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西郷派大東流と武士道

■ 《大東流蜘蛛之巣伝》と武士団戦闘構想■
(だいとうりゅくものすでんとぶしだんせんとうこうそう)

●日本人の浮薄・豹変の歴史

 西郷頼母の霊的神性が訴えたものは《大東流蜘蛛之巣伝》に包含された、欧米の搾取(さくしゅ)を基盤にした情報操作の危険であった。欧米は騙(だま)す国家郡の集合体であり、一方的な言いがかりをつけて、東洋人を脅(おど)すという行為を働く人種であるということを訴えた。西郷親子の「毛唐嫌い」は実に、ここに由来する。

 では、この父子の「毛唐嫌い」を齎(もたら)す要因は何だったか。
 それは西洋人が東洋人を「騙す」という事と、民衆を欺(あざむ)く為に巧妙な「画策をする」という事に回帰される。 騙し、画策を企てられれば、真実や真相は歪(ゆが)められ、捏造(ねつぞう)されてしまう。歴史すら、一方的に作り変えられれしまうのである。これが情報の加工であり、情報を操作するということである。
 そして捏造された情報は、民衆を欺きながら独り歩きを始め、それが隠微な集団の意図によって画策された情報でも、自然体の如く、力を持つのである。

 西洋人が東洋人を騙す現象は、近代史の中では、アヘン戦争などに見られる。世界は支配する側と支配される側に分けられる。人類の縮図は、この世界観の中に閉じ込められ、植民地主義や帝国主義が猛威を振るった十九世紀に、それを見ることができる。そしてこうした現実下で起こったことは、領土の奪い合いであり、あるいは領土を割譲するという西欧の暴力だった。その為、国家郡は浮沈の憂き目を見た。
 しかしこれは、自然体の結果から起こったものではなかった。

 どのような民族も、どのような国家も、自然体によって栄枯盛衰(えいこせいすい)を繰り返すのは、まさに「自然の摂理」といえよう。
 ところが、十八世紀以降、欧米の帝国主義や植民地主義が擡頭(たいとう)するに当たり、 おおよそ一つの流脈により、人工的に導かれた痕跡がある。

 つまり近代史は、一握りの隠微な集団が画策する特定の目的や意図によって、誘導された観が否めないのである。こうした観点から洞察すれば、アメリカ独立戦争も、フランス革命も、第一次世界大戦も、ロシア革命も、日露戦争も、第二次世界大戦も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、あるいはその後の湾岸戦争やイラク戦争までもが、一見自然の成り行きで展開されたかのような印象を与える一方、その背景を洞察すれば、明らかに隠微な集団によってシナリオが画策され、戦争に至ったという痕跡が隠せない。少なくとも、自然体の結果から戦争が起こり、戦争終結には戦勝国と敗戦国が袂(たもと)を分け、法外な賠償金を請求され、領土は割譲されるといった戦争処理は、画策者のシナリオ通りに事が運ばれ、一つの方向に導かれたというふうに思えるのである。

 では、シナリオ通りに事が運ばれる発信源は何か。
 これが大衆に発せられる情報であり、 あるいは情報によって一方方向に導く意図として用いられるものである。実際問題として情報は千差万別であり、真相を伝えるものから、偽情報までが含まれる。どうでもいい情報は巷(ちまた)に溢れ、大氾濫(だいはんらん)を齎し、この種の情報は大衆の娯楽と慰安の糧(かて)として消費されていく。

 一方大事な情報は、制限され、それを掴む人は少ない。まして人間や国家の運命までもを変えてしまう重大情報は、殆ど大衆には知らされない。マスコミを通じて報道される情報は、事前に選択され、都合のいいように加工され、それが外部に流れて、差し支えないものだけが放出される。基本的には人畜無害であり、こうしたものだけが意図的に流され、重大情報は知らされぬまま、権力者の手中に握りこまれて外部に漏れることはない。重大情報は、元々多数の知るところではないからである。多数が知らねばならぬ情報は、世論を操作する為に加工された後、大っぴらに報道されるのである。これをマスコミ操作という。

