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不言実行

 人間の価値は、何事も吼(ほ)えるだけでなく、不言実行にある。実行者は言い訳も弁解も弁明もしないということである。


未来展望はマクロの中にある

 専門というミクロだけを検(み)ていると、やがて肝心なマクロの世界が見えなくなる。
 今は、誰もがマクロを見逃し、ミクロだけに固執しているのが、当今のネット社会である。換言すれば、実に危険な文明の綱渡りといえよう。この危険、分かるだろうか……。分からねば殆(あや)うい。

 そして、此処から足を洗えた者だけが、最後は生き残る。


好みに応じる

 人の世を生きるということは難しいものだ。根本に、人はそれぞれ好みがあるからだ。これを真摯に汲(く)んで遣らねば、金が来ても、金はそのまま素通りする。
 富者を目指す者が、金から素通りされる人間に成り下がっては、金も寄り付くまい。社会構造は金と疎遠になっては生きていけない仕組みになっているからだ。
 そして、金は生き物である。


老練者

 齢(よわい)を重ね、人間が練れて、老練を身につけると、人生前半の論語的な生き方だけでなく、下り坂に差し掛かる老荘的な生き方も分かってくる。
 坂道には、上り坂だけでなく、下り坂があることが分かってくるからだ。この下り坂の歩き方が達者を、老練者という。


人生の間違いノート

 自分を向上させるためには、人生の間違いノートが必要である。向上するにあたり、いいものばかりを見詰めていては、悪いものが分からなくなる。
 いいものが、いいものとして識別できるのは、悪いものが存在するからである。
 光でも、光と確認できるのは闇(やみ)があるからである。


急進的

 歴史が教えていることは、急進的な改革は殆(ほとん)ど失敗するということである。
 人は、一足飛びに千里を駆ける夢を見てはならない。千里の馬は危険な乗り物である。
 先ず最初、徐々に速さに馴染んでいく眼を養った方がいい。


老いた洟垂れ小僧

 若者に「若僧」とか、「青二才」といえる老人は滅きり減った。当今では、これが顕著である。
 長老という老人が激減したからである。若者から尊敬されない老人が殖えた。そればかりか、今ではジジババまでが若作りして、若者に迎合して、七十、八十になっても「老いた洟垂れ小僧」を遣っている。


義の本質

 義なることは、繰り返し宣伝しないことが「義」なのである。


いつの時代も変わらぬもの

 世の中が複雑になった時代、かつてのように義憤(ぎふん)に燃えてとか、青雲の志をもってなどの理想を掲げても、殆ど無意味な時代になった。
 今の世は、結局マネーゲームの只中にあり、例えば商談も、まずSNSの有無が訊かれ、その次にYouTubeのチャンネルが訊かれる。そこで、これらを「遣っていない」と返答すれば、その時点で商談は終わりである。
 かつてホームページは不要だと豪語した人も、当今では企業自体の存在が怪しまれる時代である。数年後には、動画の有無も問われることになろう。時代は変化に富み、時々刻々と日進月歩以上の速さで暴走しているのである。これが善きことか、悪しきことか、百年後、千年後の後の世にならなければ分からない。それは後の世の歴史が定めるだろう。
 しかし、人間はいつの時代も変わらぬものがある。
 人情の機微を読む人間への細やかな洞察力である。これに併(あわ)せて、「志」という理想である。これは人間が生きるうえでのボーダーラインで、上にいるか、下のいるかで人間の格が決定されることである。そして、理想は泡(あわ)のようなもので、消え易く、儚(はかな)いものだ。
 しかし、理想を掲げて生きている人が少ないからこそ、尊いのである。


美食の正体

 白色食品の常食者に肥満体が多いのは、メタボになる要素が多分にあるからである。
 白米をはじめとして、白麦、白饂飩、白パン、白砂糖、白色食塩などに有害要素が混入されているからである。白色食品は人体に有害であり、生活習慣病を招き、寿命を縮める。精白した食品は人体に害を及ぼす。
 また、テレビを見ても肥(ふと)る。
 料理番組や食べ歩きなどで洗脳され、美食に思いを馳せる。その思いが、「行列のできる店にでも、行列を作ってみるか」となる。
 ふつう美味しいは、甘いから、そう感じるのである。美食の正体である。