●日本刀を持つということ

 男は日本刀を持つ。これが日本刀をお奨めする持論である。
 また女子であっても、心ある婦女子は懐剣を持つ。これが日本人男女の運に関する考えからである。

 日本刀の特長は、基本的には折れず曲がらず、然(しか)もよく斬れるということである。その一方で諸外国の剣は単なる兇器であり、美意識とは程遠いものがあり、単なる人殺しの兇器でしかない。それに道具以上のものでない。単なる道具であり、一歩間違えば生きとし生けるものの生命を奪う不浄なものに成り下がる恐れもある。
 ところが日本刀はそうではない。
 日本人の精神性の中には、日本刀を神聖なるものとして崇め、その意識に芸術性と実用性を需(もと)めて追求した古人(いにしえ‐びと)の探究心が生きているからである。その技倆(ぎりょう)の集大成をしたものが日本刀なのである。

 心ある日本人は何ゆえに本当を需めるのか。
 それは日本刀が単に刃物という兇器でなく、凛(りん)とした精神になりうるからである。精神の拠り所であるからである。
 刀を鞘から払い、旧くなった油を懐紙で拭き取り、その後、打ち粉で刀身を叩き地肌が出た状態にして青光りする刀身を鑑賞すると、まず場の空気が引き締まり、心が澄み渡り自ずから勇気凛々とした力が漲(みな)って、小さな自我を離れた精神統一が出来るものである。

 日本刀を持ち意義はこの中にあり、日本刀を所持すると「運が良くなる」という道理は、この中にこそあったのである。
 日本刀は人を斬る兇器でない。自分自身の中に棲(す)む邪(よこしま)な魔を斬り捨てるものである。魔が断ち切られて、無明までもを断ち切るのであるから、則(すなわ)ち、運が良くなるのである。これにより魔が退散し、消滅し、そこに本当のものが蘇るからである。

 世の多くは、無明なる魔を背負って、あくせくして世間の柵(しがらみ)を引き摺って生きている。これが則ち、「苦」である。人間が苦海に沈む因縁である。
 しかし、こうした中にいつまでも沈んでいては運は開ける訳はない。
 人生の道理として「浮かぶ瀬もある」のである。
 日本人にとって、日本刀は自身の大切な守り神なのである。まさに神と言っていい。日本人なら一家に一振り、邪悪なる魔を断ち切るために、一振りの日本刀を置きましょう。それにより、あなたの運勢は変わります。魔を断ち切って、運の開花が行われます。


 日本刀について 

日本刀の美しさ

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心の象徴としての日本刀

 日本人は日本刀に対して、特別な思いを抱き、かつ日本刀を「心の象徴」として託して来た歴史が長い。それは日本刀が、単なる武器の領域に止まらないからである。あるいは人を殺傷する為の道具ではないからである。

 日本刀に象徴するものは、心の静寂(せいじゃく)な佇(たたずま)いであり、またそれに附随する礼儀的要素や古来からの為来(しきたり)、あるいは自ら姿勢を正す“神器”としての役割があったからである。そして日本刀は、日本人の文化的背景をシンボルとして、刀剣独特の世界を作り上げて来た。

 日本人にとって刀剣は、“サムライの文化”そのものであり、ここでいう文化とは、単に武力と言うものを用いないで、武の本質を突き詰めた「戈(ほこ)を以て、止(あし)で進む」という、武の世界そのものを指している。困難を切り抜ける際に、戈を以て、「困難に立ち向かう」と言う意味である。

 しただって、サムライの文化の中には、「戈を止める」という崇高(すうこう)なものが生まれ、これは「武」の一文字に象徴されている。つまり、「武」は、民を安んじ、衆を和する為に、戈、つまり刀剣が、この役目を担ったと言うことである。

鉄の技と武の心を象徴する日本刀

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 また日本刀は、美術的かつ工芸的に見ても美しく、その美しさは他に例を見ない。古来より日本人は、刀や甲冑のような武器や武具に至っても、美しさの探究を求め、これを「心の象徴」として大切に扱って来た。
 そこに存在した偽らざる姿は、洗練された“美の世界”のものであった。どこまでも洗練され、しかも、いざっと言う時に機能を為(な)す「実用性」と同時に「美」が存在し、かつ“遣い勝手のよさ”が日本刀に備わっていた。そしてこの洗練され度の世界の中に、日本刀特有の鍛えられた鉄地、美しさを追求した刃文の美。更には時代時代の特徴や、地域と各流派の特色を顕わしているのが日本の刀剣である。