 マスコミ操作とは、情報の内容や公表方法を操作することにより、世論を、ある一定方向に導く意図的な事を言う。あるいは情報過多にさせて、情報氾濫の状態に導き、焦点をぼかす。また、こうしたマスコミ操作がされる時、高度に練られた画策者の計画で、意図的に加工し、大衆などの複数媒体を操作する事である。更にこれが国際規模となると、加工した情報を以て、国際世論を操作する外交戦略などに使われている。

 特に、新聞・雑誌・テレビなど複数のメディアをマスコミ操作を目的に、効果的に組み合せて、これを国際世論の外交戦略や対外戦略に用いた場合、その効果は甚大なものを派生させる。加工された情報で、意図的な方向へ導くのである。
 今日でも、例えばテレビのニュース番組では、最も効果的とされる画策方法としてニュース画像と、切々と訴えるアナウンサーやニュースキャスターの大袈裟な語りで、大衆である視聴者は、心理的に取り込まれ、納得してしまう。また、新聞記事においても、新聞記者の主観が優先し、、主観のままの、意図的な記事が掲載され、読者はこれに従い、納得する。刑事犯罪などで、容疑者として報道されれば、「容疑者イコール犯罪者」となり、容疑者があとの調べで、無罪と分かっても、その後の訂正記事は掲載されない。したがって容疑者は、その後も、世間から白い目で見られる。冤罪(えんざい)の場合も全く同じである。報道機関は、後に解決を見ても、その訂正記事は載らない。

 つまり人間の行動の多くは、前頭葉が意識的に進化させきらない、現代の物質文明に汚染され、爬虫類脳や哺乳類脳に支配されていると言う現実があるのである。
 したがって前頭葉未発達は、自己変革のチャンスが屡々(しばしば)失われるという極致に追い込まれるのである。そして爬虫類脳と哺乳類脳を制御できない現代人は、知性に満ちず、穩やかでなく、金銭至上主義に走って、不摂生を繰り返し、不健康を身に纏(まと)い、こうした醜い姿で地球に君臨しているのであるから、人間の行動原理は、常に動物的であると言えるのである。

 この、社会を構成する各要素が結合して、有機的な働きを有する統一体に、マスコミ誘導の論理を当て嵌(は)めればどうなるか。つまり群集誘導の為に、情報操作がなされればどうなるか。
 こうした追求に至った時、もし、誘導が発生する不安心理状態の、この中に存在すると言う事が分かる。では、その不安心理になりうる起点は何処にあるか。
 それはテレビのニュース番組の、ニュース画像と、アナウンサーやニュースキャスターの「語り」であるという事が分かるであろう。ここに意図的な差し金が入り、それに誘導されれば、結果は見えたものになる。
 例えば、大地震などの天変地異が発生すれば、ここにもし、偽事情を流した場合、群集の大混乱は避けられない。情報によって動き、情報によって、その後の行動が決定づけられてしまうのである。ここに大衆コントロールの原点がある。情報優位の論理である。

 昨今では、こうしたマスコミ操作が加えられる時、様々な心理学上の高度な理論が用いられ、大衆誘導に巧妙な論理が取り入れられるという。 広告代理店の話によれば、テレビコマーシャルの広告放映時間は20秒、30秒、60秒、90秒、120秒などの様々な放映時間があるということであるが、最も多いのは90秒という時間が多いといわれる。おそらく「90秒」という時間が、人間に最もよく吸収される時間単位から、効率的に、これが多く選ばれているのであろう。大衆心理を巧みに読み取った、仕掛人側あるいは企業側の広告担当者の利潤追求を狙った思惑といえよう。

 また、予測不可能と思われる、事故や暴動の予測に「カオス理論」が適用されているという。
 数学上のカオスの定義によれば、決定論的な予測不可能な系(system/ 一定の相互作用または相互連関を持つ物体の集合)が挙動の発生を促そうとする時、この現象を「カオス」(chaos/初期条件のわずかな時間差が、長時間後に大きな違いを生じ、実際上、最終的結果が予測できない予測不可能な現象を指し、特に流体の運動や生態系の変動などに見られるとされる。混沌の意)という、と定義がなされている

