■ 御式内礼法・武門の心得 ■
(おしきうちれいほう・ぶもんのこころえ)
●態度の示す礼儀正しさ
礼儀を心得ている者は、己の強さを敢えて人前で誇示する事はしない。誇示すれば、それが傲慢になるからだ。傲慢になれば謙虚さを失い、慎みを忘れる事になる。慎みを忘れれば、それは同時に礼節を失う事になる。
したがって人としての態度は、常に謙虚さを忘れないと同時に、慎みを持ち、敵にも、相手にも、分け隔てなく礼節を尽くす事である。礼節を尽くすと言う事は、自他同根の意識から始まり、自分以外の他者に対し「敬意」を表す事である。これが出来ない者は、単に自分の武技の卓(す)ぐれた事に優越感を持つ、単なる獣に過ぎない。
武の道を志す者は、強さのみに固執する事なく、他者に対しての遇し方が問題となるのである。武士道の教えるところは、困難に立ち向かう事を本義とし、死を恐れる者に代わって、自ら先頭に立ち、捨身をもって決断を下し、これを遂行するところにその偉大さがある。西洋の騎士道では、こうした、率先して人民を率いる指導力をリーダーシップ(leadership)と言う。
このリーダーシップには指導する者の、指導者としての資質や能力や力量があらわれ、統率力となる。
また、この統率力こそ、日本武士道の目指す、全人格を表現して有事に当たる態度である。武士道では、一度事が起れば、我が身を顧みずことに当たる気構えを高く評価する。
一般に武士道と言うと、『葉隠』論語の冒頭を取り上げて「死ぬ事と見つけたり……」などと、安易に答える者がいるが、この評論は大きな誤りである。
何故なら、武士道を貫く古人は、決して人の命を粗末に扱わなかったからだ。
武士道は江戸中期に至り、益々磨きが掛かり、道徳性や倫理性を高めていくが、武士そのものと、武士道を実践する者とは根本的に異なり、必ずしも武士道の実践者が武士であったとは言い切れない。そして、そもそも、江戸時代における武士は、人間の命を一種の消耗品として考える兵士と言う考え方はしなかった。したがって武士はこの時代、軍隊で言う兵士ではなく、身分制度の士・農・工・商の頂点に居た、僅か7%の階級層に過ぎない。7%の階級層が外国を相手に戦えるわけがなく、幕末期、日本に開国を迫って押し寄せた欧米列強に、武士階級は手も足も出ず、悉々(ことごと)く敗れているのである。したがって武士は当時、軍陣でもなく兵士でもなかったと言う事が分かるであろう。
武士道に精通し、これを理解する者は、まず、人を犯さず、また、人に犯されずという事を標榜し、各々の立場を尊重した礼儀の実践者でもあった。後世の軍隊に見られるような兵用の徒ではなかったのである。
明治維新以降、日本は西洋を模倣して西洋式軍隊を組織するが、軍隊で考える兵士は、一種の消耗品であり、消耗品は教練と言う戦闘術は学ぶが、彼等は一個の人格として「育てる」という次元では対象外の人間であった。言葉の上では、兵士を教練するのに兵士教育と言われたようであるが、それは鉄砲玉同様の戦士教育であり、道具として「しつけられた」までであり、武士道で言う人格教育のそれとは大きな隔たりがあった。
人格教育の基本は「育てる」ということであり、その目標は統率力のある指導者を養成する事であった。行動の目標や指針を明確にし、これを大旆(たいはい)と掲げ、群れを率いるリーダを育成することを、日本では武士道の根底に置いていたのである。統率者は率先してその先頭に立ち、全人格を代表して死地に向かうことも恐れるものではない。
そして、死は避けるものでもないし、逃げるものでもない。
人間は死に対して、率直に受け入れ、まずは死に対して、「今」という次元での「生きざま」を凝視しなければならないのである。「今」の凝視を忘れた者には、明日の栄光など、訪れるはずがないのだ。