日本刀の名称

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 刀剣は、「刀」と「剣」という二文字から出来た言葉であるが、「剣」は直刀を意味し、「刀」はやがて、弯刀(わんとう)の出現により、「反(そ)り」のあるものを指す。直刀から弯刀に変化するのは、平安時代中期頃からであり、今日に見る“反りのある刀剣”の様式に落ち着くのがこの頃からであり、鎌倉期に入ると戦場での戦い方の変化に応じて、「太刀」へと変化して行く。

新田義貞/鴨下晁湖 筆

 実際に日本刀を扱い、物を斬り、その操法を熟知しておくことが、武術の根源へ向かう最良の道であると考えられる。つまり、日本武術は日本刀の発明により、日本武術が起源したのであるから、日本刀を理解し、これを熟知することが“日本武術の会得”にも大いに役立つというものである。

 日本刀は、これまでの直剣に「反り」を造り、反りの発明によって、日本独自の剣術が誕生した。これは、これまでの中国渡来の「剣(つるぎ)」を改良し、日本独特の「刀(かたな)」という発想をもって、特異な儀法(ぎほう)を構築したことである。

 そして、この中に含まれる中心的な斬り方は、左右の袈裟斬(けさぎ)りである。袈裟斬りでは、切断物体を30度から40度の角度で侵入し、これを斬り付ける。この侵入角が、20度であったり、50度であるのは間違いである。袈裟斬りの侵入角は、飽くまでも30度から40度を厳守すべきである。

 袈裟斬りの基本的な斬り付け方は、わが剣を大上段に振り上げ、振り下ろしてからの侵入角が大事であり、これを誤ると切断物質は斬り付けることが出来ない。切断物質が竹であったり、濡れた巻き藁(わら)であったりしても、侵入角に誤りがあれば、これを斬ることは出来ない。

 また、日本刀に馴染みの無い初心者は、先入観や固定観念から、「日本刀は誰が使っても無差別によく斬れる」といった勘違いをしていることが多いようであるが、日本刀の操作は難解であり、技術の伴わない者が扱っても、その重さに振り回されるばかりで、濡れ藁一束すら、斬ることが出来ない。
 日本刀を使い熟(こな)す為には、相応の訓練が必要なのである。

 そして、日本刀を扱うに当たり、構造や作法に関する知識を深めることも重要である。

 袈裟斬りの正しい斬り付けは、切断媒体に対し、必ず30度から40度を侵入角度を厳守し、あとは「日本刀の理(ことわり)」に任せるのである。そして「引き斬り」をすることが大事である。
 日本刀は刃筋を正し、正確な折り目をつけて理通りに用いれば、必ずその理において斬れるように作られている。こうした理を無視して、自分勝手に腕力などの力で斬ろうとすると、日本刀は切断媒体を斬り付けただけで、「弾く」性質を持っている。これは侵入角度の間違いから起る。

 刀に弾かれることは愚かなことである。また、弾かれた刀は曲げやすく、据え物斬りの経験の少ない人は、よく弾かれて、刀を曲げてしまう。切断物質を切断するということは、弾かれず曲がらないようにしなければならないので、時代劇映画のチャンバラとは異なる。切断媒体が人間であるにしろ、あるいは試し斬りの濡れ巻き藁や竹であるにしろ、大根を切るのとは全く異なっているのである。

紋付袴をもって行う試し斬り。

 日本刀で媒体を切断する場合、「濡れ巻き藁」の場合は、普通、“畳み茣蓙(ござ)”が使われるが、これを竹の心棒と共に巻きつけ、一昼夜、水に浸し、水をよく吸った、切断媒体を垂直に立てて試し斬りをする。この場合の、「畳み茣蓙表の巻き数」は、二枚程度で、ほぼ人間の首の太さになる。
 人間の首を斬り落とせるか、否かは、この二枚の畳み茣蓙を袈裟斬りで斬れるか、否かに懸(か)かる。首が斬れるか否かと云うことは、最後の最後で、介錯をしてやる場合の最終的な目安になるのである。

 俚諺(りげん)にも「武士の情け」という言葉ある。「武士の情け」という言葉の本当の意味は、二進(にっち)も三進(さっち)も進退窮まって、どうにもならなくなり、「もはやこれまで」となった時、生き恥をさらさずに切腹する武士の介錯に関する「情け」を、こうした言葉に託したのである。
 切腹する武士は、ただ自分の腹をかっさばいただけでは、中々死ねるものでない。その為に、「介錯人」を必要としたのである。この介錯をする作法こそ、実は「武士の情け」であったのだ。
 そして、この作法は時代が下ると共に、切腹する武士は、刃を自分の腹に突き立てたと同時に、介錯人は首を刎(は)ねる作法を行ったのである。

