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ただ一度の失敗はそれが過失とは言えない。過失は同じ失敗を繰り返した場合である。
灰の中から蘇る不死鳥も、蘇るには少なくとも灰を必要とする。
他人から施された恩義は直ぐに忘れるくせに、他人から受けた怨みはいつまでも憶えている。
偉そうな顔ほど、ちっとも偉くない顔である。尊大とはそういう顔である。
善いことも悪いことも何もしない人に過失は存在しないが、何もしないことほど大きな過失が人生にあるとは思えない。


工夫する中に愉しみがある

 愉しみは工夫する中に生まれる。チャンスに恵まれなかったことを、運が悪いなどと悩むな。何事も工夫せよ。工夫し、創意する中に好機がある。


人物に見る未来展望

 いくら腹を空かせた野良犬でも、一度投げられた毒餌は二度と食おうとしないものだ。覆水盆に返らずである。
 味方につけるべき者を見誤ったり、いたぶればチャンスは二度と巡ってこない。
 人物を観察する場合は慎重を帰し、安易な結論に走らず、よくよく考えて未来展望を行なわねばならない。


呪われる怕さ

 他人(ひと)から怨まれることは止めた方がいい。その怨みは、やがて呪いに変わる。呪いが懸かっては未来が暗くなるからである。その最たるものが他人への誹謗中傷である。誹謗中傷は呪いに変換させてしまう恐ろしさがあるからである。怨みが畸形すると、呪になる。


諸刃の剣

 好運の良き波は、福も運ぶし富も運ぶ。それらを運ぶから「運」という。波に乗れば、運は福も富も連れてくる。
 しかし波に逆らえば、福も富も運び去ってしまう。運は諸刃(もろは)の剣であり、恐ろしい反面も持っている。


自分から何を紡ぎ出すか

 人生で何を掴むかは、その人自身にあり、良運も悲運も自ら紡ぎ出した結果に過ぎない。これは今の自分を作る。これは健康と病気についてもいえることである。
 健やかな状態も病んだ状態も、自らが紡ぎ出した結果である。
 人はみな平等でない。その歴然とした差が貧富である。
 貧も富も元々は自分の中に存在するものだった。運も、これと同じである。
 運・不運は自分の中にある。
 運の良い人は自分の中にある好運を紡ぎ出し、不運は自らの中の不運を紡ぎ出したのである。


老人の存在

 いつまでも若々しく、元気に活動することはいいことだ。たいていの人はみなそう思っている。
 はたして元気に活動する……。そんな場所が当今の老人に残っているのだろうか。六十歳を迎えて退職する。あるいはあと五年居残って頑張る。そして、お払い箱となる。問題はそれから先だ。企業をお払い箱になっても、まだまだ元気一杯。だが、することがない。日々を退屈で持て余して暮らすことになる。働く体力もあるし、脳味噌もそれなりに使える。そのくせ、その歳で再就職して職を得るのは難しいことだ。
 多くのサラリーマン退職者は、定年後は社会の役に立つことは少ない。半世紀前、百年前の老後と当今の老後は明らかに違う。社会の現実が余りにも違うからだ。更に決定的な違いは、昔の老人は尊敬されていた。多くは長老視されていた。同一の現実に生きて居たから、老人の経験が若者たちの役に立った。分からないことがあれば「爺さんに訊け」とか「婆さんが知っている」などと訊くことが的確な答えとして帰ってきたからである。社会は自ずと老人を尊敬する気持ちがあった。だが、今はかつてのアナログもデジタル化されて、老人の経験はさっぱり役に立たないことになった。役に立てようとすれば、却って足手纏いになる。
 はたして老人はそういう存在なのであろうか。


言葉の重み

 自分が言ったことを厳守したり、自分の吐いた言葉を最後の最後のまで貫こうとする人は意外にも少ない。
 人が挫折するのは、自分の吐いた言葉を最後まで貫き通すことが出来ないからである。また挫折はそういう挫けた状態に起こる。
 一方、挫けない人は心の鍛錬が出来た人である。金の草鞋を履いて探すに値する人である。


今の無視から起こる禍

 この人間は危ないと思ったら、直ぐに退いた方がいい。
 長い目とか、良い人だからという甘い理由で、今を無視すると、あとでとんでもない禍を蒙ることがある。
 人を観る場合は希望的観測によって判断してはならない。
 「今」の無視は、未来を無視しているからである。


真似の愚

 人真似をして、その人の真似をしたり、その跡を追い掛けたり、それに凭れ掛かれば結果は悲運でしかない。そのように直感することが、人生には度々ある。おそらくその勘は正しいだろう。
 真似をすれば、結果はろくなころがない。


火中の栗

 人物評定が正しくないと、その結果から招く禍は少なからぬものがある。
 これまでの味方は将来の敵になるか、あるいは全く相手にされなくなる。
 人間は火中の栗は拾おうとしないものだ