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古人の叡智が集約する護身武術
決意表明の意思表示をし、神奏文を高らかに読み上げる高安伸明新会長。

■ 西郷派大東流有段者会長引継式 ■

●有段者会長引継式

 とき:平成26年2月23日 早朝六時から正午までの午前中。
 ところ:尚道館神殿ならびに西郷派大東流合気武術発祥の地・豊山八幡神社境内に於いて。

 西郷派大東流有段者会長は、長らく福島維規氏が会長職に携わってきたが、福島氏は道場生会員から自らの思うところあり、宗家直伝の個人教伝門人に転向したため、その後を継いで、静岡県在住の道場生会員である高安伸明氏に引き渡した 。
 氏は、また人格・人物とも優秀なため、その人柄を普段から依頼された。
 わが流の少ない人材ながら、友誼に厚く、人情の機微を知る品格を持った氏の選抜は、まさに適材適所というべきであろう。
 また半年間、門人見習いをやってきた福島氏は個人教伝で宗家の直伝を受ける「門人」を許され、この日霽(は)れて正式門人となった。祝うべきことが、二つも重なって喜びの次第である。

 この引渡しにあたり、引継式は古伝の伝統に則り、作法どおり儀式を通じて後が託された。
 引継式は上記の同日・同場所において「有段者会長引継式」が、古式の作法に則り厳粛に行われた。
 そしてなによりも当日は近日にはない、いい天候に恵まれた。
 八門遁甲でかねがね割り出していた、軍立(いくさだて)の日取りに基づき、そういう方角・日時とも、まずまずの日であった。天より祝された日でもあった。

 晴天に恵まれ、いわゆる「お日柄もよく……、恙(つつが)無く……」という、よく某儀式で使われる、まさにお日柄に恵まれ、快適快調な滑り出しで儀式一切が執り行われ、以上が無事、何の支障もなく終了した。
 それは、まさに恙無く……であった。

 前々日より、前有段者会長の個人教伝の福島門人と、当日式典の準備に走り回り、また前日には高安新有段者会長が、式典の前日の用意として奔走してくれたことによる。
 感謝の一言である。
 一口に引継式というがこれが儀式である以上、一日や、そこらの一夜漬けで済まされるお手軽なものでない。極めて厳粛さを要求される儀礼である。儀礼とはそういうものだ。甘く見るべきでない。
 日本古来からの伝統である。
 そのために前もって、事前の用意を必要とし、御事典(みことのり)というお窺いを立てて実行される。
 事に当たっては、儀式実行の前日に沐浴斎戒(もくよく‐さいかい)をして身を浄め、また食事も精進に心がけ酒肴などの飲食を絶っていなければならない。身を慎むことを教える。
  したがって安易では済まされず、また一朝一夕(いっちょう‐いっせき)にはいかない、身も心の引き締まる厳粛なものである。

豊山八幡神社参拝

写真中央:曽川和翁宗家。向かって左:福島維規・前会長、右:高安伸明・新会長。

 神事のことは、わが流では昭和三十年以来の伝統であり、神前に対し「御事典」を捧げ、神にお願いして、その許可を得るという古伝の、わが流特有の礼儀と儀式に基づき、宗家個人としては、その準備に追われて一週間前から開始していたのである。
 そもそも西郷派大東流は、西郷頼母の精神性を受け継ぎ、会津藩以来の江戸時代よりの伝統を受け継ぎ、また神(古神道の教え)と密教ヨーガ(弘法大使空海が伝え、実践したとされる医術。この恩恵に武田惣角翁が預かっているという。かつて武田時宗先生の親戚筋から聴いた話)の呼吸法(内観法を含む。江戸中期の白隠禅師が禅病を治したことでも有名)と秘術(密教方式古伝伝承)を伝承し、単に殺伐とした武術のみに専念することなく、合わせて文の道も踏み行い、世にいう「文武両道」かつ、先代の山下芳衛先生の教えである「友文尚武」の道を全うし、崇高なる武士道精神に則って、辛うじて細々と今日に存在する次第である。
 また総本部・尚道館道場神殿に架かる「友文尚武」は、著名なる書道家の清永九峰先生が尚道館に寄贈された書である。

一日前の式典前日。尚道館二階の囲炉裏のある居間にて、夕食を過ごす安堵のひと時。 御事典の報告は、神社到着時の午前7時13分に始まった。朝日の昇る少し前に豊山八幡神社の到着。
わが流発祥の地・豊山八幡神社社殿。
豊山八幡神社社殿。

