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西郷派大東流と武士道
武の道は、「死を致す道」である。したがって、「武」は同時に「弔意(ちょうい)を顕(あらわ)すものである。
 真剣勝負に臨み、倒した相手への悼(いた)みを象徴するこの弔意は、吾と死闘を尽くし、無念にも散っていった敵に対する敬意の表れである。
 往古の武人達は、敵への敬意を忘れなかった。また、これこそ、真の武人達の持ちえた、礼儀正しさである。
 斎戒沐浴(さいかい‐もくよく)して紋付袴に身を包み、心身を糺(ただ)してこそ、そこには礼儀正しさが事象の現われとして表象化する。

御式内礼法・武門の心得
(おしきうちれいほう・ぶもんのこころえ)

●武門の礼法とその心得

 武門の行動律の最大の支柱は、「恥辱(ちじょく)に対する敏感な反応である。武門の礼法では、恥辱に対する感覚が敏感であり、これこそが武士道の行動原理をなす、名誉意識である。
 そしてこの名誉意識が欠如すれば、武士は即ち、自らの人格否定に繋(つな)がり、これによって武士道精神は一挙に崩壊する。
 つまり、「サムライ」とは、「恥」に対して敏感なのだ。

 礼儀知らずを働いたり、恩知らずや、「後足で砂を掛ける」と言った、かつての恩人や師匠に対し、自らの非礼も顧みず、それを“揶揄する”などの行為を「恥」と感じ、こうした恥知らずのことをしないというのが、そもそもの「サムライたる定義」であった。しかし今日の日本において、こうした恥知らずを平気でやらかす者は多い。

 では恥辱とは、一体どう言う事を指すのか。
 武士が、極めて恥辱と感ずる事は「卑怯者」と侮蔑(ぶべつ)されたり、「腰抜け」と揶揄(やゆ)される事である。

 万一、こういう事態になれば、腰刀の鯉口(こいぐち)を切って、自らの名誉にかけて、これを撤回(てっかい)する為に行動を起こす事であった。これを放置すれば、自らの人格と品位を低下する事になり、この撤回において全人格をかけ、沽券(こけん)に関わる事は排除しなければならなかった。
 したがって軽々しく「卑怯者!」と罵(ののし)ったり、「腰抜け!」等と、こうした暴言も、よほどの事がなければ、相手方も軽々しく言うことはなかった。恥辱を受ける方も命賭けであるならば、恥辱を浴びせかける方も命賭けであり、双方は「命を賭ける」という側面で一致していたのである。

 人間の放つ言葉には、重みがある。人間の音声には、他の動物には見られない「言霊(ことだま)というものが存在する。人間以外の哺乳動物は、音を発しても“咆哮”であるが、人間の場合は言葉を音にすることが出来る。これが「言霊」である。言霊が発する「音」は光であり、また波動である。だから「ことば」という。
 言葉に宿っている音には不思議な「霊威」がある。古代より、言葉には霊威と言うものが含まれ、その力が働いて、言葉通りの事象が齎(もたら)されると信じられてきたからである。軽々しい失言は、自他共に命取りになるのである。

 一方、「災いは口より出る」という諌言(格言・教訓・道徳訓を多く含む語)がある。心に思っている感情的な意味合いのものを、その感情の命ずる儘(まま)に口から出すと、それは即ち、災いになると言うものである。多くの身分ある人は、かつて、こうした災いにより失脚させられ、あるいは地位を奪われた。その為に、言葉を用いる場合は、その用い方を間違わぬ、深い洞察力と、相手を思い遣(や)る心遣いが必要だったのである。

 かつての武士階級の武人の心得は、名誉を重んずる事であり、この名誉こそが総てであり、また武人の命でもあった。そして名誉とは、人格であり、品位であり、その象徴として、大小二本の腰に指した腰刀にあったわけである。

