことですが、その反面、武術的な要素が失われ、護身術としては殆ど用をなさなくなってしまったという点は否めません。
このため合気道の若い指導者たちが、突きや蹴りは空手から、投げは柔道から、といった風に分けて考え、この両方を新たに習っているということが少なくないようです。勿論、大東流を学んでいる指導者も少なくありません。
現在は、警察機構の監視が充実し、護身術的な厳しい面は必要でないのかもしれませんが、「馴れ合い」ばかりの中で修練を続けていると、いざという時、全く役に立たない現実を忘れてはならないでしょう。
不慮の事故や、治安面もアメリカなみに低下してきている日本の秩序状態を検討してみると、「馴れ合い的な練習」を無闇に繰り返すことが果たしてイザという時に有効なのかどうか。
武術を学ぶということの意味を真剣に模索する必要性を、西郷派大東流は痛切に感じております。
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