 この定義は自然科学的に見て、一見矛盾しているように思われるが、その理由は決定論的な系であるにも関わらず予測不可能としているからだ。
  決定論的と定義しつつ、未来を厳密に予測出来ないと云う矛盾を合わせ持っている。ところが過去の状況も、未来の状況も、一意的に特定することが可能になるという。 ただし、初期条件を正確に求めるという作業は、かなり困難であることは云うまでもない。
 しかし現実的には、むしろ不可能といえよう。それは初期条件を測定する測定装置の精度の問題に関わり、系では初期条件の誤差が瞬(またた)く間に、時間と共に増幅され、初期条件から無限に枝別れした計測値は予測不可能な状況に陥ってしまうからである。こうした予測不可能な現象を数学上では「カオス」と定義されている。

 一方、カオスは非線形な系に特有な現象を有する為、現実に存在する系は、殆ど総てが特定の形を通しない非線形であり、現世と言う、この世界はカオスに満ちあふれているともいう。非線形の奇妙な形が、はじめて描かれたのは、今から90年ほど前の20世紀初頭のことであり、当時フランスで活躍していた数学者ガストン・ジュリアは「ジュリア集合」を発見した。
  彼は写像反復理論を研究した人物で、複素平面における有理関数の膨大な計算をこなし、これに研究に没頭したと云う。

 ジュリアが描いたジュリア集合には、カオス的な挙動を示す特別な「境界点」があり、近年、この境界点に注目して、研究が進められ、コンピュータ発達後、この不規則で非常に複雑に見える現象が、今までは非連続で、総体としてはバラバラな挙動を示していた予測不可能な現象が、簡単な方程式で導き出せるとするのが「カオス理論」であるという。

 カオス理論は、今や物理や工学の分野だけではなく、生命科学や社会、人口構造や経済、国際政治動向や大衆の集団心理の動向分析の分野にも広く適用されているという。
 かつて戦前戦中の日本には、「治安維持法」(左翼思想家や反戦主義者を取り締まった法律)という法律があったが、これは大衆の反戦論に対する警戒を意図して作られた法律であった。こうした法律下と同じ社会構造が明日にでも出来上がり、大衆監視の目的で展開され、カオス理論によって、監視される世の中が作り出されるとも限らないのである。もはやそうなれば、暴動は愚か、反対集会や抗議デモすら、事前に予測されて封じられてしまうのである。ここで大衆は、異論を唱えたり、権力に反抗する、自由の「牙」を抜かれてしまうのである。
  その一方で、新世界秩序樹立のために、大衆が管理・監視される社会の出現は、カオス理論によるところが多いと予想されている。

 そしてこれが、一部の特定のマスメディアによって、マスコミ操作や大衆誘導に一度(ひとたび)遣われれば、ある一方方向へ、意図的に人類を誘導して行く事も可能になるであろう。それだけに権力者や権威筋、あるいは、ある一定の意図を持った隠微な集団の画策装置として、これが握られてしまえば、非常に恐ろしい理論となることは間違いなかろう。

 人間の前頭葉未発達を指摘し、現代人が未だに知性体でなく、混乱や社会的混沌が現れた場合、爬虫類脳や哺乳類脳に支配されると言う事を指摘しているのである。こうした支配に強要されるのは、一般大衆であり、一般大衆と言う存在は、情報操作によって、納得させられる結論を、予(あらかじ)め最初から用意された社会の縮図の中で、意図的にコントロールされている疑いが非常に濃厚なのである。その意味では、「教科書を考える会」の報告では、小中学校の教科書にも、その兆候が見られると警告している。