●武門の作法は機能美が最優先された

 武門の作法は現実主義に則った、機能美が追求された。即ち、現実主義とは隙(すき)をつくらぬ事であり、こうした配慮と、敵を察知する心配りが、現実主義を生み出したのである。武士の日常において、その心構えは「常在戦場」という意識が常に宿っていなければならない。

 どのように攻め込まれても、即応出来、更には変応自在にこれに対処し、負けない態勢を整えておく事が要求された。つまり日頃の嗜(たしな)みと言うもので、この嗜みこそ、まさに機能美を追求したものであった。機能部を追求していくと、まずその行動線は最短距離を通らなければならなくなり、無駄な動きが一切排除されてしまう。したがって無駄のない動きは、やがて機能美として完成をみる事になる。

 人の世には、常にアクシデントがつきものである。誤解さるれ事も、往々にしてあり、一度誤解を招けば、それは解き難いものとなる。これが下(もと)で、また争いが起る。
 争いは非日常に以上を作り上げる。日常が突如として、非日常に変化する事がある。したがって日常の瑣末(さまつ)な所作にも心を配り、常に危機に対して危機意識を持たねばならなかった。そして誤解を招かない為にも、礼儀は正すべきものであった。

 武門では、例えば盃(さかずき)を持つ際は、左手と決められている。これは盃に限られた事ではなく、物を持つ場合は常に左手と決められていた。また、脚(あし)を一歩踏み出す場合も、町家の作法とは異なり、左前で踏み出る事が武門の嗜みとされた。これを「左前」という。

 その理由は、手や腕の場合、殆どの武士が右利きであり、また利き足も右足であり、「陰陽移行の理」から考えると、人間は左足にその体重の半ば以上が掛けられていて、軸足は左であるが、一歩踏み込む場合は、まず左足を一歩前にして踏み込み、右足できるだけ突出しなければならない。
 これによって能(のう)のような摺(す)り足の動作は、第二の動作として右半身に構える事が出来、半身に構える事によって、万一、敵と対峙(たいじ)した場合、これを半身、つまり45度の角度で受け流す事が出来るのである。

 武士にとって、利き手と利き足を制せられる事は致命的であり、利き手と利き足が「前に出る」ということが武士の行動原理とされたのである。
 イザという時に右半分の動きが制せられていては、役に立たず、例えば坐礼をする時も、左手から出すと言うのは、特に上級武士の嗜みであった。

●作法の原点は隙を作らぬ事を云う

 人間の行動原理の中には「坐る」「立つ」「歩く」「走る」「構える」等があり、また「食事をする」「入浴する」「排便をする」「就寝をする」等の日常の行動があり、この行動の中で、姿勢が崩れたり、体勢が瑣末になればその行動は不用心となり、隙をつくる結果を招いた。

 日常生活をだらしなく送っている者は、その行動が不用心であり、隙を作り易い。また何事かに心を奪われたり、気をとられている場合は、案外と敵に攻め込まれ易いものである。更に日常と非日常を区別して生活している人間は、日常が、非日常に変化した時、これに狼狽(うろた)えて対処できない現実がある。

 武門の心得の一つは、隙を作らないと言う事であり、これは敵を作らないと言う事にも通じるのである。敵を作らないと言う心得は、同時に武術の心得でもあり、またこれこそが作法の原点なのである。

 したがって武門の礼儀作法の中には、一種独特の貫流する一つの大きな流れがあり、この流れの中には隙の無い起居(たちい)振る舞いと云うのが行動原理をなしているのである。

 例えば、坐る、あるいは立つと言う動作を挙げてみても、その行動における所作は、どの部分を区切ってみても、常に重心軸は左右前後に安定を保っていて、決して崩れる事がない。

 前後左右のいずれから敵が攻撃を仕掛けて来ても、これに対処できる備えが出来ていて、例えば、坐した姿勢からも、あるいは中腰の姿勢からも、瞬時に跳躍する事が出来、同時にそれは抜刀可能な体勢を指すのであって、これを可能にする事のみに、作法の原点は求められて来たのである。
 またこれが、隙を作らぬ事であり、隙を作らぬ事にのみ、武門の作法は修練が積み重ねられて来た。