 痛みを感じさせずに、苦しませずに切腹する武士の首を刎ねる。これこそが、武家における最大の作法であり、また“武士の情け”であった。その為に、介錯の作法を知るということは、同時に一刀の下(もと)に首を刎ねる据え物斬りの技術を持っていなければならなかった。

 本来、日本刀の刀技は、人間を斬る為に鍛錬するものである。試し斬り用の濡れ藁や、竹を斬るために鍛錬するものではない。試し斬りは何処まで行っても、試し斬りの範疇(はんちゅう)を超越することは出来ない。人を斬ることが根底に確立されていなければならない。
 つまり、日本刀は「人を斬る技術」を持っていなければ、人は愚か、細竹一本も斬ることが出来ないということである。

 これは現代社会から考えれば、些(いささ)か残酷なように思えるが、これくらいの闘志がなければ、この生存競争の烈(はげ)しい人間社会に処して、人より一歩先に出て、あらゆる障害を乗り越え、災難を避け、外敵に勝ち、勝利の道を驀進(ばくしん)することは出来ない。それだけの気魄(きはく)と、闘志は持っていたいものである。

 日本刀は何故斬れるのか探求するのではなく、日本刀で斬る技術を持たなければ、これを用いても斬ることが出来ないということだ。
 素人でも、日本刀を振り回せば、相手が人間である場合、その躰(からだ)の表面くらいは切り傷を負わせることができるかも知れない。しかし、この程度の切り傷では、重症の致命傷や即死に至らしめることはできない。

 日本刀には、例えば袈裟斬りをする場合、最も斬れ味がいい侵入角というものがある。つまり、「刃筋の正しさ」である。刃筋の角度を誤っては、また媒体との間合を誤っては、どんな名刀を用いて斬り付けたとしても、一刀両断に切断することは出来ない。刃筋を誤った角度できりつけると、大方は弾かれ、そして醜く曲げることになる。日本刀はただ打ち込んだだけでは、弾かれて曲げるだけなのである。

 その為に刀技に優れた術者は、まず、敵もしくは切断媒体に触れた場合、茶巾絞(ちゃくんしぼ)りの要領で、柄の手の裡(うち)を絞り込み、それと同時に「引く」という動作を行う。「絞る」と「引く」という動作が伴わないとき、それは単に媒体に当たるというだけのことである。
 更に、当たり、弾かれるという現象が重なったとき、刀は醜く曲がるか、あるいは無慙に刃零して、それが名刀であったとしても、その価値を大幅に減少させるばかりでなく、刀の機能すら失わさせてしまうのである。この最たるものが、「元の鞘(さや)に納まらない」という愚かしい現象である。

 日本刀は、刀法が悪ければ、元の鞘に戻らないのである。
 かつて武士は、切断物質を仮にうまく切断できても、元の鞘に納まらないような斬り方をした場合、それは最大の恥とされた。これは「卑怯者!」と、名指しされたと同じくらいの恥辱(ちじょく)であった。
 本来武士は恥辱に対して敏感であり、日本刀を用いて物を切断して失敗したり、弾かれて醜態を見せた場合、これこそ「卑怯者!」に匹敵するくらいの最大の愧(は)じであった。武士は「愧じ」に対して非常に敏感だったのである。

機能美が備わった葡萄色栗粒塗鞘打刀拵

 昨今は、一部の精神修養団体などで、「武士道」という言葉が、やたらに使われているが、こうした無差別に武士道を標榜(ひょうぼう)する集団の中には、本来の日本刀の姿や、日本刀に託された精神性を知らず、これらだけが一人歩きして、安売りのように武士道、武士道と連発されてているが、これは某新興宗教のお題目とは違うのである。武士道を、やたら連発すればよいものではない。

 人間が人として、武士道を標榜する場合、その背景には、「日本刀の理」を正しく知っているという裏付けが必要であろう。
 また、日本刀の斬れ味を何時(いつも)も鋭くしておく為には、ただ刀の手入れを怠らないということばかりではなく、力学的事実に基づいた、「斬る」という裏付けを完全なものにしておかねばならない。
 つまり、日本刀で「斬る」ということは、逆から力学的に吟味すると、「引き剥(は)がす」ということであり、切断する媒体にかかる圧力が鋭ければ鋭いほど、強ければ強いほど、刃(やいば)の粒子が結合して、切断媒体の分子を引き剥がし、これこそが日本刀の最高の極地となる。