 現代社会と言う現象人間界の行動は、ある程度予測が計算された確率によって支配がなされ、流行やファッションなどの、実際上結果が予測できる計算の上で展開されている。またそれにより、仕掛人の思惑が働き、殆どが計算された意図で誘導される。予測不可能が、コンピュータの発達で、予測可能な範疇(はんちゅう)に入ったのである。既に、一種の「ミニ・カオス理論」が何処かで展開されているのかもしれない。

 現象人間界は、相対現象として副守護神(物質界を司る)と正守護神(精神界を司る)が対峙して格闘し、格闘の中で、副守護神に軍配が上がる物質至上主義で現代社会が動かされているのである。
 物質至上主義や金銭至上主義は、副守護神が支配する世界では濃厚になり、逆に精神文化を司る正守護神の世界は希薄になる。
 人が、金や物や色に耽ると言う現象は、こうした副守護神旺盛の世界を克明に顕わし、その縮図の中で、人間は前頭葉未発達の儘(まま)、病気を煩(わずら)い、景気の変動や経済動向に右往左往し、穩やかで、安らぎのある知性の存在する、平和な世界のある事を見落としているのである。

 物質や様々な制度に依存し、それに依存する愚かさに気付かず、権力の持つ力に魅了されている。あるいは有識者や進歩的文化人の権威の持つ力に、まんまと踊らされている。意図的にマスメディアで誘導されている観が強い。世の中をリードする、仕掛人の画策にも敏感に反応する。そして誘導や煽動に、現代社会の混沌とした現実を見る。

 大衆は元来、無垢(むく)な存在である。 白紙に、権威の誘導が意図的に行われれば、それは権威の意図に染まる。明治初頭の、福沢諭吉の「脱亜入欧」もそうではなかったか。
 亜細亜という東洋の哲学や思考を捨てて、西洋という優れた科学万能主義を導くことにより、西欧化され、これを「文明」と考える指向へと、大衆を導いた。それが、「学問のすすめ」であった。
 そして福沢の言う「学問」とは、東洋哲学を指すのでなく、西洋のギリシャ以降の今日の西洋の基盤をなした、西洋哲学に導かれた理論であった。

▲青年期の福沢諭吉(咸臨丸で渡米の頃と思われる)

 西洋が、明治維新後、福沢諭吉らの欧米推進派の手によって日本に持ち込んで来た、「右回りの拡散・膨張」と言った物質文明は、実は日本人から精神性を一掃する事であった。中世の封建制度を壊滅する代わりに、それに代わるものとして、西洋の物質至上の科学文明を導入し、これを社会システム化する事ではなかったか。ここに欧米推進派と民族改革派の対立があった。

 これは咸臨丸(かんりんまる/徳川幕府がオランダに発注し建造された軍艦で、原名ヤパン号)でアメリカに行った「遣米グループ」(欧米推進派)と、西郷隆盛(さいごうたかもり)や板垣退助(いたがきたいすけ)、江藤新平(えとうしんぺい)、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)、副島種臣(そえじまたねおみ)といった「征韓論」【註】李氏朝鮮以来、尊敬の念で交流していた朝鮮政府に、西郷隆盛らは平和と友好を唱えて運動していたが、後に事実とは全く逆の、「強硬な征韓論者にされたのは、何者かの作為があったことを物語り、今日においても日本史の謎である)敗退グループに分けられる。
 敗退グループは、征韓論に破れ野に下るが、民族改革を目指し、草の根運動で奮闘する。
 一方、遣米グループは時代をリードして、後に日本を動かす明治新政府の中枢を担うようになる。

 嘉永六年(1853) 、ペリーが浦賀に砲艦外交に来て以来、日本中は蜂の巣をつついたようになった。万延元年(1860)には、永政五年(1858)に調印した日米修好通商条約(関税自主権の欠陥や領事裁判権の容認など、日本に不利な点が多く、長くその弊害を残した不平等条約)がアメリカで批准されることになり、日本初の遣米使節団が派遣されることになる。
 この年、勝海舟は木造船「咸臨丸」を操って太平洋を横断し、外国奉行・新見正興(しんみまさおき)らを、条約批准のためにアメリカに送った。