 更に、脇に刀がなくても、それに代わるものとして、西郷派大東流では「白扇」が用いられ、白扇の操法はまさに、イザと言う時の日本刀の代用品であった。本来、白扇と言うものは、礼法の時に用いられる白地のままの扇の事で、白は潔白を顕(あら)わすものであるが、日常に用いられる白が、太陽の光線をあらゆる波長にわたって、一様に反射することによって見える色は、非常に変化の富んだものである。この変化こそが、白扇の特徴であり、この変化をもって敵と対峙し、負けない境地を維持するのである。

 武術の姿勢と言うものは、単に格闘を演じている間の短い区間を指すのではなく、日常が転じて非日常に変化しても、これに即応出来、隙の無い起居振る舞いが要求されたのである。

●入門順と言う考え方が修行の原点

 武術の世界やそれに準ずる稽古事の世界における席次の基準は、まず「入門順」という解釈によってその席次が判定されているようである。
 また御式内は、殿中は即ち、「道場」と同等のものであると考えられていた為、殿中での入城に際しては、「正面拝礼」が正式の作法である。更に殿中の中に進み、着座する時は、その位置について、厳重な注意を要した。
 殿中に入場し、既に上席に人が居る場合は、上席に対して一礼をするのが着座の際の作法であり、下位の者の前を通過する時も、会釈をして自席に着くのが作法であり、絶対に忘れてはならないのは、「膝行」という、殿中独特の進み方の作法である。

 殿中では、立って歩く等は、以ての外で、常に膝行が行動の原則とされ、また下がる際も、正面に対して背後を見せて下がる事は許されず、「膝退」(しったい)で下がると言うのが原則である。つまり殿中作法には「立って歩く」という行動が一切許されないのである。
 更に上位の者と同行する時は、必ず上位の者に上席を薦め、自分は下座に着くというのが殿中作法であり、これは上級武士あるいは上級武士に準ずる、殿中に入場できる御家中の作法であった。

 今日でも、年齢や社会的地位等に準じて、上席と次席が決定され、道場においては入門順を基礎的な基準において、段位や級位を基準にする事が多い。
 そもそも道場とは、禅の僧侶が自分の修練の場に、神棚を祀(まつ)り、そこを「道場」と呼んだ事に端を発する。したがって道場では「発心(はっしん)順」と言うのが基準になり、発心とは、仏道では「菩提心」ぼだいしん/悟りを求め「道」を行おうとする心であり、西郷派大東流では密教の秘術に則り、求道者は悟りに近付く為の根源的な心とする)を指す。
 菩提心とは、ある事を行おうとして思い立つ心の態(さま)を言うのであって、これを「発起」(ほっき)あるいは「発意」(ほつい)と言う。

 道場における着座の位置は、まず発心を起こした「入門順」であり、次に「実力順」と言う事になる。まずは発心を起こした事を基準に、席次が決まり、次に入門同日あるいは入門後日であっても、級位や段位が勝っていれば、実力順に席次が決定される。それは入門順が一応の目安になりつつも、実力の差によって伎倆(ぎりょう)が覆(くつがえ)されれば、入門順は伎倆に席を譲る必要があり、同時に伎倆の持ち主は、何事かの行事の役目に就(つ)くからである。

 修行と言う世界では、基本的には入門順であり、発心順であるが、上席者が修行を怠り、後進者から次席を奪われると言う事はよくある事実である。
 修行を怠った上席者は、永久に上席に着く事は許されず、修行を怠らず日夜努力を重ねる後進者には席を奪われるのは当然であり、また席を譲らなければならない。これが序列基準の基本であり、そこに人間の持つ品性と伎倆的な価値観を見い出す事が出来る。