 西郷派大東流の神事に関することは、その伝統も長く、わが流発祥の地であると豊山八幡神社神殿から始まり、それは今日、場所を移して総本部尚道館神前・神殿へと移行さ れ、今日に現存する次第である。
 環太平洋ならびにその周辺各地から求道者が訪れるためである。

  有段者会長引継式は、前日の正午過ぎより開始され、道場内清掃、内弟子部屋の清掃、神前清掃、便所掃除や風呂掃除、玄関前の掃き清め、そして心身 禊(心身を清めるとともに前日のアルコール類飲酒の禁止)などが行われ、「式典の宴」の出需品の買出し、神事の手順などを含めて夜遅くまで手続きについて繰り返された。
 翌朝の当日、早朝より豊山八幡神社に出立した。
 当神社は、わが流の発祥の地である。この神社の境内にある能楽堂より始まった。
 また西郷派大東流の神事に関することは、その伝統も長く、わが流発祥の地であると豊山八幡神社神殿から始まり、それは今日尚道館神前・神殿へと移行され、今日に現存する次第である。
  豊山八幡神社は、わが流の発祥の地であり、門人ならびに道場生会員の「心のふるさと」であるからだ。

 当日、神社に向かうために早朝より行動が開始された。機敏なる行動。
 わが流の信条である。
 六時起床、武門の羽織袴の身を正して礼服に着替え、尚道館を出発。午前7時13分、朝日の昇る少し前に豊山八幡神社の到着。
 当日は、ここから総てが始まった。
 午後8時20分に尚道館に折り返し、道場では当日の会長の引継式と、新会長の以後の抱負を「神奏文」に託して表明し、会長朗読の高らかな声とと に、前会長立会いの下(もと)、儀式が恙(つつが)無く行われ、総ては昭和三十年来の伝統を引き継いだものであった。厳粛の一言に尽きる。

宗家の記した高安伸明新会長への御事典。
 祝福祈願として、御事典には霊符である「護身符」と「勝敵符」の符文字が記されている。
 祈願お窺いは平成26年2月18日。執行は平成26年2月23日である。

 また御事典は決定して、数日前から「お窺いを立てねばならぬもの」なのである。安易に済まされないものである。厳格な儀式を必要とする。
 それだけに格調が高いことは言うまでもない。一朝一夕では行かない儀式であるかだ。
 また他のスポーツ武道のように、紙切れ一枚の段位書というものではないことも、明白であろう。
 今後とも伝統武術として、わが流は、格調高く、これまでの「お手ごろ武道」には存在しない、連綿と続いた「古式の伝統」を後世に伝えていきたいものである。
 わが流は、スポーツとしての立場をとる競技武道ではない。礼儀をまず重んじる。

 「武の道」にも、いろいろな考え方があって単に試合で勝利を収めるとか、相手を打てばいい、叩けばいい、倒せばいいというスポーツ的な競技として楽しむものと、わが流のように「武の道」を求道(ぐどう)と捉える立場とでは、当然そこに置いている価値観も次元も異なるものである。
 そしてその価値観に「求道」を置いた場合、背景には「作法」がなければならぬ。

 作法の「作」は、動作の「作」とか、所作の「作」を現すものであり、古くはこれを「作(な)す」といった。そして「作す」は、自他の境界線意識を持つことで、他人と自分の摩擦を少なくし慎み深く振舞うことを信条とするのである。
 人生の一面には親しき仲にも礼儀ありで、また一方「他人行儀」という慎み深さがあってもいいと思うのである。何もいい年をしたオヤジが、学生気分に舞い上がり、ミーハーのような軽率な行動をとらなくてもいいと思うのである。
 行動や言動には、その裏付けとして、責任を負う義務が生ずるのである。それが軽かろうはずがない。
 故に、人間の品格を決定するのは「志(こころざし)」ということになる。
 つまり志とは、目的意識のことである。この意識は重いものである。

 何を考え、何を目指して生きているか、これこそが、人が生きるための原動力である。
 したがって「武の道」を求道し、それを鍛錬する理由は「志」であり、志のありようで「人間の格が決まる」ということである。そして人間の格が高いか、低いかは、そのまま志の高低に回帰される。志の高い人ほど、人格の「格」は高いことになる
 したがって志は、しばしば威力にもなりうるのである。ここに武人のプライドというものが横たわっている。それこそが崇高な精神であろ。

前会長から新会長への引継式。有段者会長としての全権を、福島前会長から高安新会長へ手渡された。

 武わが流で云う「みことのり」は、こちら側が、「神にお伺いを立てる」と言う意味を持つ。つまり「御事典(みことのり)」である。
 そのための「みことのり」である。お窺いを立てるのである。したがって勅(ちょく)という、詔(みことのり)とは意味が違う。
 では、誰にお窺いを立てるのか。
 神にである。
 これを神に向かい、お窺いを立てる。