 その一行の中には、福沢諭吉も含まれており、熱狂な西欧崇拝主義者となった福沢は、その後の文久元年(1861)に幕府使節団と共に渡米し、福沢は合計三回渡米している。帰国後の1865年には慶応義塾を創設した。更に翌年の1866年には『西欧事情』を著し、活発な啓蒙活動を展開した。また、この年には再び渡米し、自分の生涯をかけて西洋文化の普及に努め、この功績が讃えられて現在の一万円札になっていることは周知の通りである。
 日本史の教科書でも、参考書でも福沢を讃える功績のトーンは一際(ひときわ)は高く、日本の旧習を打倒し、西欧の近代思想と近代科学を日本に持ち込み、特に、イギリス流の功利主義を導入したことは「日本近代化の父」と称されている。

 ところが福沢はアメリカで培養されたフリーメーソンであり、明治の日本に西欧崇拝思想を植え付け、「脱亜入欧政策」のもとで、帝国主義的植民地政策を推進させた元凶であった。
 もちろん福沢は、生涯在野人であり、明治新政府の中枢に立脚したことはない。しかし、相次ぐ遣米使節団のメンバーであり、同行した使節団の中には時の政府の大物が同乗していた。岩倉具視(いわくらともみ)をはじめとして、大久保利通(おおくぼとしみち)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、木戸孝允(きどたかよし)、大隈重信(おおくましげのぶ)、井上馨(いのうえかおる)、西園寺公望(さいおんじきんもつ)といった重臣達であり、文明開化思想運動を展開した森有礼(もりありのり)をはじめとする明六社(明治六年に創設)のメンバーも含まれていた。また、渡米した全員は、フリーメーソンとして帰国している。

 ちなみに、欧米推進派というのは、国際派を主張し、国際協調主義を貫き、日本精神を軽視してアメリカを礼賛(らいさん)する思想の持ち主を言い、民族改革派は、まず日本人の日本精神復活を目指し、親アジア主義と説き、民衆啓発を実行して、現状憂慮の意識を持っている持ち主を言う。

 また欧米推進派の特徴は、 フリーメーソンやユダヤの代理人といった、日本隷属を企てる者達であり、日本の国家の中枢に位置している官僚や政治家である。そしてアメリカ礼賛からも分かるように、唯物的物質至上を、自然科学の中で企てる連中である。
 物質至上主義における科学文明は、人類に前頭葉の発達を阻害させ、知性の成熟段階を逆行させたと言える。そして今や、この科学文明は行き詰まりを見せ、暗礁(あんしょう)に乗り上げた観が否めなくなった。

 人間が病気になるのも、こうした前頭葉未発達から起る現象である。
 一例を挙げるならば、高血圧や動脈硬化になり易い者は「感情的で激怒し易い人間」に多く、この病因は爬虫類脳のR領域の活動が現象化したものである。また胃潰瘍や膵臓炎などの消化器疾患は、哺乳類脳の辺縁系活動が制御不能になっている為である。更に、現代病と云われるストレス病や神経症に至る自律神経失調症、また鬱病(うつびょう)などは、現代と言う物質文明が齎した、便利で、快適で、豊かな文明の恩恵が原因だった。そして、様々な過保護が、前頭葉の発達を阻害した結果から顕れた病気である。
 これらはいずれも、前頭葉の発達が阻害されて、辺縁系やR領域を充分に御制御できなかったと言う、現代人の未熟に起因しているのである。

 十九世紀後半から二十世紀にかけて、世界は地球規模で大きな変革を迎えた時期であった。かつての封建社会に見られた支配階級と、奴隷的かつ国家的な制約と無知は取り払われ、中世の汚物は悉々(ことごと)く排除された。
 ところがこれに代わって、物質至上の科学文明が入り込んだ。