 武術の世界における段位や級位と言うものは、実力本位のものである。まず伎倆がものを言い、才能や素質のある者は、例え後進者であっても、先輩を追い抜いていく事は充分に考えられ、修行を怠る者や、才能や素質に恵まれない者は、当然その席次は末席に下がる必要がある。
 しかし武術修行の世界は、企業等の営利組織でない為に、利潤追求の為に競争するのでないから、基本的には、やはり入門順あるいは発心順が最優先されなければならない。

 現代は、「道場」という言葉や「発心」という、禅で用いられた言葉が意味薄になり、格闘に見る強弱論でその価値観を測ろうとする為、かつて禅僧が修行に着いた「坐」の意識を考えなくなり、単に観客アピールのタレント興行で物事を考える思考が生まれた。
 興行の世界でこれを如実に現したものが、「江戸相撲」であり、この世界は土俵の上の実力だけが問題にされる。つまり力関係による実力本位の世界であり、同時に実力を基準にして考える裏側には、相撲は観客なしでは成り立たない芸能の世界であるからである。

 一応に相撲を志す力士達は、相撲を「相撲」と云わず、「相撲道」と呼称するようであるが、果たしてここに道が存在するか否かは議論を残すところであるが、テレビや新聞や雑誌に報じられる事から、やはり芸能の世界である事には変わりなく、興行はあくまで観客によって成り立つ世界である。したがって幾ら入門が早いからと言って、その力士が弱くては、全く話にならないのである。興行の世界は、観客を楽しませてこそ、その存在理由があり、芸能の世界は観客動員数が少なくては全く目も当てられないのである。

 しかし武術の修行は、こうした観客を意識する格闘技ではない為、人知れず、地味な修行が日夜の行動となる。したがって格闘技とは異なり、ある技を会得したからと云って、新聞やテレビ等で報道される事もなく、また顔すら知られる事はない。それは、秘密は秘密にしておいて、あくまでも、秘術は人に知られてはならないからである。ここにまず、入門順あるいは発心順と言う考え方が優先されて然(しか)るべきだ。
 しかし入門順である以上、先進者は後進者の手本とならねばならず、日々の修行を後進者以上に心掛けるべきである。

●殿中への入退場

 殿中もしくは宮中(きゅうちゅう)と言われる場所は、俗界のそれとは異なり、神聖な場所であり、また道場においても、俗界とは異なる場所であり、ここは俗界と神界を隔てた結界線(けっかいせん)が引かれた場所である。

 殿中とは君主のいる場所であり、宮中とは神宮の境内(けいだい)を顕(あら)わす処である。そしてここには、禁中(「禁闕(きんけつ)の中を指す)や禁裏きんり/みだりにその中に入るのを禁ずる意味で「禁裡(きんり)」とも)の為来しきた/慣例)りがある。
 こうした処に列席する時は、畏敬(いけい)の念を以て、恭(うやうや)しく拝礼をし、入退場をする事が武門の礼儀であり、また作法である。

 現代では道場等がそれに準ずる場所であるが、道場は総本部等を除き、その他の支部は自前の道場はなく、多くの場合は公共施設等の武道館や体育館を貸借している場合が少なくない。こうした場所へ出入りする時は、まず先頭で入場する者が、「真言九字(しんごんくじ)を切り、周囲の場の邪気を浄めなければならない

 公共施設等の武道館や体育館は、普段から勝負事にこだわる俗人の欲望が渦巻いている処であり、俗人の落とした不浄の念(唸/ねん)が渦巻いている。こうした邪気や人間の煩悩(ぼんのう)を祓(はら)い清める為にも、まず先頭で入る者は、九字を切って中に入る事が肝心であり、これを決して無視してはならない。
 この理由は、次元の低下した所を、修行と言う高度な場所に引き上げる必要があるからだ。