「今」を凝視できる者は、また態度が立派であり、そこには自分の姿を映す心の鏡が存在しているのである。この鏡に映した自分の姿は、毅然とした自分がそこにあり、毅然こそ自分の信念を押し通す、大きな力になるのである。
こうして身に付けた力を、万民の為に使う。ここに慈悲の心があり、同胞に対して手を差し伸べる慈悲愛が存在するのである。
武士道を全うする者にとって、最も大事な事は「不言実行」であり、口にした事は必ず実行するという事である。口にした事を「必ず守り、これを実行する」という、こうした人間の行為は、また言霊を一致させるという事で、これは礼法にも通じ、ここに礼儀正しさが存在するのである。
礼を実行する者は、心に「静」を求める事が出来る人間であり、その魂は人が自ずと頭を下げ、尊敬に値する魂を所有している事になる。何故なら、「礼」は魂に対して「頭を下げる」行為であるからだ。
つまるところ、個人であれ、集団としての人間の行動であれ、これまで武門の礼法とされたのは「他人に迷惑を掛けない」という事であり、これは作法云々の以前も常識的な心掛けであるが、あえて武門の礼法からすると、それは裏を返せば「他人の気持ちに敏感である」と言う事であり、即座にその「心の裡(うち)を読み取る」と言う事に繋がるのである。したがって他人の気持ちを敏感に読み取る者は、同時に他人との摩擦を避ける事を心得ている人間であり、こうした態度が「慎み深さ」を養っていくのである。
人間の心を養成する学問に「心学」なるものがある。
これは江戸時代に神道、儒教、仏教(特に禅を基調した)の教えを共に融合してその教旨を社会教化の為に道話を用いて修練を目的とした「陽明学」などであった。この修練の為には、「静坐」を重んじ、静坐を通じて自己を省み、同時に己のみを糺す修練でもあった。
こうした社会教化の為の陽明学等は、石田梅岩(いしだばいがん/江戸中期の思想家で京都に講席を開いた。石門心学の祖)を祖とする石門心学に始まり、手島堵庵(とあん/江戸後期の心学者)、中沢道二(江戸後期の心学者で、手島堵庵に学び、江戸に出て参前舎を開き、心学道話を講じた)に伝えられ、さらに柴田鳩翁(きゅうおう/江戸後期の心学者で、手島堵庵の門人に学び、諸国を巡遊、心学の講筵を開いた)に至って大いに拡張された。
一方、禅は「身学」とも称され、身を学ぶ修練の場を禅僧達は「道場」と称した。身学も心学も「坐る」ことを重んじ、また起居振る舞いの姿勢を重視した。人間の起居振る舞いは、その姿を見ただけで、心の裡側が覗け、その者の大方の実力は検討がつくはずである。
これを逆に考えると、そう云う修練をした者でなければ身も心も修養不足であり、「勝つ」ことだけにこだわって武道をスポーツのレベルで考えてしまうと、個人が武術の中で遺した貴重な遺産を、ドブに捨ててしまう事になるであろう。
●礼儀とは、まず名を名乗る事である
名前を名乗らぬ事程、無礼なことはない。
自分に甘く、人に厳しく、無理難題を突き付ける人間ほど、無礼を平気で働き、自らを顧みる能力がない。つまり本来の無能とは、こうした人間の事を言うのである。今日、世間流で言われている、金儲けの出来ない人間や、貧乏に甘んじる人間を無能と言うのではない。自らを顧みる事なく、「自分とは何か」の探究に疎いものを無能と言うのだ。
人は他人の事にはとやかく云うが、自分の事になると、意外と甘く、そして疎い。人の揚げ足を取るが、自分の事は棚にあげる。ここに「自分知らず」の現実がある。そしてこの根底に流れている自分流の理屈は、「自他離別意識」であり、自分に甘く、他人に厳しいという事である。
この感情の激しい人間ほど、無知から無礼を働くものなのである。
無礼にも名を名乗らず、本名を隠し、匿名(とくめい)を以て、他を誹謗中傷する人間を無礼と言い、卑怯者と言うのである。しかしこう言われて、ピンと来ない鈍感な日常生活を送っている現代人も少なくない。こうした中に、いっぱしの理屈を掲げ、武術や武道の愛好者も少なくない。