 現代という時代は、物質至上を実現することで、「科学」と言う名のバベルの塔を作り上げたのかも知れない。バビロンでの、ノアの大洪水の後、人々は今度は天を目指して高塔を築き始めた。その時、神は人間の自己神格化の傲慢(ごうまん)を憎み、人々の言葉を混乱させ、その工事を中止させたという『旧約聖書創世記』に出て来る愚行は、まさに現代に置き換えても言い当てられる事ではないか。
 バベルの塔での結末は、『旧約聖書創世記』に記され、物質至上の科学文明は、自らの重みと、歪みによって壊れ去る運命を包含しているのである。もしかすると、前頭葉の未熟さは、自らの大脳及び神経系をコントロールする事が充分に行えない現代人に言い当てられているのではないか。

 こうした制御不充分は、屡々(しばしば)R領域ならびに辺縁系からの侵略によって、人間は時して動物化し、醜い獣性(じゅうせい)に変貌することを顕わし、対外的には戦争を起こし、あるいは個人的なトラブルを起こし、対内的には現代病と云われる、ガンに代表される諸々の難病・奇病に悩まされているのではないか。
 物質の持つ力のみを崇拝し、唯物弁証法で迫る自然界の解析をこの活用に求め、仮に一時的に対外的関係の均衡は保ったとしても、それは一時的な解決に終始したという愚を思い知らされるであろう。そして現代人は、真の霊長類として地球に君臨するには、余りにもおぞましい存在である。

 例えば、『聖書』に記さレている「ハルマゲドンの戦い」が、各人の大脳の各領域の葛藤(かっとう)として表現されるところの、人間という実態が、「苦悩」と「疾病」の災いであったと言うのが、現代人に見る、その現れでないかと、疑いたくなるのである。そしてこれが実行されれば、目を覆(おお)わんばかりの惨状は免(まぬ)れることができないであろう。

 要約するならば、人間という生き物は、「災い」を包含して生まれて来たと言えよう。
 その証拠に、パウロの黙示録には、

  人間は災いなり、
  罪人は災いなり、
  なぜ、彼等は生まれてきたのか。
                 とあるではないか。

 さて、日本人の浮薄性は、一体何処から起るのか。
 日本人が欧米と言う外圧に負け、歴史の中で浮薄を繰り返した時期は、少なくとも二回ある。
 一つは明治維新下の福沢諭吉の「脱亜入欧政策」であり、もう一つは太平洋戦争敗戦時からアメリカの意向で、今日の日本国憲法を公布した昭和21年(1946)11月3日の出来事である。

 明治維新は、封建制度と徳川幕藩体制の打倒を狙って決起したものであったが、結果的には民主主義導入を目論んだものだった。ただ西欧のそれと異なるのは、西欧では、民主主義を実現する為に人民は自ら進んで血を流し、専制君主制の王政を打倒したのであったが、日本はこれとは逆に、前近代的な天皇制を導入したのである。天皇制は「大日本帝国憲法」発布の時にも関わり、「日本国憲法」発布の時にも関わった。

 つまり二回の西欧の外圧によって、民主主義に便乗し、民主主義の裏に潜む衆愚政治の悪用を目論んだのである。なぜなら民主主義は、個人の確立した知性がなければ、この社会システムは正しく作動しない。加工された情報コントロールにより、幾らでも大衆をコントロールできるからである。

 情報は加工され、コントロールされるというのは、今では常識となっている。
 しかしこうした情報も、新聞やテレビとなると、喩(たと)え加工されていても、それを安易に信じてしまうのが大衆のもたらす群集心理である。浮薄性の大きな国民ほど、こうした情報にコントロールされ易い。その浮薄性と言う、浮き足立った情報に撹乱された時期が、日本人には、少なくとも二回襲っている。

 周知のように徳川幕府が崩壊したのは、西南雄藩の代表格である薩摩と長州を中心とする二藩と、それに便乗した叛乱下級武士と、禄(ろく)から外れた一部の牢人(浪人)の暴動によってであった。この暴動によって徳川幕府は、1867年に簡単に崩壊する。此処に日本人の浮薄性を見る事ができるが、本来ならば徳川家に御恩と奉公によって忠誠を尽くさねばならなかった旗本八万騎(実際には旗本と御家人を合わせて二万五千人弱程度と云われるが)は一体どうしたのかということだ。
 また、徳川幕府が弱体したとはいえ、徳川家親藩や譜代の大名を合わせても、十万は下らない徳川家臣団はどうなったのかということだ。