 人間の落とした「唸」や「こだわり」という迷いは、煩悩から起る頑迷の拘泥こうでい/小さい事に執着して融通がきかないこと、あるいは勝負に執着して商事に煽られること)であり、実に怕(こわ)いものである。
 これらは心の歪(ひず)みから起る意識であり、その場に居る人間までもを巻き込んで、思わぬ野心や欲望を掻き立て、煩悩を煽り立てるものである。こうした俗界と神域(あるいは霊域)の区別が曖昧になっている所は、人の唸が「生霊化」いきりょうか/生きている人の怨霊(おんりよう)で、祟たたりをする「いきすだま」を言う)している為に、こうした不可視物に振り回されると、自らの品格や人間性も失墜してしまい、修羅しゅら/六道の一つを顕わし、人間界の畜生界の間にある阿修羅の略で、争い事や闘争が絶えない世界)の世界で永遠に戦闘をしなければならなくなるのである。

 修行の目的は試合して勝つ為に行うものではなく、こうした次元を超越して、「負けない境地」を得る為に、修行は行われるべきものである。その根本には「精神を鍛える」あるいは「心と魂を鍛える」と言う事が、大前提になっていなければならず、「修め」更に「磨く」という心・魂の領域が大半を占めている。こうした、心・魂の領域の範囲を見誤ると、単に武芸は、芸者の「芸」に成り下がり、スポーツ・タレントのような河原乞食に成り下がるのである。
 本来、修行者はこうした、「芸」の路程を歩くものではなく、謙虚に「心」というものを再確認する必要があるのである。また、おのが魂の存在にも気付くべきである。

 武術修行者の本来の姿は、地味なものであり、地道なものである。人知れず稽古を積み重ね、ここは孤立無援の世界である。黙々と稽古を続け、先人の残した秘術を我が身に注入し、そしてその後は、これを一切知られてはならないと言う事を心掛けるべきである。
 秘密は秘密であるが故に、その秘密は秘術として価値があるのであり、これを公開し、大衆化してしまえば、秘密は秘密でなくなり、研究され、返し業(わざ)は編み出されてしまう。
 修行者はこうした愚を犯すべきではないのである。
 こうした愚を犯さなければ、その修行の場は明らかに神聖な場である事には変わりなく、またここが、個人の欲とは異なる、全体への奉仕に繋がるのである。

 聖域とは、個人の欲望が介入できない、「全体への奉仕の場」であり、自らの全人格を代表して、人民に奉仕をすると言うのが、本来の武士道の目指す境地であり、したがってそこで修行する修行者の域は、当然、試合での勝ちを求めて練習に明け暮れる次元のものとは、根本的に違っていると言う事が明白になるであろう。

 そして「修行者」とは、誰一人手を貸す事の無い孤立無援の、無名の人間の事であり、その修行態度は行乞僧に匹敵するような「諸国行脚」(しょこくあんぎゃ)と同様、人間としては一番低い態度を以て、謙虚に学ぶと言う心構えが必要になる。

 殿中と言う聖域に入れる資格のある者は、謙虚さを知り、人の低さを知り、礼儀を知って、一朝事の時は自らを捨身の覚悟で、全体に奉仕をできる人間のみなのである。したがって謙虚さや礼儀は、当然の如く態度に現れ、その態度を代表するものが武門の作法なのである。

●師の退場の介助

 殿中での中心は、かつては主君であったが、道場におけるその中心は道場主であり、これが総本部道場ともなれば、その中心は宗家となる。
 中心に、要(かなめ)を頂く事は修行者のシンボル的な存在となり、このシンボルが今後の修行者の行動律となる。
 したがってその「象徴」としての存在は、修行者ならば何者も犯すべからず聖域に存在するものであり、即ち象徴とは、何らかの類似性をもとに関連づける作用があるという事を知らねばならない。つまり武門では「旗印」であり、この旗の許(もと)に大旆(たいはい)を掲げて、修行者は集うものである。
 そして、その中心核が「師」という存在である。

