会 社 概 要 

 尚道館刀剣部は、かつて大東美術商会(昭和48年創設、福岡県公安委員会 第10221号)ならびに大東美術刀剣店(昭和49年創設、福岡県公安委員会 第10221号)の刀剣商の店歴と伝統を受け継ぎ、刀剣愛好者や抜刀術修行者の為に、各用途に合う刀剣を提供する刀剣店です。


●尚道館刀剣部について

 尚道館刀剣部では実用刀剣を商い基準にし、試し斬りなどの試刀術、抜刀術、居合術や居掛之術、馬術軽武具などの鎧通しや短刀などを中心に、これらの古武術愛好者の方々に向けて、販売を始めました。
 日本刀は、古来より武器として製作されて来たのですが、それは同時に日本人の心を伴った、精神的支柱になるべきもので、その背景には日本の高い伝統的技術と精神性を伴ったものです。
 「刀匠」という職人の“わざ”の伝統を受け継ぎ、またこれは文化財でもあります。日本刀は美術的にも高度な技術を持ち、優れていると言うばかりでなく、その歴史から見ても、貴重なものが数多くあります。
 当尚道館刀剣部は、そのまま大東美術商会(昭和48年創設)ならびに大東美術刀剣店(昭和49年創設)の、かつての刀剣商の店歴を受け継ぎ、刀剣愛好者や抜刀術修行者の皆さまのニーズに応えるべき、今後とも親身な販売に努力をして参る覚悟でございます。

 当店で販売している商品は、実用刀を中心にした刀剣売買をはじめとして、手入れ用具、小道具用各種桐箱、刀掛・鍔掛・長押掛各種、下緒各種、房紐、刀袋(拵袋・白鞘袋)、柄糸、その他刀剣用品、脛金・切羽・各種金具などであり、また、甲冑・稽古用居合刀(登録証不要)、その他武具、古美術品、刀剣書籍や武道書籍の販売、刀剣の柄巻や漆塗鞘・拵及び、白鞘等の製作・加工・修理、刀剣の研磨等を承っております。   


尚道館刀剣部・代表

  曽川 あや 美術品商・福岡県公安委員会 第902091110018号


 【曽川あやの略歴】

 昭和60年、曽川和翁の末娘として生まる。高校時代初頭までを滋賀県大津市瀬田で過ごす。
 小学校3年の頃より独学でコンピュータをいじり始める。
 小学5年の時、瀬田の自宅に来訪したバロン吉元先生と会う機会を得た。これを機に多大なる影響を受ける。
 高1のとき、父の仕事で北九州移転につき滋賀県立栗東高校を中途退学。
 以降、ネット部門や作図などの図版部門を担当し、また父親の仕事を扶けて、現在、綱武出版代表ならびに、日本刀専門店・尚道館刀剣部(大東美術刀剣店)代表。
 武道歴は、小学2年より6年までの五年間を河西泰宏先生の許(もと)で極真空手を、そして中学一年より父を師事して、本格的に西郷派大東流を習う。
 総本部尚道館女子部指導員。西郷派大東流合気武術准師範。四段。
 日本刀鑑定と刀装造り修行中。刀剣商。


【趣味】 乗馬


 曽川あや きもの教室 主宰

日々一生懸命に学ぶ……。
 禅語に「花紅柳緑」とあります。紅の花はそのまま紅の花とみて、緑の柳はそのまま緑の柳とみるためには、色眼鏡で見てはいけないとしています。
 心をむなしくして事々物々に接し、気を平らかにして、想い、そして錬る。それが一生懸命と心得ます。

(み)る。一生懸命に鑑る。鑑ることで、心が平静になり、物事が正しく映ります。それが日々精進されて錬磨され、真理がありのままに心に映ずると思います。そこに「一心不乱の美」があると信じます。

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 日本刀は折れず、曲がらず、よく斬れるというのが特徴です。しかし一方で、諸外国では剣は凶器であり、人殺しの道具であり、不浄なものとされています。大陸や半島では刀剣類は薪割りのように転がしてあり、またこれまでの戦争で赤錆びています。
 その刀を日本では、神聖なものとして崇め、芸術性ならびに実用性とともに、最高傑作の美の総結集が日本刀なのです。日本人は日本刀のように美しくありたいものです。
 父の著した『刀屋物語』の一節には、次のような箇所があります。

かつて武家では男子だけでなく、その武門の子女でも破魔の意味で、帯に懐剣を指していた。身分の差なく、武門はみな登城しても男子は脇差しを指し、女子は懐剣を帯びた。脇差しを指す……、懐剣を帯びる……というこの身分を超えた行為は、当時の武士の世界は平等率で運営されていたことが分かる。
 平等率ゆえ、自分の意見や箴言に対し反論で遮られ、それがどうしても我慢ならないときは、自分の脇差しを抜いて上士にも反抗出来た。この反抗こそ、武士社会が間接的に見て、一種の平等理論で運営されていたことが分かる。

 更に、護り刀として短刀をそれに当て、例えば、人が死んだときには胸に短刀を置いて死後の冥福を祈った。刀は御信刀(護身刀あるいは護信刀)の意味があった。護るに足りる信用に足りる霊力を持ったものであった。そう信じる者にその威力は継続されている。
 かつて死者を送る者は、その霊力に縋
(すが)り、あの世での破魔を祈願した。死者に取り憑く悪霊の退散を祈願した。これが送り人の使命だった。  

 日本刀をはじめとする古美術蒐集の世界では、よく安物を集めるなとか、気に入っておりながら値切って買うとか、高価な物を恐れては名品などを手に入れることが出来ないといいます。そのいずれも真理でしょう。しかし資金力の乏しい人に最初からそうした高価なものは購入することが出来ません。安い物でも、何はともあれ、分に応じた、自分の気に入ったものから始めるのがいいでしょう。
 かつて池田勇人総理大臣は「貧乏人は麦を食え」ということをいい、多くの国民からは非難囂々だったとき聞きます。
 これを、父曰く、「あれを批難する方が間違いである。貧乏人は麦飯を喰い、どうしても白米が食べたければ、白米が食べられるように努力すればいい。それで、どうしても麦飯しか食べられないのであれば、麦飯の中にだって麦飯を噛み締めれて食べる愉しみがある。そして衣食足らなければ美術品など、買う資格はない。僅かな金で掘り出し物を掘り当てる掘り出し根性は、美を冒涜する弱者の足掻きで、いかにも浅ましい限りである。刀剣にも脇差しならば、4万円とか5万円で買えるものがある。無銘でも、いいものがある。そういう刀でも楽しめるものだ」と口癖のように申しております。
 刀は日本人にとっては、「破魔」の意味を持ちます。破魔矢の如く、邪なものを駆逐します。
 つまり不浄な物から身を護る護符のような働きがあるのです。
 幸せ販売人として、今後とも精進して参りたいと思います。

尚道館刀剣部代表:曽川 あや    






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