 また、剣技はその据え物斬りにおいて、「引く」という動作と共に、「押す」という動作が加わる。この「引く」の動作と共に「押す」の動作を行えば、刃の粒子が結合した先端では、圧力の増加が物理的に加えられることになり、圧力の単位あたりの面積は、最小限に小さくなり、「斬れる」という現象が起こるのである。

 単位あたりの面積を極力小さくすれば、そこに懸(か)かる圧力は更に増大される。これを現実の武術の世界で述べるならば、重い刀で斬るか、あるいは先の尖(とが)った鋭利な刃物で斬った場合の方が斬れ味が良くなる。それは中国古代の「龍刀」や、三国時代に登場した関羽(かんう)らが使用した「関羽大刀」などはかなりの重さがあった為に、その重量を利用して、人間の首や胴体は愚か、馬の首や胴体まで切断したといわれる。これは重さを利用して切断方法だった。

 ところが、日本刀にはこうした“重さ”はない。重さがない代わりに、ただ侵入角を30度から40度に保って鋭くするだけではなく、これに「引く」あるいは「押す」の動作を加えて、「斬れ味」というものを見出したのである。これが刃に「反り」を持たせ、この反りが斬れ味を生み出したのである。

 したがって、中国の刀剣武器の「龍刀」や「関羽大刀」のように重量がなくても、斬れ味だけで人間を簡単に斬ることが出来たのである。しかし、その裏付けは、やはり刀法に熟知することであった。
 ちなみに、日本刀の2尺4寸前後で名刀といわれる平均重量は約700グラム前後であり、これ以上重い刀は、鈍刀とされた。鈍刀が重くなるのは、素伸刀(すのべ‐とう)に多く、要するに鍛えられてない刀はどうしても重くなる。

 一方、名刀は鍛えられた刀であり、鍛えることにより、鉄分に含む地鉄の中の炭素を叩き出し、炭素量の調節がうまくいっているからである。
 日本刀に用いられる地鉄は、古来より玉鋼(たま‐はがね)が用いられてきた。また、「皮鋼鉄」や「心鉄」は、包丁鉄(ほうちょう‐てつ)という柔らかい鉄が用いられてきた。更に、皮鉄には出羽鋼(でわ‐はがね)を造る際に出る、屑鉄鋼(くず‐てっこう)あるいは包丁鉄を使用して鍛造された物が最も多い。

 こうした鉄鋼に加えて、島根県鳥上村より掘出された砂鉄で造った玉鋼(千草鉄とも)あるいは出羽鋼を用い、更にはひょうたん型の南蛮鉄が皮鉄に使われ、鍛造された。充分に鍛えられて鍛造された日本刀の研地(とぎじ)の肌は種々の文様を持ち、これは素伸の昭和新刀やサーベルに用いられている西洋刀とは根本的に鍛造法が異なっているためである。

日本刀の美しさは、今日でも現代刀として受け継がれている。

 日本刀は単なる殺戮の道具ではなく、世界中の刃物の中でも特異な性質を持っている。日本民族の誇りであると同時に、崇高な精神が宿る神器であり、軽んじて扱うことは出来ない。
 日本刀の刀法を知るということは、その刀の持つ「太刀の徳」によって、自分自身を修め、また、それに合わせて、世の中も治められるような太刀遣いだ出来なければならないのである。

 かつて、兵法の道においては、太刀遣いを自在にこなせる者を「兵法者」と呼んだ。これは弓をよく射る者を射手と呼んだり、鉄砲がうまいものを鉄砲打ちと呼んだり、槍をよく使う者を槍使いと呼称するのとは違っていた。
 太刀をよく使う者を、太刀遣いと言わず、あえて兵法者というのは、太刀、つまり日本刀をよく遣う者を、全武芸十八般を代表して、「兵法者」と言ったのである。そこにはやはり「太刀の徳」があるからである。

 修行者は据物斬りを通して「斬る」ことを修練しながら、平行して日本刀に対する識見を深めていくことこそ、武術家の心得る最重要課題と置いているのである。
 また、太刀をよく遣うとは、単に剣術のみに固執するのでなく、あらゆる武技に通じ、あらゆる武器に通じていなければならない。これは「広く知って、わが道に磨きをかける」ためである。

 道において、貫通するものは、一芸だけではない。一芸だけでは「芸者の芸」で、結局最後は男芸者に成り下がる。そうならない為には、何事も広く知らねばならない。「芸道」に通じている道ならば、そこには共通の根本理念が横たわっている。この共通の根本理念を辿ることで、兵法と共通する一貫した道しるべを辿ることが出来るのである。






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