 師は、中心核であるから貴(とうと)いのであり、かつて殿中においては主君がこれに回帰された。その中心核を軸にして、上位者ならびにそれに準ずる下位の者の序列が設定されていたのである。こうした序列設定は現代でも、宴会や儀式などで厳存として残っている心得であり、こうした事は時代が変わろうとも、今でも組織内で受け継がれている風習である。

 したがって指導の任にある者は、序列設定と言う古人の智慧(ちえ)をよく理解した上で、後進者に、こと細かく指導する必要があるのである。
 例えば、師が退場する場合の介助である。

 退場しようとする師の為に、更衣を手伝い、師の道衣や袴を畳むと言う事は常識中の常識であり、しかしこの事を知らない後進者は実に多い。また先進者自身も、こうした事を知らない者が多く、指導の任にある者すら、稽古や技法以外の事は何も知らないと言う者が多い。

 まず、師に教えを受け、その後、師が退場する場合は、更衣を手伝い、道衣や袴を畳んでバッグに収め、その他の所持品を整え、これを自ら持って玄関まで先導し、靴を揃(そろ)え、靴ベラを履(は)き易いように両手で手渡し、車で師が最寄り駅に向かう場合は、助手席に自らが乗車して運転手を誘導し、駅に到着したら入場券を買って自らも駅構内に同行し、ホームで師の発車を見送ると言うのが、真の教えを受ける修行者の態度であり、しかしこうした古人が研鑽(けんさん)した立派な態度も、現代は廃(すた)れつつある。

 また指導の任にある者も、現代では此処まで注意深く熟知している者は実に少なくなったのである。
 現代では、師の荷物や所持品に手を差し伸べて、「お持ちしましょう」と言って、師の荷物すら持つ者が少なくなってしまった。またこうしたこと事態、知る者が少なくなった。
 師は師、弟子は弟子として、師に荷物を持たせた儘(まま)それを顧みる事もなく、ある一線を越えて自他離別の意識が働き、師に心を遣う事もなく何キロも歩かせたり、自分の都合に合わせて車を廻すなどの手配しないと言う、修行者の心得を知らない者が多くなったが、同時にこれは、自身の態度を卑しめている事にも気付かない愚鈍者である。
 また、愚鈍者であるから、礼法と武技を切り離し、自身の伎倆が中々進歩しないのである。

 多くの武術や武道の愛好者は、伎倆の進歩は練習量にあると思っているようであるが、これは枝葉末節的な小さな現象に過ぎず、問題は自分の信じる師への態度が、そもそも間違っているのであり、こうした、根本が間違っている者が、自己流の独断と偏見で斯道(しどう)に励み、何年も、何十年も、こうしたものに没頭したとしても、決して進歩する事はない。
 要するに、根本態度を改めない限り、その子弟関係は、懐疑が付きまとうものになり、不確かな人間関係で結ばれている以上、弟子は上達などするはずがないのである。
 また武人の伎倆は、人間性と武技が表裏一体になっているのにもかかわらず、人間性と、その人の持つ伎倆とを別々の物に考え、技については教えを請うが、その人の考え方はどうでもいいと考える人が居る。

 世間でよく聴く言葉に、「あの人の技は素晴らしいが、人間がダメだ」とか、「強いには強いが、ただそれだけだ」と、その人の本質も知らないで、陰で悪口を云ったり、誤解している人が居る。しかしこのように評価しながらも、技だけは師事するという偏見を持った人が居る。そしてこうした人に限って、師の技のレベルを超えられず、「合気揚げが出来ない」と嘆いているから、全く考え違いも甚だしい限りである。師の人間性を無視して、技のみを追い求めたところで、低次元な技ですら乗り越える事は出来ないのである。
 「拝師の礼」はこうした処にも現れるのだ。
 そして人間と技を切り離して考える事は出来ないのである。