 こうした現実を歴史の中で見ると、日本人が忠誠心を持つ民族(実際には日本人に「民族」としてアイデンティティはない)で無い事は明白であり、日本人は浮薄性に、常に揺れ動く人種であると言う事が分かる。
 日本人は、日本人として「同胞」という意識に薄く、同一性を有しない人種の集合体であると言う事が分かる。その事は、歴史が如実に物語り、日本人は本来忠誠心の薄い、義理人情の淡白な人種と言えるのである。

 江戸城開城は、積極的に徳川幕府が滅ぶように仕向けた勝海舟(かつかいしゅう)の仕業ではなかったか。
 また、太平洋戦争末期、日本が敗戦の色を濃いくすると、敗戦に向けて動いたのは影の立て役者と言われた米内光政(よないみつまさ)ではなかったか。
 両者は、近代日本史の中では「無血開城の功労者」として評価され、また、「太平洋戦争終結の功労者」とされているではないか。

 日本人を振り返り、「忠誠」と「忠義」という観点だけに限って評するならば、この人種は、本来「忠誠心の強い民族だ」と言う事は出来ない。
 では、「忠誠心の強い民族」ではない日本人が、現在諸外国で展開している企業に対して見た場合、いかにも「忠誠心が強い」というように映る。これは何故か。

 それは日本特有の「終身雇用制度」によるものだ。あるいは年功序列賃金体系によるものだ。
 これが今日、日本に於ては、「特殊日本型労使慣行」を実現させ、年功賃金体系と終身雇用と企業内組合制度が日本型労使慣行を支えているのである。
 以上の事実があるからこそ、学生は大企業へ、大企業へと殺到するのである。あるいはキャリア官僚をはじめとする公務員へと殺到するのである。理由は、職場として安定していて、生涯潰れる事がなく、安心して働けると言う絶対的信頼によって、このように考えられているのである。

 終身雇用と言う思考が、既に時代遅れになっている観があるが、今でも日本人の圧倒的多数が、終身雇用制度に信頼を寄せ、万古不易を信じて行動している事は確かであり、この考え方があるからこそ、親は可愛い我が子に塾通いさせ、一流大学志向の受験熱に入れ揚げるのである。またこの考え方は、今日でも揺るぎないものとなっているようだ。
 一旦就職をすれば、不詳事や大きな失態を侵さない限り、定年前に、一方的に解雇される事はない。だからこそ、不詳事や失態を侵さなかった、可もなく不可もない無能社員は「窓際族」というグループに追いやられ、定年まで雇ってもらう「暗黙の了解制度」があるからである。
 ところが欧米人ならば、窓際族グループに追いやられる前に、自分の「馘」を心配するだろう。
 こうした日本独特の制度の中に、日本人は江戸時代以降、染まったと言えよう。

 非武装国家の成立は、格闘するべきはずの人生に、かくも安全圏で保身を図る、不忠不義者を培養したと言える。これは一方に於いて、日本人の「忠」と「勇」の乏しさを植え付けたと言うことであり、十九世紀に、西欧列強が東漸して来た時、アジア諸国は長い間混乱と内紛に陥り、近代化が遅れると言う結末を招いていた。そして日本も、植民地の危機に見回れていた。