 わが流の慣し(「習わし」とも)では、「為来(しきた)りとして決まった事柄」であり、拝受者にその資格を問うもので、これを神にお伺いを立てる。神のお赦(ゆる)しを得て、その許可が出次第、宗家を媒介・仲介して、宗家名で各免許が受容される。
 執行者は宗家であるが、それは神の赦しを得て執行されるものである。

 わが流に伝えられる「みことのり」を解釈すれば、「みこと」は神または貴人として奉る場合の尊称である「尊」の文字を使い、「のり」は祝詞の「祝」の祝
いを用いる。つまり「尊祝(みこと‐のり)」である。この言葉を、わが流では「光透波(ことば)」と解釈する。
 ここに御事典の大事がある。

 この大事は志と信念が試されるものでもある。
 これを光透波を通じて神前で表明する。
 光透波とは、また人間の声帯から発する言葉という波動であり、この言葉に二言があってはならない。そして志と信念とが試される以上、それはまさに自身のプライドであり、矜持(きょうじ)であり、また誇りである。その自負がいる。
 その誇りをもって、これを外に向かって発信しなければならない。

 故に御事典は厳(おごそ)かであり、格調高く、伝統武術の格式に相応しいものになる。
 更にこれを言及すれば、外に向けての発信は、単に内に籠(こも)る趣味人のそれではない。自分の意思表示を外に向けて、そこに全人格の代表たるべき姿がある。この全人格たるべき姿が、つまりプライドなのである。
 またそうした心構えで斯道に励んだとき、誰から見られてもバカにされない気品がある。これを人間の品格というのである。

新会長神奏文朗読の表明。
神奏文をこれからの抱負を朗読高らかに。
 
高安伸明新会長の神殿に捧げた神奏文の表明。
 
神奏文の神前奉納の儀。

 光の「ことば」である。だから光透波と書く。
 光の言葉をもって、報告し、お伺いを立てる。そのための「みことのり」であり、このお窺いには最低でも一日以上を要す。
 一種のご神託を俟(まつ)つので
ある。託宣(たくせん)を俟つのである。
 これは、わが流の古くからの慣しである。一朝一夕には行かない。決して付け焼き刃的なものでない。しかしこうした手順を踏んだ儀式をいい加減にすると、後々遺恨から、泥仕合のお家騒動に発展する場合がある。
 お家騒動とは、こうした礼法を軽視したことに所以する。内外に知らしめることを怠ったことから起こる。
 そもそも「武の道」で言う礼儀とは、自発的な行動律であり、またその根底には教養としての見識や鋭敏さ、更には、柔軟な直感による知性と感性を支えにしたものである。

 そのために先ず、先立ってお窺いを立てる。
 そのお窺いが意を得ているか否かを、託宣により「その意思をお知らせ頂く」のである。つまり神に祈念して、お告げを俟つのである。
 わが流の秘事は神託による。これは神を介して、自他意識を作るためである。そして、これが礼儀である以上、立場の認識を弁えることを主眼とする。昭和三十年来の慣わしである。
 神託を立て、意に沿わなければ、それは許可を得ない。これでは執行者も執行できない。総ては事前に用意しお窺いを立てる御事典から始まる。

 わが流では、お家騒動排除のためにも「神への勅」を立てお窺いする。「みことのり」を奉ずるのである。うやうやしくお言葉を俟つのである。そして、そのお言葉を承るのである。授受者の資格を奉戴(ほうたい)するのである。

新会長に宗家から任命書の授与が行われる。

 わが流では、お家騒動排除のためにも「神への勅」を立てお窺いする。「みことのり」を奉ずるのである。うやうやしくお言葉を俟つのである。そして、そのお言葉を承るのである。授受者の資格を奉戴するのである。
 わが流で云う「みことのり」は、また「尊祝」である。故に御事典の文字を用いる。

  不浄をきよめ、いみ慎んで神を祀(まつ)ることをいう。これは単なる「いわい行事」でない。「いみ慎む」ことを言うのである。わが流の儀式に唱えて祝福することばを、お伺いを立て、いみ慎んで訊くのである。天子の勅とは異なる。
 「みことのり」はあくまで神を介してのお窺い、である。