 修行者の態度は、相互の間柄と自らが信じる、師への象徴度合いで異なるが、ここにこそ、礼儀を知る者と、知らない者との分岐点があり、自分では礼儀正しいと思っている者でも、師を、自らの心の象徴としてこれを研鑽し、敬(うやま)う事のできる礼儀正しさは、今日では殆ど知られない儘である。

 「礼儀正しい」という事は、お辞儀をしたり挨拶をしたりの、表皮的な行動律ではない。自らの心に存在する内面的な態度の立派さが存在していない限り、その礼儀正しさは偽物(にせもの)の範疇(はんちゅう)を出ないのである。
 礼儀正しいと言う古人のそれは、単なる自身の先輩に過ぎなくても、昨今の後進者が怪訝(けげん)な顔をするほど、恭(うやうや)しく尊厳に満ちたものであった。古人は、実に恭啓(きょうけい/慎み、敬うこと)に満ちたものであったと承知しておくべきである。

 礼儀正しいとは「挨拶運動」の事ではない。また「お辞儀運動」の事でもない。お行儀と礼儀は無関係だ。大人しくすることを礼儀正しいと言うのではない。
 こうした「○○運動」を、礼儀と思い込んでいる現代人は多いが、礼法というのは、挨拶の仕方やお辞儀に仕方ではなく、人間として最も大事な、品格の中心を為(な)す「行動」や「態度」の事であり、つまりその熟知度でその修行者の品位と人間性が決定されてしまうと言う、「道」への理解度が、自分自身に試されるのである。

●道衣や袴を畳む

 道を学ぶと言う事は、即ち、稽古を学ぶと言う事であり、この稽古においては、道衣がその象徴であり、また有段者であれば、袴が黒帯の象徴となる。しかし現代、袴を遣(つか)って稽古をする武術や武道は、剣道を始めとして、古流柔術や剣術、大東流諸派、合気道、居合道、剣舞などであると思うが、こうした武術や武道を稽古しながらも、道衣は兎も角として、袴を正確に畳める人は殆ど居ないと言う状態である。
 果たして、こうした稽古事を愛好しながら、一体何人の愛好者が、自分の袴をきちんと畳む事が出来るであろうか。

 私は若い頃、山下芳衛先生の袴を畳んだ時に、厳しく叱責された事がある。
 理由は「袴に皺(しわ)がよっていた」という事であった。現代ならば、「たかが皺くらいで」と思うであろうが、山下先生の叱責の理由は「いやしくも道を学ぶ者が、稽古衣を等閑(なおざり)な畳み方で、お前自身の修行者としての態度は、そのような軽薄なものなのか!」と、激しい口調で、烈火(れっか)の如く叱責された事があった。

 当時の袴は、今と違って、折り目の消えないプリーツ加工のテトロン袴など無く、総べて木綿であり、その木綿に、和服ようのアイロン小手を当て、それで皺を伸して行くというものであった。今日のように、優れたスチームアイロンもなく、総べて旧式な遣り方で皺を伸していたのである。それでも手を抜く事は、道への冒涜(ぼうとく)となり、そうならない為には、道衣や稽古袴といえども、真剣に、正確に畳む事が修行の一貫になっていたのである。

 古人が命を賭(か)けて遺(のこ)した「道」というものは、厳粛なものである。道を学ぶと言う厳粛な行為は、即ち「厳粛」かつ「真剣」なものであり、安易に扱われるべきものでない。手を抜いたり、息抜きをしたりする箇所は何処にもないのだ。
 したがって、汗に塗(まみ)れた道衣に於いても、単に汗塗れの作業衣とは異なる。

 昨今は武道と名の付く稽古事を、バトミントンやテニスと同様のゲームやスポーツと考え、同列の意識で武術や武道に取り組んでいる若者が多いが、昨今の意識からすると、「たかが皺くらいで」という、吐き捨てたい気持ちでこれに反駁(はんばく)する意見が起って来るであろう。
 しかし古人の考えた「道」は、こうしたゲームを楽しむスポーツ感覚的なものではなく、もっと真剣に、もっと命賭けであったのである。