 日本は辛うじて主権国家を標榜(ひょうぼう)したが、その国体は「田舎国家」そのものであった。日清・日露の戦争を経験し、「出る杭(くい)は打たれる」式で、今度はアメリカにも狙われ、日本列島を焦土に化す現実を招いた。
 戦前から戦中にかけて、掲げられたスローガンである「八紘一宇」や「神国日本」の主義主張は、敗戦と同時に一蹴(いっしゅう)され、日本の軍人や官僚は易々と降伏し、翌日からその態度を一変させた。
 天皇の命令(天皇に与えられた統帥大権であるが、実際にこれは使われなかった)によって、一円五厘の赤紙で大衆を徴集し、戦場に送り込み、大東亜戦争を企てた戦争指導者であった高級軍人達は、敗戦によって自決する事もなく、おめおめと生き残り、今度は天皇の意向に下(した)がい、平和な民主日本の建設に邁進(まいしんする)するというポーズに、その姿を豹変させた。

 日本人の歴史は「豹変の歴史」である。
 日本の歴史を振り返れば、原始古代から現代迄の間に、何度かの大変革を記録している。変革が行われる度に、日本人は「浮薄性」を繰り返した。
 大化の改新の時も、平城京から平安京へと遷都(せんと)した時も、貴族中心の平安時代が終焉(しゅうえん)を告げ、武家政権の鎌倉幕府が成立した時も、豊臣の世が終わり徳川幕府が完成して非武装国家を標榜した時も、明治維新で外圧が日本を呑み込んだ時も、鬼畜米英(きちくべいえい)と敵国を標榜して大東亜戦争でアメリカに敗れた時も、日本人はの「忠」と「勇」を捨てて、豊かさと便利さと快適さとを引き換えに、物質的な幸せを選択した。心が豊かであるよりは、物財に取り巻かれる、物へのこだわりの方を最優先させたのである。

 多くの日本人は、日本の過去の伝統と精神文化に忠義を尽くすより、外来の文化に入れ揚げ、物質的な恩恵を最優先させたのである。日本人一般大衆は、悪しき個人主義に趨(はし)り、他人より少しでも先に抜きん出る競争原理の中で、どうしたら物質的かつ金銭的に豊かになるか、こうした生活の模索に余念がなく、それを熱心に、生涯をかけて奔走するのである。

 「命を張る」ことを忘れた日本人は、「忠」と「勇」の欠乏から、外国から馬鹿にされる経済動物の道を選択した。その結果、外圧によって脅されれば、幾らでも金を出すと言う丸腰外交を展開している。特に、北京政府の圧力には屈し易い外交を展開している。
 それがまた、華僑(かきょう)の経済雑誌に、「日本人は強者に媚(こ)びを売り、弱者を見くびり、外見で人を判断し、あるいは日本国民の多くは、北京政府の独裁者に金を貢ぐだけの三流・四流政治家(共産党を除く与野党の政治家を指すのであろう)しか選ぶ能しか持たず、国旗への意識も忠誠心もなく、国家百年の計よりはマイホーム主義に入れ上げ、自分だけのこじんまりとした小人数家族を構成して、悪しき個人主義を謳歌し、金銭に抜け目のない世界最低の経済動物」と評させた。

 日本人は「寄らば大樹の陰」を好む国民である。保身を図る為にはいかようにも変化(へんげ)し、明日のことより今日のことを最優先する国民だ。
 自分の家の冷蔵庫だけに食べ物が溢れ、こじんまりと核家族化し、マイホームが平和で家族が幸せであれば、それに越したことがないと願う国民である。そして夢とは別に平凡を好み、物質至上の豊かさと、飽食に明け暮れる毎日とを引き換えに、わが魂を黄金の奴隸に売り渡し、一方に於いて、先進的には前頭葉未発達の儘、外国から馬鹿にされる道を選択したのである。
 まさに現代は、日本人にとって「魂の枯渇」の時代であるといえよう。

  「強い者に媚びを売り、弱者を侮る……」あるいは飽食の時代を酷評して、「美味しい物を口の中に入れる為に、他人の家の米櫃(こめびつ)に勝手に手を突っ込み……」と言うのが、外国から見た等身大の日本人像なのである。
 もし、《大東流蜘蛛之巣伝》の中で、西郷頼母が訴えようとしたところは、こうした未来の、日本人像の衰退ではなかったのだろうか。


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