人の行う行為に、名を名乗らぬ事ほど、無礼な行為はない。
武門の礼法では、まず正々堂々と名を名乗り、次に住所を告げる事がその礼儀の基本とされた。名前を告げ、住所を告げる事は言語動作に於て、武門では基本的な動作であり、これを第一番目に明確にしたものである。また、名を名乗らない事が恥とされた。
武門の行動律は、総べて「恥じ」に回帰される。恥辱に対する感覚意識は非常に強く、「名前を名乗らない」という行為は、「最低の人間の振る舞い」とされ、名を名乗る事が、まず恥辱に対する回避の第一歩であったのである。
武門で言う「恥辱」とは、単に相手から侮辱を受けた時のみを指すのではなく、自分自身も恥辱に値する行動をとった場合に、それを「恥じ」としたのである。
人に笑われる、侮辱を受ける、落ち度を指摘されるという根本には、まず自分自身が「恥じ」とする行動をとっていないか否かを考え、これに心当たる事は、武士にとって自分自身の人格の否定でもあったのである。
そして武士にとって、「卑怯者」とか「腰抜け」と言われるのと同様に、名前を名乗らなかったり、住所を明かさないと言う事が、大いに恥とされたのである。
最近は「匿名」という、アメリカ流の無態な行動律が日常茶飯事のように反乱している。誰もが匿名を遣い、自分の名前や住所を伏せて置いて、バーチャル不作法が大流行である。昨今の武道愛好者間には、老いも若きもこれに追随する現実がある。
しかしこれこそ、「恥じ」の最たるもので、自らの人格と品位を卑しめている。
いずれにせよ武人にとって、名を名乗ったり住所を告げるという行為は、名誉を誇示するものであり、即ち、名誉とは「命」であり、そこには人格の象徴として腰に大小の刀を指していた訳である。
ところが今日、こうした刀に対する象徴が崩壊し、その結果、恥を恥とも思わぬ不作法が発生したのである。
言い訳、弁解、弁明、責任転嫁、自分を棚に上げた自己弁護、弱い者苛め等の愚かしい行動は卑怯者のする事である。また卑怯者であるからこそ、名を名乗らず、住所を告げずという不作法を押し通し、自分自身を誤魔化して、自分が礼儀知らずであると言う人間性を、もろに曝け出した武道界愛好者は決して少なくない。いっぱしの武道家気取りで、偉そうな武道論をぶつが、実はこうした人間ほど、礼儀知らずであり、自分の失敗を素直に認めない恥の上に恥を上塗りする人間である。
これも、現代は武道と言うものがスポーツ競技となり、試合の勝者を英雄とする考え方から生まれた悪しき習慣であり、武門の礼法の基本であった「恥辱に対する態度」を改める事の出来ない現代人の感覚の鈍さに端を発するのである。
またこうした鈍化感覚は、同じ事を二度言わせるな、同じ失敗を三度繰り返すな、他人の失敗を見て笑うな、無抵抗の人間に面白半分に攻撃を加えるな、人の必死懸命な稽古を見て笑うな、未熟な者を侮るなという、古人の戒めを破り、自分勝手な狭い武道私感論で考えているからである。
そしてこうした一切の元凶は、親の躾けにあり、また家庭教育の不備が、成人に至り、大人になっても抜け切れず、その元凶を抱え込んだまま、人生を終わろうとしている現実があるのである。
その最たるものが、例えば家族内で通話する電話の受け応えであろう。
家族内での電話の受け応えの多くは、「オレ」と言ったり、「アタシ」と言って、その名前を名乗らない事になる。こうした「オレ」「アタシ」の呼称が夫婦間の中に亀裂を入れ、また子供を巻き込んでの家庭内暴力や家庭不和が生まれるのである。
「親しき中にも礼儀あり」と言うが、親しいから他人行儀にする事が、人間関係において瑞々しい新鮮な感覚を呼び起こし、人は自分の名前を名乗る事で、人間としての存在価値が生まれるのである。
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