 真剣に武術に取り組み、道場と言う場所を厳粛かつ神聖な結界で仕切られた処と言う認識がなければ、その人の修行している事はいつまで経(た)っても偽物であり、永遠に本物になる事はあり得ない。道場と言う場所は、道衣と言うスポーツのユニフォームを着て、単に武技を競って、格闘ゲームを楽しむ場所ではないのである。

 したがってそこで着衣する道衣や袴は、聖域のみに用いられるべき神聖な衣服であり、ここでは人間が聖衣(せいい)を着て、神の行為を行っているのである。

 また政事(まつりごと)を行う殿中に於ても、この場所は聖域であり、したがって殿中に昇る上級武士達は、紋付袴の裃かみしも/武士の礼服。継上下(つぎかみしも)とも言い、上は肩衣かたぎぬ、下は半袴(はんばかま)で、地質や色合の異なったもの、あるいは小紋・縞類など)に身を包み、神聖なるが故に礼儀作法を重んじたのである。
 そして主観的な自分の姿よりも、客観的な自分の姿を想像し、その想像した姿を深く洞察して、武門の行動律に叶っているか否かを省みたのである。こうした想像力に乏しければ、それは非常に見苦しいものになる。

 さて、昨今の道衣や袴に対する神聖な衣服に対し、「道を学ぶ」という意識を持ち、道衣や袴に対して、恭(うやうや)しくその尊厳を保って稽古に邁進(まいしん)している修行者が果たして何人いるだろうか。

 それを検(み)るには、袴を畳ませれば一目瞭然となって現れる。有段者以上は袴の着用が許されているのであるから、これが畳めるというのは当然の作法であり、もしこれが出来ないのであれば、その者は、自らを修行者の名を語って卑しめている人間であり、また「道を学ぶ」という根本的な意味を見逃し、高級儀法にだけ目を奪われて、これを軽々しく考えているのである。奥儀はそんな所に存在するのではなく、もっと身近に、眼の前の気付かぬ処に存在しているのである。

 こうした、木を見て森を見ぬ軽佻浮薄な者が、「修行だ」の、「道だ」のを語っているのであるから、全く恐れ入る限りであり、その一方で、「合気揚げは実に難しい。合気揚げが出来ないでは、合気実践者として説得力を持たない」などと嘆いている諸氏が少なくないが、実はこうした人間は、合気揚げが出来ないのではなく、修行の接し方や、道への考え方が間違っているのであって、合気揚げ以前の、考え違いの欠陥に気付くべきである。
 修行の接し方や、道への考え方が間違っていては、基本業一つすら完全に会得する事は出来ず、まずは最初の接し方や考え方に間違いがある事に気付くべきである。

 ちなみに西郷派大東流の門人は、第参級の時点で袴の着用が許される。しかしこれは「袴を許された」という事ではなく、自分が黒帯になって、本当に袴を許された時になった時、「袴の畳み方を知らなかった」という愚行を避ける為に、また、有段者の諸先輩の袴を畳む現実に遭遇する場合もあると想定して、特別に許すものであり、その前準備としてこれを許しているのである。
 袴一つ畳めない者が、「道」について学び、そして知ると言う事は不可能である。こうした愚行は、既に隙だらけの愚者である事を、自らで暴露したことになる。

 また西郷派大東流では、儀法(ぎほう)の伝授(師から奥伝を授かる)においては、紋付袴という殿中作法ならびに御式内の礼法に則り、これを厳粛に行うものであり、当然、此処にはその着衣する紋付袴の「畳み方」が問題になる。また、畳み方を知らない者が、伝授を受ける資格はないのである。
 現代、こうした日本伝統の着物の畳み方を知る現代人は非常に少なくなったが、これが出来てこそ、武門の礼法は完成に向かうのであって、稽古にあっては、単に道衣や袴を一般の作業衣と考え、その範疇でこれを扱うべきではない。


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