●竹光製作工程の手順
平武和応流の刀装拵は、世にいう「士魂商才(しこん‐しょうさい)」の俚諺に併せ、昭和40年代初期に学んだ拵術の儀法に則り、今日まで伝承したものである。
なお、一般的には、「武士の精神」と「商人の才」とを兼備することを指しているようだが、それだけではなく、実は武士あるいは武芸者などの武人は、自らの“腕が立つ”という事は、同時に“理財の才”もあり、最低限度の「困らない日常」を過ごしていけるという、“日常生活の経済面にも強かった側面”を云い顕わした言葉である。
また、この背景には、経済的自由があるということを如実に顕している。
かの御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬りの御用を勤めていた山田浅右衛門家の如しである。
詳細は『続・刀屋物語』を参照。
つまり、江戸期に於いては、下級武士が生計を立てるために拵術を学び、刀装拵を生活の予備費に充て、士道を商いに変換しただけである。此処には、人が生きて行くための経済的自由の側面がある。
同時に、竹光を刀身に見立てて削ることは、刀工の気持ちの一部を共有でき、また研師の刀姿造りの気持ちを共有できて、日本刀の刀姿並びに刀身構造がより一層深く理解出来るのである。
かつての武士達が、竹光造りに励んだのは、このことからも能(よ)く窺えるのである。武士は食わねど高楊枝ではなかったのである。立志のための生き抜く道だった。
そして、これもまた武人の生きるための「生き態(ざま)」の哲学だった。
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▲平武和応流拵之術で遣われる道具類の数々。 |
平武和応流の刀装拵の竹光製作は、次の手順の通りである。
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