 わが流で初心者が一番最初に習うのは、剣の素振りと畳の上での受身である。
 例えば剣の素振りを挙げた場合、素振りは端(はた)から見ていて、一見単なる反復練習のように映る。繰り返し同じような動作をするトレーニングのように映る。
 ところが実際はそうではない。
 わが流は、剣を素振るとき、神前に向かう。神と対峙する形をとる。その形は「お窺いを立てる」という形である。
 初心者でも種々の素振り方を一つにつき百回振り、それを合計十行程繰り返し、素振り回数は千回に及ぶが、問題は単に千回の筋トレ的な素振りトレーニングをするのではない。

 これは素振りをしながら、神に対し「私の素振り方は、これで宜しゅうございますか?剣筋は正しいでしょうか?」とお窺いを立てつつ振るのである。そのお許しの言葉を自身で感じるまで、毎回同じ素振りをするのである。
 言葉は、また光であり、光透波である。それだけに行動とともに威力を持つ。

 わが流の指導する武術の鍛錬は、また一方で反省の意味を持つ。修練とは反省の意味がこめられている。反省しながら日々精進し、自身の態度を少しずつ改めていくのである。この意味で武の鍛錬は自分の立ち居振る舞いの点検でもあり、言葉遣いを吟味することにもなる。したがって常に自身を反省しつつ、同時にこれでいいかを、神に対してお窺いを立てるのである。
 そして、それは神の光透波が感じ取れるまで、ほぼ死ぬ直前まで続けられる。修行には終わりがないという意味だ。

 武の道の本質を突き詰めていくと、「武」とは何も刀や槍、あるいは徒手空拳を武器にして格闘するばかりのものでない。
 古人の言葉を借りれば、相手の打ち気を呼び起こしたり、あるいは封じたり、また転じたり、抜いてしまうというのは何も太刀に頼らず、更には、風雪に鍛えた徒手空拳をもって制さなくても、礼儀と作法をもって判断すればこうした暴力に呼応する必要はないということである。
 したがって首から下のみが頑丈で、ただ人を打ったり殴ったり、蹴ったり投げたりしてそれのみに固執することではなく、摩擦を起こさない行動原理がある。摩擦を起こすような、こうした人間を幾ら大量生産したところで、社会や個人にとって最終的には有益なものになるとは言い難いのである。

 かつて日本人はそれぞれの階級や身分に応じて、固有の生活圏と文化圏を持っていた。そこにはその階級に相応しい独自の文化というものがあり、それぞれは干渉することなく独立して尊ばれていた。階級は違えど、それぞれは尊敬しあっていた。この尊敬こそ、身分の差を凌駕したものであった。したがって、階級差は問題ではなかっいた。
 ところが、この独立不介入は欧米の外圧により崩れた。身分制度はけしからんとなった。

 そして特に戦後は「民主」の名をもって、従来の健全で順調なる社会秩序を崩壊させた。戦後は、それが顕著である。
 戦後日本では崩壊し、境目がなくなり、けじめがなくなった。
 それぞれは入り込んできて、互いに干渉し合い、少しでも手落ちがあると指弾し、秩序だった身分社会が崩壊してしまった。
 この崩壊を、昨今では自由と平等という民主論で説いているが、これた単に混乱を齎しただけに過ぎなかった。かつては武家文化も町人文化もそれぞれが独立し、互いに干渉し合うことなく、それぞれに尊厳を保っていた。

 しかし今日、かつては河原者と蔑まれていた芸能人の文化も、混乱に混乱を重ねて入り混じり、表面上の自由と平等はいっそう不自由な状態を強いて、これが見事に入り混じってしまったのである。いわば型を見失ったというべきだろう。
 複合化したものは、ごった煮状態になってしまって、本来自由だったものはいっそう不自由になり、また平等であるべき横の関連にも不平等が生まれ、これが不平等にもかかわらず、平等、平等……とあり難がっているのである。
 そしてこの「型なし文化」は、ご都合主義をはびこらしてしまった。
 型が消えた文化にはびこるものは、単にご都合主義のみである。
 つまり「無節操」こそ、この型なし文化と特徴であり、その根底にはご都合主義がはびこってしまった。
 危険なことである。

 往時の身分社会には混乱がなかったが、ここまで入り乱れてしまっては混乱が生ずるのは必定であろう。
 だが、往時の武家文化には、質実剛健なる清潔かつ質素なる機能美というものが備わっていた。ところが昨今はこれが殆ど崩壊してしまっているのである。また礼儀を尊ぶという所作の行動律も失われ、今日では武道を修練している者でも、これが廃頽し、失われ、また学ぼうとしないのである。
 武の本質は、礼を重んじるところに主眼があったのではなかったか。
 その意味で、わが流の道場生会員を除く、門人間で執り行われている儀礼の数々は、後世に伝えられるべき価値を見出すのである。


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